練習用 : tanchanのバイク日記

tanchanのバイク日記

趣味のバイクを中心に日常を綴ります。

タグ:練習用

GW中に京都の専門ショップに車検へ出したK100RSですが、少しづつですが進捗しています。

イメージ 1

現状での作業内容は以下の通りです。

1)オド&トリップメーター不動
K100お約束?のギア欠けが原因でした。


イメージ 2

社外品の硬質ギアに交換しました。

2)ニュートラルランプ不点灯/ギアポジションの表示不良

両方ともタコメーターの制御基板の不良でした。

リビルド品に交換です。


イメージ 3


3)燃料計不動(センダユニット不良)

リビルド品のセンダユニットに交換です。


イメージ 4

4)冷却ファン不良、ヒューズ切れ

ファン軸とベアリングが焼きつき、発熱によりブラシが溶け落ちていました。

イメージ 5

これもリビルト品に交換です。


後は、タンク内は、水/ゴミがあった為内部を洗浄して組み付けました。

水分混入はタンクキャップの内部Oリングと当たり面のパッキンセットの劣化ですので、交換します。


インジェクション系はスロットルセンサー/同調/CO調整してもらいました。

吹き上がりがら大変スムーズになったそうです。


もう少しで乗れそうです


京都の壬生寺を本拠地とした壬生浪士組ですが、長州藩が計画していたクーデター(八月十八日の政変)を制圧したことが評価され、会津藩主松平容保から新選組を拝命しました。
同時に近藤・土方が芹沢鴨らの組内反対勢力を暗殺・一掃し、全権を掌握しました。
近藤らは、烏合の衆である浪人集団を統率するため、「局中法度」といわれる隊規を定めました。
隊規は鉄の掟として厳格に運用され、違反した組員は容赦なく粛清されました。

元治元年(1864年)には、京都三条の池田屋でクーデターを計画していた尊王攘夷派を強襲し、未然に防ぎました。(池田屋事件

現在、池田屋があった場所は「池田屋」という居酒屋になっています

イメージ 4

イメージ 1

店内には池田屋事件をモチーフとしたディスプレーが施されています。

イメージ 2

イメージ 3

池田屋事件での働きが朝廷・幕府・会津藩から評価され、幕府の正規軍(旗本)に登用されると、近藤は第二次隊士募集を行い、新選組は200名を超す集団へと成長しました。
そして、手狭になった本拠地を壬生寺から西本願寺へ移しました。

イメージ 5

しかし、この頃が新選組の絶頂期であり、ここから凋落が始まります
元々が浪人衆の集まりであり、それぞれの主義主張が異なることから、内部抗争や離脱が絶えませんでした。
鬼の副長と恐れられた土方歳三は、これに粛清を以て厳しく対応しました。
新選組死者45名の内、戦闘で死亡したのはわずか6名で、残りのほとんど暗殺か切腹であったそうです

そんな中、新選組が護衛すべき将軍(徳川慶喜)が、あろうことか政権を放棄(大政奉還)し、京都から江戸へ逃げ帰ってしまいました。
取り残された京都守護職の会津藩主松平容保と新選組は、守るべきものを失ってしまいました。
一方で、打倒徳川を目指していた薩長連合は、攻めるべきものを失ってしまいました。

そして、攻めるべきものの無い薩長連合と、守るべきものの無い会津・新選組連合は、無益な戊辰戦争へ突入していくのでした。
鳥羽伏見の戦いから戦いの火蓋が切られ、北へ北へと転戦し、函館五稜郭の戦闘で終結しました。

局長近藤と副長土方は、二人とも戦争で命を落としました。
壬生義士伝の主人公吉村貫一郎は、鳥羽伏見の戦いで亡くなりました。
斎藤一は会津まで転戦しながらも生き残り、後に警視庁の警察官となって西南戦争では西郷軍と戦っています。(るろうに剣心で登場するのは、この頃でしょうか・・・)

新選組のことを幕末のあだ花と例えられますが、本当にその通りですね。

(あだ花:咲いても実を結ばない花。外見ははなやかでも実質を伴わないものの例え。 季節外れに咲く花。狂い咲き。)

K100RSを車検に出すために京都へ来たのですが、せっかくなので京都観光をしていきましょう。
今回は新選組ゆかりの寺を回ろうと思います。

皆さんは新選組のことをどう思いますか?
私は正直、「幕末に旧勢力の手先となって、革命家を殺戮した荒くれ者の集団」というイメージを持ってました。
しかし、壬生義士伝(2003年)という映画を見てから、少し印象が変わってきました。

