この日記は、姑に子供を預けられるまでの、それまでの姑との思い出を語るものです。
我が家の姑はいわゆる美魔女です。そんな姑と「いつまで姑が女でいるか」について話したことがあります。
「お義母さんのあれには驚きましたね。えーと、確かまだ独りでいると男性に声をかけられるって」
「声をかけられて当たり前でしょ。まだ女なんだから」
「白髪は染めしているし、背筋はぴんとしているし、外に出る時はほんのちょっとの散歩でも必ず化粧しているし」
「当たり前じゃない」
「お義父さんとはほとんど接してないし、別に外で声をかけられてもどうするというわけでもないんですよね?」
「一体、いつ女をやめたらいいかというのは考えるけどね」
「生活にハリができて、しかも楽しそうに見えるので、これからも続けてほしいところです」
「そうね」
斗比主閲子というアカウントは姑バレしたら強制終了する可能性が高いため、姑の写真は紹介できませんが、姑は道を歩いていると「え!?」と人が振り返るぐらい美魔女です。顔を認識しないで近付いた時に、今でも私がびっくりしているぐらいです。脳内で「キレイなスタイルの人だなー」と思っていた人がある瞬間、姑に変身するわけですから。トリックアートが脳内で切り替わる感覚に近いですね。(失礼な話だけど!)
この「いつまで女でいるか」は、メイクやファッションを誰のためにやるか論争と近い部分があると思います。他人の目はあるとしても、基本は自分のためにメイクやファッションを考えるという人はいますよね。姑は、実際に誰かに声をかけられることをひっくるめて、そういう自分でありたいと考えている。それが姑にとっての「女であり続ける」ということらしい。
最初会った時から今でもまったく慣れないんですが、最近は人間の限界に挑戦しているように思えてきました。自分と違う人間の一つの生き様として、パートナーと離婚でもしない限りこれからも見続けていくつもりです。
以上、姑と女でした。
姑に子どもを預けるまでにはまだまだ長い道のりがあります。
※食へのスタンスは日野原重明さんに通じるものを感じる。違いがあるとすれば姑は押し付けがましい