信子さま「皇族費は月10万円しか受け取っていない」と訴えていたことも 彬子さまとの母娘の溝と三笠宮家「新当主」の行方(2024年11月23日『AERA dot.』) - tamutamu2024のブログ

信子さま「皇族費は月10万円しか受け取っていない」と訴えていたことも 彬子さまとの母娘の溝と三笠宮家「新当主」の行方(2024年11月23日『AERA dot.』)

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2024年の秋の園遊会で、「三笠山」に並ぶ皇族方=2024年10月30日、赤坂御苑、JMPA
 101歳で亡くなられた三笠宮妃百合子さま。一般の納棺にあたる儀式「お舟入(ふないり)」が11月16日、東京・元赤坂の赤坂御用地にある三笠宮邸で営まれた。26日に文京区の豊島岡墓地で執り行われる、本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」で、宮内庁は孫の彬子さまが喪主を務めると発表した。その一方、百合子さまの長男寛仁さまや三笠宮崇仁さまなど、これまでの三笠宮家の皇族の死去に伴う一連の儀式に参列していないのが、寛仁親王妃の信子さまだ。そこには長年の確執があり、三笠宮家の「新当主」問題にも影響しそうだ。
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 16日の「お舟入(ふないり)」の儀式は、百合子さまが長くお住まいだった三笠宮邸で営まれた。孫で故・寛仁親王(ともひとしんのう)の長女の彬子(あきこ)さまと次女の瑶子(ようこ)さま、高円宮妃久子さまと長女の承子さまら親族が見守る中、百合子さまのご遺体がひつぎに移された。
 続いてご遺体に別れを告げる「拝訣(はいけつ)」が営まれた。天皇、皇后両陛下の長女愛子さま秋篠宮ご夫妻と次女の佳子さま、長男の悠仁さま、常陸宮妃華子さまらが加わり、お別れの拝礼をした。
 三笠宮家の行事として営まれた一連の儀式には、参列していない皇室メンバーもいる。
 慣例により参列しない天皇陛下と皇后雅子さま、そして上皇ご夫妻は、前日に引き続き16日も儀式の前に弔問に訪れた。
 そして、三笠宮家の一員であるにもかかわらず、参列していなかったのが、百合子さまの長男の妻である寛仁親王妃(ともひとしんのうひ) の信子(のぶこ=伯爵・牧野伸顕(まきの のぶあき)の曾孫(そうそん・ひまご)。第45・48 ・49・50・51代内閣総理大臣吉田茂の孫。第92代内閣総理大臣麻生太郎の末妹)さまだ。
 信子さまは前日の15日、弔問のために車で赤坂御用地に入った。信子さまだけが外から車で訪れたのは、信子さまは2009年以降、家族と「別居」しているためだ。
 百合子さまの容態が悪化したことで、孫の彬子さまは訪問先の英国から帰国。高円宮妃の久子さまも奈良県や米国訪問を中止するなどして、入院先の聖路加国際病院へ駆けつけていた。
「しかし、信子さまとご家族の断絶は続いたままで、百合子さまのお見舞いに訪れた姿は確認されていません。15日も赤坂御用地を車で訪れていますが、今回も弔問はできなかったという話も聞こえてきます」(事情に詳しい人物)
■「宮家へ戻るとストレス性ぜんそくが再発」
 信子さまと家族の溝は、なぜ生じたのか。
 信子さまは、明治の元勲である大久保利通を親戚に持ち、九州財界を代表する名家に生まれ育った。兄は麻生太郎元総理だ。
 1980年11月に“ヒゲの殿下”と親しまれた寛仁さまと結婚。当時、「長年好意を寄せ続けた寛仁さまが、7年越しの恋を実らせた」と、熱愛ぶりが話題になった。だが、十数年で破綻することになった。
 信子さまは2004年以降、気管支ぜんそくによる入退院を繰り返し、軽井沢での療養生活に。09年秋には宮内庁が「宮邸にお戻りになると、ストレス性ぜんそくが再発する恐れがある」という主治医の見解を公表。信子さまは入院先から宮邸に戻らず、宮内庁分庁舎として使われていた旧宮内庁長官公邸で暮らし、寛仁親王家では寛仁さまと彬子さま、瑶子さまの3人が生活するようになった。
 複数の関係者によると、寛仁さまは長い闘病の末、12年に亡くなったが、それまでの数年、信子さまが病院へ見舞いに訪れることはなかった。息を引き取る直前にようやく足を運んだが、すでに寛仁さまは意識がない状態。まだ意思疎通できたころの寛仁さまの意向や周りの反対から、信子さまは病室に入れなかったともいわれる。
 そして寛仁さまの葬儀の喪主は、彬子さまが務めた。妃の信子さまではなく娘が喪主となった理由について、宮内庁は当時、筆者の取材に「寛仁殿下のご意向」と答えている。
■「母には三笠宮両殿下にお詫びしてほしい」
 その後の寛仁親王家は、混乱が続いた。
 寛仁さまが亡くなって1年を経ても当主が決まらず、寛仁親王家は消滅。母娘3方は百合子さまを当主とする三笠宮家に合流した。
 寛仁親王家をめぐる混乱については、彬子さまが「月刊文藝春秋」(2015年7月号)に載せた手記「彬子女王 特別手記 母には三笠宮両殿下にお詫びしてほしい」でも触れている。
 寛仁親王家は長い間一族の中で孤立していた。その要因であったのが、長年に亙る父と母との確執であり、それは父の死後も続いていた。母は父の生前である十年ほど前から病気療養という理由で私たちとは別居され、その間、皇族としての公務は休まれていた。私自身も十年以上きちんと母と話をすることができていない。父が亡くなってからも、何度も「話し合いを」と申し出たが、代理人を通じて拒否する旨が伝えられるだけであった。
