歴史好き : 豊橋商工会議所オフィシャルブログ Toyohashi Bizoo

タグ:歴史好き

日本史の中では奈良時代が一番おもしろいかもと私は思います

昨年、豊橋市美術博物館馬越長火塚古墳の出土品を見に行き、文化財センターで貴重なお話もうかがうことができまして、
もっと豊橋の歴史について詳しくなりたい!という気持ちが沸き起こってきました。



そこで!豊橋の遺跡と言えば真っ先に思い浮かぶ、(歴史好きな人の間では)超有名な「瓜郷遺跡」を取材することにしました。
※写真が冬景色なのにはツッコミ入れないでください・・・笑

史跡の碑
国の史跡に指定されているんですよ!

瓜郷遺跡は、「豊川下流の沖積地に立地する弥生時代中期から後期にかけての集落」で、竪穴住居、石包丁、木製の鋤・鍬などが出土し、貝塚も確認されています。
それだけでなく、『瓜郷式』と呼ばれる櫛描文を多用した特徴的な土器」も出土しており、唐古遺跡や登呂遺跡と並んで弥生時代を知るための重要な遺跡と位置付けられます。
(出典:豊橋市美術博物館 瓜郷遺跡のページ

遺跡の説明

歴史の教科書に必ずと言っていいほど載ってる登呂遺跡に匹敵する、すごい遺跡なんですね

当時の人々は、湿地を利用して水田を開き、湿地を望む小高いところに集落を形成していたようです。
自然環境としては、周辺はクリやシイなどの広葉樹の林があったほか、海岸線が今より内陸側にあったため、川を少し下ればすぐに海に出られたようです。

こちらが現在の瓜郷遺跡の様子。当時の住居が復元されています。

建物横

小学生の頃、校外学習か何かで瓜郷遺跡の見学に来たことがあるのですが、
当時はこの住居が遺跡のすべてだと思っていたので、「なんかしょぼい遺跡だな」と感じた記憶があります(失礼)

でも、大学のゼミ(実は考古学を専攻していました)で自宅が豊橋だと言ったら、
「瓜郷遺跡あるよね!すごい遺跡だよね!」と先輩に言われ、国の史跡に指定されている遺跡だということをその時知りました

瓜郷遺跡では、昭和22年から27年にかけて5回の発掘調査が行われており、
前述の通り様々なものが出土しています(出土遺物は美術博物館にて見ることができます)。←令和4年10月17日から改修のため休館となりますので、ご注意ください。

水田の遺構こそ見つかっていないものの、木製の農機具や炭化したコメが発見されたことから、稲作が行われていたことが推測されます。
また、貝塚(いわば古代人のゴミステーションですね)があり、そこから動物・魚の骨や木の実が出ていることから、狩猟・採集・漁撈も行われていたことがわかります。

案内板

では、せっかくなのでおうちにぐぐっと近寄ってみましょう
通常の竪穴住居が四本柱なのに対し、瓜郷の住居は二本柱。屋根がまるで合掌造りのようで、なかなかスタイリッシュじゃないですか。

建物正面


おうちの中は・・・なかなか広いですね。中央に炉の跡があるそうです。

こちらで食べ物を煮炊きすると同時に、暖をとっていたのでしょう。まさに家族「暖」らんです。

稲作が始まったとはいえ、当時の生産技術はまだまだ高くはなかったようですので、
田植えから稲刈り(当時は稲穂の部分だけを切り取っていました)まで相当大変だったでしょう。
その分、秋の収穫の時季にはコメなどを神に捧げ、盛大なお祭りを催したようです。

ちょっと赤みがかった古代米や、クリなどの木の実、ハマグリやアサリのスープなど、
実に様々なものが食卓に並んでいたのかな。想像するとなんだか楽しいですね

古代人の暮らしに思いをはせていたらお腹がすいてきたので、カピバラもおうちへ帰ることにしました


※公共交通に詳しいオコジョさんからひとこと
瓜郷遺跡へお出かけの際は、ぜひコミュニティバス「かわきたバス スマイル号」をご利用ください!
運行日、運賃、時刻表等、詳しい情報はこちらからご確認いただけます。


