「鬱(うつ)で通院中の40代。子どものときから心配性。苦しみながら生きていくことが辛い」 - 斗比主閲子の姑日記

斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

「鬱(うつ)で通院中の40代。子どものときから心配性。苦しみながら生きていくことが辛い」

今日は一人小町です。生きているのが辛いというモヤモヤ。

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Q. 鬱(うつ)で通院中の40代。子どものときから心配性。苦しみながら生きていくことが辛い。安楽死をどう考えるか

斗比主閲子さま

いつも、ブログを読ませていただいています。今年の仕事始めはことのほか、体がしんどかったです。40代の女で、公務員で、うつで通院しております。

ブログを読ませていただき、「やっぱり、死ぬのはだめなのだろうか。」とつくづく思ってしまいました。

長期休暇明けの急な始動はメンタルを崩しやすいので、頑張らずにボチボチやっていきましょう - 斗比主閲子の姑日記

朝、起きるとき、「ずっと寝ていられたらどんなに幸せだろう」と思います。

公務員の世界は、閉鎖的で、パワハラもあり、安定はしていますが、あまり面白いこともありません。

思えば、子供の時から、心配ばかりしていた気がします。

春休みにはクラス替えで誰と同じクラスになるかを心配していました。

最近は、人事異動のことばかり心配しています。

心配しても仕方のないことで心配して、エネルギーを消耗しているのかも。

新しい環境になじむのが苦手だし、要領が悪く、事務処理能力もなく、コミュ力もなく、上司に好かれません。

加えて、このコロナ。

気が滅入ります。

自殺がしたいわけではないのです。

家族や周囲の人に衝撃を与えたいわけではないので。

ただ、穏便に、眠りにつける薬があるなら、欲しいなあと思ってしまいます。

まあ、うつの症状かもしれないので、ちゃんと医師に言えという話なんですけど。(言っています)

コロナもあるし、わたしなんて、運良く公務員でまだよかっただけで、世代的には就職氷河期なんで、苦しい人たくさんいるんだと思うんです。

苦しみながら生きていくことに、なんの意味があるのだろう?

楽しいから生きていたいという気持ちより、苦しいことや、嫌なこと、しんどいことを味わいたくないから生きていたくないというのは、わたしが、病気だからなのでしょうか。

自分の意志で命を終わらせるという選択肢があっでもいい気がするのですが。

これからずっと眠り続けたいなーと願いますが、多分、明日も寒い中、5時に起きて、6時の電車に乗り仕事に行くと思います。

死にたいという相談メールではないので、驚かないでください。

もちろん、緊急性もありません。

ただ、斗比主さまが、安楽死(定義はさておき)的なもの、に対して、どうお考えなのかな?とか、思った次第です。

生きてるのに疲れているのは、わたしだけでしょうか、、、。

一読者より

A. 安楽死には特に意見はない。私は昔から希死念慮がある

今年の仕事始めはシンドい人が多かったでしょうね。お疲れさまです。今回はメールを適度に引用しながらコメントしていきます。

まず、

ブログを読ませていただき、「やっぱり、死ぬのはだめなのだろうか。」とつくづく思ってしまいました。

長期休暇明けの急な始動はメンタルを崩しやすいので、頑張らずにボチボチやっていきましょう - 斗比主閲子の姑日記 

この記事の趣旨は自殺がダメだということではありません。(あんまり言いたくないけど)自殺が多いタイミングは精神的にキツい人が多い時期だという、一つのバロメーターとして自殺を(渋々)取り上げています。

本当はスマートウォッチとかでメンタルヘルスがチェックできていて日本人のメンタル動向とか追えるといいんですが、そういうのなさそうなんですよね。 

朝、起きるとき、「ずっと寝ていられたらどんなに幸せだろう」と思います。

私も思います。特に春と秋は布団の中でずっと過ごしていたいです。

思えば、子供の時から、心配ばかりしていた気がします。

春休みにはクラス替えで誰と同じクラスになるかを心配していました。

最近は、人事異動のことばかり心配しています。

心配しても仕方のないことで心配して、エネルギーを消耗しているのかも。

心配することにエネルギーを費やすのは恐らく誰しもがやっていることなんですが、程度が人によって違うんですよね。私は昔も今も心配は必ずしますが、忘れっぽいのですぐ忘れます。

苦しみながら生きていくことに、なんの意味があるのだろう?

楽しいから生きていたいという気持ちより、苦しいことや、嫌なこと、しんどいことを味わいたくないから生きていたくないというのは、わたしが、病気だからなのでしょうか。

自分の意志で命を終わらせるという選択肢があっでもいい気がするのですが。

私は昔から希死念慮がありました。2年前に詳しく書いています。

「何者かにならなくてはならない」という気持ちが薄れたら死にたさが減った - 斗比主閲子の姑日記

確か、中学二年生のときにカッターを使おうと思って勇気が出なかったり、屋上から飛び降りようとして勇気が出ませんでしたね。

高校生の頃は登下校の往復で、自分の人生の意味を考え続けて、三年生になったぐらいで、「結局、人間は他の動物と同じ数多ある生命体の一つに過ぎず、別に生きることに意味はなく、私の生にも意味はなく、人間が意味を見出したいから見出しているんだ」みたいなことを真面目に考えていました。

私のパートナーみたいに死にたい気持ちがない人もいますが、私の大学時代の友人・知人からは死にたいと聞くことはしばしばありましたし、実際に何人か自殺をしています。

ただ、斗比主さまが、安楽死(定義はさておき)的なもの、に対して、どうお考えなのかな?とか、思った次第です。

安楽死という制度自体は考えたほうがいいなと思っているものの、現時点では私は特に意見は持ちません。制度として導入している国の勉強は一度しないと何とも言えないでしょうね。

ただ、今回のメールをもらって少し考えたことを書くと……

まず、自殺を選ぶ人の中にもグラデーションや色んな層があります。いじめられて自殺をする人もいれば、責任を取るために自殺をする人、心中も少なからずあります。

自殺をする人数は、景気の善し悪しや社会制度の変化で大きく変わりますから、安楽死の制度を検討する前に、環境改善をどこまでやったかは考えたほうがいいでしょうね。何しろ、いじめやパワハラが当たり前に起きていて、それが原因で死にたい人がいたとして、その人たち向けに安楽死を提供するとしたら、何だそれはって感じじゃないですか。

社会的要素を排除した上でも自殺をしたい人というのは一定数いるでしょうから(世界中のほぼすべての国で自殺は確認されている)、そういう人向けに安楽死が提供されるというのはおかしくない気がします。

こんな感じでしょうか。

私自身もパートナーとは安楽死みたいな話は前からしていて、

結婚して良かったこと、死んだ時のことを話せること - 斗比主閲子の姑日記

ある状況になったら苦しまない方法で自死を選ぶことも検討しています。

最後に、

生きてるのに疲れているのは、わたしだけでしょうか、、、。

については、生きているのに疲れたことは私はありますし、去年今年は特にそう感じている人は多いようです。少なくとも、あなただけではないとは確実に言えます。

今日はこんなところでしょうか。

これを読まれたみなさんも、どうぞetsuko.topisyu@gmail.comまで、ブログにそのまま掲載してもよい、ほっこりエピソードをご気軽に送ってください。私が一言コメントを付けてブログに掲載します。

なお、投稿にフェイクを入れるのは確認で時間がかかるので、ご自身でするか、私に全面的にお任せする形でお願いします。また、どんな方向でコメントをしてほしいかも書いてくれたら、期待に応えるようにします。罵ってほしい、褒め称えてほしい、傾聴してほしい、何でもOKです。

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