むかし噺:毎日 Tom 富む :SSブログ
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男子会無難   [むかし噺]


自分には何かあるように見える。
自分には何かあるように見せる。
何かあるとは、おそらくそれを才能と呼んでいいのかもしれない。

まだ形にならない、目に見えないもの。
でも何となく言葉にできるかもしれない雰囲気のようなもの。
そういうものを志と呼んでみる。

そいう形にならないもの。
それを単純に毎日繰り返すことで、それを人は鍛錬と呼び、あるいは習熟という。
出来なかったことが出来るようになり、そしてどこかへ辿り着いたりする。

例えば友人が中学以来初めて毛筆を手にしてでも、苦節10年。
今は興福寺で御朱印帳に文字を書き外国人からも絶賛されている。
何もなかったかに見えたが、それこそが才能である。




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何かあるが見えなかったものも、時間経過とともに。
いわゆる努力というものかもしれないが、繰り返す。
繰り返しを積み重ねることで1つの才能という形で芽を開くこともある。

何か在る、あるいは何か在るように見える、あるいは何か在るように見せる。
その後の習熟の差によって違いは出るだろうが、そこに在る波長。
何か在る、に対する波長の適合が、いわゆる友情と呼べるものの本質なのかもしれない。


ボクたちは群れることをしなかったが、仲良しと呼んでいいだろう。
中学2年生という、ひとつの季節を共に過ごしただけだった。
音信不通から56年後も、わだかまりなく適合しているからボクらは仲良しなのだろう。




ファイト!





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男子会余話   [むかし噺]


男子会の昔話だからもちろん、女子の話になった。
女子の話になると、私は怖いとしか思い出がない。
小学校、中学校と女子が怖かった。

小学生の私は前から2番目ぐらいの、比較的低身長の少年だった。
中学に上がって少しは身長も伸びたが、朝礼集会は、ほぼ前方。
大規模校の集団の中では、背の低さが目立っていた。




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2160人(45人✕16クラス✕3学年)の中では、いつも見おろされていた。
女子生徒も、みんな背が高く、言葉だけでなく言うことも上から目線だった。
女子にはよくイジられていたし、からかわれていた。

背伸びをしても、いつでも女子は大人だった。
同窓会での話を聞いても、女子は怖いという印象しかなかった。
可愛い子だと皆が言っても、怖かったとしか思えない私の情けなさがあった。

女の子は怖い。
たかが身長だが、心模様を変えたかもしれない。
いつしか、おねえさまに可愛がられるように生きていた。




ファイト!





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132年ぶりより近い56年ぶり   [むかし噺]



アメリカ大統領が返り咲いたのは132年ぶりだという。
富士山の初冠雪が、130年前の観測開始以降、もっとも遅かったらしい。
大谷翔平さんも130年ぶりに何かをしていたけど、多すぎてわからない。

130年前の話は教科書の中に閉じ込められている。
たった100年でも、自分の生きた時間からはかけ離れている。
しかし、「56年ぶりに再会する」という話は人生の中に存在する。




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(ビゴーの描いた当時1887年の風刺画)

 日清戦争が始まる10年以上前から、朝鮮半島で両国の駆け引きが繰り広げられていました。このころの様子を描いたのがビゴーによる魚釣りの風刺画です。朝鮮という魚をめぐって日本と清国が釣りをして競っており、橋の上からはロシアがその様子を伺い、隙あらば魚を奪い取ろうと狙っています。


130年前というと1894年(明治27年)の話になり、経験も記憶もない。
1894年、日清戦争が始まり、翌年勝利し下関条約が結ばれ、三国干渉が入る。
日英通商航海条約も結ばれ、後に日英同盟へと進み、露仏からの侵略も回避。

明治維新から国際舞台に産声を上げた日本、130年前は頼りない国だった。
危なっかしい時代を肩ひじ張り始めるのだけど、現代にも似たような映像が流れる。
130年前のアジアの攻防を振り返ると、ロシアが仕掛けて暗躍し、いつでも南下する。


