なぜか昨日だけで2つも、『詰問のなぜ』を扱ったTwitterのまとめが話題になっていました。
「なんで?」と聞くと“責められている”と感じて言い訳したり嘘をついたりetc.してしまう人にはこう返すと良いかもしれない - Togetter
「なんで宿題やってないの?」理由を聞きたい?宿題をやらせたい? - Togetter
なんででしょうね。大人がお盆休みが終わり仕事が始まってストレスを感じているのか、子どもが夏休みももう終わるのに夏休みの宿題が終わっていないことに親が苛立っているから、とかかな。
いずれにせよ、以前から何度も書いている通り、「なぜ?」は自分に問うのは別として、他人に問うのは大体ポジティブな結果をもたらさないので、相手を追い詰めたり、自分への悪印象を抱かせたいという目的がない限りは、私はお勧めはしません。
ここからは私個人の話です。
私は子どもの頃に「なんで○○してないの!?」と親から問われることはまずありませんでした。やりたいことを好きにやっていて、成績も悪くないし、親も忙しかったから、言葉をかける気にならなかったのでしょう。
そんな私は夏休みの宿題はほとんど無視してやらないようにするか、気が向いたらやっていました。夏休みの宿題に取り組まなかった理由は、今になって思えば、学校の勉強ならスケジューリングは先生から指示があるのに自分に任されていてペースが分からず辛かったのと、夏休みの宿題が自由性がありどうしたらいいかよく分からなかったのと、夏休みに自堕落にするのが好きだったりと、そういう感じです。
夏休みも終盤になると、夏休みの宿題が終わっていないことに嫌な気持ちになり、登校日から数日は夏休みの宿題を出さないことの言い訳をどうするかに腐心していました。そして、有耶無耶にしていつも逃げ切っていた。
だから、当時の私に対して、「なんで夏休みの宿題やっていないの!?」と問われることがあり、そ質問者が威圧的でなく、言語化する力が私にあったとしたら、「意義が感じられず、習慣がなく、上手くできず、他のことが魅力的だからやらない」と答えるはずです。実際には、相手が威圧的であり、自分で原因を言語化する力はないでしょうから、答えられずに無言か、迂闊なことを言って質問者の怒りを勝っていたでしょうけどね。
話は変わって、私の子どもたちの夏休みの宿題の話です。
今年の夏休みの宿題を親や義母とともにスケジューリングし、読書感想文や自由研究の方向性も適宜家族と相談し進め、日々コツコツと仕上げていき、本日現在で夏休みの宿題は完了しています。宿題が完了したことのインセンティブとして、好きな本を5000円ぐらい買ってあげました。
夏休みの宿題は抽象度が高く、解法も(表向きは)定まっていませんから、親が適度にガイドをすると子どもが自走するまで上手くいくものです。でも、親は親で子どもの勉強を見る訓練は受けておらず、いきなり夏休みに見ろと言われても、親自身も苦しいし、一学期の延長線上で勝手に進んでいると思いがちなんですよね。
夏休みの宿題が親(家族)と子のco-workであるというのは、もう少し分かりやすく文科省や教育委員会がパンフレットでも配ったり、PTAで講習をするといいんじゃないかと私なんかは思います。
宿題は完了しましたが、夏休み明けにスムーズに学校に通えるように、例のごとく、友達とのイベントを増やし、他の勉強を少し増やして残りの夏休みは過ごす予定です。すでにご存知の通り、そして、私も経験していますが、子どもにとって夏休みの終盤は徐々に嫌なものになりがちですから。
※グラフの出所は平成27年版自殺対策白書 本文(PDF形式) - 内閣府より
話はもとに戻って、自分が『詰問のなぜ』をしがちなときは、大抵身体や心の余裕が乏しくなっているときですから、一旦、その対象から距離を取り、休養を取るのがいいですね。周りは『詰問のなぜ』をしがちな人をケアする。家庭内なら家族でカバーし合う。
余裕が出て、それでも、問題の原因を知りともに解決をしたいなら、「どうして上手く行かないか一緒に考えよう」と話したり、相手の言葉を傾聴する。私の場合は、じっくりと相手がやっていることを観察し、仮説を設けて、その上で、「これが原因だと思うけど、こうしてみたらどうだろう?」と提案したり、仕組みを変えるように意識しています。