梅月夜の夢物語り
ようこそ!冬灯(とうか)のブログへ。徒然に徒然なるがままに書き綴っています。主に自作の詩、サザン、役所広司さんやドニー・イェンなどなど。他にも興味があることを気の向くままに語っております。
2020'07.31 (Fri)
百人一首 ④
2020'07.30 (Thu)
決算! 忠臣蔵(邦画)
2020'07.29 (Wed)
はなみずき(自作の詩)
2020'07.28 (Tue)
Japaneggae(Sentimental)~サザン曲
2020'07.27 (Mon)
沈黙(小説)
島原の乱が収束して間もないころ、イエズス会の司祭で高名な神学者であるクリストヴァン・フェレイラが、布教に赴いた日本での苛酷な弾圧に屈して、棄教したという報せがローマにもたらされた。
フェレイラの弟子セバスチャン・ロドリゴとフランシス・ガルペは日本に潜入すべくマカオに立寄り、そこで軟弱な日本人キチジローと出会う。
キチジローの案内で五島列島に潜入したロドリゴは隠れキリシタンたちに歓迎されるが、やがて長崎奉行所に追われる身となる。
幕府に処刑され、殉教する信者たちを前に、ガルペは思わず彼らの元に駆け寄って命を落とす。ロドリゴはひたすら神の奇跡と勝利を祈るが、神は「沈黙」を通すのみであった。
逃亡するロドリゴはやがてキチジローの裏切りで密告され、捕らえられる。連行されるロドリゴの行列を、泣きながら必死で追いかけるキチジローの姿がそこにあった。
長崎奉行所でロドリゴは棄教した師のフェレイラと出会い、さらにかつては自身も信者であった長崎奉行の井上筑後守との対話を通じて、日本人にとって果たしてキリスト教は意味を持つのかという命題を突きつけられる。
奉行所の門前ではキチジローが何度も何度も、ロドリゴに会わせて欲しいと泣き叫んでは追い返されている。ロドリゴはその彼に軽蔑しか感じない。
神の栄光に満ちた殉教を期待して牢につながれたロドリゴに夜半、フェレイラが語りかける。
その説得を拒絶するロドリゴは、彼を悩ませていた遠くから響く鼾のような音を止めてくれと叫ぶ。
その言葉に驚いたフェレイラは、その声が鼾などではなく、拷問されている信者の声であること、その信者たちはすでに棄教を誓っているのに、ロドリゴが棄教しない限り許されないことを告げる。
自分の信仰を守るのか、自らの棄教という犠牲によって、イエスの教えに従い苦しむ人々を救うべきなのか、究極のジレンマを突きつけられたロドリゴは、フェレイラが棄教したのも同じ理由であったことを知るに及んで、ついに踏絵を踏むことを受け入れる。
夜明けに、ロドリゴは奉行所の中庭で踏絵を踏むことになる。
すり減った銅板に刻まれた「神」の顔に近づけた彼の足を襲う激しい痛み。
そのとき、踏絵のなかのイエスが「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。」と語りかける。
こうして踏絵を踏み、敗北に打ちひしがれたロドリゴを、裏切ったキチジローが許しを求めて訪ねる。イエスは再び、今度はキチジローの顔を通してロドリゴに語りかける。
「私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」「弱いものが強いものよりも苦しまなかったと、誰が言えるのか?」
踏絵を踏むことで初めて自分の信じる神の教えの意味を理解したロドリゴは、自分が今でもこの国で最後に残ったキリシタン司祭であることを自覚する。
江戸時代初期のキリシタン弾圧の渦中に置かれたポルトガル人の司祭を通じて、神と信仰の意義を命題に描いた。
宗教とは何なのか。
信仰とは何なのか。
その根本的な心の底を描いた素晴らしい作品。
頑な自分の持つ信仰心に純真に帰依している姿は確かに素晴らしいけど、逆にその深い思いが拒絶という行いにより、苦しみを生む。
聖職者としては辛く悲しい行為だろう。
だけど、私も迷わず踏み絵を踏むだろう。
形だけに拘らず、心の中の信仰は決して無くならないのだから。
今、目の前の苦しみを救ってあげれなくて、何が信仰なのか。
自分の言葉ひとつで、沢山の人たちの苦しみを救えるのなら踏み絵を踏むことになんの恥ずかしさがあろうか。
もしこの経験がなければロドリゴは本当の意味での悟りに到達できなかったに違いない。
文中でも語られているように、神は沈黙しているわけではない。
試練の中でロドリゴが真実に目覚めることを望んでいるのだ。
それに気づけた彼は、実は彼自身が一番救われたのかもしれない。
形ばかりに囚われない心。
本当の信仰心。
それは踏み絵を踏んだことぐらいでは消えるような単純なものではない。
そんなことを考えさせられた小説だった。
2020'07.26 (Sun)
震える牛(ドラマ)
田川信一は警視庁捜査一課継続捜査班の刑事。
ある日、田川は未解決の「中野駅前居酒屋強盗殺人事件」に疑問を抱き、捜査を開始する。
事件は5年前に発生。覆面姿の犯人が店員から金を奪い、店にいた獣医師と暴力団関係者を殺害した。初動捜査での犯人像は金目当ての外国人だった。
被害者同士の面識はなく、それぞれひとりで待ち合わせ相手を待っているところだった。
地道な聞き込みを重ねた田川は、食肉加工会社ミートボックスにたどり着く。
