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鈴木結生『ゲーテはすべてを言った』_b0138838_16162250.jpeg
 大学の教師を主人公とした一連の小説がある。私の世代だと高橋和巳の『悲の器』がすぐに思い浮かぶし、筒井康隆の『文学部唯野教授』や小川洋子の『博士の愛した数式』もこの系譜にある。このブログでレヴューした小説に限定してもドン・デリーロの『ホワイト・ノイズ』、ソール・ベローの『ハーツォグ』、さらにウェルベックの『服従』と直ちにいくつも思いつくから、私自身このような小説への嗜好があるのかもしれない。

  本書の主人公は日本におけるゲーテ研究の第一人者とされる博把統一(ひろば・とういち)という人物だ。博士論文を一般向けに書き直した『ゲーテの夢―ジャムか?サラダか?』でサントリー学芸書を受賞し、ゲーテ全集の第一巻『ファウスト』でバベル翻訳大賞を受賞といった、もっともらしい経歴が説明されており、博把とゲーテの関係はウェルベックの『服従』における主人公とユイスマンスと相似形だ。勤務していた大学名こそ明記してないが、娘の徳歌も博把とは異なった大学で英文学を学び、レストランの乾杯の音頭はドイツ語でなされ、家族の日常の会話で普通にホメロスやらエラスムスが引かれるというなんとも嫌味な家庭を通して、日本における知識人一家の肖像が描き込まれる。

  一方でこの小説はタイトルが暗示するとおり、引用についての小説でもある。奇妙なタイトルについて説明しておこう。「ゲーテはすべてを言った」というのは博把がイェーナに遊学していた際に、友人の画家のヨハンとの間でお決まりのジョークのフレーズである。ドイツ人は名言を引用する時に必ず「ゲーテ曰く」という枕詞をつけるということから、どんな言葉でもゲーテが言ったことにすれば箔がつく、転じて「ゲーテはすべてを言った」となる訳だ。実はこの小説は知識人一家と名言の引用、この二つのテーマの組み合わせのみによって成立している。したがって小説としてもかなりの超絶技巧である点が理解されよう。以下、内容にも踏み込んで論じる。

  博把は妻義子との結婚記念日に娘徳歌の誘いで郊外のイタリアン・レストランでささやかな祝いの会を開いた。デザートで注文した紅茶のディー・バッグにはそれぞれタグの部分に古今の名言が記されており、博把のそれには Love does not confuse everything, but mixesという言葉とともに出典として Goetheの名が記されていた。「愛はすべてを混乱させることなく、混ぜ合わせる」とでも訳すべきこの名言を言ったのは本当にゲーテなのか。この小説はこの問いをめぐる探求の記録でもある。ティー・バッグのタグに印刷されたこの言葉は先に引いた博把の著書『ゲーテの夢―ジャムか?サラダか?』と呼応している。すなわち博把の著書は「世界は粥やジャムでできているのではない。固い食物を噛まねばならない」と「世界はいわばアンチョビ・サラダ。何もかも一緒くたに平らげねばならない」というゲーテの二つの警句が示す二つの世界観とから発想されたものであり、博把は両者をジャムとサラダ、坩堝とサラダボウルといった二分法と対比させていくのだが、そもそもゲーテはこれら二つの警句を本当に残しているのだろうかという疑念を抱いた瞬間、私たちは本書の中に取り込まれているのだ。博把は自ら電子版のゲーテ全集を博捜して、ティー・バッグに印刷された言葉の出典の調査を開始する。そして自分で見つけることができないとわかるや、知り合いのゲーテ研究者に手紙を送り、出典の確認を依頼する。物語の終盤でこの言葉の由来は一応明かされるから、この小説は一種の謎解き、ミステリーとも読めなくはないが、謎とされるのが殺人や盗まれた手紙ではなく一つの警句であるところがなんとも暗示的だ。しかし学術論文において引用の出典は死活的に重要である。引用であることを明記してあるか否か、あるいは表記の体裁を一つ間違えば盗用や剽窃といった致命的な過誤として研究者生命が絶たれることになるからだ。実はこれ以後、まさにこの問題に関してこの小説はいくつかのエピソードを広げていく。

  物語が進むにつれて何人かの登場人物が加わる。博把の同僚で英文学や表象文化を講ずる然(しかり)という教授、然の教え子で博把の講義も受講している紙屋という学生、いずれにしても舞台となる世界は狭いし、狭い舞台であるからこそ成立するエピソードばかりだ。例えば博把と然の間で交わされる様々な名言を三つに分類する議論や博把と紙屋の間のゲーテ論の応酬などはいかにも文系の知識人のそれであり、大学内の非生産的な会話だ。この一方、博把家をめぐる物語もきわめて単調だ。クリスマスのディナーの後、徳花に恋人がいるらしいことが発覚し、正月に一家は統一の義理の父であり、やはりドイツ文学の権威、芸亭學が住む仙台へと向かう。当然そこでも例の警句の出典をめぐる議論が重ねられる訳であるが、このような話題が食卓に上がるお節料理のメニューと並置されるところにこの小説のおかしさがある。

  事件らしい事件は起こらない。強いてあげれば然の著書が捏造と盗用であると告発され、それをめぐる騒動がやはり終盤に書き込まれている。小説の中でも触れられているとおり、かつてのソーカル事件を連想させるが、いうまでもなくソーカル事件とは引用と捏造と関わり、大学という知の権威を失墜させる事件であったから、本書の内容と無関係ではない。最後に問題の警句の出典が明かされることも一つのクライマックスかもしれない。そのために博把は一家でフランクフルトに向かうのだから。しかしこの結論とて特に劇的な内容ではない。この小説は全体に慎み深いユーモアに満ちていて、読んでいて楽しい。一方、この小説を通して暗黙裡に表明されるのは、あらゆるテクストはすべてが引用ではないかというかなり過激でポスト・モダン的な主張である。オリジナリティの喪失とシミュラークルの成立だ。これらの話題は今ではいささか時代遅れに感じられるが、しばしば言及されるボルヘス、エーコ、カルヴィーノといった固有名詞とともに、1980年代から90年代に大学で研究生活を送った私の琴線に触れるものであった。

  本書は内容においてきわめて独自というか、私はこれに類した小説を思いつくことができない。すべてが語り終えられた、ないし書き終えられた後に小説を書くことは可能かという問い自体はすでに多くの小説の主題とされている。しかしそれをかくも軽やかな文体の「知識人小説」の中に整えた点に本書の魅力があるといえよう。基本的に三人称で語られるこの小説は冒頭に短い「端書き」が置かれている。何気なく読み飛ばしてしまう箇所であるが、最後まで読むとそこに含まれたユーモアに思わず笑ってしまうだろう。本書はこの作家のデビュー作で先に芥川賞を受賞した。楽しみな才能である。


