仕事が終わっても、まだ論争が続いてるので、少し語りたい。 まず、かつてオタクは差別されていた。 これは、多くの資料によって証明されている。 次に、今日に至る過程において、オタク差別は徐々に解消されてきている。
2018-04-22 20:42:26一部左派は「ネトウヨ=オタク」としているが、それは誤りだ。 また、多くの古いオタクたちは、元々左派寄りであり、在特会が誕生し、有名になるにつれて、彼らは「日本の恥」として嘆いた。 一部左派、オタク叩きをしている彼らは、オタク叩きの理由として人種差別をとりあげるが、これも間違いだ。
2018-04-22 20:48:07彼らが語るオタクのネトウヨ像というのは、Twitterなどで見かけるアニメアイコン右派であろう。 このアニメアイコン右派が元で、オタク=差別主義者としているのであろうが、彼らのルーツを紐解けば、それは間違いだと気付けるはずだ。
2018-04-22 20:54:41そもそも、ネトウヨというのは、かつては肩身の狭い存在であった。 ネット黎明期は、左派の力が強く、軍事サイトでもガチウヨお断りなど、思想信条としては左派であると説明書きがあった。 ギリギリ存在していた右派サイトは、右翼民族派のサイトであった。
2018-04-22 20:58:03状況が変わったのは、2004年頃であり、2chで極東板から東亜板が誕生したあたりであった。 この時期、主な叩き先は米国であり、元祖ネトウヨたちは、小林よしのりの影響力が強く、彼らはオタクから「コヴァ」と呼ばれバカにされていた。 既にこの時点で、オタク=差別主義者という図式は崩れている。
2018-04-22 21:03:57同時期、更に大きく、私が知る限り、史上最大のイベントがあった。 「パールハーバー地上波放送実況」である。 間違いなく、反差別運動家たちにとって、悪夢の幕開けと言わざるを得ないタイミングであった。
2018-04-22 21:09:19この時期、ネットは一部主婦や、中高生でも気軽にアクセス出来るようになってきていた。 つまり、ネットはもう、オタクだけのものでなくなっていた。 そこに更に、サッカーワールドカップによる愛国ブーム、コヴァのFlash動画を使った緩やかな増殖が重なっていた。
2018-04-22 21:13:27パールハーバー地上波放送イベントは、放送が決まった日から、なんと準備イベントや、リハーサルまで行われていた。 放送開始までのカウントダウンもあり、告知のためのFlash動画まで作られた。 当日、2chだけでなく、掲示板という掲示板が吹き飛ぶほどの盛況となった。
2018-04-22 21:16:20この実況の日以降、ネット上におけるネトウヨの時代が到来し、左派に対してはあちらこちらでブサヨというレッテル貼りが巻き起こり、今に続くムードの下地が完成した。 ……という重大なイベントだったのだが、何故か誰も触れていない。
2018-04-22 21:20:23同時に、ネトウヨが韓国や中国に加えて、米に対しても敵意を持っていたり、この重大なイベントの時点で、既にネトウヨ=オタクではなく、大勢の非オタクもネットを使っていたということを考えなくてはならない。
2018-04-22 21:26:56ネトウヨが米を叩きの対象から外したのは、イベント以降で、主に東亜板が役目を果たした。 彼らの影響力は大きく、また粘り強かった。 ただし、他のオタクたちの活躍により、東亜板への封じ込めという形で行動半径を限られたものに留められていた。
2018-04-22 21:33:44しかし、彼らネトウヨは粘り強く、チームワークも優れてもいたため、ニコ動がメジャーになるまでは、ネトウヨでなければ叩かれるというムードが各地でしばし起きており、非ネトウヨのオタとの溝を日々深めていた。 (東亜板はコテハン率の高さでも有名であった)
2018-04-22 21:37:38こうしたムードの中で誕生したのが、ニコ動だ。 ネトウヨはパールハーバーイベントもあり、動画に対して強い関心を寄せており、すぐさま乗り込み、ニコ動を右で染め上げた。 初期のニコ動は違法アップ動画も多数あり、また、左派はツベを基軸ともしたので、ネトウヨの聖地となった。
