ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝 永遠と自動手記人形 Old Dancer's BLOG
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ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝 永遠と自動手記人形
 昨年(2019年)9月に劇場公開された、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝~永遠と自動手記人形~」のレビューを、遅まきながらお届けいたします。

 公開から1年も経ってのレビューとなったのは、私にはもう映画館で鑑賞した内容を自宅でレビューにまとめ上げるだけの気力も体力も無かったり、市販ディスクが出たのが新型コロナ騒動やら自分の職場が変わるやらの最悪のタイミングだったりしたことが遠因ですが、ええい正直に言いましょう!結局は、私に根性がなかったからです!

 しかし、ただ漫然と過ごしていたわけではないんです…「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が二回の延期を乗り越えてようやく公開になろうというのに、本当にこの作品について何も書かずにいていいのか、と、自分を責める声がずっと脳内で鳴ってたんですよ…。その自問自責の日々を延々と、無為に重ねるばかりの私でしたが、ここに来てどうにか重い腰を上げることができ、出来る範囲のことを何とか積み上げてこの記事の公開まで漕ぎつけたわけです。

 もし、この私の拙いレビューをずっとお待ちの方がいらしたなら、本当にごめんなさい、そして大変お待たせ致しました!また、たまたまこの拙文が目に留まった方がいらっしゃるなら、ようこそおいで下さいました!この先の駄文に、しばしお付き合いいただければと思います。

 また、萎えがちな私のことを決して諦めず、ヴァイオレット・エヴァーガーデン記事への日々のアクセスにより叱咤激励し続けていただいた方々に、この場を借りて厚く御礼申し上げます。
 
 ではまず、最初に…本作に関わる二つの疑問に触れておきたいと思います。それは私がこの作品を初めて見終えた時、最初に頭に浮かんだものなのですが、いずれもこの作品の外枠と言いますか、描きたいものに関わる重要なものだと思うのですね。

 一つは、「何故、この作品は『外伝』とされているのか」。

 そしてもう一つは、「この作品の副題になっている『永遠』は、一体何を意味するのか」です。



 前者~この作品が「外伝」とされている理由の方は、比較的早くに、これが正解だろうと思うものに辿り着きました。外伝の反対、いわゆる「正典」と呼べそうなものは、現時点ではテレビシリーズ+未放映話で構成される全14話の既発アニメ作品であると思われます(原作小説を正典とするお立場の方もおられると思いますが、私は今回のアニメでの「外伝」に対応する意味での正典は、やはりアニメ版であると考えています)。それら正典にはきちんと描かれていて、この外伝には描かれていないものは何でしょうか。

 「それは『ヴァイオレットの成長譚』であり、本作はヴァイオレットの成長を主軸にしていないから外伝なのだ」というのが私の考えです。

 いやいやちょっと待て、本作にもそういう部分、あるだろ?中盤のヴァイオレットのセリフにある、ほら、これ!

「イザベラ様は、私に、
 初めての友達を与えてくださいました。」


 …なるほど、確かにこれに類似する~ヴァイオレットが初めて得たものに言及する~ようなフォーマットのセリフは、テレビシリーズにも頻出していましたよね。そして、この手のセリフで言及されるヴァイオレットの成長部分、その「伸びた部分」こそが次のエピソードに繋がっていく架け橋にもなっていました。さて、では本作ではどうでしょう?このセリフは本作の前半部分で出てきますが、後半部分では…ヴァイオレットが「友達」を得たことで新たに何かができるようになる、という展開は、特には用意されていないようです。これは少々フックが弱いを言わざるを得ません。「テレビシリーズとの連続性を高めるためにフォーマットそのものは引用しているけれど、使用された意味合いは全く同じではない」とするのが妥当なところではないかと思います。

 また、ちょっと先走るようですが、本作終盤の山場となる非常に重要なシーンには、そもそもヴァイオレットが登場していません。テレビシリーズと同様であるならば、ヴァイオレットが誰かの問題に関わってこれを解決する過程で、ヴァイオレット自身も何らかの成長を見せる展開が描かれるはず。しかし、本作ではそのような構成は取られていないのです。やはりこの「外伝」においては、ヴァイオレット自身の成長はメインテーマではない、と考えざるを得ないのだと思います。



 その前提に立つことで、もう一つの疑問~「永遠」とは何を意味するのか~の答えも見えてきます。ヴァイオレット自身の物語でないならば、本作は「ヴァイオレットではない他の誰かの物語」ということになります。ぶっちゃけて言ってしまえば本作は、「ヴァイオレットが関与して、エイミーとテイラーの問題を解決する物語」なのです。ならば、この二人が副題の「永遠」と関わりを持っている、ということになります。

 さて、この「永遠」という言葉ですが…その意味は一見明確なようでいて、突き詰めて考えるとなかなか厄介です。これまた先走って申し訳ないのですが、本作をラストまで鑑賞すると「永遠の絆」というキーワードに突き当るのですけれど…はて、これは字面通りに解釈してよいものなのでしょうか。

 「永遠の命」という言葉なら、現実にあり得るかどうかはさておいて、まあ意味はそれほどぶれません。ですが、「永遠の絆」ってぇのは…難しいですね。仮にどちらかが死んだとしても、決して捧げる思いは変わらない、とか…いやいや、それでは、本作を鑑賞しての印象とはだいぶ乖離があります。

 では、逆方向から考えるとどうなるでしょうか。作中で描写される一連の出来事が起こる前は、二人の間には生きた絆は決して通っておらず、それは永遠どころかむしろ今にも潰えそうになっていた…これなら、何となくわかる気がします。自分の力では他にどうすることもできもなかったやむを得ないいきさつから、バートレット姉妹の絆は風前の灯火だったのですが、そこに再び煌々と灯りがともり、さながら永遠に続くと思われるような盤石なものとなった…いかがでしょう、いい感じに落とし込めそうではないでしょうか。

 このお語は、二人がそれぞれの直面していた「どうしようもなかった問題」から解放されて、双方向の「永遠の絆」を手に入れるまでの物語なのです。



 本題に入る前に、もう一つ。


 「京アニのアバンには全てが詰まっています。」これは、京アニの過去作のレビューでも何度か触れましたが、彼らはしばしば、作品の冒頭部に尋常でない情報量を詰め込んで、さながらそのエピソード全体を象徴させるような暗示を行うことがあります。