# by gravity97 | 2025-02-23 16:17 | Comments(0)

加藤有希子『点描の美術史 印象派から現代アートまで』_b0138838_22151244.jpeg多くの問題をはらむとはいえ、なかなか興味深い研究を読んだ。「印象派から現代アートまで」というサブタイトルのある本書だ。私はかつてスーラと点描主義の展覧会に関わったことがあるため、以前より点描ないし分割技法という手段に強い関心を抱いていた。印象派の筆触分割に始まるこの技法が世紀を超えて現代美術にまで届く射程を秘めているという筆者の主張には全面的に賛成する。

加藤は冒頭において、きわめて明確かつ刺激的な一つの主張を提出する。


ここで私が言いたいのは、この近現代における「多元化」「分散化」「離散」といった現象が、単に視覚文化の世界にとどまらず、私たちの「生命観(生きざま)」、「死生観(死にざま)」といった実存的で倫理的で道徳的な世界にも呼応しているということです。すなわち私たちの「生き方」「死に方」がより動的で暴力的になったことが、点描表現の発現と親和しているのではないかという問いなのです。


ここでいう「私たち」とはいうまでもなく、新型コロナ感染症の洗礼を受けた後の「私たち」である。スーラやシニャックといった固有名詞と結びつけられて記憶されるテクニックがいきなり私たちの生と結びつけられることはそれなりに新鮮である。形式と暴力の結合、着眼点はきわめて興味深いが、議論の進め方が少々甘い。点描という形式ないし手法を議論の中心に据えながら、しばしば作家の個人的な閲歴が語られる。テクスト論を経由した私たちにとって作品と作家の生を混同するような発想はナンセンスに感じられるのだが、読者にとってのリーダビリティをおもんぱかってか、全体に作品以上に作家の「生きざま」や「死にざま」が詳細に語られるのだ。ひとまずは論じられる作家の順に、美術史の歴史をたどりながら、「点描の美術史」を検証していくことにしよう。

冒頭にモネの《印象、日の出》が召喚されることは十分に予想がつく。なにしろ印象派の名の由来となった作品であり、ル・アーブルの海景が点描によって浮かび上がる。加藤はかかる絵画、そして印象派が登場した理由を当時の社会、文化、そして視覚装置との関係において分析する。なぜなら加藤は表現を時代の「症候」ととらえるからだ。かかる病跡学的なアプローチは珍しくないし、実際に本書の中では続いて作家個人のレヴェルでも同様の検証がなされる。表現を病跡ととらえる発想はイディオ・サヴァンといった問題のある理解と結びつき、客観的な論証が困難であるから私は採用しないが、それなりの魅力はある。印象派を症候とする19世紀後半とはいかなる時代であったか。ブルジョアが勃興したこの時代を徴すのは例えば鉄道であり、パリ・コミューンのクーデターであり、都市を闊歩するフラヌール(遊歩者)たちであった。このうち特に当時発明された視覚機械との関係については加藤も引用するジョナサン・クレーリーの『観察者の系譜』と『知覚の宙吊り』という二つの刺激的な論考において縦横に論じられているためであろうか、写真術と点描との関係についての記述がやや少ない。印象派と写真の成立の関係はしばしば論じられた点であるが、光学という科学と深い関係のある点描と写真の関係に関してはマイブリッジやマレーの連続写真について言及される程度で比較的淡々と論じられる。パッチワークの美学についてはラスキンやテーヌを引きながらかなり詳しく言及される一方、印象派の発明である視覚混合についてはもう少し説明があってもよかったのではなかろうか。加藤は点描技法が成立した背景としてスケッチ、私の言葉に置き換えるならばドローイングが作品として自立したという事実を指摘する。これは重要な指摘である。この問題は完成と未完成という主題をめぐって、ポスト印象派へと接続することになるからだ。

続く第二章で新印象派、スーラやシニャックといったいわば本書の核心が論じられる。最後の印象派展にスーラの《グランド・ジャット島の日曜の午後》が展示されていたというエピソードは象徴的であるが、来場者たちはこの精緻な絵画にむしろ不気味さを感じたという。印象派と新印象派の区別は重要である。これと関連して本書の最大の難点は筆触と点描を区別せずに論じている点ではないだろうか。モネを論じる際に加藤は「筆致をむき出しにして断片的に描く方法を美術史の世界では『筆触分割』や『点描画法』と呼びます」と両者を同一視しているが、私の考えでは両者は峻別されるべきである。ともに視覚理論との密接な関係という点においては共通しているが、私の考えでは前者はなおも触覚と結びつき、身体的で非合理的であるのに対し、後者は純粋に視覚的であり機械的で合理的である。この区別が意識されないため、後で批判するとおり、ポロックや草間についての的外れの指摘がなされることとなる。新印象派について論じるにあたっても加藤は当時の状況を詳述し、オグデン・ルードやシェヴルールらの理論的な著作との関係について言及している。興味深いのは新印象主義と政治との関係だ。新印象主義の理論的枠組を提示したシニャックらは政治的に無政府主義に近く、絵画の主題としても労働者がしばしば描かれたという。ここで例示されるシニャックの《調和の時》においては支配者のいない理想の社会が描かれていると加藤は説き、アナーキズムの理想郷を認めるのであるが、これはあまりもナイーヴな発想であろう。作品と政治との関係は主題ではなく形式にある。つまりそこには固有色や主調色がなく、個々の色点が存在する。ここにおいて色点は匿名的かつ互いに平等な社会の成員のメタファーととらえることができよう。あるいは広大な色面を微細な点描で埋め尽くす作業は端的に創造というより労働とみなされる。この時、画家は一人の労働者としてとらえ直されるはずだ。

「ポスト印象派」と題された章においては主にゴッホ、セザンヌ、マティスという三人の作家と点描の関係が論じられる。このうちマティスは通常フォービスムに分類され、ポストもしくは後期印象派の範疇には含められないが、この点は逆に画風を超えた点描技法の広がりを暗示している。以前より私はこれら西欧近代絵画のビッグネームたちがいずれもある時期、申し合わせたかのように点描技法に手を染めることに関心を抱いていた。彼らが数点の実験の後、この技法を放棄した理由は明らかだ。この技法は習得に時間を要し、実際の制作にあたっても長い時間を必要とする。彼らの多様な関心を十全に実現させるうえで点描技法への深い関与は時間的な損失大きい。実際に点描技法が大画面に実現された例はパイオニアであったスーラとベルギーの一連の画家をのぞいてさほど多くない。しかしこの一方で、ゴッホやセザンヌ、マティスといった才能がなぜ共通して点描技法に関心を抱き、少数の作品とはいえそれを実践したかという問題は残る。私の答えはこうだ。彼らが関心を向けたのは点描ではなく筆触であったのではないか。印象派に始まり、セザンヌで明確に主題化された筆触という視点を導入することによって、私は加藤とは全く異なった「筆触の美術史」が前景化されるのではないかと考える。この点は次に論じられるキュビスムにおいて明らかになる。加藤はキュビスムと点描の関係を説くにあたって、キュビスムを色彩の絵画ととらえ、ベルグソンを援用して「キュビスムの言語は時代の暴力の言語にほかならない」と結語するが、これはさすがに苦しい。私は逆にキュビスムは点描の否定ととらえた方が理解しやすいと考える。作品を想起するならばこの点は直ちに首肯できるだろう。先般ポンピドーセンターのコレクションを中心として充実したキュビスムの回顧展が国内を巡回したことは記憶に新しいが、そこに出品されていた作品はピカソとブラックはもとより、ほとんど筆触を排していた。ポスト印象派の章で見た通りの点描技法のブームを知った後では、むしろかかる欠落こそが興味深い。端的に述べるならばキュビスムとは筆触を用いずに対象を「再現」する技法ではなかっただろうか。そこには視覚から触覚へのゆるぎない転換が認められる。この問題は極めて射程が深く、本書のレヴューの域をはるかに超えているのでひとまずここでは議論を敷衍することは控える。