〔遺跡data〕
遺跡名:瓜郷遺跡(うりごういせき)
所在地:豊橋市瓜郷町寄道地内
アクセス:JR飯田線「下地」駅から徒歩約10分

     かわきたバススマイル号「瓜郷遺跡」下車すぐ

文/カピバラ

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みなさんこんにちは。カピバラなのに子年生まれではないカピバラです

今年は寅年ということで、美人なトラさん・マリンさんの無料画像を個人の年賀状に使用させていただきました
マリンさんの画像素材無料配布キャンペーンをしてくださったのは、豊橋総合動植物公園、通称「のんほいパーク」です。

こちらがウワサの美人アムールトラ・マリンさんです(公式Twitterより)

のんほいパーク
、子供の頃家族でよく遊びに行きました。
学校の遠足で行った時は、ニシキヘビがいる展示室に入るのが嫌で嫌でたまらず(ヘビさんごめんなさい)震えていた、というのも懐かしい?思い出です。

園内には植物園遊園地自然史博物館もあり、博物館前には恐竜の模型(実物大!)が並んでいる広場もありますよ。
(自然史博物館、放送大学の授業でもロケ地として取り上げられました!)

こののんほいパークの生みの親といえる人物が、先日紹介した「偉人カード(佐野妙先生デザイン)」にもなっている、安藤政次郎という方です。

まずは、「30秒でわかる!安藤動物園の歴史」をどうぞ!

養豚業を営む安藤さん(動物好き)が珍しい鳥やサルなどを飼育

近所の人が珍しがって見に来るようになる

明治32年、駅前に正式に「安藤動物園」を開設、その後守下へ移転

安藤亡き後、市に移管され、向山へ移転するも戦争中に空襲に遭う

戦後再開した動物園は、今ではのんほいパークとして親しまれる



詳しく知りたい方はコチラ↓から!

安藤政次郎は現在の豊橋市大手町の染物屋に生まれ、若い頃は静岡や横浜で新聞販売の事業を営んでいたようですが、
明治17年、豊橋に歩兵十八連隊が設置されると聞き、故郷で一旗揚げようと帰郷、軍隊に豚肉を卸そうと思い養豚業を始めました

もともと動物好きだったこともあり、豚以外にもサルや珍しい鳥などの動物を飼育し始めたところ、
近所の人が珍しがって見物に来るようになり、明治32年、豊橋駅前に正式に「安藤動物園」を開設するに至りました。

IMG_3792
現在の広小路通りにある安藤動物園跡の案内看板。奥に見えるのは豊橋駅。

当初飼育されていた動物は、ライオン、トラ、クマ、オオカミ、ラクダ、ペリカン、ツル、ニシキヘビなど。
駅前という立地もあり、豊川稲荷にお参りした人たちが帰りに寄っていくなど、安藤の動物園は大にぎわいだったようです。

その後、動物の種類も増え、動物園は明治45年に守下(現在の松葉小学校付近。会議所からもほど近いです)に移転。
安藤はウサギの着ぐるみを着て自ら呼び込みをするなどし、動物園は老若男女に人気のスポットとなりました

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カピバラの祖父(故人)が描いた、昭和初期の動物園の絵(守下)。
絵には10年とあるが、向山への移転が昭和9年なので、その前の風景と思われる。

昭和5年に安藤が亡くなると、遺族は遺言に従って動物園を市に移管。昭和6年に「豊橋市立動物園」となり、昭和9年には向山へと移転しましたが、
やがて戦争が激化すると、「猛獣が空襲によって逃げ出すと危険である」ということになり、動物たちは国の命令により殺されてしまいます。
動物園自体も豊橋空襲で壊滅的な被害を受けるという、暗黒の時代がありました。

戦後、東山動物園のゾウ列車に代表されるように、各地で動物園再開の機運が高まると、
現在の豊橋公園で博覧会が開かれたのをきっかけに動物園が再び建設され、
「ゾウの豊子さん」をはじめとする動物が、豊橋の戦後復興のシンボルとなりました。

「豊橋総合動植物公園のんほいパーク」としてスタートしたのは、平成4年。
現在、人気者のレッサーパンダ「李花(リーファ)」ちゃんをはじめ、多くのかわいい動物たちが私たちを癒してくれています。

