この記事を読みました。
保育園の卒園式で子どもから親へのメッセージとして「生んでくれてありがとう」があったけれど、それは、狭義の意味では産んだ母親を褒める言葉であり、母親以外も子育てに関わる中では「育ててくれてありがとう」が適切ではないか、という内容です。
我が家でも以前に、「おかあさん、いつもお弁当ありがとう!」というメッセージカードを子どもからもらってモヤモヤしたことを書きましたが、
まだまだ根深い男親と女親の固定概念。「おかあさん、いつもお弁当ありがとう!」の手紙に思うこと - ゼクシィBaby 妊娠・出産・育児 みんなの体験記
これだけ共働きが進み、イクメンがそろそろ死語になるぐらい父親の育児関与が増える中でも、まだまだ子育て界隈では、産んだ母親への感謝が多く語られ、育てるのも母親がメインと考えられるのが変わっていないというのは、その後も日々感じるところではあります。
それはそれとして、ここからはn=1の私の話です。
よりポリティカル・コレクトネスを意識して、「お弁当を作ってくれてありがとう」であったり、「育ててくれてありがとう」であったり、そういった配慮がなされたメッセージであったとしても、私個人は子どもから園や学校のイベント・授業を通して受け取ることはあんまりピンときません。
理由の一つ目は、子どもの認識で登場する言葉ではないと考えているからです。たぶん、先生側が用意しているフォーマットを子どもがなぞっているだけだろうと考える。私が好きではない二分の一成人式と構図は同じ。
私個人が親に育ててくれたことを感謝してもいいかなと思い始めたのは、自分が子育てをし始めたぐらいからです。子育てに苦労している母親や、夜遅くまで働いている父親を私は十数年眺め続けていたけれど、十代の頃は親に感謝するなんて気持ちはまったく芽生えませんでした。
日々の細かな何か、例えば、「醤油を冷蔵庫から出してー」「はい、どうぞ」「ありがとー」とか、「今日の夜ご飯のステーキはおいしいね」「100g150円ぐらいのオーストラリア産牛肉だけど、確かに上手く焼けてる」「また作ってくれる?」「いいよ、いいよ」「ありがとー!」とか、そういう具体的な事例で子どもが私に感謝の言葉を述べるのは理解できます。
ただ、「"いつも"お弁当を作ること」や「育てること」は抽象度が高すぎて、それを認識するのは難易度が高い。私の子どもが抽象度が高い概念を認識して、そういうメッセージを伝えている可能性もないわけじゃないだろうけれど、私の認識ではたぶんそこまでの抽象的理解を私の子どもはまだできるとは見ていません。
理由の二つ目は、また方向性が全然違うのだけれど、私が子どもに「生まれてくれてありがとう」「育てさせてくれてありがとう」と伝える立場だと考えているからです。自分が子育てにおいて感謝の言葉を伝えられる立場だとは思っていない。
前から何度も書いている通り、私は暇潰しの趣味で子育てをしているわけで、育児という素晴らしいゲーム体験をしているのは私です。子どもは私に素晴らしいゲームを提供する側。だから、提供される側の私が提供する子どもに、「育ててくれてありがとう」と言われると、「いやいやいや、それを言うのは私からだから!」と思うわけです。そんなわけで、日々子どもには感謝の言葉を伝えています。「一緒にいて本当に楽しい」とか。
もちろん、一般論として、ゲームを提供するプロデューサーやプログラマーの方々が、ゲームをプレイするユーザーに対して「ゲームをプレイしてくれてありがとう」と伝えることはあります。それ自体を否定するつもりはありません。ただ、「感謝度合い勝負なら、プレイさせてもらったこっちも負けないからね!」みたいな、よく分からない意地の張り合いをしたくなるというか。まあ、そんな感じです。
以上、n=1の私の話でした。
話は変わりますが、一人小町の在庫がかなり溜まってきているため、今月は少し多めに放出する予定です。お楽しみに!