さらに事件の直後、殺害された獣医師の部屋に空き巣が入り、2台のパソコンのみが盗まれていたことが発覚する。
田川は、犯人の真の目的は金ではなく、2人を殺害することだったのではないかと疑念を抱く。
そんな最中に田川は、ニュースサイト「ビズトゥデイ」の記者の鶴田真純と再会する。
鶴田も読者から得た情報をもとに、悪評のあるミートボックスの食品偽装疑惑を探っているところだった。
ミートボックスは八田富之が社長を務める精肉卸会社であり、加工肉をスーパーや居酒屋などに卸していた。どこよりも安い加工肉を販売することで業績を伸ばしていたが、それは驚愕の食品偽装によって実現されていたものであった。
牛100%を謳っておきながら、実態は豚鳥ウサギ馬食用ネズミ果ては何の肉かもわからないものまで混ぜており、それも腐った冷凍肉を安く仕入れて腐った部分を削り取りって入れていたもので、臭いをとるために化学薬品で洗浄したものをひき肉にしていたのである。
捜査を進める上で田川は、オックスマートがBSEの隠蔽に関わっていたことを突き止めるに至ったものの、確たる証拠が掴めずにいた。そこに何者かからの力が働き、捜査自体が頓挫してしまう。
2020'07.25 (Sat)
花畑~ローダンゼ(自作の詩)
2020'07.24 (Fri)
画皮 あやかしの恋(ドニー・イェンさんの映画)
将軍・王生(ワン・シェン)は合戦の最中、盗賊に捕らえられていた若く美しい女、小唯(シャオウェイ)を救出し、故郷に連れ帰る。
故郷には、王生と相思相愛の妻・佩蓉(ペイロン)が待っていた。
佩蓉に事情を話し、親切にも、身寄りのない小唯を屋敷に住まわせる事にした王生。
しかし、小唯は人間の姿をしたキツネの妖魔だった。
王生に恋をした小唯は様々な妖術で彼を幻惑し、佩蓉から妻の座を奪おうと企む。
小唯が町へ来て以来、町では人の心臓がえぐり取られる猟期的な殺人事件が頻発する。
小唯を不審に思った佩蓉は、彼女が魔物で猟奇的な事件の犯人なのではないかと疑い、
2020'07.23 (Thu)
羅生門(小説)
背景は平安時代。飢饉や辻風(竜巻)などの天変地異が打ち続き、都は衰微していた。
ある暮れ方、荒廃した羅生門の下で若い下人が途方に暮れていた。
下人は数日前、仕えていた主人から解雇された。生活の糧を得る術も無い彼は、いっそこのまま盗賊になろうかと思いつめるが、どうしても「勇気」が出ない。
そんな折、羅生門の2階に人の気配を感じた彼は、興味を覚えて上へ昇ってみた。
楼閣の上には身寄りの無い遺体がいくつも捨てられていたが、その中に灯りが灯っている。
老婆が松明を灯しながら、若い女の遺体から髪を引き抜いているのである。
老婆の行為に激しい怒りを燃やした下人は刀を抜き、老婆に襲いかかった。
老婆は、抜いた髪で鬘を作って売ろうとしていた、と自身の行いを説明する。
さらに彼女はこう続ける。「抜いた髪で鬘を作ることは、悪いことだろう。だが、それは自分が生きるための仕方の無い行いだ。ここにいる死人も、生前は同じようなことをしていたのだ。
今自分が髪を抜いたこの女も、生前に蛇の干物を干魚だと偽って売り歩いていた。
それは、生きるために仕方が無く行った悪だ。だから自分が髪を抜いたとて、この女は許すであろう。」と。
髪を抜く老婆に正義の心から怒りを燃やしていた下人だったが、老婆の言葉を聞いて勇気が生まれる。そして老婆を組み伏せて着物をはぎ取るや「己(おれ)もそうしなければ、餓死をする体なのだ。」と言い残し、漆黒の闇の中へ消えていった。
下人の行方は、誰も知らない。
最初に読んだのは中学生の時の国語の時間。
衝撃的な内容に心を鷲掴みされたのを今でも覚えている。
『今昔物語集』の本朝世俗部巻二十九「羅城門登上層見死人盗人語第十八」を基に、巻三十一「太刀帯陣売魚姫語第三十一」の内容を一部に交える形で書かれたものである。
生きるための悪という人間のエゴイズムを克明に描き出している。
悪とはなんなのだろう。
生きている人間から髪や服を奪うのは完全に犯罪行為だけど、死んでいる人間から奪って生きるため仕方なく行うこと、これも完全に悪と言い切れるのか。
細かいことをいえば犯罪名が付いているのだろうけど、ここでいう悪とは生きているか、死んでいるかの違いだ。
老婆の言葉で勇気を得てしまった下人。しかも生きている老婆から服をはぎ取ってしまう。
これは完全に悪の所業であろうが、彼の行為は、勇気というよりも腹をくくったといった方が納得できるかもしれない。
生きていくための所業。最初は正義感で老婆を叱責するも、自身のエゴイズムを後押しされてしまい、結局は悪に手を染めてしまう。
私だったら?
職もなく、今日食べるものもなく、住む場所さえもしない状況下であったなら?
やはりこのふたりのように盗んだかもしれない。
人間というのは自分勝手な生き物だ。
なんにでも理由をつけて正当化しようとする。
「生きていくため」
こんな言葉を用意されたら許してしまう罪もある。
まさしく老婆のように罪であっても同情心でもって許されてしまうだろう。
そんな老婆に触発されて下人は「なら自分も」と思ってしまった上で悪に走ってしまう。
生きていくための「悪」
ひじょうに考えさせられる内容の作品だ。
2020'07.22 (Wed)