続くアクション・ペインティングの章は大きな問題をはらんでいる。ここで主に論じられるのはポロックであるが、果たしてポロックの絵画を点描と呼べるだろうか。本書の冒頭で点描と暴力というテーゼが示されていたため、逆にポロックと暴力を結びつけ、そこから点描に遡行するという倒錯が発生してはいないか。次のような文章がある。

ポロックはアルコール中毒に溺れるいわば「弱い」人間でありながら、「ドリッピング」「アクション・ペインティング」というアートワールドで最も新しい手法を打ち出し、世に問いかけていきます。これがまさしく「社会に迎合せずに不滅の栄誉を得る」ということでした。ポロックの人生は、ひとえにこの重荷に耐えていく苦渋の人生でもありました。

いくらなんでもこれは決定論に過ぎる。表現の由来を作家の個性に求める発想に私は与しないし、ポロックと点描をつなぐミッシングリンクとして晩年のモネが引かれるにいたってはさすがに牽強付会であろう。ここでも点描ではなく筆触という問題圏を設定することによってアクション・ペインティングをセザンヌと関係づけることができるはずであり、この問題に関しては確かリチャード・シフに優れた先行研究があったと記憶する。 

抽象表現主義に続いて俎上に上げられるのはポップ・アートであり、点描との関係であればリキテンスタインのベン・デイ・ドットが議論されることは想像がつく。いわゆる網点だ。ベン・デイ・ドットを点描ととらえるかについては議論が分かれようが、リキテンスタインは網点を使用することによってイメージではなく、印刷されたイメージが引用されている点を強調し、印刷技術を介した複数性と反復可能性をポップ・アートと共有していた。その後、作家が美術史を参照する一連の作品へ向かう点は興味深い。本書にも図版が掲載されたモネのルーアン大聖堂をモティーフとした一連の連作は、筆触の端緒とも呼ぶべきモネの絵画にベン・デイ・ドットで応接しており、このような行為自体が一種の創造的批評といえよう。モネにおいては時間の経過とともに移ろう光を表現するために取り入れられた複数性が、リキテンスタインにおいては版画の複数性、ポップ・アートにおける大量生産への志向に由来することを知る時、両者の比較もまた興味深い。

 「現代の点描」と題された最後の章ではダミアン・ハースト、草間彌生、アイ・ウェイウェイ、菊池遼という四人の現存作家が取り上げられる。このうちダミアン・ハーストについては国立新美術館で発表され、私にとってはコロナ禍とともに記憶された「桜」シリーズというまさに点描によって描かれた巨大な連作が紹介される。私も展示を見たが、ハーストのイメージを一新するというか、さらに色濃く刻印するというべきか、ピンク色でオールオーバーに塗られた巨大な画面が私たちを圧し、今なお疫病の記憶とともに生々しく回想される。私の印象としては本書の構想はモネやスーラではなく、このハーストの作品によって浮かんだのではなかろうか。実際、加藤は本書に先んじて同じ出版社から刊行された『今、絵画について考える』という論文集に「点描から垣間見える死」という本書のエスキースのごとき論文を寄せている。切断した羊の死体をホルマリンに漬け、あるいは牛の生首をガラスケースの中に投げ込んで腐敗するにまかせるハーストであれば暴力という主題に合致するし、「桜」シリーズも無数に広がる生々しいピンク色の斑点が発疹や傷口、あるいはヴァギナや唇を連想させて実に生々しく不気味であった。あるいは草間彌生の名高いドット絵画もまた精神衰弱や分裂症を連想させ、そこから加藤は乱交や増殖、強迫や反復といった病理を抉り出す。確かに点描とは時代の「症候」であり近代以降に特徴的なこれらの構造は時代の暴力性を反映しているといえるかもしれないが、ハーストと草間から私は点描主義の別の可能性についても考えた。均一の構造が全面を覆う構造は色彩を排除する時、オールオーバー構造に帰着する。興味深いことには先に新印象主義においては匿名的、均質的な単位として全体に奉仕していた色点はハーストや草間においては全体と等価となり、部分と全体の調和的な関係を破壊する。このような観点から本書で論じられた対象を区別するならば、部分と全体の関係は印象派、新印象派、ポップ・アートにおいては調和的であり、ポスト印象派、キュビスム、アクション・ペインティングにおいては非調和的であることがわかる。かかる対照は絵画が再現的であるか非再現的であるかを問わないから、再現性とは別の原理として機能していることも理解されよう。このような対立はかつてヨーロッパ美術とアメリカ美術にも求められ、関係的と非関係的という対概念として論じられた。このように考えるならば、点描という問題群はヨーロッパとアメリカ、モダニズム術の中心を貫いていたという事実が明らかとなるのだ。

私の問題意識にかなり引き付けて本書を論じた。必ずしも本書の意図を十分に汲んでいない見解もあろうし、なお論じるべき余地が多く残されていることも自覚している。いつもながら優れた研究から誘発される問題は多い。多くの発見とともに巻を閉じた。


# by gravity97 | 2025-02-14 22:16 | Comments(0)

富井玲子『オペレーションの思想』_b0138838_20543486.jpeg

きわめて興味深い戦後日本美術研究を読んだ。表紙の写真が象徴的である。使用されているのは新潟現代作家集団GUN1970年代に実施した「雪のイメージを変えるイベント」の記録写真だ。日本の戦後美術に詳しい者であっても、彼らの活動はこれまでただ一枚の写真を通してしか知らなかっただろう。それはかつて講談社から刊行された「現代の美術」シリーズのうちの一冊、『行為に賭ける』のカバーとして使用され、同書の本文中にも短い言及があったと思う。上に掲げたとおり、同じ写真が本書の表紙としても使われているが、戦後美術の中でもほとんど知られることのなかったエピソードを表紙としている点は象徴的だ。あるいはシェル美術賞、精神生理学研究所、美共闘、長良川でのアンデパンダン展、本書で取り上げられるトピックはいずれもこれまでの日本戦後美術史からは語り落されてきたものばかりである。