個人的には、ゆず湯が終わらないうちに、この子たちに会いに行ってみたいです。
(3/8時点ではHP上で「開催中」となっていました。まだ見られるようです。)

のんほいのカピバラ
カワウソさん撮影

のんほいパークには、ちょっと変わったデザインのマンホールもあるようなので、ぜひ取材に行きたいと思います。

親子ライオンの公開、新グッズ(ゾウの来園を記念したタンブラーやトートバッグ)の販売等、注目ポイントが盛り沢山です。最新情報はホームページでご確認の上、お出かけくださいね。

参考文献『郷土豊橋を築いた先覚者たち』豊橋市教育委員会発行(昭和61年)、『ふるさと発見ガイドブック・知るほど豊橋5 のんほいパークの達人になる』豊橋市広報広聴課発行(平成23年)

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みなさんこんにちは。岡崎の家康公検定にちょっと興味があるカピバラです。

先日、当ブログに毎回ホットな情報を提供してくれるオコジョさんから、「豊橋の偉人オリジナルカード」についての情報をゲットしました。

カード配布の対象となるのは小学生のお子さん限定なのですが、偉人ゆかりの地や公共施設にて、佐野妙先生描き下ろしの「偉人カード」がもらえるとか
心はいつまでも小学生なので、私にもいただけないかな、と思っていたら、スナメリさんとイノシシさんも同じようなことを言っていて笑ってしまいました。
(期間は令和4年2月28日までですが、カードがなくなり次第終了とのことです。)

カードになった偉人は以下の6人だそうです(カッコ内は配布場所)。

 玉糸製糸業の創始者・小渕志ち (民俗資料収蔵室/二川地区市民館)
 新聞に人気料理小説を連載・村井弦斎 (中央図書館/まちなか図書館)
 神野新田を拓いた実業家・神野金之助 (ポートインフォメーションセンター)
 豊川用水の生みの親・近藤寿市郎 (中央図書館/ポートインフォメーションセンター)
 豊橋に本格的な動物園を開設・安藤政次郎 (のんほいパーク)
 無一文で五大州を踏破・中村直吉 (豊橋市役所13階展望ロビー)

広報とよはしさんのTwitterでも紹介されていました!


当ブログでも、せっかくなので何人か簡単にご紹介しようと思います。

小渕志ちは、群馬県生まれ。幼少の頃から糸繰技術を身に付け、17歳で結婚しますが、
ご主人の酒癖が悪く、暴力などに耐えかねた志ちは、中島徳次郎とともに故郷を出奔。

たどり着いた二川宿にて、地元の人に頼まれ糸繰技術を教えるようになり、やがて定住。
しかし、明治12年頃、コレラの大流行を受け(青天を衝け!でもお千代さんが亡くなりましたよね)、戸籍のはっきりしない者の居住が禁止されると、
徳次郎さんは逮捕され獄中で病死、協力者だったお寺の和尚さんもやがて亡くなります。

深い悲しみを乗り越えた志ちは、徳次郎さんのことを忘れないようにと、製糸工場の名前を「糸徳工場」とするとともに、
当時無価値だとされていた玉繭(一つの繭に二匹のお蚕さんが入っているもの)から糸を繰り出す画期的な技術を編み出します。
志ちの技術があったからこそ、豊橋はやがて「蚕都(さんと)」と呼ばれる糸のまちへと発展を遂げていったのです。

小渕志ち像
岩屋緑地内にある小渕志ちさんの銅像

※『まんがライフ』に好評連載中の佐野妙先生『だもんで豊橋が好きって言っとるじゃん!』で、小渕志ちさんの生涯が取り上げられたそうです。掲載号は12月27日発売号とのこと。ぜひご覧ください

近藤寿市郎は、渥美半島に生まれ、上京して法律を学ぶも、父の要請を受けて帰郷。
若くして村の助役を務めるなど、政治家としての道を歩むようになりました。

大正10年、東南アジアへ視察旅行に出た近藤は、インドネシアで見た灌漑用水施設にヒントを得て、
「鳳来寺山脈に大貯水池を設け、東三の灌漑用水を造るべき」と考えました。

帰国後、早速県議会に構想を提出するも、「駄ボラ」と一笑に付されてしまいます。
しかし、近藤はあきらめず説得を続け、昭和7年にはついに豊川用水の建設が国営事業として行われることが決定。

