シルバーウィーク後半の22~23日、復活なったR100RTで初のロングつ~へ行って来ました。
午前7時に自宅を出発、加賀ICから北陸道~舞鶴若狭道~中国道~播但道で姫路入りです。姫路市内はかなり混んでました バイクで良かった
姫路城の前にある大手前公園の地下駐車場にバイクを停めました。
バイク専用スペースがあり、安心です

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地下駐車場から地上に出ると、姫路城が目の前に・・・

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公園を横切ると、大手門前です。

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大手門から中に入ります。

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さすがに人が多いですね~。

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現在1時半ですが、3時間待ち+見学時間2時間だと午後4時の閉門時間までに出られません
たぶん、入るなと言う事なんでしょう・・・

仕方がないので、三の丸広場から眺めるだけにします。

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真っ白でキレイです。

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ウィキからです。
姫路城は、現在の姫路市街の北側にある姫山および鷺山を中心に築かれた平山城で、日本における近世城郭の代表的な遺構である。江戸時代以前に建設された天守が残っている現存12天守の一つで、ほぼ中堀以内の城域が特別史跡に、現存建築物の内、大天守・小天守・渡櫓等8棟が国宝に、74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に、それぞれ指定されている。1993年平成5年)12月にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された[15]
姫路城の始まりは、1346年南朝正平元年、北朝貞和2年)の赤松貞範による築城とする説が有力で、『姫路城史』や姫路市ではこの説を採っている。一方で赤松氏時代のものはや館のような小規模なもので、城郭に相当する規模の構築物としては戦国時代後期に西播磨地域で勢力を持っていた小寺氏[注釈 3]家臣黒田重隆職隆父子による築城を最初とする説もある[16]
戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、黒田氏羽柴氏城代になると、山陽道上の交通の要衝・姫路に置かれた姫路城は本格的な城郭に拡張され、関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって今日見られる大規模な城郭へとさらに拡張された。
江戸時代には姫路藩藩庁となり、更に西国外様大名監視のために西国探題が設置されたが、城主が幼少・病弱・無能な場合には牽制任務を果たせないために城主となる大名が頻繁に交替している。池田氏に始まり譜代大名本多氏榊原氏酒井氏親藩松平氏が配属され、池田輝政から明治新政府による版籍奉還が行われた時の酒井忠邦まで約270年間、6氏31代(赤松氏から数えると約530年間、13氏48代)が城主を務めた。

園内には動物園もあります。

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時間も無いので先へ進みます。

姫路西ICから山陽道~倉敷JCT~瀬戸中央道瀬戸大橋を渡り、四国へ入ります。

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四国では坂出JCTから高松道に入り、午後5時頃に高松市内の宿へ着きました。

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二日目に続く・・・