そもそもオペレーションとは何か。前書きの中で定義されている。それは「表現(作家の作品)を社会化する回路の総体」であり、アダム・スミスの「神の見えざる手」を「見えない手」と読み替えるならばわかりやすいという。冒頭の章でも短い説明がある。


ここで私が「オペレーション」という言葉で意味するのは、美術史を動かしている見えない力の働きである。概して美術史は目に見える作品=表現の連綿とした流れとして記述されてきているが、作品が独り歩きする訳ではない。作品を取り巻き、作品を動かす力が作用して表現が観客に、そして広く社会にコミュニケーションされていく。この社会化のプロセスを通して、作品は生命を獲得する。


つまり美術を突き動かす作品以外の要因といってもよいだろう。ある意味、これはかなり大雑把な規定である。確かにニュー・アート・ヒストリーを経過した私たちは展覧会や売り立て、批評や市場といった作品の外部によって美術史が紡がれてきたことを知っている。本書で論じられるのは作品を論じることなしに日本の戦後美術史を語ることであるが、振り返ってみるならば、日本の戦後美術を通史として扱った貴重な先例、千葉成夫の『現代美術逸脱史』も椹木野衣の『日本・現代・美術』も同様の立場から戦後美術史を論じていた。日本の戦後美術を語る際になぜ作品が中心とならないかという点は検討されてよい課題である。作品以外の要因によって美術の流れを検証するという姿勢はあまりにも漠然としていると感じられるかもしれないが、本書においてはきわめて大きな問題を扱いながら徹底的にディテールに拘ることによってそれが可能となる。例えば三木多聞が残したギャラリーめぐりの記録を徹底的に読み込むことによって貸画廊という日本独自の制度が浮かび上がり、作家と作品が手繰り寄せられる。「神は細部に宿る」というがこのように一見ばらばらな話題を詳細に検証することによって戦後美術の新たな輪郭が姿を現す場に立ち会う経験はスリリングだ。

具体的な内容を検討する前に本書が拠って立つ二つの前提を指摘しておきたい。一つは戦後美術も含めた日本の美術を一種の集団主義、コレクティヴィズムの伝統の中にとらえようとする姿勢である。富井の議論は多岐に及ぶが、いわゆる団体展から内科画廊まで、従来では同じ視野にとらえることが困難な作家や運動がはらむ共通性が明らかとなる。本来作家とは孤高の存在であるはずだが、日本の前衛は群れるのが大好きなのだ。以前このブログで椹木が企画した京都市美術館における「平成の美術」を論じた際にも、出品者がすべて集団である点を指摘したが、この点もこの問題と関わっているかもしれない。もう一点は本書においてはむしろ潜在的な主題であるが、グロバーリズムの問題である。日本の大学院で学んだ後、アメリカに渡って美術史研究を続けた作者の経歴は日本の戦後美術を海外の視点から検証することを可能にした。さらに富井はモダニズムの複数性という発想を提起する。富井はかつてクイーンズ美術館で開催され、「複数の起源」というサブタイトルをもつ「グローバル・コンセプチュアリズム」に関わっていたから、同時性や脱中心という概念に早くから親しんでいたであろうと推測されるが、かかる立場から提案される「日本型モダニズム」という言葉は確かに日本の戦後美術の特徴を検討する際に有効である。欧米の後追いではなく、かといって独自性に根差した展開でもない一連の作品は複数のモダニズムの一つの現れと考えた方が理解しやすい。

最初に扱われるのは団体展、さらに毎日新聞社による日本国際美術展と日本現代美術展、さらにジャパン・アート・フェスティヴァル、そしてシェル美術賞といった話題である。議論が多岐にわたり、扱われる問題も多様なので詳細については本書に当たっていただくのがよいが、どれも日本の戦後美術における重要なトピックでありながら、これまで看過されてきた問題だ。看過というより、どのように戦後美術史に組み込まれるのか、整理するのが難しい問題であったという方が正しいだろう。富井はこれらの問題を丹念に検証することによってまさに戦後美術を駆動させたオペレーションの本質を明らかにしていく。

続いて焦点化されるのは吉原治良と具体美術協会である。具体美術協会の活動が日本のみならず世界の戦後美術の一つの出発点であったという認識は今日広く共有されているから、彼らが論じられること自体は意外ではない。しかしそのアプローチは独特だ。まず「二科の吉原、具体の吉原」と題された章においてはリーダーたる吉原に注目し、具体こそが吉原の作品であったという断言とともに次のような斬新な理解が提起される。


二科の吉原と具体の吉原をつなぐものはオペレーションである。吉原の主導の下、戦前の美術団体的オペレーションと戦後の小集団的オペレーションをハイブリッド化し、団体展の継続性、安定性と小集団の実験性をミックスした具体の集団性(コレクティヴィズム)は絶妙だった。しかも急進的な統率力でグループの結束を固めつつ、国際へも視野を広げて遠心的に表現を社会化する戦略を打ち出していく。


ここに及んで私たちは本書の冒頭で団体展のオペレーションが詳細に分析された意味を理解する。そしてこのような理解に基づいて日本型モダニズムの一つの典型、初期の具体美術協会の活動が斬新な視点から分析されていく。これについても詳細は本書を参照していただくのがよかろう。吉原と具体美術協会をいわばテスト・ケースとしてオペレーションという概念の有効性を確認したうえで、いよいよ本書の主題である60年代美術の分析が開始される。

最初に俎上に上げられるのは具体美術協会を嚆矢とする一連の行為の美術である。富井はここでも興味深い仮説を提起する。すなわち実体化されにくい行為の美術に対して、作品が帯びる「第一の人生」と「第二の人生」を区別することだ。行為自体を作品の「第一の人生」ととらえ、そこから派生する記録やアネクドートを「第二の人生」とみなすことによって、パフォーマンス研究を悩ませてきた行為と事物の二分法を回避することができるという。写真や記録に重要な意味を与えることによってオペレーションが発動する。実際に具体美術協会以来、戦後日本の主要な行為の美術においては決定的瞬間とも呼ぶべき名高い写真や映像が直ちに目に浮かぶ。読売アンデパンダン展からハイレッド・センターにいたる一連のアクションやパフォーマンスに常に写真家たちが同伴していたことを想起してもよいだろう。冒頭のGUNも含めて、作家たちのさまざまなオペレーションが分析の対象となり、私も初めて知る貴重なエピソードが次々に開陳される。精神生理学研究所という、これまでほとんど知らなかったコンセプチュアリズムの集団や彦坂尚嘉の名高い「フロア・イベント」などが新しい視点から戦後美術史に組み入れられていく記述はきわめて刺激的だ。