その後、戦争の勃発により一度は事業計画が消えてしまいますが、「近寿の三大ホラ」と揶揄された構想は、戦後すべて現実のものとなったのです。
(ちなみに、他の二つのホラは、三河港の修築整備と赤羽根漁港の整備。ホラどころかすべて実現しているのですから、先見の明があったということですよね。)


近藤寿市郎氏が政界引退後に興した東海興業㈱さん。2020年に75周年を迎えました。
こちらのホームページでも、近寿さんの功績について学ぶ事ができます。


豊橋には、佐野妙先生のカードになった6人の他にも、今日の繁栄の基礎を築いた実業家、政治家、文化人がたくさんいらっしゃいます。
(個人的には16代木村庄之助さんがすごく気になります。実は大好きなんですよ、相撲。)

駅から歩いて行ける場所だと、豊橋公園内に歌人・富田良穂、俳人・冨安風生、小説家・小栗風葉の文学碑などがあり、散策ついでに見学するのもいいですね。

先人の業績や生き様に、商売や人生のヒントが隠れているかも。みなさんもぜひ豊橋の偉人について詳しくなってみてくださいね

参考文献『郷土豊橋を築いた先覚者たち』豊橋市教育委員会発行(昭和61年)

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こんにちは、一度はお城に住んでみたいカピバラです

先日、歴史好きなオコジョさんから、「あいちの史跡をめぐって御城印・御史跡印を集めよう!」という素敵なキャンペーンについて教えてもらいました

今日はそのキャンペーンについてご紹介します。
御城印・御史跡印キャンペーンとは、どのようなキャンペーンなのでしょうか?

いただいたチラシによると・・・

チラシのQRコードを読み込み、行きたい場所の地図を表示

お城や史跡を見学し、スマートフォンやデジタルカメラで写真を撮影
(お城の風景、石碑、説明板など、現地で撮影したことが分かるものならOK)

指定された配布場所で写真を見せて、御城印・御史跡印をもらう(無料)

いろいろなお城や史跡をめぐって、たくさんGET!(なくなり次第配布終了)

なかなか楽しそうなキャンペーンですよね
早速、豊橋公園の中にある吉田城へ行ってみることにしました。


吉田城(当初は今橋城)は、戸田氏のお城であった二連木城に対抗するため、1505年に牧野古白によって築城されたお城で、
戦国時代には、戸田氏、今川氏、松平氏と、目まぐるしく城主が入れ替わりました。

世界遺産・姫路城を築いたことで有名な池田輝政(吉田城主時代は照政)も、一時期吉田城主を務めていました。

現在残っているのは、再建された隅櫓(鉄櫓)という建造物です。
(子供の頃はこれが吉田城の天守閣かと思っていた・・・)

では早速写真をパシャ!

吉田城


快晴の青空に白と黒の隅櫓が映えて、我ながら素敵な写真になったと思います。

無事写真が撮れたので、配布場所である豊橋市美術博物館へ行ってみましょう
受付の方にお城の写真を見せたところ、素敵な御城印をいただけました。

御城印


「今橋城」の文字も、武将(牧野古白)のイラストも、独特の味があっていいですね。家紋は、牧野家の紋「丸に三つ柏」だそうです。
(文字とイラストは、豊橋市文化財センターの職員の方が担当されたそうです。)

期間は12月28日(火)までですが、御城印がなくなり次第終わってしまうので、ぜひ早めに行ってみてください。

このあたりだと豊川市の伊奈城跡、蒲郡市の馬乗二号墳、田原市の田原城跡へはすぐ行けそうだし、
ちょっと足を延ばして新城市の馬防柵(織田・徳川連合軍vs武田軍の設楽原決戦で有名!)とかも見てみたいですね。

個人的には、那古野城(名古屋城)小牧山城は絶対に行ってみたい!と思います。

愛知県在住の方なら、先日リスザルさんがご紹介した「あいち旅eマネーキャンペーン」でおトクに旅してみてもいいかもしれませんね。


御城印・御史跡印キャンペーンについての詳細は、愛知県史跡整備市町村協議会のお知らせページをご覧ください。予定配布部数の残部もHPから確認できるそうです。

吉田城については、発掘現場の様子、周辺の観光&グルメスポットなどなど、いろいろとおもしろい記事が書けそうです。
全国のお城好きのみなさん、よろしければ、楽しみに待っていてくださいね。

