仕方ないと言う気持ち - 野焼きは楽し
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仕方ないと言う気持ち

朝、電話。
少し遅くに話した。
「おはようございま~す。」
「おはようございますっ。」
電話のかけ方談義。
奥さんの実家に行った事。
お義母さんに会った事。
「元気にしておられたかね?」
「うん、何とか元気にしておられたよ。」
「ほりゃあええわ。」
「奥さんも嬉しそうだったよ。今朝は、温かいミルクを飲んだよ。」
「みんな健康ですか?」
「みんな健康にしとるけど、わしが・・・。いつもの話。カウンセリングと一割負担の事。お医者さん行くと、安心して楽になるじゃ。」良い事を言った。
「AもBも元気だよ。」私が上手く話せない。「AもBも正月には帰って来るみたい。」
「電話のかけ方が分かった。ハハ。」
「わしもかけるけど、母ちゃんもかけてくれよ。朝の五時頃起きて、写経をしてた。だから、これから一緒にしよか?」
「魔訶般若波羅密多か?」
「そうそう。」
「ええよ。」
二階に上がった。
戸を開けると、明るく暖かかった。
一緒に読んだ。
ゆっくりと。ほぼ四分。普通はこれより一分ほど速い。そんなこと、どうでもいいよな。一緒に読めたから良いよな。
とてもとてもゆっくりだ。
門前の小僧は健在だった。
実家で、親父と、私と読んでいたなあ。
「チーン。ハハハ。」おりんを持って上がるのを忘れてた。
「へへへ。」
「はぁ、久しぶりに一緒に読んだなあ。」
「ここは、あんたの所から遠いかな?」
「大体の、一里半だね。」本当は二里弱。
「近いなあ。ほやけど面会は来れんでしょう。」
「あのね十一月だけ、一週間に一回、面会ができるよ。コロナが治まって来たからね。コロナはどうなるかわからんけどな。おばさんも、脚が痛いと言ってるけど、お母さんに会いたいから来ると言ってくれてるよ。入り口の所で会えるよ。」
「玄関のとこな。」空間認識OK。
「間近になったら、教えてくださると思うよ。」
「ほうやなあ。」
「んだから、十一月になったら、すぐ行くようにするでの。」
「待っとるわ。」
「わしも病持ちやけど、ご飯食べて、何とかやってるからね。母ちゃんも、しっかりご飯食べて、ゆっくり寝てちょうだい。」
「ありがと。もらっただけは食べてるよ。」大したもんだ。そして感謝。
「春になったら、またちょっとお泊りしよう。」
「ほうやなあ、そういう、ええふうになると良いなあ。」
「そういうふうにしよう。あんまり長い事話してると、えらくなっちゃうといかんで、そろそろ終わろうか。」
「ほうやなあ。は~い。」
「ほんじゃあねえ。」
「はい。」

いつもは、もう少し書ける写経も、気持ちがついて行かなかった。
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朝食で、奥さんと色々話した。

神社へ。
二百三十一度目。
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七五三のご家族がいらっしゃった。
私はその横を、ゆっくりすり抜けた。
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私にもあった風景だ。
もう、ずっと昔からそうなのだ。

実家へ。
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赤くなり、葉も伸びてきた。
それぞれの生き方をしているのだな。

お経。
DSC_2229 (1)
ノーマル。
木魚も、おりんも打てた。
頭の中を、何かがグルグルまわっている。
仕方が無いのだ。

帰宅。
奥さんが、コンポストの中身をかき混ぜた。
今日が入れ替えの日だったことを、昨日までは覚えていたが、今日はすっかり抜け落ちていた。
仕方が無いのだ。
ほぼ、土に戻っていた。
そして、柔らかくなっていた。
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引っ越しした新参者です

プロフィール

新ちゃん

Author:新ちゃん
もみがらで粘土の野焼きをしています。もう100回ほどしてきました。破損率は1%ほどです。地味なやり方なので、火を囲んでワイワイという楽しみはありませんが確実に焼けます。
母の圧迫骨折や、大腿骨骨折による通い介護と在宅介護。、2017年8月26日に父が胃がんで亡くなるまで、在宅介護を続け、引き続いて要介護2の母を在宅介護していましたが、自分の病気により、それもできなくなり、GHのお世話になって現在に至ります。
ここ4年は介護のブログです。
2022年2月12日、お袋をGHで看取りました。
しばらくは、泣こうと思います。

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