 第六章では話題が転じる。これもまたオペレーションの一つであるが、ここでは60年代美術の拠点となった貸画廊という日本独特のシステムが分析される。そこには1964年に読売アンデパンダン展が一方的に中止され、多くの作家たちにとって毎年の目標であった美術館における展示が不可能になったという前提がある。ここから続く章で論じられる地方アンパンも発生したのであるが、まずは東京を中心に無数に存在した貸画廊についての検討がなされる。ここで富井は東京国立近代美術館に勤務していた三木多聞が『美術手帖』に執筆した「月評」と三木が遺したスクラップブックを手掛かりに当時の状況を概観する。伝説的な画廊や発表が次々に言及され、当時の美術界の高揚がうかがえる。繰り返しになるが、本書は話題が多岐にわたり細部が示唆に富むため、要約することが難しい。これらの問題についてはここでくどくど説明するよりも本書を直接読んでいただきたい。

 とはいえ第七章以降で提起される問題については私も一言述べておきたい。本書は取り上げられる作家や集団から考えても、例えば東京国立近代美術館の常設展示にみられるがごとき正統的な戦後美術史を大きく逸脱する内容であるが、冒頭で団体展や新人賞といったいわば美術の中央集権的な制度について詳しく言及されるのに対して、第七章以降では地方性という主題が前景化される。松澤宥、岐阜の集団VAVAThe PLAY、例えばこの三者だ、松澤は数年前に長野県立美術館で大規模な回顧展が開かれ、The PLAY2016年に国立国際美術館で活動を回顧する展示があったからようやく知られるようになったとはいえ、20世紀にはほとんど検証されることもなかった活動であり、集団VAVAにいたってはいまだに論じられたことさえない。これらの共通点はいずれも東京ではなく、地方に叢生した活動であることであり、これを富井は「荒野」と呼ぶ。本書の原型は2016年に英語で刊行された研究書であり、「荒野のラディカリズム」というタイトルが冠されていたことを想起するならば、荒野 wildernessもまた本書のキーワードの一つであることが理解されよう。おそらくこの言葉は64年に長野県の「七島八島高原ツンドラ地帯」で松澤が主宰する虚空間状況探知センターが企画した「荒野におけるアンデパンダン’64展」に由来しているだろうが、富井は荒野を次のように定義している。「荒野は荒地ではない。表現とオペレーションの可能性を秘めた豊穣な地平である。ポスト読売期の現代美術で作家の主体性(エージェンシー)が屹立した実験と革新の意欲を示すのが荒野である」この認識に沿って地方で開かれた岐阜の「アンデパンダン・アート・フェスティヴァル」、松澤宥を中心とした概念芸術、美共闘といった話題について論じられる。長野、岐阜、京都といった「地方」でさまざまな作家たちによって繰り広げられた実践はいずれも最初に触れた集団性や脱中心性と深く関わる活動であることが理解されよう。

 最後の二つの章では別々の話題が論じられる。まず60年代から70年代にかけて京都というトポスにおける美術館や画廊で行われたさまざまの実験。「京都アンデパンダン展」「京都ビエンナーレ」「現代美術の動向」という美術館主導の三つの展覧会、そして京都新聞社と作家主導の実行委員会による「現代の造形」という四つの展覧会はいずれもきわめて過激な内容を含む先端的な試みでありながら、一昨年、京都国立近代美術館で「Re:スタートライン」として「現代美術の動向」が綿密に回顧された以外、十分に研究されていない。(「現代の造形」のうち、「映像表現’72」が東京国立近代美術館において展示として再現されるという画期的な試みについてはかつてこのブログでも論じた)これらは当時にあって展覧会というオペレーションがみごとに機能した例であるが、それが京都という場所において、作家や批評家、そして美術館関係者の強い連携のもとに進められたことは記憶されてよかろうし、結果として映像表現、概念的な作品が多く発表されたことの背景も今後検証されるべき問題であろう。最後に取り上げられるのは1970年のいわゆる東京ビエンナーレである。中原祐介をコミッショナーに、主催した毎日新聞社では峯村敏明が実務を担当したこの展覧会を富井は「周縁からのカウンタープロポーザル」ととらえる。実際にこの展覧会は同時期にニューヨークとベルンで開かれた「アンチ・イリュージョン」や「態度がかたちになる時」といった展覧会と並んで現代美術の一つの極限的傾向を集約した展覧会として名高い。かかる展覧会が現代美術に関して後進であった日本において開催可能とされた背景を富井はオペレーションという観点から詳細に検証する。さらにこの展覧会に出品した日本人作家は地方在住者が多いという、先の問題意識とも関わる興味深い指摘がなされている。そして富井によれば、日本人作家の中でも表現として世界の作家たちにカウンターしていたのは、新潟でGUNの中心的メンバーであった堀川紀夫と信州の松澤宥であったという。本書は「一枚の写真を見る」という序章によって始まるが、そこで提示されたのは東京ビエンナーレに際して東京都美術館の前で作品を設置しているリチャード・セラの姿であるから、東京ビエンナーレの話題を最後に配することによって一つの円環が閉じられたといってよいかもしれない。

 本書はオペレーションという魅力的な概念を駆使して、現象の細部に徹底的に拘泥することによって独特の戦後美術史を描き出している。次々に繰り出される概念や作業仮説はいずれも魅力的であり、戦後美術史の再考を迫る。むろんすべてを首肯できる訳ではないが、本書もまた近年多くの書き手によって進められている日本の戦後美術についての異説として強い説得力があり、このような積み重ねによってこそ、私たちはおそらくは複数の戦後美術史の一端を瞥見できるのではないだろうか。


# by gravity97 | 2025-01-26 20:56 | 現代美術 | Comments(0)

奥泉光『虚史のリズム』

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 先のブログで最近のキングは長すぎるなどと批判したにもかかわらず、この厚さはどうだ。毎年正月休みは大長編を読むことにしているが、カバーの惹句によればギガ・ノベルならぬテラ・ノベル。今年の夏に刊行された本書は通勤や出張の合間に読むことは難しいかと思い、待つことほぼ半年。喫緊の原稿をとりあえず脱稿したこともあって、年末年始の休みを丸ごとかけてなんとしても読み切ることを今年最初の目標とした。奥泉光の『虚史のリズム』のことだ。