 もちろん本作には、通常のテレビ作品にあるようなOPは無いので、そのままの意味での「アバンタイトル」もまたありません。ですが冒頭部には、ちゃんとアバンらしきものが置かれていて、その内容がまた実に濃いのですよ。それこそ、「全てが詰まってるんじゃないか」と思えるほどに。

 その冒頭部で描かれているのは…この時点では誰なのかわからない少女の乗った船が、ヴァイオレットのいるライデンシャフトリヒに迫るシーンから本作は始まります。後でわかるのですが、この冒頭シーンは正しい時間軸においては、「エイミーの物語を描く本作前半」と「テイラーの物語を描く本作後半」のちょうど間に挟まるべきシーンのはず。しかしここには、両者に繋がり得るようなとても意味深いモチーフが、印象に残るように配置されているんです。


 それは、「空」と「飛ぶ鳥」のモチーフであり。


 そこへ向かって「手を伸ばす少女」であり。


 俯いて「(エイミー…)」とつぶやく少女の姿であり。


 彼女らの苦悩はそこにあって、解決の時を待っています。それを導いてくれるのは、あの自動手記人形~ヴァイオレット・エヴァーガーデンであるはず。


 そうしてこの物語は、まず一人目の少女の苦悩へと迫っていくのです。



【エイミー~後悔に囚われた少女】
「ボクの名前はイザベラ・ヨーク。
 ここはボクの牢獄だ。

(中略)

 彼女は何処にでも行ける。ボクと違って…。」


 ヴァイオレットが家庭教師の「任務」のために訪れた、良家子女のみの全寮の学校に住んでいる少女、イザベラ。彼女のモノローグはいきなり痛々しく、問題含みであることが嫌でも伝わってきます。

 突然送り込まれてきたヴァイオレットへの敵意を隠そうともせず、冷たく当たるイザベラ。しかし、ヴァイオレットの手をはねのけたその時、思いもしなかった硬い手応えと金属音に、彼女は少し動揺します。

「義手です。
 先の戦争で失いました。」


 これは、(そういう方がおられるかどうかはわかりませんが)本作で初めて「ヴァイオレット・エヴァーガーデンの物語」に触れる方への、必要最低限の知識共有として機能しているのですが、それ以外にも重要な役割を一つ担っているのだと思います。それは、「イザベラが思っていたのと、現実は違う」ということを示しているんですね。

 例えばその直後の会話でも…。

「世界中…何処でも行けるんだ…。」

「任務でしたら。」

「………どうでもいい。」


 ほんの少しのすれ違いですけれど…ここのイザベラは「思っていたのと違う」ことはわかったものの、そこで思考放棄しているか、そうでなくとも会話そのものを放り出しています。まあ、元々が「束縛されている自分と比較しての嫉妬」みたいな、言いがかりみたいな言葉なので、それ自体はそんなに固執するようなものでもないのですが。

 これらの描写はイザベラの問題をあぶりだしているんですよ。イザベラの中には、何かが原因となった強固な思い込みがあるんじゃないか、と。

 その視点でいくつか、イザベラの言動を見ていきましょう。先ほど触れた、出会いの会話の中でもこんなセリフがあります。

「お高く留まってる。
 ボクそういうヤツ、大っ嫌い」


 もちろん、別にヴァイオレットはお高く留まってなどいません。イザベラの目に勝手にそう映っているだけです。まあ、ヴァイオレットは一見、冷たく見えてしまいがちなのは致し方ないところですけれど…でもイザベラ、キミさ、ろくにヴァイオレットと会話もせずに決めつけてるよね?

 自分自身も「良家の子女」のはずなのに、上流階級に対する憎悪をイザベラは抱えているわけです。


 次に、もう少しイザベラの内面が見える場面です。他の生徒から話しかけられて上手く応対できず、飲み物をこぼしてしまった際に、手際よくフォローしてくれたヴァイオレットは周囲の称賛を浴びますが、イザベラ自身はいたたまれなくなってその場を逃げ出します。その時の会話では…。

「イザベラお嬢様。
 おそばを離れて、申し訳ありませんでした。」

「…キミを見てると、自分がみじめになる…。」


 今度は、イザベラの中に巣くう「劣等感」が描写されていますね。上流階級に対する憎しみとは表裏一体なのでしょうか。この場面では、劇場用作品の横長の画角が最大限に良さを引き出されていて、長くて曲がりながら登っていく階段の存在感がハンパないです。この「長くて曲がった階段」は、「捻じれてしまっているイザベラの内心」の暗示なのかも知れません。

 イザベラはヴァイオレットから逃げるようにその場を離れ、窓辺でしゃがみ込みせき込んだ後、顔を腕に伏せたまま「テイラー…」とつぶやくんですが、その名前は、そんなに辛そうに、顔を伏せて呼ばなきゃいけないものなんでしょうかね?冒頭では別な少女が別な名前を、やはり顔を伏せてつぶやいていましたが…。

 イザベラの心は、すっかり閉じてしまっているようです。彼女の向こうに見える大きな窓は、明るい外の世界へと繋がっているのに…。


 もう一つ。ミス・ランカスターから誘われたのを、ヴァイオレットが断ってくれた後の会話です。

「あの娘たちはボクの家柄しか見てない。
 自分に箔をつけてるんだ。」

「そうでしょうか。」

「キミだってそうでしょ。」

「私はあくまでも任務ですから。」


 どうでしょうか。やはり彼女の中に、「上流階級への憎しみ」と、「どうしようもなく劣っている自分自身への劣等感」があることがよく伝わってきますよね。しかし、この直後の会話は…。

「キミってホント完璧って感じ。
 何処かの王族って言われても疑わないよ。」

「私は孤児です。」

「…………………えっ。」


 この「えっ」が、いいですよねぇ…寿さんの魅せる声の演技と言い、作画の魅せる絵面の演技と言い。なかなか出会えない、極上の瞬間です。

 この瞬間まで、イザベラの中では「ヴァイオレットは憎むべき上流階級側」であり、劣っている自分とは違う存在だったんですよね。それが、根底から揺らぐ瞬間。凝り固まって閉塞した自分へ気付く糸口になる瞬間でもあり、世界に対しても自分自身に対しても違った見方が可能になるかもしれない契機が訪れたわけです。