アメリカでトランプが大統領に再選され、いよいよ危なっかしくなってきた。
出川哲郎じゃないけど、台湾、ウクライナ、パレスチナ、やばいよやばいよ。
なんだか、とんでもない2025年が始まりそうで、本気で怖がっている。






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8月だったか、インスタグラムで掘り起こされた。
大阪の中学時代の、中2で同じクラスだった男子から、発掘された。
同窓会の連絡も送られ、予定がかぶって参加はしなかった。

中2の時、一緒に遊んでた4人組で会うことになった。
私を発掘した男子が行動的な人で、今月末、伊東の私の部屋に集合。
大阪と名古屋から3人がやってきて、お泊り会、男子会をする。

掃除機をかけるのは直前にして、冬用の布団を出さねばならない。
妻の女子会の方は1月に実施だから、私が先に冬布団を出すことになった。
すぐにできることだろうけど、私を発掘した男に、前泊して、やってもらう。


ヤオコーで2割引きだったワイン、長女がドイツから持ってきたワイン、運ぶ。
北海道のワイナリーで買ったのは既に運搬済み。
ホスト側として、10本ばかり用意すればいいのかなと。

56年ぶりに4人で会って、何が起きるのかはわからない。
ただ、どんなふうになるのか少し好奇心を持って楽しみにしている。
大昔、初めて錦糸町でホストのバイトをした時と同じ不安もありながら。

同窓会的な行事が嫌なのは、オマエニ イジメラレテ クルシカッタ とか。
自分ではイジメたつもりがなくても相手が傷ついていたらと、怖い。
だから同窓会的な行事は好きじゃないのだけど、まあ、興味本位の好奇心。

おそらく自分はバカだったんだろうな、彼らの記憶の中では。
132年ぶりにはかなわないけれど、56年ぶりに頑張ってみる。
新しい何かが始まることはないけれど、興味ある景色を月末に見る。




ファイト!





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浦島太郎の54年   [むかし噺]


 不思議な時代です。
 全くの疎遠、断絶していた時間が動き始めたような錯覚。
 54年前の大阪の友人が私を見つけた模様。



 サルベージ船か、底引き網にでも引っかかったようにInstagramで掘り起こされ、ついうっかり返事をしてしまいました。秘密の暗号ではないけれど、共通しそうな話題のやりとりの中で、あらら、Oクンやん、と気づくのでした。大きな驚きでした。




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中学2年の時、国語の先生に付けられたニックネーム。
それで私に呼び掛けてくる、その呼称を知る人は限定的。
彼はフルネームで Instagram をしていたので、おそらくと。

9月に中学の同窓会をやるからと、案内もされた。
もう一人、中1の時に同じクラスだった男子と、ふたりで幹事という。
身内の先約があるので無理だけど、知らせてくれてありがとうと礼を言う。




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中学時代の友人とは繋がっていない。
大阪を出てしまっているから、でも、一人とだけは親密だった。
その彼も、還暦を迎える前に亡くなっている。

亡くなった彼は違う高校へ行ったのだが、付き合いは続いていた。
彼の高校の仲間が、うっすらと知り合いで、札幌に連絡があった。
ホスピスに入院中の彼が会いたいと言う、飛んで行った翌日亡くなった。

それ以来、大阪の中学時代の人とは音信不通となった。
高校時代の友人3人とはLINEで繋がっているが、遠ざかりつつある。
あと法事を2回、お葬式を1回で大阪も縁遠くなるだろう。




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そんな、大阪が遠ざかる時に、掘り出されたボク。
マドンナたちの話をすれば、有名人の母親だったり、セレブが多い。
3人も芦屋の高級住宅街に住んでいれば、さすがマドンナたちだ。



既に断捨離でアルバムも捨てている。
しかし共通の人をフルネームで噂し合ってみると、みんな中学生だ。
私を掘り起こしたO君だけは、いや私も、オッサン顔をさらけ出している。

O君も女子高で物理の先生をしていたと言う。
子どもの時も、何となく波長が合っていたと思う。
住所を聞いたのでちゃんと手紙でも書こうかと思っている。

何かが始まるわけでもない。
それでも何となく、少しだけど、わくわくしている。
自分サイズで、お行儀よく接しようと思っている。




ファイト!