 奥泉は私のお気に入りの作家であるからこのブログで何度もレヴューした。最近では『雪の階』という二・二六事件前夜を舞台とした傑作について論じた覚えがある。それ以来、中編の「死神の棋譜」を経て、久しぶりに刊行されたこの大長編にはこれまでの作品と多くの共通点がある。まず描かれる時代だ。この小説の舞台は第二次大戦直後の日本であり、いたるところに第二次大戦の残響がこだましている。奥泉は芥川賞受賞作の『石の来歴』の中で早くも太平洋戦争におけるジャングルの戦闘を描き、『神器』『グランド・ミステリー』という二つの長編も大戦中に発生した奇怪な事件を枕にしている。この二つの小説に本書と通底するモティーフが多い点については後述する。この長大な小説は第二次大戦と日本という国家の在り様という奥泉が執拗に追究する主題についての再話と考えることができよう。説話論的にもこれらの小説は共通する。すなわち最初に謎、端的に一つの殺人事件が提示され、その解決を目指すいわば探偵的な人物を主人公として物語が進む。『雪の階』では殺人ならぬ親友の情死という謎を受けて主人公の親友が女探偵として真相の探索に乗り出したことも想起されよう。もちろんミステリーの形式をとりながらもさながら迷宮のごとき奥泉の小説は単純なアリバイ崩しや犯人捜しによって結末を迎えるものではないことは当初から予想されるし、本書においてもこの予想が覆されることはないのだが、大戦下ではなくその直後、具体的には昭和22年という年記を伴った時代背景とミステリーという組み合わせから私が最初に連想したのは京極夏彦の初期の作品であった。『姑獲鳥の夏』で衝撃的なデヴューを果たした京極の初期のこれまた分厚いミステリーも敗戦直後の東京を舞台にする点で新鮮であったが、『虚史のリズム』も復員兵を主人公の一人に据えて、フィリピンから生還したはよいが、空襲によって自宅と身寄りを失ったことを知る場面から始まる。

内容的に本書には主人公が二人いると考えてよいだろう。最初の主人公は探偵志望の復員兵、石目鋭二。石目は探偵になる志を捨てきれず、まずは丸甚なる興信所に見習いで入るが、探偵像とのギャップを知ってすぐに退職、そのうちに兵役にとられてフィリピン戦線で九死に一生を得て復員する。


むかしから探偵になりたかった。ホームズ、クイーン、明智の小五郎、ファイロ・ヴァンスにギリンガム。中学校時代に熱中した探偵小説の、強い酒に漬けこまれた熟果実のごとき、芳醇にして甘く蠱惑的な物語に登場する名探偵たち、人なみはずれた推理力を武器に、颯爽と難事件を解決する、どこかおかしみのある彼らに、自分はずっと憧れていた。


 例によって冒頭の一文を抜き書きしたが、すでに奥泉ワールド全開といった印象である。探偵になるはずが、カストリ雑誌にエロ小説を書いたり、闇市で密造石鹸を売って糊口をしのいでいた石目はフィリピンの俘虜収容所で親しくしていた陸軍少尉、神島健作と偶然に新橋で出会う。神島こそこの小説のもう一人の主人公であり、二人の再会と同期するように謎めいた殺人事件が起きる。場所は山形県水倉村、被害者は元陸軍中将、棟巍正孝と妻の小夜。二人は刃物で胸や首を刺され、室内には荒らされた形跡があった。この事件には二人の戦争体験が影のようにまといついていた。実は神島は養子に出されていたため姓こそ違うが軍人一家の棟巍四兄弟の末弟であり、殺された正孝は長男であった。神島は犯行時刻の前後、羽越本線の混雑する駅頭でかつてタクロバン収容所の中で不気味な威風を漂わせていた千藤という男を見かける。石目が探偵を志していることを知った神島は千藤の消息の調査を石目に依頼する。かくして事件と探偵が揃った。石目は石鹸密造の儲けを元手にこの小説の主要な登場人物が集うこととなるStone Eyeというスタンドバーの開設に奔走する一方で、神島から依頼された「石目鋭二第一の事件」の探索に乗り出す。ひとまずストーリーが走り出すまでを要約したが、なにしろこれほどの大長編であるから、このようなメインストーリーに要約することさえ容易でない様々なサブストーリーが絡みつき、回想や連想をとおして時間的にも錯綜した語りが続く。

 奥泉のほかの長編と同様にこの小説もいくつかのジャンルを横断する。殺人で始まるからミステリーであり、例によってSFもしくは伝奇小説と読めないこともない。さらにいつになく詳細に書き込まれた時代背景からは大戦直後の一時代を描く風俗小説とも読めるだろう。棟巍なる陸軍軍人の殺害事件として始まったストーリーは直ちにミステリーの王道とも呼ぶべき一つの主題と結びつく。ポーでおなじみの「盗まれた手紙」である。Stone Eyeに出入りする怪しげな男たちの中に渋谷の愚連隊を束ねる牧瀬なる男がおり、石目は牧瀬から「K文書」なる秘密文書の探索を依頼される。二つの事件はやがて結びつく。Kとは正孝の長男、孝秋の妻、倫子の父、海軍士官であり自決した貴藤儀助のことであり、貴藤が書き残したなんらかの報告書こそがK文章であった。殺人現場の金庫から奪われたのがこの文書であることは大長編を読み進むにつれて明らかとなる。実はこれと共通する構図は「グランド・ミステリー」にも認められる。「グランド・ミステリー」においても真珠湾攻撃直後の戦闘機乗務員の服毒死と特攻任務についた潜航艇の中で艦長に託された遺書が消えてしまうという事件が発生する。殺人と盗まれた手紙。今回、久しぶりに「グランド・ミステリー」を手に取って驚いた。今述べた貴藤儀助のほかにも紅頭忠宗、昆布谷知親そして榊原志津子といった本書の登場人物はすでにこちらに登場している。そもそも文庫版『グランド・ミステリー』の表紙を飾っていたアングルのオダリスク像は本書においては頭にターバンを巻きつけた姿で登場する不思議な美女、志津子=李静に結びつく。おそらく両者を読み比べることによってさらに多くの発見があるはずではあるが、さすがに本書を読み終えて直ちに文庫で1000頁近い「グランド・ミステリー」を再読する余裕はなく、後述の「神器」ともにここでは記憶によって応接する点を最初にお断りしておく。本書をミステリーとして読んだ場合、確かに最終的に犯人と動機は一応の解決をみるが、それが一つの可能性に過ぎない点は後述する多元宇宙の問題と重なる。