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こんにちは、土器を見るとドキドキしてきちゃうカピバラです

先日、石巻方面へドライブに出かけたところ、柿畑の中に突如「←馬越長火塚古墳」という看板が現れ、とても気になっていました。

早速調べてみたところ、「全長70メートルの前方後円墳で、豊橋市内最大級」「石室の全長は前庭を含めると17.4メートルあり、愛知県内最大の規模」の古墳だと判明。
さらに、石室の発掘調査では「豪華な金銅装馬具ガラス製のトンボ玉など」が出土しており、「穂の国」の有力者のお墓ではないかとのこと。
(出典:豊橋市美術博物館 馬越長火塚古墳のページ

おお・・・なにやら馥郁(ふくいく)たる歴史ロマンの香りがしてきましたね(どんな香りだ!?)

いつかまちさんぽシリーズで取材に行けたらいいな(でもちょっと会議所から遠いんだよね)と思っていたところ、
市役所からほど近い「豊橋市美術博物館」にて、期間限定で出土品の特別公開を行うという素敵な情報をキャッチ!

お天気もいいので、お散歩がてら展示を見に行ってみることにしました

こちらが美術博物館の外観。緑豊かな豊橋公園の中にあります。

美博外観

まず目に飛び込んできたのが、きらびやかな「金銅装馬具」。鉄の板を薄い銅板で覆い、さらに金メッキを施した、なかなか手の込んだ馬具です

「棘葉形杏葉」(きょくようがたぎょうよう)と呼ばれる、ヒイラギの葉っぱのような形が特徴的な、馬のお尻につけた飾りや、
「雲珠」(うず)と呼ばれる丸い形のもの(こちらは革帯が交差する部分に装着)などが展示されています。

トリミング【棘葉形杏葉】
棘葉形杏葉と呼ばれる馬具(写真提供:豊橋市教育委員会)

この豪華な馬具、中央政府の工房で一括して作られたものであり、持ち主が中央政府にも一目置かれた力のある存在だった、ということを示唆しています。

こんなにキラキラな馬具をつけた馬を見せつけられたら、芦毛の怪物・オグリキャップでも連れてこないと敵わないかもしれません。

ガラス製の勾玉やトンボ玉もあります。トンボ玉は残念ながら風化が進んでしまっていますが、大きな棗玉や水晶でできた玉など、いわば古代の最先端おしゃれアイテムです。

トリミング【玉類】
勾玉、棗玉、トンボ玉等の玉類(写真提供:豊橋市教育委員会)

他には、お墓の周りで祭祀を行ったときに使ったとみられる「須恵器」がありました。
高坏(たかつき)や瓶(へい)にお酒やお供物を入れて、お墓の主を偲ぶ会を行ったとみられています。

出土品を見るだけでも、お墓の主や古代の人たちの暮らしについていろいろ思いをめぐらすことができましたが、
機会があれば、ぜひ馬越長火塚古墳へ出向いて、実際の古墳を見学してみたいと思いました。

馬越長火塚古墳出土品の特別公開は、11月7日(日)までとなっています(月曜日は休館日です)。

豊橋市美術博物館へのアクセス等、詳しい情報はHPをご覧ください。公共交通機関をご利用の場合は、市内電車「豊橋公園」駅下車徒歩3分です。

美術博物館には、考古資料のほかにも浮世絵、絵画、民俗資料などもあり、現在は企画展「芳年 激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」も開催中です。
ミュージアムカフェでのんびりしたり、お天気がいい日はお花がきれいな豊橋公園の散策もいいですね。ぜひお出かけください。

遺跡data〕
遺跡名:馬越長火塚古墳(まごしながひづかこふん)
所在地:豊橋市石巻本町字紺屋谷18
アクセス:豊鉄バス豊橋和田辻線「馬越」バス停から徒歩約10分
※「馬越」に停まるバスは本数が少ないので、ご注意ください。「和田辻」バス停からだと徒歩30~40分くらいとなります。


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