 彬子さまは信子さまについて、公務に復帰するのであれば、三笠宮両殿下にお詫びとご報告をしてほしい、ともつづっていた。
 16年の三笠宮崇仁さまの葬儀でも、高齢の百合子さまに代わり、彬子さまが喪主代理を務めた。信子さまは、三笠宮さまが亡くなる1カ月ほど前に、入院中の聖路加国際病院を訪ねたが、このときも面会はできていない。もっとも、この一件も「面会できない状況だとご存じのはず」と、三笠宮家側は不信感を募らせたようだ。
■信子さま「月10万円の皇族費しか…」と訴え
 この年の夏には、信子さまと三笠宮家の間で、あるトラブルも起きていた。
 彬子さまも妹の瑤子さまも不在中だった旧寛仁親王邸の三笠宮東邸を、信子さまが訪問。弁護士と鍵の専門業者を連れてきていた。
 宮邸の職員は信子さまに「扉は開けられません」と繰り返したが、鍵の専門業者が通用口の鍵を開けて信子さまは邸内に入り、荷物をまとめて宮邸をあとにしたのだ。
 事情を知る人物によれば、この「騒動」で信子さまはご自身の「正当性」を主張されていたようだ。
 当時、信子さまは、ご自身に年間1525万円が支給されている皇族費について「月額10万円しか受け取っていない」と訴えており、日常の費用は三笠宮東邸に請求していたという。
「妃殿下は『月額10万円では、新しい物品をそろえることができない。自分の荷物を取るために鍵を開けざるを得なかった』と正当性を主張されていたようです」
 宮内庁も、長年にわたる宮家内の愛憎劇に頭を悩ませているようだという。
■妻以外の女性皇族は「当主」になれないのか
 宮殿行事や皇室行事で、隣に並ぶ信子さまと彬子さま、瑤子さまが、互いに目を合わせたり、母娘でほほ笑ましく談笑したりする光景を目にしたという話は、あまり聞こえてこないようだ。
 そしてこれから問題となるのは、三笠宮家の「当主」問題だ。
 戦後の皇室において、宮家の男性皇族が亡くなった後は、故・秩父宮妃勢津子さま、故・高松宮妃喜久子さま、高円宮妃久子さま、そして三笠宮家では宮妃の百合子さまが当主を務めてこられ、妻である宮妃以外の女性皇族がなった例はない。
 そもそも「当主」はどのように決まるのか。
 元宮内庁職員で皇室解説者の山下晋司さんは、「当主」について法律で定められた規定はないと話す。
 ただし、生活には資金が必要で、それぞれの皇族には、「皇室経済法」に基づいて、品位保持のための「皇族費」が国から支給されている。同法には「独立の生計を営む親王」を基準に、妻は2分の1、子どもは減額されるとある。
「つまり、その家の生計の中心になる皇族がいわゆる『当主』です。それぞれの皇族費の額はさておき、まずはご家族と宮内庁が話し合い、どなたが『当主』になるかの合意が必要です。その結果を天皇陛下にご報告し、了承が得られれば、内閣総理大臣や衆参両院議長ら8人で構成される皇室経済会議に諮ることになります。そして、皇室経済会議で『独立の生計を営む皇族』として認定されれば、その皇族はいわゆる宮家の『当主』となります」
 皇族の身位によって支給される皇族費の額面の増減はあるが、「独立の生計を営む皇族」については、同法6条2項の「皇族が初めて独立の生計を営むことの認定は、皇室経済会議の議を経ることを要する」という規定があるのみだ。
■13億円で改修する信子さまのお住まい
 では、誰が三笠宮家の「新当主」となるのか。
 もともと三笠宮家については、長男の寛仁さまが継承することを想定し、寛仁さまは宮号を受けないまま寛仁親王家として独立した生計を営んできた経緯がある。
「これまでの慣例に従えば、寛仁親王妃の信子妃殿下ですが、寛仁親王を含め三笠宮家の皇族のお見舞いにも葬儀に伴う儀式にも参列できていらっしゃらない。そうした方に当主が務まるのかといえば、難しいでしょう」(前出の宮家の事情に詳しい人物)
 親王妃以外の女性皇族が「当主」になった例はないが、法律上は内親王、女王も「独立の生計を営む」皇族になることが想定されている、と山下さんは分析する。となれば、信子さま以外にもこれまで親王が亡くなった宮家を支えてきた彬子さま、瑶子さまのいずれにも可能性としてはあり得る、という。
 また、山下さんは「三笠宮家」とは別の宮家ができる可能性もある、と話す。
 というのも三笠宮家の3方の女性皇族は、3つの「宮邸」をお持ちだ。
「故・百合子妃殿下がお住まいだった三笠宮邸、旧寛仁親王邸である三笠宮東邸、そして信子妃殿下がお住まいの、旧長官・侍従長公邸だった宮内庁分庁舎の3つです」
 そして信子さまがお住まいの宮内庁分庁舎は、バリアフリーなどの改修工事が予定されており、宮内庁は25年度の概算要求に約13億円の予算を計上している。
「多額の国費をかける改修工事が意味するのは、宮内庁も含めて周囲は信子妃殿下の終のお住まいと考えてのことでしょう。信子妃殿下、彬子女王殿下、瑶子女王殿下がそれぞれ『独立の生計を営む皇族』として、別々の宮家の当主としてお暮しになる可能性もあると思っています」(山下さん)
 26日には、豊島岡墓地で百合子さまの本葬にあたる「斂葬の儀」が執り行われる。果たして信子さまは参列されるのか。そして、三笠宮家をめぐる「新当主」の行方が注目される。
AERA dot.編集部・永井貴子)