静かだった
- 2021/10/20
- 20:04
朝、電話。いつもいつもありがとうございます。
「おはようございま~す。」
「おはようございま~す。今日はさっと取れたなあ。ちょうど良かった。」
「もう、ご飯は食べ終わったけれど、いっぺんも起きずに寝れたわ。」
「ほうかぁ。」
「今、いっぷくしとるとこ。」
「ふ~ん。じゃあ、もうすぐコーヒーいただけるのかねえ。」
「もう、いただいた。」
「そうか、そうか。」
「いいなあ、毎日コーヒー飲んで。わしも牛乳の温かいのをいただいたぞ。」
「ほっかあ。」
「あのね、今ね、奥さんがね、たい肥作りをしとるぞ。」
「ふ~ん。」
「生ごみを細かく刻んで、土の中に埋めて、土に戻すそうや。」
「ふ~ん。」
「十日もすると、影も形も無くなっちゃうわ。」
「ほうかぁ。」
「バクテリアの力は凄いなあ。」
「コーヒー飲んでる。」
「土も良くなるし、ゴミも減るからええこっちゃ。実家の植木も、また新しいのが生えてきたしの。」
「あぁ、ほうか。」
「あんたが世話してくれとるで生きとるよ。」
「それはわしの日課や。来年の三月になったら、母ちゃん水遣ってくれよ。」
「帰れるかな?」
「コロナやインフルエンザが治まっていたら、できると思うよ。」
「目に見えんでいかんなあ。」
「ほやけどGHにいさせてもらうから、安全やからねえ。」
「ほうやなあ。」
「マスクはよ~く使ったなあ。いつもは何してんの?」
「寝とることが多いわ。」
「そうか、そうか。」省エネだな。
「わしも寝とること多いよ。」
「そぅお?」
「一緒、一緒。」
「コーヒーをいただきます。」
「ん、分かったへへへ。」
「いつまで生きるやしらんけどなあ。」
「こうやって話せるからなあ。」
「顔見んでも話せるでなあ。」
「テレビ電話もできるしなあ。その時、魔訶般若しよか。わしが書いたやつで。」
「いいよぉ。」
「わしも見な言えんからねえ。」
「んならね。」
「は~い。ほんじゃあねえ。」
神社へ。
昨日よりは落ち着いて、前を見ることができたように思う。
二百二十九度目。
深々と、ゆっくりと拝礼できた。
実家へ。
ご近所さんのシャッターは、今日も降りていた。
仏壇に向かった。
フルフル。
木魚は打たず、休み休み読んだ。
おりんをていねいに打った。
合掌して、長く響いた音を最後まで聞いていた。
ろうそくと線香を新しくした。
読み終わって、じっとしてた。
静かだった。
子どもの頃、裏の箱作り屋さんの電動のこぎりの音が、一日中聞こえていた。
少し大きくなった頃、向かいの家が火事になった。
私は、震えてお袋にしがみついていた。
もう少し経つと、スナックができた。
裏通りもいっぱいできた。
その頃には、箱屋さんは廃業されていた。
この頃、物が遠くに見えたり、激しい頭痛になることが多かった。
本当に激しい痛みだったな。
病院で検査したけど、何とも無かった。
多分ストレスだったんだろうな。
毎夜、カラオケのダミ声が響いていた。
ちょうど受験生の頃だった。
耳に栓をしても、ダメだったな。
今は何も聞こえない。
その当時からの人は、もう二人しかいない。
子どもも二人。
あの頃は、子どもだらけで、みんなで遊んだな。
「やかましい!あっち行って遊べ!」
そう言って、怒られたのも懐かしい。
怒った方も、若くして亡くなられたな。
随分、随分変わった。
静けさが、寂しさを誘う。
今は、そういう所が多い。
歩いて数分のアーケードのある商店街も、9割がシャッターを下ろしている。
アーケードができた頃、商店街の人が、嬉しそうに見上げていたのを思い出す。
病院へ。
特定健康診断で、十分の一のお金で検査してもらえる。
有難く受けた。
11月の1日は、被爆二世の健康診断。
これも無料。
歳も取ったし、これからは毎年受けに行こう。
現役の時、職場で、
「私は、こういう検査を受けられます。」と言って、健康診断のお知らせの書類を見せたことがある。
そう言っても、関心は示されなかった。
自分の事じゃないもんな。
遠い過去のことだ。
でも、ビキニで、ついこの間のJCOの事故で(画像は私でも正視できないほど酷い)、大地震で、たくさんの人が被爆した。
みんな自分のことにならないと、分かんないからね。
介護も同じだよな。
帰宅した。
途中で100円ショップに寄って、充電電池と普通のアルカリ電池を購入した。
