みなさんこんにちは。カピバラなのに子年生まれではないカピバラです
今年は寅年ということで、美人なトラさん・マリンさんの無料画像を個人の年賀状に使用させていただきました
マリンさんの画像素材無料配布キャンペーンをしてくださったのは、豊橋総合動植物公園、通称「のんほいパーク」です。
のんほいパーク、子供の頃家族でよく遊びに行きました。
学校の遠足で行った時は、ニシキヘビがいる展示室に入るのが嫌で嫌でたまらず(ヘビさんごめんなさい)震えていた、というのも懐かしい?思い出です。
園内には植物園や遊園地、自然史博物館もあり、博物館前には恐竜の模型(実物大!)が並んでいる広場もありますよ。
(自然史博物館、放送大学の授業でもロケ地として取り上げられました!)
こののんほいパークの生みの親といえる人物が、先日紹介した「偉人カード(佐野妙先生デザイン)」にもなっている、安藤政次郎という方です。
まずは、「30秒でわかる!安藤動物園の歴史」をどうぞ!
養豚業を営む安藤さん(動物好き)が珍しい鳥やサルなどを飼育
近所の人が珍しがって見に来るようになる
明治32年、駅前に正式に「安藤動物園」を開設、その後守下へ移転
安藤亡き後、市に移管され、向山へ移転するも戦争中に空襲に遭う
戦後再開した動物園は、今ではのんほいパークとして親しまれる
詳しく知りたい方はコチラ↓から!
安藤政次郎は現在の豊橋市大手町の染物屋に生まれ、若い頃は静岡や横浜で新聞販売の事業を営んでいたようですが、
明治17年、豊橋に歩兵十八連隊が設置されると聞き、故郷で一旗揚げようと帰郷、軍隊に豚肉を卸そうと思い養豚業を始めました
もともと動物好きだったこともあり、豚以外にもサルや珍しい鳥などの動物を飼育し始めたところ、
近所の人が珍しがって見物に来るようになり、明治32年、豊橋駅前に正式に「安藤動物園」を開設するに至りました。
当初飼育されていた動物は、ライオン、トラ、クマ、オオカミ、ラクダ、ペリカン、ツル、ニシキヘビなど。
駅前という立地もあり、豊川稲荷にお参りした人たちが帰りに寄っていくなど、安藤の動物園は大にぎわいだったようです。
その後、動物の種類も増え、動物園は明治45年に守下(現在の松葉小学校付近。会議所からもほど近いです)に移転。
安藤はウサギの着ぐるみを着て自ら呼び込みをするなどし、動物園は老若男女に人気のスポットとなりました
昭和5年に安藤が亡くなると、遺族は遺言に従って動物園を市に移管。昭和6年に「豊橋市立動物園」となり、昭和9年には向山へと移転しましたが、
やがて戦争が激化すると、「猛獣が空襲によって逃げ出すと危険である」ということになり、動物たちは国の命令により殺されてしまいます。
動物園自体も豊橋空襲で壊滅的な被害を受けるという、暗黒の時代がありました。
戦後、東山動物園のゾウ列車に代表されるように、各地で動物園再開の機運が高まると、
現在の豊橋公園で博覧会が開かれたのをきっかけに動物園が再び建設され、
「ゾウの豊子さん」をはじめとする動物が、豊橋の戦後復興のシンボルとなりました。
「豊橋総合動植物公園のんほいパーク」としてスタートしたのは、平成4年。
現在、人気者のレッサーパンダ「李花(リーファ)」ちゃんをはじめ、多くのかわいい動物たちが私たちを癒してくれています。
個人的には、ゆず湯が終わらないうちに、この子たちに会いに行ってみたいです。
(3/8時点ではHP上で「開催中」となっていました。まだ見られるようです。)
今年は寅年ということで、美人なトラさん・マリンさんの無料画像を個人の年賀状に使用させていただきました
マリンさんの画像素材無料配布キャンペーンをしてくださったのは、豊橋総合動植物公園、通称「のんほいパーク」です。
来年2022年はトラが主役!
