微妙…。
山田裕貴は良かった。とても良かったと言える。完全なるダメ男ではないのに、心がぐらっときた程だ。
これをもし30年前に観ていたら、もっと心に響いたかもしれない。何故なら、まず設定が30年前っぽい(とはいうものの、原作小説が上梓されたのは1991年だというからあながち遠くはないかな。設定は少なくとも20年前ではあったのだ)。…10代の頃書いた小説で賞を獲った青年が、その後の小説家稼業に挫折して、女にも愛想を尽かされ、挙句の他には先輩に寝取られる。銀座の文壇ならぬ飯能の場末のスナックで、同業者と酒に呑まれてクダを巻く。…こういう設定は、30年前ならアリだけれど、令和の今観てもなぁ、と思う訳だ。
そして30年前なら、私ももっと山田裕貴(演じる慎一)にグッときていたような気がする。それは私がもう「そういう年齢」でなくなったからだ、ということなのか…とつらつら考えてみるに、いや、そうではない、仮にこの話を観た今私が10代だったとしても、設定が30年前っぽい以上、心に引っかからないと思う、と結論づけた。
同様に、慎一と裕子(松本まりか)とその息子との一風変わった関係性と交流についても、30年前の設定ならかなり心に沁みていたと思う。実際にプレハブ小屋に移動して籠って小説を書くなんて、30年前ならありそうなことだ。瓶ビールもまた然り。舗装されていない砂利道、夜に響く電車の音。郷愁にさえなり得る。そしてそうだ。夜に聞こえる鳥の声も。 だから、この世界に浸るなら、ある程度心をタイムスリップさせなければならなかったのだ。この心のタイムスリップが、鑑賞中は何故か上手くいかなかった。後から思い返すとしみじみときたシーンはいくつもあって、タイムスリップできさえすれば、かなりハマったのではないかと思う。原作も含めて事前に全く情報を入れずに鑑賞するのも善し悪しだな、と思った。
(2022年邦画)