時を紡ぐ~Japan~ 公家も武なり、武家も公なり 源氏や平家は天皇家を出自として代表的武家となった。公家も武家を誕生させた。 例えば、西園寺家から四国へ下った者達は十五将となった。 我が国の貴族達も、外国の貴族達と同じように血を流し戦った。「お公家様」は作られたイメージに過ぎない。 2024.03.28 時を紡ぐ~Japan~
時を紡ぐ~Japan~ 筑後川の戦いが齎した九州の武将諸事情(1) 少弐頼尚は足利尊氏にとっては人生を救ってくれた大恩人の筈。 しかし尊氏は、頼尚の人の良さに付け込み利用するだけ利用して、恩を仇で返すが如き仕打ちを行った。 頼尚が、尊氏を救わず、後醍醐帝側に付いていたらもっと違う九州、もっと違う日本だった。 2024.03.27 時を紡ぐ~Japan~
時を紡ぐ~Japan~ 観応の攪乱と大内・少弐・大友、それぞれの事情 足利尊氏は、鎌倉幕府を倒すまでは英雄と言えたかもしれない。 しかし、西国の武将たちにとっては、けっして好ましい人物ではなかったかもしれない。 尊氏と後醍醐帝の争い、尊氏・直義の兄弟喧嘩などに振り回され、少弐氏などは破滅の道を歩む事になる。 2024.03.25 時を紡ぐ~Japan~
時を紡ぐ~Japan~ 信長と家康の同盟、その前に”弾正同盟”あり 三好長慶は、畿内6ヶ国、四国3ヶ国の計9ヶ国。更に、播磨、伊予、土佐の一部を支配下に収めた大大名。 そして、信長よりも先に将軍家を傀儡にして天下を掌握した。 長慶の最重臣・松永久秀は、家柄もなく実力だけでのし上がり、次の天下人を狙える位置にいた。 2023.12.02 時を紡ぐ~Japan~
時を紡ぐ~Japan~ 信長と家康の同盟、その前に武田あり 武田信玄と織田信長は、お互いを良く知っていた。 何故なら、美濃遠山氏が武田と織田に両属していて、情報の受け渡し役をしていたから。 信玄から信長へ、今川義元の動きは全て知らされていた。桶狭間の戦いは、信玄抜きでは語れないものである。 2023.11.26 時を紡ぐ~Japan~
時を紡ぐ~Japan~ 信長と家康の同盟はあったのか? 歴史物語では、信長と家康は幼馴染で旧知の仲だったとか、「桶狭間」の後、すぐに同盟関係が構築されたとか、 二人は近しい間柄のように描かれていますけど、それほど近しい間柄では無かったのでは? 寧ろ、余所余所しい関係だったのでは?という雑文です。 2023.11.23 時を紡ぐ~Japan~
時を紡ぐ~Japan~ 人は一代、名は末代 平安末期とも鎌倉初期とも云われるが、 "武"を生業とする人たち、即ち、武士として生きることが可能となった時、「ご先祖様の名を汚さぬ生き様(=死に様)」を心掛けるという、日本人の精神文化が芽吹いた。 「命を惜しむな、名こそ惜しめ!」実に潔い。 2023.10.31 時を紡ぐ~Japan~