ちょっと前に、はてな匿名ダイアリーでこんな投稿がありました。
親としては校則違反をしてはいけないと子どもに言い聞かせる。だけど子どもはちょっとした校則違反をする。叱る。
叱るけど本当はまんざらじゃない。
本音と建前を理解して、世渡り上手な子どもになってほしい。
この投稿に対して色んな意見があると思いますが、私は自分の子どもに、「くだらないルールを守りたくないのは分かるが、ルールを守らないと自分が悪者にされることがある。守りたくないルールがあるなら、ギリギリルール違反にならないラインを狙ったり、そもそものルールを自分の望むように変える or 新たなルールを作る努力をした方がいい」と教えています。
交通法規は分かりやすく、守るのが大事なルールですよね。でも、そもそものルールが時代に合っていなかったり、間違っていたり、参加者が変わって上手く当てはまらなくなったりするのはよくあることです。
例えば、世紀の悪法として有名な優生保護法。
第一条 この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする。
第二条 この法律で優生手術とは、生殖腺を除去することなしに、生殖を不能にする手術で命令をもつて定めるものをいう。
※太字はtopisyu
この法律が1948年にできてから改正されるまでの1996年までに行われた強制不妊手術は、実に1万6千件に上ります。1万6千人が法律によって無理やり子どもを作れない身体にされたわけです。
「ルールを守るのが大事」とすれば、自分や自分の家族が強制不妊手術を受けることは常に受け入れるべきものでしょうか。そんなわけないですよね。
ルールづくりの重要性というのは、民主主義の根幹でもあり、法務省も様々な法教育の材料を提供しています。
例えば、法教育研究会の「報告書」(我が国における法教育の普及・発展を目指して)の解説に、ルールづくりを学ぶ必要性として、次のような記述があります。
※下線はtopisyu
法務省という、一般人には近寄りがたい役所がこんなことをわざわざ言っているわけです。
法は国民を規制するものという固定観念があるけど、本来、生活を豊かにするためのものだし、自らが社会参画の中でルールを作ること、時にはルールを作り変えることも大事だとしています。
ルールを変えるための努力というのは、合意形成そのものが民主主義的なもので、かなり面倒なところがあります。ただ、ルールに不満があり、それで損をしている人が自分以外にもたくさんいるなら、ルールを変える努力は私はした方がいいと考えています。
だから、私の子どもが学校のくだらないルールに文句を言うと、ルールの変え方を一緒に確認するようにしています。もちろん、単なる愚痴なら愚痴として聞きますけどね。
一方で、長いこと生きていると、自分の都合の良いルールを作ろうとする人間にしばしば遭遇します。最近だと、日本風力開発が国会議員に賄賂を送っていたのが有名です。
洋上風力発電めぐる汚職事件 国会質問のたび業界団体が要望 | NHK | 事件
他にも、自分たちがとある事件の加害者側にも関わらず、それに関する記者会見で、「記者からの質問は一人一つまで」みたいな自分ルールを勝手に決めて、そのルールを記者が守らないと、「子どもも見ているのだから、ルールは守るように」なんて言っているのを見かけたりしました。
「子どもも見ている」というのは卑怯極まりないですよね。子どもが見ているということなら、「イケてないルールでも守るべき」と学習するのだって、かなり害があることです。故安倍首相が日本人の倫理観を崩壊させることをかなりやってきてしまったので、それで学んでしまった人なのかもしれません。更問い禁止は一時期首相会見の基本ルールとなっていました。
安倍首相の会見で手を挙げつづけても、質問できるまで7年3カ月かかる NHKなら手を挙げなくても指される | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
ちょっと話は変わって、PTAへの不満というのは今でもずっと聞かれています。
PTAこそ、GHQが日本に民主主義を馴染ませるために、"非"民主主義的な方法で導入したものですから、本来的に問題があるPTAというのは、その構成員が民主主義的な手続きでもって、改善すればいいんですけどね。やり方は簡単でPTAの規則・規程を改正すればいい。
私は自分が所属するPTAを親、先生、児童にとって合理的になるように、合意形成をしっかりした上で、PTAの規則を随分変えて、その実践する姿を子どもには意識的に見せるようにしてきました。やっぱり、親がやってる姿を見せるのが一番ですから。
「ルールは守りましょう」というのは分かるけど、時にはそれがルールを作る側にとって有利なものもあります。法務省の言っているように、そのルールを疑う、時には作り変えるというのは、私は折に触れて子どもには伝えていくつもりです。
今日はこんなところです。ではでは!