ふと、あ、と思い出してとある文章を読み返してみた。これである。
端的にいうと今の私はアセクシュアルですよ、アロマンティックですよというのと、それについて諸々思っていることをまとめた文章である。自分で言うのもなんだけれど、なかなか魂のこもった、まじめな文章だと思う。
そもそもなんで思い出したのかというと、Aceweekというのを今年もやるよ、というのをTwitterもといXで見かけたからだった。いわゆる啓発週間というやつで、この週は特にアセクシュアルについて色々考えたり発信したり(できる人は)していこう、という取り組みである。考えてみれば、上の記事も昨年のAceweekに合わせるかたちで書いたのだった。
わりあい直近に書いたものだと勝手に思っていたけれど、これを公開してから何気に1年が経つわけで、まあまあ驚いている。
上の記事には思ったよりもかなり多くのリアクションがあった。まあ中にはえーとそういうことを言ってんじゃないんだよな、というものもあったけれど、ほとんどは温かく、私を前向きにさせてくれる内容で、大変ほっとしたのを憶えている。
ここ1年の間のことを振り返ってみると、アセクシュアル/アロマンティック(以下Ace/Aro)に関するZINEや小説が登場したり、アニメのキャラでAce/Aroが公式設定になっているのが出てきたりと、じわじわとではあるがAce/Aroという存在が世間に浸透してきているのかな、という希望めいた感覚がある。
一方でいまだに恋愛(特に異性愛)至上主義的な言説や、性愛を前提としたパートナーシップに関する情報提供が我が元に舞い込んできたりするとうーんまだまだやなあ、という気持ちにはなる。それとは別に、Ace/Aroはその特質上あまり矢面に立たされることが少ない印象だけれど、性的少数者があからさまな差別の対象とされる言説、これはもうずーっと続いている。これには断固として拒否・抗議すると明言しておく。少数の属性をもつ人々に対する根拠なき偏見に基づく差別はまったくもって間違いであって、重大な権利侵害であると。
ごく最近参加した読書会で、わかること/わかりあえないこと、というのが話の中心にあがった。「どうしてもわかりあえないであろう人にわかってもらうためにはどうしたらいいか」「わかってもらうためにこちらが払う痛みのことはどう割り切ればよいのか」など。
そして、「世界を変えるには」というのも話にあがった。自分の環境のなかで変化を望むポイントにどうアクセスしていくか。
会の最中、話を聞いているあいだは呑気にも「この人はちゃんと世界に向き合って考えを深めているな……」などと考えていたのだが、帰路でふと「あ、これかもしれん」と思った。これというのは要するに、読書会であがった問いが、私にとっては自身のセクシュアリティと密接に関係するものなんじゃないかということである(もちろんそれ「だけ」ではないですけど)。
『転がる岩、君に朝が降る』の「出来れば世界を僕は塗り替えたい」じゃないけれど、少なくとも一般的に「正しい」とされている世界の輪郭に一発蹴りを入れることぐらいはできるんじゃないかと思った。
まずは女と男は2人セットでいるのが普通であってそれ以外は異常だ、という「正しさ」がなくなってほしいし、そのうえで(これはAce/Aroであろうとあるまいと関係なく)シングルでいることを選択する人への理解も深まってほしい。このように希求することを世界への干渉と言ってよいのなら、今後も私はそういったかたちで干渉を続けるし、それがなんらかの形で成果になったならばそれを喜びたいと思う。「わからない/わかりあえない」にも敢えて向かい合いたいと思う。
という、さしあたり1年区切りの現在地確認でした。