ファイト!(52)  コメント(10) 

むかしは汚かった   [むかし噺]


春ではなく師走ではありますが、
静心(しづごころ)なく 花の散るらむ
改め 正義の散るらむ

落ち着いた心がなく、大道廃れて仁義あり。
世界に分断と紛争があふれ、国政の乱れ、逃げる。
大谷翔平さんの話だけを聞き、蟄居して心を立て直す、よ。




■ ゆうのすけさん 江戸川沿いに富士山あり
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さて、富士山写真。
市川橋から江戸川を遡上します。
里見公園方向へ行く遊歩道の最後のところ、

いちど切れてまた遊歩道は再開しますが。
そのとりあえず一区間終了の二輪車止めの場所まで。
次の遊歩道に移る間のところ。

そこに富士眺望、絶景ポイントがあります。
スカイツリーの右側に富士山を配置できます。
私の散歩コースの一つです。




■ 1996年12月30日 札幌駅南口は鳩の溜まり場
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かつてのアジアの後進国ではなく、札幌駅南口。
27年前は大昔、大丸百貨店もなく、ただ鳩が溜まり場にしている。
随分と汚い時代を生きていたんだなと、思う。

時代は便利になり清潔感が増し、デザインのセンスも良くなった。
私たちは前進し、進歩し、それでも何かを置き忘れてきたような。
街はきれいに越したことはないけれど、さて、自立できているのか。




■ 断捨離が写真に及ぶ
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断捨離に重要なこと。
あの世に持っていけないものは全て捨てること。
そして持っていけるものは残す、それは信仰と愛だね。

写真でプリントアウトしたものは、選別する。
家族、特に子どもに関わる素敵な写真はスキャンし、残す。
ピンボケや変な写真はただ捨て、自分に関してはカッコいいものだけ残す。

スキャンしている間は1.5倍速でラジオを聴きながら、単純作業。
先の、時代を感じられる写真は残した。
この、不思議な面白さを持つ写真も残した。

サンフランシスコからモントレーに南下した途中の移動遊園地。
そこのメリーゴーランドが、異常な速さの高速回転だった。
姉二人は興奮し歓喜、末娘は恐怖でしがみつく、風船が真横に流れる。

安全棒にしがみつく三女も、すでにパートナーとクリスマスを楽しむ。
ドイツ、どこか、曳舟と娘たちも自立し、大活躍で宜しい。
私は妻と、この国の行く末を憂えながら、法事の案内状を作っている。




ファイト!







ファイト!(59)  コメント(7) 

粉もんマイブーム   [むかし噺]



ロシアによる非道のウクライナ侵略から1年、いくつかの特集番組を見た。
その中でも、BS世界のドキュメンタリーは秀逸だった。
Mariupol : The peaples's Story (Top Hat Productions /イギリス 2022年)

このドキュメンタリーは「着弾地点」の映像で、何人かの生き残りの証言。
何をされたのか概ね想像がつき、森喜朗や鈴木宗男の露国利権組のツラを軽蔑。
やっちゃイカンことが、未だに継続加速する「世界」とは何なんだ。


ほかにも、侵攻の72時間を追うドキュメンタリーもあった。
キーウに潜伏する露国の工作員が爆破すべきインフラ拠点に目印をつける。
その目印めがけてミサイルを撃ち込むのだから、一瞬で陥落と読むわな。