 むしろ本書は一種の日本人論として読まれるべきではないか。日本とは、日本人とは何か。戦争によって日本人は変わったのか。敗戦直後においてかかる問いかけはそれなりの必然性があっただろう。大学でマックス・ウェーバーを研究していた神島は経歴からして明らかに作者たる奥泉のダブルであるが、彼が出席する大学構内での社会学者たちの研究会やら殺人事件の当夜に開催された「ミネルヴァ会」なる戦時体制を批判する急造の民主集会、実際にも存在したであろう各種の集まりの中では天皇制や施行されたばかりの憲法、アメリカによる占領、あるいは今後の日本の進路について様々な見解が提出される。時代背景も綿密に考証されているらしく、本書中には時間を特定したうえで丸山眞男や大塚久雄が『世界』などに発表した論文についての言及がある。とりわけ天皇制は本書の隠された主題といってよい。登場人物の一人によって昭和天皇が偽物であるという指摘がなされ、本書のクライマックスにおいては天岩戸の開放と新しい天皇の出現さえも予想される。天皇を小説の主題に据えることは桐山襲や赤坂真理といった例外を除いて絶えてなかったことであり、私は本書中のフィリピン戦線の逸話からは幾度となく大岡昇平の一連の小説を想起した。昭和天皇が没し、平成天皇も退位した現在、文学が天皇制に接近するためにはこのような屈折した経路が必要であるということであろうか。

 この小説にはいたるところに二重性が存在する。まず二つの現実だ。K文書とは実は海軍国際問題研究所なる施設で密かに進められていた研究について記されており、そこには先に名を挙げた貴藤や昆布谷といった海軍将校が深く関わっていた。その研究とは一種の未来予知の実験であり、戦時中にすでに原爆の投下やポツダム宣言受諾が予言されていたという。したがってそこには現実とかかる予知によって知りえた現実が二重に存在する。あるいはこの小説においては途中から一章ごとに石目や神島の物語と三匹の鼠を主人公にした物語が交互に進行することとなる。鼠、あるいは鼠人間というモティーフは軍艦「橿原」殺人事件というサブタイトルをもつ長編「神器」にも頻出するが、本小説では鼠たちにとっての現実が「かくり世」、それに対応する現実が「うつし世」として対照的にとらえられている。軍艦に乗り込んだ兵士が苛酷な暴力を逃れるために鼠に転じるというエピソードからこの小説において人と鼠は交代が可能であることが暗示されているとはいえ、登場人物の一人であったはずの神島が突然鼠へと転じ、一方で人間としての神島も引き続き物語を牽引することには驚く。登場する三匹の鼠の前身は神島のほか、最初に殺人事件の犯人の嫌疑をかけられる海軍士官の鹿内謙三、物語の中で八面六臂の活躍をする画家志望の女子学生、水谷澄江の孫である久良々であり、「かくり世」と「うつし世」は時間的な原則も超越した世界であることが理解されよう。物語のクライマックスで二つの世界は接続し、鼠の神島が人間の神島のふるまいを観察するという屈折した情景が描かれることとなる。注目すべきはこのような二重性がすでに「グランド・ミステリー」においても第一の書と第二の書として提出され、このような現実の分裂の原因がヴェネツィアのカタコンベ訪問にあったことも本書そして「グランド・ミステリー」においては明記されている。さらに驚くべきことには本書において語られるムー大陸の「ロンギヌス物質」探索という密命を帯びて出港した軍艦にはまさに「橿原」という名前さえ与えられている。いずれも相当な長編であるから、大変な作業となるだろうが、いつの日か本書と「グランド・ミステリー」「神器」という三つの小説を比較して分析したいという欲求に駆られるのは私だけではないだろう。

 複数の現実が並立する多元宇宙はSFにおいて多用される主題だ。第二次大戦に限ってもフィリップ・K・ディックの「高い城の男」、小松左京の「戦争はなかった」、最近ではフィリップ・ロスの「プロット・アゲンスト・アメリカ」などが直ちに連想される。かかる思考実験は文学においてのみ可能であるが、この小説においてはもう一つの形式的な実験も見逃せない。第二章、物語のかなり早い段階から地の文章の中に突然dadadadadaという無意味な記号が侵入するのである。最初はフィリピン戦線を回想する神島の脳裏に、地下に棲む虫たちが這いまわる音として発生したこのオノマトペは次第に物語を侵食する。いずれも意識を失った時や幻影の背景として出現し、あたかもカリグラムのごとく紙面において形を取り始めたdadadaの字列は最後には文章の間に潜り込み、物語そっちのけで蛇行する。そこにはおそらく鼠たちが恐れる巨大な蛇の姿が反映されているであろうが、一方で物語を無化するかのような暴力的な印象をもまとっている。ダダがダダイスムからとられていることも明らかであるが、小説としての強度を試してきた奥泉がなぜこの小説でこのような形式的実験を行ったかについては私にも判然としなかった。

  最後に語りの問題について触れておきたい。この小説は三人称で語られるが、それは神の視点というよりも、その時々に話者が登場人物の一人を焦点化しつつ、少し距離を置いて語る独特の語りである。142のそれぞれは比較的短い章を連ねて語られるこの小説には最初に述べたとおり二人の主人公が存在し、巻の半ばにおける青山の旧船舶協会ビルディングにおける一斉取り締まり、そして巻末の山形の真山という神域における皇祖神霊教の儀式という二つのクライマックスが存在する。長大で錯綜した物語は必ずしも話者と一体化されない多くの人物を焦点化することによって巨大な対象を無数の視点から観察するような深みを与えられる。一方で話者と焦点化される登場人物との距離はしばしば奥泉の小説に特有のユーモアをもたらす。特に探偵志望の石目の滑稽な活躍は距離を持って語られることによって決して明るい内容ではない本書に息抜きの場を与えるかのようだ。

 なにしろ長大かつ錯綜した物語であり、私は物語の輪郭をなぞることさえできていないように感じるが、本書がまさに昭和という虚史に取り組んできた奥泉の集大成であることは間違いない。作家本人にどの程度意識しているかはわからないが、私は一連の小説が大岡や野間宏といった第一次戦後の衣鉢を継ぐものであるように感じる。それはこの小説の中でも言及される丸山眞男や大塚久雄自身らが独自の社会学を通して提唱した日本人論とも通底しているのではないだろうか。本書によって自らが体験したことのない第二次大戦に拘泥し、軍隊という組織をとおして検証してきた奥泉の一連の仕事に新たな一章が加えられたという点は画期的であり、戦後80年という周年の劈頭に読むにふさわしい大著であった。


# by gravity97 | 2025-01-18 11:17 | 日本文学 | Comments(0)

スティーヴン・キング『ファイアスターター』_b0138838_10484081.jpeg
 私はキングの熱心な読者であるから、あまりにも長大な「暗黒の塔」シリーズ以外は翻訳された小説をほとんど読んできた。しかし初期の作品には若干の読みこぼしがあり、発表から時間を経て読み継いでいる。『ファイアスターター』もそんな一冊だ。新潮文庫で上下巻、1982年に発行されている。私はおそらくは90年代に買い求めながら、長い間書架に棚ざらしにしていた。キングが『キャリー』でデビューしたのが1973年であり、以後、『呪われた町』(1975)、『シャイニング』(1977)、『深夜勤務』(短編集 1978)、『ザ・スタンド』(1978)、『デッド・ゾーン』(1979)、本書『ファイアスターター』(1980)、『クージョ』(1981)とまさに名作の目白押しである。私の記憶では日本で翻訳が刊行されたのは「呪われた町」、「シャイニング」、「キャリー」の順であり、発行元が変わることもあり、文庫化の順番も訳出どおりではないから、なぜこの小説を読み落としていたかよくわからないが、あっという間に読み通し、久しぶりに最盛期のキングに触れた思いがした。