2018-04-22 21:43:39時代は少し前後するが、性差別問題としては、どうだろうか? ニコ動が誕生する2年ほど前には「メイド喫茶・コスプレ論争」が若いオタクの中で度々起きていた。 主として「二次元に対する侮辱」「新たな仲間を歓迎する」という二論であった。 当然でもあるが、ここでもオタクは、意見が分かれていた。
2018-04-22 21:48:35時代は戻り、ニコ動誕生時へ。 この時期でも、あまり語られていないイベントが起きている。 「秋葉原解放デモ」である。 左派寄りのオタク+ガチ左派がタッグを組み、実際に秋葉原でデモを実施した。 左派寄りのオタは死しておらず、非モテ運動が活発になりつつあった。
2018-04-22 21:54:20また、同時期にメカビなど、どちらかというと左派の色合いが強い雑誌などがオタクの間で生まれていた。 しかし、ニコ動では大きなうねりが起きつつあった。 主権回復を目指す会・在特会の誕生と躍進である。
2018-04-22 21:57:23左派のオタは、在特会を全力で叩き始めた。 文字通り、全力で。 というのも、この時期、鳩山由紀夫がオタク雑誌の表紙を飾り、まなびストレートというアニメでは、学生闘争を模したシーンがあるなど、共産趣味ではない、左派系オタの絶頂期でもあったからだ。
2018-04-22 22:01:29しかし、左派寄りオタは敗北した。 最初に、秋葉原解放デモ委員会は幹部の極左メンバー疑惑などがあり、第二弾は実施されずグチャグチャとなり、次にニコ動で袋叩きにされ、2chでは右派がどこにでも現れ、次第に居場所を失っていった。
2018-04-22 22:05:26この背景には、やはり非オタクの右派が、元祖ネトウヨとタッグを組み終えた、というのが大きいだろう。 それは地道ではあったが、パールハーバーイベントから続く「右派=カッコイイ!」という宣伝工作が実を結んだ姿でもあった。
2018-04-22 22:08:26Twitterが誕生すると、生き延びた左派たちはいち早く、しかし半ば諦めムードも漂わせながら、米国版時代のTwitterアカウントを取得し、しばしの平和を満喫した。 この頃になると、もはやmixiは住み分けがあり、まだ呼吸が出来たが、他のSNSサイトや、個人サイトでさえ、右派に占領されていた。
2018-04-22 22:11:02ここで注目すべきは、もはや完全に、ネトウヨ=オタクではなくなっていたことだ。 いわゆる携帯サイトのSNSでは、どう見ても反オタクだろという人物たちが、特亜を連呼し、右派丸出しの発言を繰り返す場面がよく見られた。 当のオタクたちは、そうしたSNSサイトでは波風立てずに大人しく過ごしていた。
2018-04-22 22:16:20Twitterが右派で染まり始めたのは、尖閣ビデオ事件が起きたあたりであった。 その日までは、どちらかというと、JCPがTwitterを活用し、支持するオタや左派たちが比較的のんびり過ごしていた。
2018-04-22 22:19:27完全に状況が変わったのは、桜井誠がTwitterを活用し始めてからだ。 この頃になると、実際に体験はしていない者も多いだろうが、パールハーバーイベントと、東亜板の血をネトウヨという属性として受け継いでいる彼らは、ここでもチームプレイを見せ、瞬く間に増殖した。
2018-04-22 22:25:04しかし、この時点では、まだ左派系オタは頑張りを見せていた。 同時に、反規制派が、その地盤のような存在として活躍もしていた。 更に、当時の反規制派の拠点としては2chの反規制派スレがあったが、度々しつこいネトウヨの襲来があり、反感をかっていた。 連合が規制署名を実施しても、である。
2018-04-22 22:29:44さて、長いオタクとネトウヨの物語であったが、最終章みたいな時代に差し掛かる。 それは、しばき隊(現C.R.A.C.)の登場である。 実は、これが最悪の出来事ともなった。 しばき隊たちが、生半可な知識でオタク叩きを開始したため、多くの左派寄りオタクたちを不愉快にさせることとなった。
2018-04-22 22:33:22岩崎元是さん(@otokabe_master)のファンサイトを細々とやっております。 http://m-iwasaki.info/ I like:大瀧詠一/山下達郎/Paul McCartney/佐藤隆(桃色吐息の人)/高橋ひろ(幽白EDの人)/松尾清憲(めぞんOPの人)/GARDEN(ポケモンの歌のの人)