 イザベラの中にある「思い込み」は、彼女の見方が変われば、そうではなくなります。そのことを視覚的に描写した、「イザベラがメガネをかけたり外したりすることで見えるものが変わる」という暗示を込めたシーンがありました。入浴前でしょうか、体にタオルを巻いて洗面の前に立つイザベラが、メガネをかけた時に「テイラーとの過去の記憶」に思いをはせるシーンがそれです。

 みすぼらしい小屋の中で、小さな桶の中でで泡だらけになっている少女。

 その少女に声をかけ、体をふいてやり、その少女のことが大事だと笑顔で話す、貧しい姿のイザベラ。メガネをかけていない、イザベラ…。

 しかし記憶の中で泡がはじけ、イザベラは「今の自分の現実」へと引き戻されます。その後のシーンで、メガネを外して寝室で横になるイザベラに「見えているもの」が何なのかを思うと、見ているこちらまで落ち着かない、とても切ない気持ちになります。



 ずっと、自分を追い詰めかねないようなメガネを心にかけていたイザベラは、ヴァイオレットが孤児だと知ってから、少しずつ、ヴァイオレットへの見方を変えていきます。そして、持病の喘息の発作がひどかった夜、ヴァイオレットに介抱されて何とか眠りにつき、目覚めるとそこには自分を見守る誰かが…。

 その誰かを、自分が心を許せる人間だと思って「テイラー?」と呼びかけてみると、それはヴァイオレットでした。


「ずっと起きてたの?」

「耐久訓練を受けておりますので、少々睡眠をとらn

 (ファ…むにゃむにゃ…)

 問題ありません。」


 この、無防備なヴァイオレットもレアでめちゃくちゃに可愛いんですが、それを見て一人動揺するイザベラの描写がまた実にいいんですよ…。ここ、イザベラの心境を言葉では示してくれないのですけど、鉄面皮だと思ってたヴァイオレットが自分のために徹夜してくれたことへの気持ちやら、完璧だと思ってたヴァイオレットにも実は普通の女の子っぽいところがあるんだとの気付きやら、もーどれもこれも、イザベラの心を揺るがすには十分すぎる衝撃だったんでしょうねぇ…。

 なので、おずおずと、イザベラは話を切り出すんです。

「ねぇ…その…これからは年の近いもの同士…
 普通に話したいんだけど…。」


 最初の出会いの時に「必要なこと以外話しかけないで」「慣れ合うつもりないから」と自分から言っちゃってる手前、もうすんごく言いづらそうなんですよね…そして、言っちゃってから、ヴァイオレットがちょっと横向いて思案しているだけで、「ダメ…だよね、そうだよね…」とでも思ってそうな、ちょっとずつ顔を伏せてく絶妙な描写が、もう何処までも痛々しくて…。

 でも、

「承知しました。」


 ここの、えっ、て感じで顔を上げるイザベラが!!あーどうしよ、もうここだけでうるっと来るよね!!えっ、来ない?!来ようよ!!イザベラの心境に同期しちゃってたら、ここはぐっと来ざるを得ないと思うんですよ!!考えてみてくださいよ、イザベラって、この境遇になってからこっち、自ら望んでその上で得られたものなんて、何一つなかったっぽいんですよ?そもそも、何にも自ら望んでいなかった節さえありますが…そんな彼女がただ一つ、絞り出すように願ったことが、そしてきっとダメだろうと自分でも思ってたことが、こうもあっさりと!!目の前で、あっさりと叶っちゃったんですよ?!

 くそう!!

 泣くわ!!

 でも、当のヴァイオレットは淡々と。

「ですが、普通の会話とは、どういったものなのでしょうか。」


 別に、ヴァイオレットはイザベラに含むところなんてあるはずもなく、「自分に普通の会話ができるだろうか?」って考えてただけなんですよね。

「うーん例えば…ん?なに?」

「朝の支度をしませんと。」

(裸足のイザベラを床に立たせる)

「学校に遅れます。」


 アーーーーーーー!!

 「京アニの足元のイイ描写」、来ちゃったーーーー!!!

 京アニさんて、「何処かを切り取って画面で魅せる」ような時、もうこれでもかってくらい緻密に作って、何の気なしな感じにさらっと見せてきますよね!!もう、妄想がはかどってしょうがない!!

 「裸足」って、「素のまま」に通じるものじゃないですか!どうしようもないいきさつから、自分で壁を作って、こじらせて、自分をがんじがらめにしてたきらいのあるイザベラを、ヴァイオレットが手を取って、裸足のまま立たせてるんですよ?これはもう、そういう意味しか無いじゃないか!アーーーー!!ホントにこの人たちは!!

 この後の舞踏の練習でも、「京アニの足元のイイ描写」が炸裂します。自分が男性役になるとか、でもきっとキミの足踏んじゃうとか、そういうやり取りの後、音楽が始まってステップを踏み出す時!

 画面は二人の足元だけを映すんです。最初は二人は向かい合っているので、足先も互いに反対の方向を向いているわけですが、スッ、スッ…と足をさばいていく過程で、ヴァイオレットのエスコートによって二人の足が同じ方向を向く、という描写になってるんですよ…この足運びの描写もめっちゃ素晴らしいんですが、そこに、このたった数秒の間に、「イザベラに転換期が訪れた」って暗示をさくっと織り込んでくるのが、またやってくださった!って感じで、心の中で拍手喝采なのです。



 すっかり打ち解けた話し方に変わっていくイザベラですが、ヴァイオレットと友達になれただけで彼女の問題が全部解決しているわけはなく、その後の楽し気な描写の中にもちょっとずつ、何かが香る場所があります。例えば、登校前に無理を言って、ヴァイオレットの髪を触らせてもらっている時。

「キミの髪ってビロードみたい。高く売れそう。」

「売るんですか?」

「………んーん。売らない。」


 この「売らない」って答えるまでの、ちょっとだけの余白。初見時は何のことかわかんなかったんですが、これ、イザベラの、「大事なものを売ってしまう」ということに対しての躊躇、なんですよね。過去に自分が「大事なものを売ってしまった」ことへの後悔を、この少しの間に思っちゃってるに違いないのですよ…。



 忌憚なく、友達としてヴァイオレットと話せるようになったエイミーは、木漏れ日の中、ヴァイオレットに手を引かれながら駆けていきます。

「ねーえ、授業なんかやめてさー、
 どこか別のとこ行かない?」

「どこへですか?」

「どこでもいいよー?二人でさー…。」


 イザベラは空に手を伸ばします。本作の冒頭で、別な少女が空に手を伸ばしていたことが思い出されますが…しかし、空はまだ木々の間から途切れ途切れにしか見えませんし、飛ぶ鳥の姿も見えません。