イメージ 1


以下がウィキのあらすじです。
人殺しとしてしか生きられない自分に絶望し、他人に絶望し、滅ぶべき時代のあだ花の身であった斎藤(佐藤浩市)が新選組で出会ったのは、守銭奴と呼ばれながら家族への愛と侍としての義に生きるため身を削る田舎侍吉村貫一郎(中井貴一)だった…。
斉藤一も吉村貫一郎も実在した人物です。斎藤一は、「るろうに剣心」にも登場しています。

ところで、そもそも新選組とは何でしょう?
新選組は、幕末に京都の治安が乱れ、京都守護職だけでは将軍警護の手が回らないことから、全国から剣の腕に自信のある者が集められて結成された浪士集団です。
皆、浪人なので、必ずしも侍ではなく、下級武士や足軽・農民の出身者もいたと言われます。
当初は京都の壬生に本拠地があったので、壬生浪士組と呼ばれていました。
その壬生浪士組が屯所(駐屯地)としていたのが、壬生寺です。

イメージ 2


壬生寺は正暦2年(991)、創建された律宗の古刹ですが、残念ながら昭和37年(1962)、本堂を全焼し本尊地蔵菩薩像を含む多数の寺宝を失いました。
そこで、律宗 の総本山である唐招提寺から新しい本尊延命地蔵菩薩立像(重要文化財)が、移されて、昭和45年(1970)に本堂の再建が行われました。
建物は近年のものですが、700年の伝統を持つ壬生狂言(重要無形民俗文化財)に使う室町時代の仮面などが保管されています。

かつての壬生寺の境内では、新選組の武芸や大砲の訓練が行われたといいます。
また、一番隊組長・沖田総司が境内で子供達を集めて遊んだり、 局長近藤勇をはじめ隊士が壬生狂言を観賞したり、新選組が相撲興行を壬生寺で企画し、寺の放生池の魚やすっぼんを採って料理し、力士に振る舞ったという逸話も残っています。


本堂の裏には、焼け残って再建された見事な庭園があります。

イメージ 3

境内には壬生塚があり、幕末の新選組隊士の墓や近藤 勇の胸像があります。

イメージ 5

イメージ 4

本来は将軍警護と京都の治安維持が目的であった新選組ですが、時の討幕運動に対応し、討幕派の暗殺が専門となっていきました。
これが新選組発展の礎となる一方で、破滅の原因ともなっていきました。

つづく・・・

K100RSの車検が、5月に切れます。
特に走行には支障はないのですが、細かい不具合が多いので、今回は京都にある専門のショップに出してみることにしました。
午前8時過ぎに家族が乗る車と伴に自宅を出発しました。
GWで多少込み気味の北陸道を走り・・・

イメージ 1

3時間ほどで東山三条にあるK専門ショップに着きました。(zinanのアパートの近くです)
GW休みなのに、オーナーがわざわざ店を開けて待っててくれました。

イメージ 2

ここでオーナーから簡単なチェックを受け、整備の概要を相談させていただきました。
①オドとトリップが動かないのは、K100の持病であるギア欠け。要補修。
②ニュートラルランプが点かないのは、ギアポジションの表示も変なので、おそらくスイッチ不良が原因と思われる。要交換。
③燃料計が動かないのは、タンク内のセンサーが撤去されているから。要取付。
④京都市内に入ってからウインカーが点かなくなったのは、渋滞による電動ファンの稼働で負荷が掛かってフューズが飛んだから。 おそらくモーターのグリスが硬化して回転が重いのであろう。現状では夏場に乗れない。点検の上で判断。

⑤パーツクリーナーを吹くと若干だが回転が上がる。 僅かだが、2次エアーを吸っている。だが、現状で乗れないレベルではない。

とのことでした。

とりあえず①~④の対応をお願いしました。
部品も高価だったり、欠品が多かったりするので、できる限りリビルト品を使うことにします。



FLHTCのフケ上がりが、イマイチ良くありません。
もしかしたら、この真っ黒なエアクリーナーのせいかもしれません

イメージ 1

純正は意外と(予想通り?)高いので、社外品を買ってみました。

イメージ 2

ドラッグスペシャリティ製です。何だか、のっぺりしています。

イメージ 3

純正は刻印が入っていますし、表面も亜鉛メッキ?です。

イメージ 4

裏側のスポンジもドラッグ製は何かと共用の様で、おかしな所に切り欠きがあります。素材も弾力があまりありません。
フィルターも純正はフィルター紙が金網で保持されていますが、ドラッグ製はパンチングメタルの外周にフィルター紙が巻いてあります。

まあ、価格は半額ですし、消耗品なので気にしないことにします。

↑このページのトップヘ