BOOKMAN

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TAKASHI KANEKO

高齢者住宅新聞

この度、高齢者住宅新聞社と業務委託契約を結び、同社発行の『高齢者住宅新聞』の記者スタッフライターになることが決まった。

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約4ヶ月の中断を経て、厚生労働省を初めとした官公庁への取材や、介護事業所の経営者へのインタビューなどの仕事を再び手がけることになる。幸いにして、介護福祉業界も、新聞業界も、私からいつまでも離れぬようだ。

取材のネタはつねに探しているので、介護福祉、障害福祉に関する耳寄りな情報があれば、どしどし寄せてほしい。しばらく、バーテンダーとして働いていたが(今後も働き続けるが)、再び現役のライターとして働けることが凄く嬉しい。私に与えられた細やかな言葉の才能タラントを活かして頑張りたい。

飲むか飲まぬか、それが肝心だ

近頃は酒を控えて、代わりに睡眠薬を飲んでいる。昨夜はバーの勤務を終えた後、自宅で軽く夜食を摂り、サントリー・オールドをショットグラスで(文字どおり)1杯やった。その後、デエビゴ 5mgを飲んで寝たが、これは私には容量が多すぎるのか、昼過ぎまで眠ってしまった。血中半減期も約50時間と長いのも原因なのだろう。本当はゾルピデムやハルシオンなど、短時間で強力にキクやつが好きなのだが(この件については医者に相談しよう)。

寝ても寝ても目の下のクマが消えない。疲れているのか、それとも栄養が足りないのか。痩せなければならないので、飲酒も含めて、摂取カロリーを気にしているが、ビタミンなどの栄養素は積極的に摂るようにしている。この頃は節約と節制が同時に進行している。人間、カネと時間が余れば、飽食と過飲が際限なく進行してしまうのは、自然の流れである。貧しさ、もっとロマンチックに表現すれば、清貧はこの豊富にして不健康な連鎖を断ち切る切札である。その点、私はサラリーマンを辞めて善かったのではないだろうか。少なくとも、仕事と生活に緊張感が生まれ始めた。

ようやく本題に入ろう。私は中島らもの作品を初めて読んだ。もうすぐ、40代になるというのに、これは恥ずかしいことだ。私の恩人の或る編集者は本書を「癒やしだよね」と評していたし、老人ホームのかつての同僚は夜勤中、本書について嬉しそうに話していた。私が『今夜、すべてのバーで』を読んだのは、自身のアル中が極まって、あげくの果てに、バーで働きながら寛解に勤めている最中とは皮肉なことだ(私は入院はしていないが)。いずれにせよ、私はアル中で死の影の谷を彷徨ったらもさんが、辛うじて生還して、本書を書き上げたことに惜しみない賛辞を贈りたいのである。

兼子、部活やめるってよ

昨夜は勤め先のバーから自宅に帰ると、酒ではなく、睡眠薬を飲み下して寝た。デエビゴ 5mgは私にとって容量が多く、血中半減期が長いのも相まって、少々寝すぎてしまうきらいがあるが、以前、医者から貰ったものが余っているので、次に受診するまでに消化するつもりだ。睡眠薬を上手く使いながら、アルコールの摂取量を徐々に減らしていきたい。

睡眠薬を飲んで眠ると、明け方、レム睡眠が増えて、夢を見る回数が増えた気がする。今朝見た夢は、大学生活の半ばに辞めた、体育会バレーボール部に復帰する夢だ。38歳のオッサンが大学の部活に復帰するなんて、変な話だが、卒業後15年経った後も私の中にしこりのように残り続ける、痛切な願望なのだろう。フロイトの『夢診断』によれば、夢は患者の無意識の願望、心の傷トラウマが表出する場である。夢の中で、私は20代前半の学生/青年に若返り、部活の同期・後輩に話しかけていた。おそらく、私は再び青春をやり直したいのだろう。

今、私が母校のチャペルに通っているのは、私の無意識に在る、密かな願望の実現なのかもしれない。

夢から醒めて、実社会に生きる私は非情なリアリストである。過去の人間関係に固執することもなければ、以前、所属していた組織に対する未練もない。思うに、私はこの世の人間・組織に対する忠誠心が極めて少ない、筋金入の個人主義者である。それでも、夜半、未明の夢の中では、幸福または絶望を感じて、うなされることが多くなった。歳を重ねるにつれて、夢を見る回数が増えたということは、人生の心の傷トラウマが増えたということであり、人はそれを抱えて生きざるを得ないということである。しかし、その中に創造の豊かな源泉があると思えば、人は少しは慰められるのではないだろうか。