「どこへも行けませんよ……イザベラ様……。」


 「どこへも行けない」と告げるヴァイオレットの言葉…。この言葉が、もし「ヴァイオレット自身の内心」を表しているのだとすると、それはそれでご飯三杯くらい一気にイケる考察ネタになるのですが…既にお示ししたように、外伝である本作は、必要以上にヴァイオレットの内面には切り込んでいきません。なのでここは、「ヴァイオレット自身の内面の発露という暗示も、もしかしたらあるかもしれない」程度にしておくのが妥当でしょう。じゃあ、本作の主人公の一人であるイザベラにとって、この言葉は何を意味するのでしょうか。

 この瞬間のイザベラは、初めての友達と過ごす中で、「自分がどこかに行けるのかもしれない」という、やや高揚した気持ちの中にいます。しかし、頭上に伸ばした手の先には青い空が見えるでもなく、飛ぶ鳥の姿も全く見えていない。そこに来るダメ押しの一言なんですよ、この「どこへも行けない」は。

 何かが開けてきたような気がしているイザベラの心境とは裏腹に、イザベラはやはり「どこへも行けない」のです。少なくともこの時点では、彼女はそこまで解放されているわけでは、ない、という…。

 それは一見、「残酷な事実」かもしれません。ですが、そうであることを自覚することには、ちゃんと意味があるんです。ヴァイオレットが果たすのは、イザベラを閉じ込めることではなくて、解放することなんですから。


~~~


 壁に突き当たってしまうことも、まだあるわけで…。

「できない……。
 そもそもムリだよ、ボクに淑女なんて…。」

「…ダンスも教養も、ずいぶん身についt

「お世辞なんていらない!
 君みたいになんでも上手にできないよ!
 ボクは、きみと違うもの…。」


 大鏡に映る二人の姿を一緒に切り取った、印象に残るカットです。そう、違うんですよね。いや、イザベラが言っているような意味ではなく…。イザベラが見ているヴァイオレットはある意味虚像です。自分自身と向き合わなきゃいけないのに、イザベラの目に映るのは「ヴァイオレット」もしくは「ヴァイオレットの虚像」であって、その向こうに見える「自分自身の姿」ではない、という。

「違う…?」

「そうだよ!全然違う!

 ずるいよ…キミは…
 今とても恵まれているじゃない…。」


 イザベラはヴァイオレットを責める言葉を吐いてしまいます。でも、彼女が心を許していなかった頃に比べると、だいぶトーンが違いますよね。これはもう、半分以上「友達に甘えている言葉」ですよね。

 先の「大鏡に映る二人の姿」は、彼女らが紡ぐ言葉に、鏡像のように映る別な意味があることを示しています。イザベラのこの言葉の表す本心は、決して文字通りの「自分とは遥かに格差があるヴァイオレットのことを、本気でズルいと責めている」ようなものじゃあないんですね。その裏の意味を、正確に言葉に置き換えるのは難しいのですが…あえて言うなら、「もうヤだよぉ、ムリだよぉ…」という、子どもの駄々に似た感情でしょうか。あーあー、ありますよね、そういうの。私も出勤前から「もう帰りたい」と口にするのは、ほぼ毎朝の日課になっています。(^^;

 それが甘えの言葉だと自分でもわかっているから、イザベラはすぐに謝るわけですが。

「………ごめん。」

「………………。(イザベラの頬に手を添えて)

 少し、疲れてしまいましたね。」


 イザベラの謝罪に対してのヴァイオレットの言葉は…これまた何と表現したらよいのか。単に「イザベラの疲れを案じている」ようなものではないんですよ。何処までも優しくて、ふわっと抱きとめてくれるようで…大丈夫、大丈夫ですよと言っているかのようじゃないですか。あーこれは惚れちゃう!惚れてまいますわ、ええ。これはもうキマシタワー案件と言って差し支えないでしょう(いやいや)。

 冗談は抜きにしまして…このシーンを百合視点で見たい方は、それもいいと思います。ですが、百合視点を抜きにしても、このシーンの彼女らの間に通い合う、言葉にしてしまったら壊れそうな「何か」は、見ている者にじわっと来る感動を与えてくれます。ヴァイオレットの方に歩み寄り、頭をその胸に預けるイザベラ。大鏡に映る二人の姿が、「身体だけでなく、心も寄り添っている」ことを示す、実にいい仕事をしていると思うのです。



 …辛い日々は長く感じますが、楽しい日々はあっという間です。そうして迎えたデビュタントの朝、そしてヴァイオレットの任務の最終日。届いたドレスを手にはしゃぐイザベラを見ていると、この3ヶ月の実りの大きさに、つい目を細めてしまいますね。

「なに?
 ……『あそんでんのか?』
 なんだこれ?」

「私のドレスは弊社からでして。
 恐らく配達したのは、私の知る同僚だったのでしょう」

「早く、帰ってきてほしいってことじゃない?」


 いやいやいや、このイザベラの柔らかな物言いは、そして「その言葉の向こうにある、人の思いの温かさ」をちゃんと理解している言葉は…お父さんは嬉しいぞ!ここまでしっかりと「人の気持ちがわかる人間」に成長してくれて!いや、私はあなたのお父さんでは無いけれど!

 その後の、すました風で「エスコートしていただけますか?」と手を差し出す様やら、やんちゃにヴァイオレットに抱き着く様やらを見てると、イザベラがとても自然に、感情のままでありながらも色々をわきまえて行動できているのが見て取れて、本当に暖かな気持ちになります。



 デビュタント前。震える手でヴァイオレットの手を握りながら「ねぇ。そばを離れないでね?」と頼むイザベラ。その手をしっかりと握り返して「はい、お約束します。」と答えるヴァイオレット。彼女らの後ろにある大きな窓の外には、たくさんの鳥たちが飛んでいきます。ああそうか、これはイザベラの巣立ちの日であることと、解放されていることの暗示の意味をかけてるんですね。ただ、それはまだ「窓の外」であって、完全な解放というわけではないのだけれど。

「ヴァイオレット…。ありがとう。」

「………………はい。」


 心からのお礼の言葉と、それを柔らかに受け止める言葉。短い、平易な言葉ですけど、いいですよねぇ、このシーン。口にされている文字の数の何倍も、溢れるものがある感じで。

 少なくとも、イザベラはもう以前のように上流階級への敵愾心は持っていませんし、それと表裏一体の惨めさを自分の中に飼ってもいません。そこまで彼女の心を緩やかに融かしてくれたのは、間違いなく「友達」であるヴァイオレットとの豊かな日々なのでしょう。

 事前に言っていた「たくさん、楽しもうね、舞踏会。」の言葉通り、くるくる回りながらとても楽しそうな笑顔を見せるイザベラ。その後、彼女が見上げた天蓋には、空と、飛ぶ鳥の絵画が描かれています。回りながら、その鳥をじっと見つめるイザベラ…。

 描かれている空も鳥も、作りものです。

 しかも、どちらも外ではなく、建物の中にあるのです。

 この空や鳥は、果たして「解放されている」と言えるのでしょうか?

 でも、イザベラは落ち着いた顔で目を閉じて、あたかもそれを受け止めたような表情を見せるんですよ。自分は、結局は上流社会の「籠の中の鳥」なのかもしれない。でも、それを肯定しながら、充実した日々を送ることだってできる。作り物のような日々であっても、その中で自分らしくあり続けることはできるんだ…。まるで、そんなことを心で呟いていそうな風に…。

 諦めが、いつの場合も最善だとまでは、私は思いません。でも、自分自身の生を肯定できることは、否定し続けて生きるよりはいいのではないか、とは思います。イザベラがあの夜以来、持病らしく思えていた喘息の発作に悩まされている描写が一切無いのは、「彼女を苦しめていた多くのものが、ここまででいったん解決した」ことの表れなのだと思います。



 でも、イザベラにはまだ、心残りがあるんです。

「ねぇ。

 ……手紙。………書いてほしい。」

「どなたに?」

「……妹。
 最初からずっとヨーク家の娘だったわけじゃないんだ。」


 それは、自分が捨てた「エイミー・バートレット」の名前とともに今も胸にくすぶっている、妹・テイラーのこと。イザベラは、エイミーだった頃の昔語りを始めます…。

「こんな自分が守りたいと思うこと。
 救いたいと思うこと。
 それがボクの生きる理由になっていた。

 ボクはあの時、
 自分の人生を父と名乗る男に売り渡したんだ。

 これがボク、エイミーの過去。
 テイラーとは、それからずっと離れ離れ。
 会うことも許されていない。」


 彼女が上流階級へ憎しみを向け、自分自身に呪詛をかけるきっかけとなったのが、「自分の人生を父と名乗る男に売り渡し」て、テイラーにお別れしてきたことだったんですね。何も無い自分の人生の中で唯一素晴らしいと思えるもの=テイラーのことを思えばこそ、それを自分から手放さなければならないという、どうにもならない強烈な矛盾に彼女はさらされていたわけです。

 テイラーの幸せを願いながら、自分からテイラーにしてあげられることの一切を諦めたエイミー。彼女にとっては、今の「イザベラ・ヨーク」という名前さえもが、元凶のように思われていたのでしょう。