それを想定して、弾薬など重要なものは既に分散移動させ、反転攻勢に備えていた。
あっぱれウクライナ、生き延びてくれウクライナ。
そういう有事を想定放棄し、思考停止の憲法9条信者のニッポン、陥没は近い。




■ キシダがアホならハヤシもあるでよ
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電撃訪問計画が漏れ、日銀総裁人事が漏れ、キシダ孤立説。
未だに電撃訪問に執着し、G7議長国のワシゃぁ総理じゃけん、聞く耳もっちょる。
動かざること山の如しは武田に任せよ、何かしろキシダ。

と思っていたらG20外相会談に不参加の日本国外務大臣。
志のないヘタレが、くっそエラそうに、と悪態をつきたくなる。
アジアで大きな顔をして半世紀、我が国の凋落にまだ気づかぬ。




■ 河津桜は河津の街の収益源
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伊東から車で1時間ほど、ゆるめのドライブをして、散歩した。
桜並木を歩きながらこう考えた、日本はもうあかんわ。
中国の年金問題は闇の中、しかし、韓国はあと数年で年金が破綻する。

しかし誤魔化し上手の日本は、「老人」の自立を促し、色々な削減の秘策が進行中。
人口減少がどれだけ暗澹たる年金の未来なのか、希望的観測は排除すべきなのだが。
今の若者たちの支払いはキミちのためのものではないと、明確にして選挙しないと。




■ カワイイは正義だ
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kuroneko さんからお借りして、言ってみた。
先月、書店で21日発売の月刊誌を見に行った。
面白いことに主力の2誌が、表紙に同じモデルを使う珍事。

モデルは、桜庭ななみさん。
朝ドラで初めて見たとき驚いたのは、ヤンキーだった教え子と瓜二つ。
それ以来、可愛いのだけど少し怖いという先入観があり、修正しようと思う。




■ マイーブーム/こなもん
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南海なんば駅を高速高架下を戻り暫く歩くと、ある。
キャベツ焼きというシンプルな品、値上げが続いて今は200円。
最近、むしょうに粉もんが食べたいマイブーム復活中。


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店の横で、旅のお嬢さんと並んで立ち食い、親がいたら叱られるボク。
甘めのソースを楽しむおやつのようなもので、買い食いは禁止されてたボク。
親がいなくなってしまった反動で、以前、三女と妻の3人で立ち食い。

そういう粉もんが、無性に食べたい! ソウルフードへの帰郷?
腹の立つことが増えてしまったけれど、腹に収めて、喰いに走る。
今月末の宝塚激励遠征のあと、既に、お好み焼き屋さんを予約したボク。




ファイト!






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森喜朗という蜃気楼   [むかし噺]


自分自身に関して、ずいぶん大昔の話になるが。
三世代の家族が一軒家に同居し、そこに秩序を保つ権威が存在した。
家長という、長男や男の威厳が守られていた。

男は黙ってサッポロビールというCMが流れていた。
三船敏郎の寡黙さが、理想的な男子像だった。
家の中では、男らしくしろとか女のくせにという言葉が支配していた。




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数々の威圧に家族は、家長である父親の顔色を窺いながら過ごした日々。
或る日、すぐ近所の自動車工場で火事が起き、爆発もある大きな火事だった。
外に出て、火の広がりが自分の家に向かっていないことを確認した。

家に戻ると顔色を変えて狼狽する祖母と、神棚に向かって拝んでいる父がいた。
男らしさを息子に求める人のその時の姿に、なぜか笑いが出た。
中学生にもなると、家庭や政治、社会制度の矛盾にも気づくようになっていた。

言うことを聞け、聞かないなら金を出さないというのが口癖だった。
そんな言い方で人を隷属させる以外に、方法を知らないのだと思う。
説明をし、言葉を使って子どもを納得させる力がないのは、悲劇だと思う。

いずれにせよ、男らしくとか、女のくせにという束縛や壁が不快だった。
姉も理論派で父を論破したけれど、金の話と威圧によって支配されていた。
時代は開け、個人の権利は重視され、親子にも人権の話題が出せるようになった。




