静かだった - 野焼きは楽し
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静かだった

朝、電話。いつもいつもありがとうございます。
「おはようございま~す。」
「おはようございま~す。今日はさっと取れたなあ。ちょうど良かった。」
「もう、ご飯は食べ終わったけれど、いっぺんも起きずに寝れたわ。」
「ほうかぁ。」
「今、いっぷくしとるとこ。」
「ふ~ん。じゃあ、もうすぐコーヒーいただけるのかねえ。」
「もう、いただいた。」
「そうか、そうか。」
「いいなあ、毎日コーヒー飲んで。わしも牛乳の温かいのをいただいたぞ。」
「ほっかあ。」
「あのね、今ね、奥さんがね、たい肥作りをしとるぞ。」
「ふ~ん。」
「生ごみを細かく刻んで、土の中に埋めて、土に戻すそうや。」
「ふ~ん。」
「十日もすると、影も形も無くなっちゃうわ。」
「ほうかぁ。」
「バクテリアの力は凄いなあ。」
「コーヒー飲んでる。」
「土も良くなるし、ゴミも減るからええこっちゃ。実家の植木も、また新しいのが生えてきたしの。」
「あぁ、ほうか。」
「あんたが世話してくれとるで生きとるよ。」
「それはわしの日課や。来年の三月になったら、母ちゃん水遣ってくれよ。」
「帰れるかな?」
「コロナやインフルエンザが治まっていたら、できると思うよ。」
「目に見えんでいかんなあ。」
「ほやけどGHにいさせてもらうから、安全やからねえ。」
「ほうやなあ。」
「マスクはよ~く使ったなあ。いつもは何してんの?」
「寝とることが多いわ。」
「そうか、そうか。」省エネだな。
「わしも寝とること多いよ。」
「そぅお?」
「一緒、一緒。」
「コーヒーをいただきます。」
「ん、分かったへへへ。」
「いつまで生きるやしらんけどなあ。」
「こうやって話せるからなあ。」
「顔見んでも話せるでなあ。」
「テレビ電話もできるしなあ。その時、魔訶般若しよか。わしが書いたやつで。」
「いいよぉ。」
「わしも見な言えんからねえ。」
「んならね。」
「は~い。ほんじゃあねえ。」

神社へ。
昨日よりは落ち着いて、前を見ることができたように思う。
二百二十九度目。
DSC_2193.jpg
深々と、ゆっくりと拝礼できた。

実家へ。
ご近所さんのシャッターは、今日も降りていた。
InkedDSC_2197_LI12.jpg
仏壇に向かった。
フルフル。
木魚は打たず、休み休み読んだ。
おりんをていねいに打った。
合掌して、長く響いた音を最後まで聞いていた。
ろうそくと線香を新しくした。

読み終わって、じっとしてた。
静かだった。
子どもの頃、裏の箱作り屋さんの電動のこぎりの音が、一日中聞こえていた。
少し大きくなった頃、向かいの家が火事になった。
私は、震えてお袋にしがみついていた。
もう少し経つと、スナックができた。
裏通りもいっぱいできた。
その頃には、箱屋さんは廃業されていた。
この頃、物が遠くに見えたり、激しい頭痛になることが多かった。
本当に激しい痛みだったな。
病院で検査したけど、何とも無かった。
多分ストレスだったんだろうな。
毎夜、カラオケのダミ声が響いていた。
ちょうど受験生の頃だった。
耳に栓をしても、ダメだったな。

今は何も聞こえない。
その当時からの人は、もう二人しかいない。
子どもも二人。
あの頃は、子どもだらけで、みんなで遊んだな。
「やかましい!あっち行って遊べ!」
そう言って、怒られたのも懐かしい。
怒った方も、若くして亡くなられたな。
随分、随分変わった。
静けさが、寂しさを誘う。
今は、そういう所が多い。
歩いて数分のアーケードのある商店街も、9割がシャッターを下ろしている。
アーケードができた頃、商店街の人が、嬉しそうに見上げていたのを思い出す。

病院へ。
特定健康診断で、十分の一のお金で検査してもらえる。
有難く受けた。
11月の1日は、被爆二世の健康診断。
これも無料。
歳も取ったし、これからは毎年受けに行こう。
現役の時、職場で、
「私は、こういう検査を受けられます。」と言って、健康診断のお知らせの書類を見せたことがある。
そう言っても、関心は示されなかった。
自分の事じゃないもんな。
遠い過去のことだ。
でも、ビキニで、ついこの間のJCOの事故で(画像は私でも正視できないほど酷い)、大地震で、たくさんの人が被爆した。
みんな自分のことにならないと、分かんないからね。
介護も同じだよな。

帰宅した。
途中で100円ショップに寄って、充電電池と普通のアルカリ電池を購入した。
何でも安く買える世の中って、正しいのかな。

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引っ越しした新参者です

プロフィール

新ちゃん

Author:新ちゃん
もみがらで粘土の野焼きをしています。もう100回ほどしてきました。破損率は1%ほどです。地味なやり方なので、火を囲んでワイワイという楽しみはありませんが確実に焼けます。
母の圧迫骨折や、大腿骨骨折による通い介護と在宅介護。、2017年8月26日に父が胃がんで亡くなるまで、在宅介護を続け、引き続いて要介護2の母を在宅介護していましたが、自分の病気により、それもできなくなり、GHのお世話になって現在に至ります。
ここ4年は介護のブログです。
2022年2月12日、お袋をGHで看取りました。
しばらくは、泣こうと思います。

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