「少し………似ています。
 私も親を知りません。
 拾われて、武器として育てられ、そこである方と会いました。
 その方に字を教えていただき、育てられ、優しくしていただきました。
 生きる目的も、与えてくださいました。」

「ボクは何も与えてあげられなかった…。」


 このエイミーの気持ちは、彼女が以前に見た夢の断片と現実との差になって描写されていましたね。夢の中では、とろとろのシロップをたっぷりかけた、何層もの大きなパンケーキをテイラーに食べさせてあげているのに、現実では具の少ない貧相なスープなんですよ。夢の中でも現実でも、テイラーは同じように喜んでくれているのですが、現実のエイミーは「こんなものしかあげられない…」と顔を曇らせていたんです。

 でも、そんなエイミーの言葉を、ヴァイオレットは直ぐに否定して…。

「いいえ。イザベラ様は、私に、
 初めての友達を与えてくださいました。
 それに、手をつなぐと、心が…温かくなることも、
 教えてくださいました。

 テイラー様にも、
 イザベラ様はたくさんのことを、
 お与えになったと思います。


 あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!

 泣くだろ!!ここまでも何度かヤバかったけど、そんなんされたらもうフツーに泣くだろ!!さっきの舞踏のシーンでさえ、イザベラはもうすっかり救われているなぁ良かったなぁとかうるんでいたけど、更に奥のとこまで救ってみせるとか、聞いてないよ!!

 先の、「テイラーとヴァイオレットの境遇は少し似ている」って言及が、もうどうしようもなく刺さるんですよ!!つまりこれは、テイラーの代わりにヴァイオレットが「育ててくれて本当にありがとう」と、お礼を言ってることと等価なんだよ!!現実には決して叶えられないであろう再会に代えて、自分を責め続けているエイミーに「感謝」と「許し」が同時に与えられてるんだよ!!


 ……なぁ。こんなん、泣いちゃうよなぁ。


 …じゃあ、泣くかい。一緒に。


 うぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!


 良かった!良かったなぁ、エイミー…ホント、良かった……。




 朝になって。

 イザベラはヴァイオレットを見送ります。

 今は無理だけど必ず代筆の代金を払うと言うイザベラに、ヴァイオレットは「いただけません」「何故か、受け取りたくないのです」と答えます。見ている我々にはわかりますよ、それは、友達だからなんだよね…。

「ねぇ…また、会えるかな?」

「それはわかりません。

 ですが、エイミー様。
 私は自動手記人形です。
 お客様がお望みなら、何処でも駆け付けます。」


 ああ!

 「エイミー様」と!「エイミー様」と呼んでくれるのか、ヴァイオレット!!ああああもおおおお、いい子!ヴァイオレット、本当にいい子!!

 これらの言葉に託された、ヴァイオレットの友情がまぶしくて。そしてまた、その場しのぎの根拠のない「お気持ち」ではなく、彼女なりの精いっぱいの誠意で答えているのが、もうどうにもまぶしすぎます…。

 外の世界へ帰っていくヴァイオレットを見送った後、鉄柵のこちら側~自分の住む「籠の中」へと戻っていく、作り物の鳥=イザベラ。そのイザベラを、待ち受けていたのはミス・ランカスターでした。

「アシュリーと呼んでくださる?

 わたくし、家柄なんて関係なく、
 あなたと自身と、お話ししてみたいのです!」


 素直に自然体で人と話せるまでに成長したイザベラは、きっとヴァイオレット以外の人とも豊かな友情を紡いでいけるのでしょう…。



 その後、テイラーへの手紙はベネディクトが届け、まだ文字の読めないテイラーに代わって読んであげるのですが、ここでの「ベネディクトの役割」は、後半への布石なんですよね。いやぁ、どなたですかこの構成考えたの!素晴らしすぎるでしょ…。

「『これはあなたを守る魔法の言葉です。
 エイミー。ただそう唱えて。』…だってよ。」


 あああああああ…。

ねぇテイラー。

エイミーはもう、呼ばれることのない名前だから…。

キミを愛していたから捨てた名前だから…。


 ああああああああああああああああ!

魔法のようにキミが唱える限り、

キミを幸せにしたいと願ったことは…

ずっと、消えないんだよ?


 ああああああああああああああああああああああああああ!!

 やめてくださいしんでしまいます!!あんなに苦しい袋小路でもがいていたエイミーが、こんなにも解放されて、妹への素直な愛情を手紙にして届けるって、こんなん泣かずに見られるわけがないでしょおが!!

だからテイラー…


 あっ。

「寂しくなったら名前を呼んで」




 ぶっぶぶぶぶブラボオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!



 いやー素晴らしい作品だった!やられたけど!完膚なきまでにやられまくったけど!いやでもこれやられても悔いなしだ!素晴らしい!スタンディングオベーsh、えっ?なに?これでまだ半分?


 …………うっそ。………マヂで?


 ………………………うわー。




【テイラー~そのことを知らない少女】
 この後半は、私のようなレビュー書きにはなかなか難物でした。と言っても、表面的には何も難しいことなんてないのです。主人公はテイラーで決まりだし、描かれていく出来事も、難しく解釈しないと困るようなものは何もないです。ないですが…逆に、あまりにわかりやすすぎるように見えるんですよ。隠れた意図とか、ちょっと見には見つからなかったですし、何か暗示してそうな場所というのも、探すのに一苦労です。何より、前半にあったような明らかな「主人公の問題」は、あからさまに描写されているようには見えないんですよね。

 前半の、上流階級への敵意をむき出しにして自分への劣等感も見えるエイミーと比べると、後半のこのテイラーは、無垢で愛らしくて、見ているだけでフフッと声が出てしまいそうな、明るい子どもにしか見えません。えっ、ここに何か、問題とか潜んでるの?って感じで。

 まあそれでも、繰り返されているモチーフみたいなものは、割と早くに見つかりました。

 それは「時間経過による変化」と「変わらないもの」です。最も端的に現れているのは、ベネディクトがおばあさんのところに郵便を配達に行ったときの、こちらの会話。

「ねぇ、あんた。
 あの背の高い建物は、一体何だい?」

「だーかーらぁ、電波塔だって。」

「電波って何だい、
 頭が痛くなったりするんじゃないだろうねぇ?」

「んー…そんなんじゃねぇよー、
 4年経つんだぜ?戦争が終わって。

 世の中色々進歩してんの!」


 未完成の新時代の建造物、ってだけで色々と妄想がはかどりますが、それはいったん脇に置いておいて。「4年も経つ」「色々と進歩してる」と。ただ「時間が経ってる」だけではなく、色々と変わってきているんだそうです。

 色々と、変わっていくものがある。でも、このおばあさんは物忘れが激しいのか認知症を多少患っているのか、毎回同じことを聞いているようですね。変わらないもの、というのもあるんです。

 テイラーとベネディクトが郵便配達に回った最初の日にも、こんな会話が。

「アハハハ!かってについた!」

「都市計画の一環で、ここらも電気灯に変わったからな…。」


 なるほど、変わっていってますねぇ。でも、街並みそのものまでゴロっと変わったわけではないようです。直接の言及ではないのですがこれの少し前の会話で、ベネディクトの頭には大体の住所がすべて入っている、ということは、つまりそういうことなのでしょう。

 他にも、二日目にヴァイオレットとテイラーが回るのが「新市街」だったり、その中の集合住宅には「エレベーター」なんていう文明の利器があったりする一方で、その出発を送り出してくれたのはもう定年退職したはずのかつてのベテラン社員・ローランドさんだったり。道中で出会ったルクリアが変わらぬ様子で対応してくれるけど、実は婚約者がいて間もなく結婚するらしいとか、でも結婚した後もドールを続けるらしいとか。変わっているものもありますが、変わらずにいるものも散見されます。

 ここには、ドールにとっての花道はかつては「結婚して素敵な家庭を築く」だったのが、これからの新時代には色々な選択肢があるようで、さて、ヴァイオレットにとっての花道は一体何なのだろう?という投げかけなどもありましたが、これについては「本作の範疇」ではなく、どうやら後々のための仕込みっぽいので、今は脇に置いておきましょう。それよりも、今はこれです。

 変わっていくものがある。

 一方で、変わらないものがある。

 そんな世界を、テイラーは生きているわけです。じゃあ、テイラー自身は、「変わっていくもの」なんでしょうか、それとも「変わらないもの」なんでしょうか。


