【聴き手の心得】重い話だからといって重く聴かない - 斗比主閲子の姑日記

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姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

【聴き手の心得】重い話だからといって重く聴かない

水島広子さんの本を読んでいたら、こんなことが書いてありました。

これは案外多くの人が信じている「迷信」なのですが、重苦しい話を聴くときは、重苦しい雰囲気で聴かなければならない、と思い込んでいる人が少なくありません。しかし、実際に話をした本人は、「こんなに重い話をして相手に負担をかけてしまったのではないだろうか」「話さない方がよかったのではないだろうか」「もうこんな人間の話は聴きたくないと思われてしまったのではないだろうか」などと思っており、聴き手の重苦しさに不安を感じることがむしろ一般的なのです。(p.104) 

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  • 作者: 水島広子
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  • 発売日: 2011/08/20
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私はプロのカウンセラーでも何でもないですけど、読者からのメールを読んでいて、確かにそうだなと思うところはあります。

読者からのメールで、よくある冒頭の言葉が「重たいメールですみません」というもの。私は特に重たいメールだから受け取り拒否するとか、対応を面倒臭がるとか、そういうことをブログで書いたことはありません。むしろ重たいメールを喜んでいるぐらいです。

それなのにこういう言葉が最初に出てくるのは、水島広子さんが書かれている通り、一般論として重たいメールを送るのは申し訳ないという気持ちがあったり、友人・知人に話して「重たくて辛い」という反応があったりしたと考えられます。

水島広子さんは文章の続きには、相手が今ここで話してくれていることを尊重し、つながりを貴重に思う、聴き手の姿勢にこそ、話し手が安心するとも書いてあります。

 

実際、聴き手として、重たい話をしてもらえるというのはありがたいことです。普段から言語化が大切と書いていますけど、それが簡単にできれば困ることはないわけで、言語化は訓練が必要ですからね。自分の頭の中で整理して、ノートに書き出すぐらいが最初で、人に伝えるというのは応用編です。

だから、他人に話したことがないことを初めてメールでもらえたというのは、言語化第一号に立ち会えたみたいな感じです。古文でいうところの『有り難い』場面といえます。そんなわけで、私からの返しの最初に「メールありがとうございます!」と付けるようにしています。

 

私個人としては、モヤモヤは、貧しかろうが、富もうが、不幸であろうが、幸せであろうが、一人一人違うものであり、一人一人の個性と同様に、異なることが面白いと思っています。

私にメールを送られる際は、プロのカウンセラーだと思っていると違和感があるでしょうから、「王様の耳はロバの耳」感覚で、誰にも言えない事を吐き出してもらえるといいんじゃないかなと思います。宛先はこちら(etsuko.topisyu@gmail.com)です。