文人になりたい

今、週4日、5〜8時間、バーで働いているが、とても楽しい。夜職、水商売と言うと聞こえは悪いが、今まで勤めた職場の中で最もホワイトだ。夕から夜にかけて働くのが(朝までではない)、私の身体に合っていて、また、店舗のオーセンティックな雰囲気が私の好みに合っているのか、とても働きやすい。社会人になってこの方、様々な業界、様々な企業で働いたが、初めて自分が勤める職場を大切にしたいと思った。これまでは酷い時は「潰れればいい」と呪った程である。最初からこのように生きることはできなかったのだろうか……。

朝、昼は書斎で執筆に勤しみ、夕、夜は酒場で働く生活を、中年、壮年、老年になっても続けることはできないだろうか。ライター/バーテンダーと言うと、世間的に見れば、堅気の職業ではないが、私はこれを一生続けたいのである。かつて、中国の文人は、学問、芸術、酒に生きることを善しとしたが、私もそんなふうに生きたいのである。「酒仙」と称された李白のように私も生きたいのである。

両人対酌山花開
一杯一杯復一杯

両人対酌すれば山花開く
一杯一杯また一杯


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創作ノートの試み

私は読むことよりも書くことの方が好きである。頁の文字列に目を走らせる読書よりも、手を動かす執筆の方がスポーツの感覚があるのだろう。私はある時期を境にして、読むことよりも書くことの方が多く、容易くなった。躁鬱病が悪化した20代後半から30代前半は、あれほど大好きだった読書が不可能になった。私に残された一事といえば、老人ホームで介護労働をする合間に、日記やブログに個人的な文章を書きつけることだけだったのである。執筆は確実に、私が精神病から回復するためのリハビリになった。私は学生の頃から、書くことを仕事に生活にしたいと願っていたが、青年期の終わりにそれが一気に加速した感がある。暗黒、孤独、貧困、悲惨の日々を通過しなければ、ライターになれなかったのである。

ジャン=ルイ・ド・ランビュール(岩﨑力/訳)『作家の仕事部屋』は、小説家、文学者、文化人類学者などの創造の消息の一端を伝えるものである。皆、それぞれの仕事のスタイルがあるが、共通するのは書くことに対する並々ならぬ執着心である。ロラン・バルト、クロード・レヴィ=ストロース、フランソワーズ・サガン……。彼等は書くことを辞めたら、自らの人生が悲惨に落ち込むことを知っているのである。それゆえ、執筆は何か悪魔祓いに似ている。救主キリストが人々に巣食う悪霊を追い出したように、芸術家アーティストの仕事は人々を解放する秘跡サクラメントに似ている。

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本書を読んで改めて思ったことは、創作にはそのための膨大な下準備、メモが必要だということである。作品の規模にもよるが、メモは本文の文字数を超えるほどである。省みれば、私は新聞記事を書く時に、文字起こしを含めて大量のメモを取っていた。本文の執筆に掛かる前に、コメントアウトに自由に書いていた(LaTeX、Markdownなどのテキストファイルだから出来ることである)。案外、作品を書くよりも、そのためのメモを書く方が愉しいかもしれない。その消息は中村真一郎が『四季』の創作ノートで刻銘に記している。

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「レンガと蔦」11号始動!

立教学院諸聖徒礼拝堂の広報誌『レンガと蔦』11号の編集が始まった。私は同誌の編集者として、編集・組版をメインに担当することになった。

11月号の特別企画は「「聖書を読んで学ぼう話そうの会」の3年間の意義」(仮)。コロナ禍から始まったオンラインの聖書の勉強会の3年間の軌跡を総括し、次に繋げる試みだ。鼎談を通じて、会衆主導の聖書の勉強会の成果と、その意義を明らかにしたい。

「聖書を読んで学ぼう話そうの会」は昨年10月末に休止しているが、今回の広報誌の企画を通じて、再開に向けたスプリングボードにしたい。聖書の勉強会がなければ、私はせいぜい教会/礼拝堂の催事屋/広告屋の立場で終わるだろう。私達は聖書のみ言葉を伝えることを通じて、普段の味気ない業務を、塩気の効いた滋味ある宣教に変えなければならない。

なお、『レンガと蔦』11号の本文フォントは、Notoを使う予定である。

松戸 大黒

昨夜、松戸の大衆割烹 大黒で、連れ合いと会食した。

大黒は松戸駅徒歩3分、雑居ビルの地下1階にある。カウンター、テーブル、座敷の3種類を用意しており、開店1時間後には満席になってしまう超人気店。

tabelog.com

生牡蠣1匹290円。とらふぐの刺身980円。非常にお値打ちな値段で、新鮮な肴を頂くことができる。昨日は、あん肝、白子、タコの唐揚が美味しかったな。

その後、Bar Tavernで、ウイスキーとカクテルを楽しむ。Tavernについて書くのは、また回を改めるとして、昔、老人ホームの介護職として働いていた松戸と、そこに生きる人々と、今なお交流があるのは嬉しい、有り難いことである(一方、足立区は北千住以外、ほとんど行かなくなった)。