~~~


 テイラーは、「変わろうとする少女」として描かれています。

 孤児院で日々を送るだけを良しとせず、自分の夢を叶えるために抜け出して郵便社にやってきて「ここではたらきたい!」「あたしねぇ、郵便配達人になりたい!」ですよ?いやぁ、知らぬが故の無鉄砲という側面もあるでしょうが、それにしてもこの行動力は見上げたものです。

 しかしその配達人の仕事は、ベネディクトに言わせると「世の中が目まぐるしく進歩してても変わらない、毎日同じことを繰り返す、つまんねぇ仕事」なんですよ。変わらないものの代表格、みたいな言われ方をされてるんです。でもテイラーは、「郵便配達人が運ぶのは『幸せ』だから」という理由で、その変わらなさを肯定してるんですよね。

 変わらない大事なもののためにこそ変わろうと願う少女、テイラー。



 一方で、テイラーは「知らない少女」としても描かれています。

 前半でエイミーの手紙を受け取った時もそうでしたが、3年経った今も、彼女には字が読めません。

 訪ねてくる時、目的の郵便社の場所も知りませんでした。ベネディクトに出会えたのは、ご都合主g大いなる神のお導きでしょう、きっと。いや、まあ、単なるラッキー、かな。

 初めて見る新しいものらは、彼女の好奇心を満たします。世の中は彼女が知らないものだらけ。

 でも、別に新しいわけでもない、シャボン玉の輝きも、彼女は知りませんでした。自分だけの部屋がある嬉しさも。おさがりでない、自分のために買ってもらった服に、初めて袖を通す時の感触も。