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井の中の蛙大海を知らず、という話をしてくれた人たちが、閉鎖的視野を持つ。
2021年現在、人種と性別の話題を笑い話にしてはいけない。
私たちはみんな人間であり、人種差、性差を不合理に扱えば、即刻アウト。

老害であり、緊張感のカケラもない、お山の大将でしかない森喜朗。
晩節を汚すことなく消えて行けよと教えてくれているのだろう、心得た。
他山の石とさせていただくが、困ったもんだ。




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■『武漢日記-封鎖下60日の魂の記録-』
作者・方方(FangFang)は次のように締めくくる。
ある国の文明度を測る基準は、どれほど科学技術が発達しているか、どれほど芸術が素晴らしいかでもない。ましてやどれほど豪華な会議を開き、どれほど多くの人が世界を豪遊して爆買いするかでもない。ある国の文明度を測る唯一の基準は、弱者に対して国がどういう態度をとるかである。


カッコ良く年を重ねた方が世界に知られるのは、少し誇らしい。
しかし、森元総理の発言は隠しておきたかったな、バレちゃったな。
ものすごく恥ずかしい気持ちになっている。

外出を自粛しながら、緊急事態解除後の計画でも立てるかな。
日本国の財源は、確保できているのだろうか。
ワクチン以降、日本が復活することを期待して、待機。



ファイト!





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ドンちゃん縁起   [むかし噺]


私の初任校は、たくさんの牛と少しの人間が住む道北の街の外れにあった。
赴任する時はまだ鉄道も走っていたが、やがて廃線になった。
低気圧の墓場のような場所で、低木は全て風圧で曲がっていた。

まだ土曜日に授業をやっていたし、文部省の指示で必修クラブが誕生した。
週に一回2時間、何かをやるのだけど、教科書もないという暗中模索。
中には瞑想クラブと言って、2時間ただ目をつぶっているものもあった。

先生の数だけ必修クラブがあるのだけど、調整が難航することもある。
どの(嘘みたいな)クラブからも、適性がないとはじかれる子がいる。
いわゆるワルで、教師に嫌がられているのが目に見える。

私は「一日一善クラブ」を作って、街の掃除でもするかと思った。
あいつなら面白いことをやるだろうと、参加する者も居た。
あるいはあぶれ者の、あとで考えれば停学経験者大集合の一日一善クラブだった。




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2学期が始まって、天気も良いから浜の掃除に行こうと、浜に降りた。
男くさい男どもを連れて、浜の掃除をしていた。
本当は、私は全くやる気がなくて、適当に時間を過ごしたかった。

しかし生徒が、カラスに襲撃されている仔犬を見つけたのだった。
先生どうする、と言うから、生態系を崩してはいけない、放置せよと命じた。
野球部の少年が言う、オレ将来、学校の先生になりたいんだけど、見捨てるの?

そういう一撃には弱く、じゃあカラスを追い払えよ、カラスが怖いことは隠した。
生まれたての仔犬たちが段ボール箱で捨てられていて、襲撃から逃げていた。
私は何とかせぇと言うだけだったが、生徒はスポイトや牛乳を調達してきた。

停学になるようなアンポンタンは、マイナスだけど行動力がある。
平均点狙いのイイ子よりは、方向性さえ変われば、行動力を発揮する。
きっとスポイトは化学室を襲撃して持ってきたのだろう、調達力もある。

面白いことに、普段はカッコつける奴らが、仔犬を抱えてスポイトで牛乳を流す。
煙たがられる連中だけど、私よりずっと根が優しい悪ガキだと思った。
既に彼らは50代も半ばを目指し、よきオッサンになっていて、闇に消えた奴はいない。




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1985年10月1日(火)