 物語は非常な緊張のうちに幕を開ける。ニューヨーク、夕刻の三番街、アンディとチャーリーという父娘が彼らを追うグリーンの車に乗る男たちから逃れようとする場面だ。彼らがなぜ追われているのか。二人が奇妙な出来事を引き起こしながら逃走を重ねる現在と回想や夢として挿入される過去、キングが得意とするフラッシュバックとフラッシュフォワードの話法を介して逃走劇の背景が次第に明らかになる。アンディとチャーリーの母であるヴィッキーは1960年代後半、ニクソンが大統領を務める時代に200ドルの報酬と引き換えに大学で実施されたある人体実験に参加する。「ロト・シックス」なる薬物を投与するという実験は実は危険きわまりないものであり、その場で、そして投薬後、多くの被験者が死亡し、あるいはもはや人間とはいえない状態に陥っていたことが読み進むにしたがって明らかになる。しかしそれによってアンディとヴィッキーは一種の超能力を獲得していた。一種の読心力や他者の精神を支配する力といった能力こそ、この実験を行った「店(ショップ)」という秘密機関が養成し、最終的には武器化しようとする力であった。ショップは被験者を密かに追跡し、その後、そのような能力が発現するかどうかを確認しようとする。そしてこの実験の会場で初めて知り合い、後に結婚するアンディとヴィッキーの娘、チャーリーは彼らと比べても途方もない力を生まれながらに有していた。タイトルの通り、身近なものを発火する能力である。しかし彼らはその能力を十分に使いこなすことができない。アンディは他者の精神を支配した後、しばらくの間、猛烈な頭痛に襲われ、チャーリーにいたっては何がいつ発火するか自分では制御することができないのだ。

 彼らを追うショップはCIAの下部組織のように描かれているが、アメリカ全土に情報網をめぐらして、職員は人を殺すことに何の痛痒も覚えることがない。このプロジェクトを統括するチーフであるキャップ・ホリスター、実験を実行するウォンレス博士、非情な殺し屋OJといった個性的な面々が登場し、中でもベトナム戦争で片目を失って帰還したレインバードと呼ばれるインディアンはチャーリーに異常な執着をみせる。アンディ父娘とショップ、ニューヨークの雑踏で始まった追跡劇は転々と場所を変えながら続き、時にショッキングな事件が発生する。サスペンスフルな展開はキングの独擅場である。未読の読者のためにかかる逃走劇がどのような結末をたどるかについてはここでは触れない。しかし度重なるフラッシュフォワード、とりわけ下巻の冒頭に記された文章から、読者はこの物語の結末近くに大きなカタストロフィが発生するであろうことを予感できるから、物語は全体として弓をぎりぎりと引き絞るような緊張感をたたえつつ進行する。

 最初に述べたとおり、私はキングの小説をほぼ翻訳が刊行されるタイミングで読んできたので、今となって最初期の作品を読んでいくつかの発見があった。まず感じたのは文字通りのリーダビリティである。これは逆に最近のキングが失った美点と言えるかもしれない。端的に言って最近のキングの小説は長すぎるのだ。例えば比較的近年に刊行された『異能機関』も超能力をもった少年少女とそれを利用しようとする秘密機関が登場する点において、この小説と同工異曲であり、原題の Institute もこの小説のshop と韻を踏むかのようである。しかしながら読みやすさという点では断然本書の方が勝っている。冒頭に掲げたキングの初期作品は『ザ・スタンド』という超大作を例外として、総じて短い。今年は作家活動の周年であるらしく、先にレヴューした『ビリー・サマーズ』のほかに文春文庫から『コロラド・キッド』と『死者は嘘をつかない』という中編集が刊行されたが、これらも比較的読みやすく楽しむことができた。松浦寿輝らの鼎談『20世紀の思想・文学・芸術』の中で、近年の小説の長大化を嘆くコメントに続いて、それがキングの小説を嚆矢とするという指摘があったことを覚えているが、分厚い二段組上下二巻というキングの小説の圧倒的物量は近年のものである。そして本書を通読するならば、初期のキングには一つの共通するテーマがあったことがわかる。それは超能力をもつがゆえの悲劇であり、『キャリー』と『デッド・ゾーン』の直接的な主題であり、『シャイニング』においても共有されている。この系譜は近年も『ドクター・スリープ』や『異能機関』へと継承されている。さらにあらためて思い出したのは初期キングの小説の背景をなす絶望感である。この点もまた近年の長編からは感じられないテイストである。『呪われた町』や『クージョ』あるいは『デッド・ゾーン』といった小説を読んだ時の救いのなさを私は忘れることができないし、それは当時流行していた凡百のホラー小説との決定的な相違でもあった。父と娘が圧倒的な力をもつ組織との対峙を迫られる本書も冒頭から一種の救いのなさを刻印されている。自ら実験に参加したアンディとヴィッキーはともかく、望まずして先天的に呪われた能力を賦与されたチャーリーが結末近く、「なにもあたしのせいじゃない、なにひとつあたしのせいじゃない」と叫ぶ場面は印象的である。

 ニクソン大統領を揶揄したポスターが貼られているというエピソードから本書はアンディとヴィッキーが出会う1969年に始まり、1970年代という時代を舞台としていることがわかる。本書のテーマである超能力の開発実験は荒唐無稽といってしまえばそれまでであるが、冷戦という背景を視野に収めるならば全くのナンセンスともいえない。そして2024年という時点で本書を読む時、本書は一つの陰謀史観に基づいていることも理解される。人間の超能力を兵器化しようとするマッド・サイエンティストとそれを操る影の組織。深町眞理子のあとがきにはキング自身がペーパーバック版に付したあとがきの中で、この物語が完全に空想の産物ではなく、当時アメリカとソビエト連邦が本書に類した薬物の投与実験や超能力の開発を行ってきたという事実が存在したと言明している。ちょうど一年前にこのブログでも論じた『エリア51』などを参照するならば、冷戦という構造の中で東西両陣営が相手より少しでも優位に立とうとしのぎを削る時代にあって、本書で語られる実験は全くのフィクションとはいえないかもしれない。政府を超えた存在、政治家と秘密組織の密約、この小説の底流にある陰謀史観が今日、キングが嫌悪するドナルド・トランプによっていわゆるディープステートとして広められている点は皮肉というしかない。。


# by gravity97 | 2024-12-29 10:49 | エンターテインメント | Comments(0)

優雅な生活が最高の復讐である

by クリティック