 「知らない」ということは「これから知る」という点で、来たるべき好ましい変化を潜在的に秘めている、と考えることもできます。文字をバイオレットに教えてもらって、ちょっとずつ覚えていく、変わっていくことはできるのです。しかし一方で、知っていて当たり前のようなことを知らずにいる、取り残された存在という側面もあるんですよね…。

「………あたし、そんなにほしそうだった?」

「………はい。」


 いや、ここは微笑ましく笑っちゃうシーンでもあるんですが…孤児であるテイラーは、おばあちゃんからのプレゼントを受け取ったことも無ければ、自分のために用意されたお菓子に舌鼓を打った経験も無いのです。単に「このキャンディーが欲しい」じゃないのですよ、彼女の抱いていた感情は。

 変わる可能性を秘めている一方で、取り残されて=変わらない部分が多く残っている、そんな少女、テイラー。



「あたしも、ねぇねといっしょにねてたのかな…。」


 ………えっ。

 テイラー、君、エイミーと一緒に寝てたこと、覚えてないの?そのことを、ひょっとして知らないの?

「ねぇねとのおはなし、ききたいな…。」


 ああ、そうなんだ…知らないから、知りたいと願うんだね君は…。あの手紙が示してくれるから、「かつて自分が愛されたこと」はわかってるけど、その思い出は直接、君の中には残っていないんだ…。

 翌朝の目覚めの時、一瞬エイミーらしき像が結びそうになるけど、ちゃんと見えた時にはヴァイオレットになってるのが、本当に切ないですね。前半でエイミーがヴァイオレットをテイラーと見間違えたのは、「今も胸に残るテイラーとの思い出が恋しいあまりに」だったのでしょうけど、今回の、ヴァイオレットの姿にエイミーを重ねそうになるのは「自分の中には残っていない、自分を愛してくれたというエイミーの姿に少しでも近づきたいから」なんですよ。似ているけど微妙に違っていて、とても切ない…。

 エイミーのことを、テイラーは知りません。だから、エイミーとも一緒に寝ていたというヴァイオレットから、エイミーの何かを受け取ろうとするのです。

「二つではほどけてしまいますよ、テイラー様。

 三つを交差して編むと、ほどけないのです。


 実に暗示的ですよね、このセリフ。これは「二人だけでは先に続くことができなくて、今は引きはがされている姉妹」が、「バイオレットを介して三人で相互に関わり合うことで、ほどけない絆を結ぶことができる」ということの暗喩なんじゃないでしょうか。



 「変わっていくもの」「変わらないもの」の両方に象徴されるテイラーの、小さくて、でもとても大きな悩みがきちんと示されるのが、体に浴びた汚れを落とした後にヴァイオレットと会話する、このシーンなのですが…。

「ねぇねも、あたしにこうやってくれてたのかな?

 …もうほとんどわすれれちゃったや。

 『これは、あなたを守るまほうのことばです。
  エイミー。ただそうとなえて。』」


 忘れてしまった「体験」と、繰り返し読んでもらったことで覚えてしまった「手紙」の対比が、深く刺さります。「体験」は決して補完できないから、目の前に残っていて無くなることがない「手紙」の内容を繰り返し味わって、それを代わりにしようとしたんだよね、君は…。

「テイラー様は、何故、郵便配達人になりたいのですか?」

「ししょうがねぇねのてがみをとどけてくれたから。

 あたしは、ねぇねといっしょにいたときのこと、
 もうわすれちゃったけど、
 このてがみはのこってる。

 ねぇねがいたこと、
 あたしをおもってくれたこと。

 ししょうがとどけてくれたのは、
 『しあわせ』なんだー。」


 ああああ…悠木碧さんの演技って、ホントもう「変態級」と呼んで差し支えないっていうか…どうやったらこんなたまんない声が出せるんでしょうかっ!単に「幸せ」そうに聞こえるんじゃなくて、同時にすごく切なく聞こえるような、とんでもない演技になってるんですよ…。

 ホッジンズが、ここではたらきたい!とお願いしているテイラーの姿に、最初のころのヴァイオレットの姿を重ねて見たのは偶然でもなんでもなくて…テイラーもまた、自分に向けられたかつての「愛してる」を知りたいと願う少女だからなんですよね。上記では直接そうは言われていないのだけど…ねぇねに愛されていたことを忘れちゃったと言いながら、ホントはそのことをちゃんと知りたいんですよ、テイラーは。

「郵便配達は、とても素晴らしい仕事です。」

(うん、とうなづいて)

「…………エイミー。」


 ぶわっ!(←いきなり決壊)

 いや!ゴメン!ホントごめん!「前半に比べてわかりにくい」とか言っててホントーにゴメン!悠木碧さんの変態級の声演技と言い!ここの表情の作画のさりげなさ&絶妙の描き出し方と言い!あーもー何とかしてあげたい!この子、ホント助けてあげたい!って気持ちにならざるを得ないじゃないですかこれは!!

「あたしも、しあわせをはこぶひとになりたい。」


 あー、もう、この子は!!ホンにこの子は!!その願いは、かつて届けてもらった「幸せ」に直結してるんだもの!!その「幸せ」をちゃんと知りたいって当たり前の願いが自分の中にあるのを、この子、自覚できてないんですよ!!

 あああああ、誰か助けてあげてえええええ……お願いだよぅ……ううう…。

「手紙を、書きませんか?お姉さまに。」

「でも、まだじが…
 それに、ねぇねになんてかけばいいかわかんないよ…。」

「テイラー様。私はドールです。
 私に、お手伝いさせていただけませんか。」


 ヴァイオレットぉぉぉぉ!!流石だよ、グッジョブだよ…素晴らしいよ…。


 でも、こうしてせっかく書けた手紙を、届ける先がわからん、とはまた何とも…。

「おねがい…おねがい…

 ししょう……………



 ねぇねに……とどけたいんだ!



 だはぶらばぶるわらあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!