生き残った一匹を我が家に持ち帰ると、どうするのと妻が言う。
飼ってくれそうな生徒を授業で見つけるから、それまでと妻に頼んだ。
数日後、引き取り手が決まり妻に言うと、いやだ世話してたら離せない、と。

隣りの家の生物の先生にオス・メスの判定をしてもらい、オスだと断言された。
同僚の国語教師は絶対にメスだというが、権威に弱く、オスの名前を付けた。
ドン・ニザエモン、ところが、成長と共に、メスであると判明したのだった。




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1986年1月19日(日)


犬の赤ちゃんが生まれた時には目が開いていないことを経験した。
しばらくの間、目が開かないで、這いながら温もりを求めていた。
人間の赤ちゃんが生まれた時、暫くで目を開けるので驚いたものだ。




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1986年2月23日(日)


犬を飼うと決めたからには、家族として扱うことになった。
ただ、可愛そうな気もしたけれど、去勢することにした。
人間の横暴かもしれないが、動物とうまくやっていくには大事かなと思うの。




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1987年2月1日(日)


ドンちゃんとは道内のあらゆる場所へ、ドライブした。
テントの時は一緒に寝て、旅館やホテルでは車の中で寝かせた。
いわゆるトイレも、ちゃんと場所をわきまえて、教えることができた。

ずっと一緒だったドンちゃんは、たくさんの楽しみを与えてくれた。
函館に移って何年かの後、癲癇で亡くなった。
獣医さんに厳しいって言われた時は泣いてしまった。

私たち夫婦にたくさんの記憶と爪痕を残していった。
彼女は犬としてではなく、人格を持っていたと、私たちは錯覚している。
もしなんて言いだしたらキリはないけれど、ドンちゃんには会いたい。


しょうもない話だけど、どこの家庭にもある昔話だと思う。
思い出すだけで、心を温かくしてくれる家族だった。
拾った犬と、簡単には言えない大きな存在である。




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昔いたドンちゃん   [むかし噺]



昨日、hirometai さんのページを見て、驚いた。
ずっと昔、道北の田舎町の浜で拾って育てていたドンちゃんに酷似写真。
杉並区馬橋地区に住むスピッツ、そらちゃんの写真。

その写真をコピーして併記することも出来たが、しない。
ここは、hirometai さんに直球を投げる。
ハードディスクから掘り起こした、30年以上前の写真。



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1987年8月25日の写真。
生まれたばかりの時に浜に捨てられていて、カラスに突っつかれていた。
まだ目も開かない時に、カラスに襲われていたのを助けて育てた。

ミルクをスポイトで与え、子ども扱いして、人間として育てていたと思う。
ホタテの貝柱の干物とかトバ、高級食材を、私と一緒に食べていた。
生徒の親からドンちゃんにと贈られてくるので、動物愛護として。

毎週金曜に2時間、必修クラブがあり、私は一日一善というクラブを持った。
ほとんどは停学になった連中を連れて、街の掃除や浜の掃除をしていた。
そういう作業の最中に、捨てられ、カラスに食べられていた犬を助けた。

助けたうちの生き残り、愛情たっぷりに育てた。
授業で、ドンちゃんがトバや貝柱が好きだと言うと、なぜか届く不思議だった。
現在なら賄賂とか強要とか言われるかもしれないが、動物愛護だった。


昔の写真を見ていて、たくさんの時間が過ぎていたんだと恐ろしくなった。
田舎町の公宅の、小さな風呂に、ドンちゃんと一緒に入っている私が居た。
ヒゲを生やして、勘違いした若造教師がそこに居た。




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妻に疲れが出始めた。
疲れが抜け切れるように、余計なことはしない。
まだフライパンをしっかり持てないけれど、晩ごはんは工夫して作っている。

妻は毎日、仕事の帰りに寄り、義母様と窓越しの会話をしている。
施設のコロナ対応も厳重で、直接の面会はさせてもらえない。
庭に回り窓越しの会話だが、お互いに慣れて行く時間、適応したい。