— 豊橋総合動植物公園(豊橋のんほいパーク) (@non_hoi_park) December 28, 2021
のんほいパークでは年賀状等にお使いいただけるアムールトラの画像素材、年賀状データを無料配布しています。
ぜひご活用いただき、素敵なお正月をお迎えください。
ダウンロードはこちらのページから。https://t.co/wpcoAsuuyC#のんほいパーク #豊橋 #年賀状 #寅 #トラ pic.twitter.com/AmiTXoOELl
こちらがウワサの美人アムールトラ・マリンさんです(公式Twitterより)
のんほいパーク、子供の頃家族でよく遊びに行きました。
学校の遠足で行った時は、ニシキヘビがいる展示室に入るのが嫌で嫌でたまらず(ヘビさんごめんなさい)震えていた、というのも懐かしい?思い出です。
園内には植物園や遊園地、自然史博物館もあり、博物館前には恐竜の模型(実物大!)が並んでいる広場もありますよ。
(自然史博物館、放送大学の授業でもロケ地として取り上げられました!)
こののんほいパークの生みの親といえる人物が、先日紹介した「偉人カード(佐野妙先生デザイン)」にもなっている、安藤政次郎という方です。
まずは、「30秒でわかる!安藤動物園の歴史」をどうぞ!
養豚業を営む安藤さん(動物好き)が珍しい鳥やサルなどを飼育
近所の人が珍しがって見に来るようになる
明治32年、駅前に正式に「安藤動物園」を開設、その後守下へ移転
安藤亡き後、市に移管され、向山へ移転するも戦争中に空襲に遭う
戦後再開した動物園は、今ではのんほいパークとして親しまれる
詳しく知りたい方はコチラ↓から!
安藤政次郎は現在の豊橋市大手町の染物屋に生まれ、若い頃は静岡や横浜で新聞販売の事業を営んでいたようですが、
明治17年、豊橋に歩兵十八連隊が設置されると聞き、故郷で一旗揚げようと帰郷、軍隊に豚肉を卸そうと思い養豚業を始めました
もともと動物好きだったこともあり、豚以外にもサルや珍しい鳥などの動物を飼育し始めたところ、
近所の人が珍しがって見物に来るようになり、明治32年、豊橋駅前に正式に「安藤動物園」を開設するに至りました。
当初飼育されていた動物は、ライオン、トラ、クマ、オオカミ、ラクダ、ペリカン、ツル、ニシキヘビなど。
駅前という立地もあり、豊川稲荷にお参りした人たちが帰りに寄っていくなど、安藤の動物園は大にぎわいだったようです。
その後、動物の種類も増え、動物園は明治45年に守下(現在の松葉小学校付近。会議所からもほど近いです)に移転。
安藤はウサギの着ぐるみを着て自ら呼び込みをするなどし、動物園は老若男女に人気のスポットとなりました
昭和5年に安藤が亡くなると、遺族は遺言に従って動物園を市に移管。昭和6年に「豊橋市立動物園」となり、昭和9年には向山へと移転しましたが、
やがて戦争が激化すると、「猛獣が空襲によって逃げ出すと危険である」ということになり、動物たちは国の命令により殺されてしまいます。
動物園自体も豊橋空襲で壊滅的な被害を受けるという、暗黒の時代がありました。
戦後、東山動物園のゾウ列車に代表されるように、各地で動物園再開の機運が高まると、
現在の豊橋公園で博覧会が開かれたのをきっかけに動物園が再び建設され、
「ゾウの豊子さん」をはじめとする動物が、豊橋の戦後復興のシンボルとなりました。
「豊橋総合動植物公園のんほいパーク」としてスタートしたのは、平成4年。
現在、人気者のレッサーパンダ「李花(リーファ)」ちゃんをはじめ、多くのかわいい動物たちが私たちを癒してくれています。
個人的には、ゆず湯が終わらないうちに、この子たちに会いに行ってみたいです。
(3/8時点ではHP上で「開催中」となっていました。まだ見られるようです。)
カワウソさん撮影
のんほいパークには、ちょっと変わったデザインのマンホールもあるようなので、ぜひ取材に行きたいと思います。
親子ライオンの公開、新グッズ(ゾウの来園を記念したタンブラーやトートバッグ)の販売等、注目ポイントが盛り沢山です。最新情報はホームページでご確認の上、お出かけくださいね。
参考文献『郷土豊橋を築いた先覚者たち』豊橋市教育委員会発行(昭和61年)、『ふるさと発見ガイドブック・知るほど豊橋5 のんほいパークの達人になる』豊橋市広報広聴課発行(平成23年)
親子ライオンの公開、新グッズ(ゾウの来園を記念したタンブラーやトートバッグ)の販売等、注目ポイントが盛り沢山です。最新情報はホームページでご確認の上、お出かけくださいね。
参考文献『郷土豊橋を築いた先覚者たち』豊橋市教育委員会発行(昭和61年)、『ふるさと発見ガイドブック・知るほど豊橋5 のんほいパークの達人になる』豊橋市広報広聴課発行(平成23年)