何でも安く買える世の中って、正しいのかな。
「おはようございま~す。」
「おはようございま~す。今日はさっと取れたなあ。ちょうど良かった。」
「もう、ご飯は食べ終わったけれど、いっぺんも起きずに寝れたわ。」
「ほうかぁ。」
「今、いっぷくしとるとこ。」
「ふ~ん。じゃあ、もうすぐコーヒーいただけるのかねえ。」
「もう、いただいた。」
「そうか、そうか。」
「いいなあ、毎日コーヒー飲んで。わしも牛乳の温かいのをいただいたぞ。」
「ほっかあ。」
「あのね、今ね、奥さんがね、たい肥作りをしとるぞ。」
「ふ~ん。」
「生ごみを細かく刻んで、土の中に埋めて、土に戻すそうや。」
「ふ~ん。」
「十日もすると、影も形も無くなっちゃうわ。」
「ほうかぁ。」
「バクテリアの力は凄いなあ。」
「コーヒー飲んでる。」
「土も良くなるし、ゴミも減るからええこっちゃ。実家の植木も、また新しいのが生えてきたしの。」
「あぁ、ほうか。」
「あんたが世話してくれとるで生きとるよ。」
「それはわしの日課や。来年の三月になったら、母ちゃん水遣ってくれよ。」
「帰れるかな?」
「コロナやインフルエンザが治まっていたら、できると思うよ。」
「目に見えんでいかんなあ。」
「ほやけどGHにいさせてもらうから、安全やからねえ。」
「ほうやなあ。」
「マスクはよ~く使ったなあ。いつもは何してんの?」
「寝とることが多いわ。」
「そうか、そうか。」省エネだな。
「わしも寝とること多いよ。」
「そぅお?」
「一緒、一緒。」
「コーヒーをいただきます。」
「ん、分かったへへへ。」
「いつまで生きるやしらんけどなあ。」
「こうやって話せるからなあ。」
「顔見んでも話せるでなあ。」
「テレビ電話もできるしなあ。その時、魔訶般若しよか。わしが書いたやつで。」
「いいよぉ。」
「わしも見な言えんからねえ。」
「んならね。」
「は~い。ほんじゃあねえ。」
神社へ。
昨日よりは落ち着いて、前を見ることができたように思う。
二百二十九度目。
深々と、ゆっくりと拝礼できた。
実家へ。
ご近所さんのシャッターは、今日も降りていた。
仏壇に向かった。
フルフル。
木魚は打たず、休み休み読んだ。
おりんをていねいに打った。
合掌して、長く響いた音を最後まで聞いていた。
ろうそくと線香を新しくした。
読み終わって、じっとしてた。
静かだった。
子どもの頃、裏の箱作り屋さんの電動のこぎりの音が、一日中聞こえていた。
少し大きくなった頃、向かいの家が火事になった。
私は、震えてお袋にしがみついていた。
もう少し経つと、スナックができた。
裏通りもいっぱいできた。
その頃には、箱屋さんは廃業されていた。
この頃、物が遠くに見えたり、激しい頭痛になることが多かった。
本当に激しい痛みだったな。
病院で検査したけど、何とも無かった。
多分ストレスだったんだろうな。
毎夜、カラオケのダミ声が響いていた。
ちょうど受験生の頃だった。
耳に栓をしても、ダメだったな。
今は何も聞こえない。
その当時からの人は、もう二人しかいない。
子どもも二人。
あの頃は、子どもだらけで、みんなで遊んだな。
「やかましい!あっち行って遊べ!」
そう言って、怒られたのも懐かしい。
怒った方も、若くして亡くなられたな。
随分、随分変わった。
静けさが、寂しさを誘う。
今は、そういう所が多い。
歩いて数分のアーケードのある商店街も、9割がシャッターを下ろしている。
アーケードができた頃、商店街の人が、嬉しそうに見上げていたのを思い出す。
病院へ。
特定健康診断で、十分の一のお金で検査してもらえる。
有難く受けた。
11月の1日は、被爆二世の健康診断。
これも無料。
歳も取ったし、これからは毎年受けに行こう。
現役の時、職場で、
「私は、こういう検査を受けられます。」と言って、健康診断のお知らせの書類を見せたことがある。
そう言っても、関心は示されなかった。
自分の事じゃないもんな。
遠い過去のことだ。
でも、ビキニで、ついこの間のJCOの事故で(画像は私でも正視できないほど酷い)、大地震で、たくさんの人が被爆した。
みんな自分のことにならないと、分かんないからね。
介護も同じだよな。
帰宅した。
途中で100円ショップに寄って、充電電池と普通のアルカリ電池を購入した。
何でも安く買える世の中って、正しいのかな。