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昨日から読売新聞の朝刊で、「医療ルネッサンス『認知症と生きる』」が連載開始。
8回のシリーズ第1回だが、話は重たかった。
対応の仕方が悪ければ、何かを引き金に症状が悪化する。

義母様のここ数年の変化、ここ数週間の激変を通過して、思うことが多かった。
コロナも怖いが、認知症はもっと怖いと思った。
自爆装置が必要にならぬよう、認知症回避の手を打って行こうと思った。

今は妻が疲れを出し切るまで、邪魔はしないで、応援だけする。
やがて、落ち着いたら、脳トレも始めるかな。
いや、歩くことが大事なのよと、妻が言い、従おうとする私。




ファイト!





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結婚記念日は舞浜   [むかし噺]



妻が私を見捨てることはなかった。
とんでもない野郎でも、間違いを正し続けてくれた。
いっちょまえに、普通の人の仲間入りが出来ているのも、妻のおかげだ。

人生破滅型だった私を、こちら側に戻してくれた人たち。
育ての親、絶対恩師、そして、いちばん長く付き合ってきた妻。
お金も大切だけど、そういう支えてくれた愛情は、宝物だと思う。


夜中に起きると、妻を見る。
時が経つにつれ、妻を想う気持ちは募り、もっと好きになる。
あと4年で、ボクたちは結婚40周年。




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(兼六園/先月末)


最近、映り込みを撮るのが好き。
池や水たまりでさえ、何か映っていないかと探す。
そういう姿勢が、最近のこだわり。

お年を召して、明鏡止水の境地なのかしら。
年の瀬を迎え、確実に困窮が見え始めた人々がいる。
まだ持ちこたえている自分は幸せなのだと、しみじみ思う。





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(ワットパクナム日本別院/千葉県 成田市/昨日)


読売新聞の日曜版に「よみほっと」という2㌻ものの特集がある。
第1面がカラーで、毎回インパクトのある写真が使われている。
建物や史蹟が写されて、旅のガイドも記されている。

過去にも、何度か紹介された場所を訪ねて、似たような写真を撮っている。
先月末の特集では、成田にあるワットパクナム日本別院が扱われていた。
昼には雨が止むという予報を信じて、写真を撮りに行った。

土曜の昼前だが、多くのタイの方々が集まっていた。
交流の場所のようで、いわゆる民族衣装を着た美しい女性もいた。
だが、私にやさしく話しかけてきたのは、ごっつい体格のオジサンだけ。

タイの高僧の話と、この地の前身はJALの研修施設だったこと。
分かりにくい日本語で、丁寧に話されたので、かなり困ってしまった。
でも良さそうな人だから、青空の日に、妻を連れてこようと思った。





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今日は36回目の結婚記念日、思えば遠くに来たたもんだ。
妻は勢いで、私は思いあがって、世界の二人。
彼女と結婚できたことは、宝くじに当選した強運に匹敵する。

今日はシェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテルに泊まる。
3時から、2時間は泳ぎ込もうと思っている、ふたりでね。
とことん泳いで、風呂に入って、ディナーを食って、バーで飲んで、うふふ。

東京ディズニーリゾート[レジスタードトレードマーク]オフィシャルホテルだから、プールで泳ぐ人は少ない。
前回と同じく、ほぼ独占的に泳がせてもらうつもり。
妻はケーキを楽しみに、私はバーボンのロックを楽しみに、泳ぐ。




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(成田市 さくらの山公園/昨日)

昨日は、成田方面の撮影スポットを下見に行ってきた。
あいにくの小雨だけど、場所が分かったし、晴れた日に再訪する。
飛行機の去来を見ているのも、妻は楽しんでくれるだろうか。

いずれ晴れた日に誘うつもりだ。
まず今日は、結婚してくれてありがとうと、精いっぱい努力する。
見捨てないでねとお願いし、明日を語る、・・・オレって凄いぜ。



ファイト!





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