 ドユコト?!ホントに、ドユコト?!本気で殺りに来てますよね?!そうですよね?!くっそう、もう顔中がエヴァガ汁まみれだよ、死んじゃうよ、ううううう…。

「届かなくていい手紙なんて、ねぇからな。」


 少女の願いが叶うことと合わせて、つまんねぇ仕事と言っていた配達のことを、ベネディクト自身が肯定するという意味でも、実に感慨深い言葉ですよね、これ…いやもう、京アニさんが本気ぶつけてきたら、そりゃ無事で済むわけがないんだよ、ああああ…。


~~~


「ありがとう。……ヴァイオレット。」

「………………はい。」


 エイミーとの同様のやり取りのリフレインですよね。その後の「思いが…どうか…届きますように…」というヴァイオレットの祈りも含めて、決壊しないまでも心の奥底にグッと響くシーンです。

 ヴァイオレットの直接の役目は、本作ではここまで。あとはベネディクトに全てが委ねられます…。前半部でもラストがベネディクトのターンでしたが、そのリフレインにもなってるわけですね。もちろん、後半のベネディクトの立場の方が、より深化していて味わい深いです。

 道中、行方が分からなかったイザベラの居場所を探し当てた経緯を説明してますが、言うほど簡単じゃなかったんじゃないですかね、これ。なかなか姿を見せないイザベラが、唯一顔を出す時間とポイントまで特定してあって…優秀なんだなぁ、ベネディクト。

 果たして、その時間、その場所に、イザベラは現れました。…いやぁ、3年経って凛とした感じになって…すっかり「良家の奥様」じゃないですか。変わったなぁ…。

「なあ、あんた。」

「…………!」

「ああ…あんた宛の郵便だ。」

「わたくし…宛の…。」


 一人称が「ボク」ではなく、「わたくし」になっていますね…やはりこれは、イザベラなのでしょうか…。

「たしかに、イザベラ…

 いや、エイミー・バートレット。」

(少し動揺し、迷いながら手紙を受け取り、差出人を見て)

「あ……!

 テイラー……バートレット……。

 うそ!」


 あああああああ…。

シスターがおしえてくれたんだ。

ねぇねは、あたしのために、
とおいところへいくことをえらんだって。

はなればなれになっても、
あたしをおもっててがみをくれた。

だから……あたしは……。


 ああああああああああああああああ!

「『わたしは……
 
 エイミー・バートレットの………………

 妹です。』

 ……ボクの………妹!!」


 ああああああああああああああああああああああああああ!!

 やめてくださいしんでしまいます!!(本日二度目)一人称が「ボク」に戻ってるし!!ていうかですね、ここのシーンにかぶせる音楽のタイミングがもうバッチリ過ぎて、しかもクライマックスで「真っ青な空を悠々と羽ばたいていく二羽の鳥」のカットって、ズルすぎないですか!!

 だってこの二羽って、解放されたエイミーとテイラーですもん!!

 前半では「これでも、いい」って諦めの境地で言わば「半解放」だったエイミーが、ここでようやく「全解放」されて、完全に救われたんですよ?!じゃあこの時にテイラーはどうなのかって言うと、エイミーの様子を見ているうちに「エイミーとの日々、愛されて過ごしたあの頃」のことを思い出すことができて、本当に知りたかったことがやっとわかって、むせび泣いてるんですよ?!

 二人とも同時に、完ッ全に救っちゃったんですよこの作品!!いや泣くわよこれ!!ベネディクトでなくてももらい泣きするわよ!!「同じじゃねぇか…」ああそうだよ!だがそれだからこそ泣いちゃうんじゃないかよ!!


 屋敷からの帰り道、車上で空に手を伸ばしてエイミーの名を呼ぶテイラーには、もう以前のような切なげな様子は見えません。テイラーの中には、その名にきちんと繋がる愛ある日々の記憶が、今はあるからなんですね。


~~~


 残りは後日談…かと思いきや、最後まで粋が光ります。


「ちょっと、あんた。

 あの背の高い建物は、

 いつ出来上がるんだい?」


「…………そのうちな?

 …………そのうち。」



 後半冒頭部のリフレインかと思いきや、ちょっとだけ、何かが変わっていきます。変わるものもあり、変わらないものもあり。でも、そのどちらもが否定されていなくて。いつ出来上がるかはわからないけど、きっとそのうち出来上がる電波塔は、いつかきっと一人前の郵便配達人になって自分で思いを伝えに行く、テイラーのことなのでしょうね。



 そして、すっかり晴れやかな顔になったエイミーの描写が、これまた実に良いのです。


 素足で。つまりは素の自分の姿で立って。


 日傘を持たずに。つまりは開かれた空に直接自分で触れて。


 汚れも陰りもない真っ白な服装も、結んでいた髪を自分の手でほどくのも、どれもが「エイミーがエイミー自身をすっかり取り戻したこと」の証です。


 そうして彼女は、誰はばかることなく、大きな声で呼ぶのです。テイラーの名前を。

 テイラーの名を呼ぶエイミーにも、かつてそうであったような、悲しげな様子はもうありません。自分がエイミーとして彼女を思うことは禁忌ではなくなり、テイラーがエイミーの愛を受け止めてくれていることも確かな形で手元にあるのですから。



 3年前、エイミーがテイラーに送った手紙は、「もう直接届けることは無いであろう自分からの愛を、物として残る形にし相手に託す」という、片道切符のものでした。しかし、その愛を受け取ったテイラーは今、かつて愛してくれたことへの感謝を手紙で返して…二人の間で行き来した手紙は、行き・帰りの両方向でつながるような…さながらいつまでも循環する形になったのです。

 いつまでも循環する形。

 エイミーはテイラーの名を呼び、テイラーはエイミーの名を呼ぶ…。

 それが、彼女らが得た「永遠の絆」なんですね。



「君の名を呼ぶ、              

  それだけで二人の絆は永遠なんだ」







 ……今度こそ、いいよね?




 ブラボオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!




 素晴らしい作品でした!劇場で繰り返し見た際も毎回泣きましたし、と言いますかむしろ、見る度に新たなポイントに気付いてどんどん決壊の度合いが増していくというとんでもないことになりました!この作品に関わってくださったたくさんの方々に、心からの感謝を!レビューを書き上げるまでに1年もかかって本当にすいません!間もなくお披露目になる、恐らく今度はヴァイオレット自身の物語であろう劇場版も、心して見させていただきます!
楽しんで頂けましたらWEB拍手をお願いします。
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