2018年08月 : tanchanのバイク日記

tanchanのバイク日記

趣味のバイクを中心に日常を綴ります。

2018年08月


午前にリアタイヤを交換したので、午後から皮剥きがてらツーリングにいってきました。
どこへ行くかも決めず、とりあえず里山海道に乗り、高松PAでツーリングまっぷるを眺めます。

すると近くに気になるものが・・・
米出ICで里山海道を下り、宝達山方面へ走ります。
途中にあるのが、コレ

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モーゼパークです。

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看板脇の林道を進みます。

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林道はやがて登山道に・・・

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汗だくになりながら10分ほど登ると着きました。

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ここがモーゼの墓らしいです
今からおよそ3430年前、 不合(あえず) 朝・第69代・ 神足別豊耡(かんたるわけとよすき) 天皇の時代に、モーセは船で日本の能登に渡来しました。
やがて天皇から十戒の承認を得たモーセは、 天空浮船(あめそらうきふね) と呼ばれる古代世界に存在した飛行船に乗って宝達山を出発、イタリア・ボローニャ地方を経由してシナイ山に渡り、十戒を世界に広めるという大役を果たしました。
モーセは余生を過ごすために再来日し、583歳という長寿を全うし、最期は宝達山のふもとにある宝達志水町の三ツ子塚に葬られたそうです。

戦後、モーセ伝説を聞きつけた米軍が塚を掘り起こし、発掘調査を行いました。
この調査で、墓の近くの石灰山で膝からくるぶしまで約75センチもある巨人の骨や、異国風の兜、奇妙な形の貴金属に、土器と思われる壺などが発掘されたといいます。
言い伝えによれば、モーセの身長は2メートルもあったといわれており、発掘された人骨がモーセのものではないかと話題になりました。

ホントかなぁ~

帰りはR471で小矢部経由で帰りました。

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R471はなかなか良いツーリングコースですね。
日本の原風景を満喫できます。

K100のリアタイヤから少しずつエアが漏れるようになってきました。
たぶんバルブからだと思うのですが、バルブ交換するにもリアタイヤを外さなければなりません。
どうせならリアタイヤも交換してしまいましょう。

先ずはリアカウル内のナットを2個緩めます。

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次にテールランプ下のビスを2本外すとリアフェンダーが外れます。

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これでタイヤ廻りがオープンになります。

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K100のホイルは四輪の欧州車のように4本のボルトで留まっています

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ボルトを抜くと、それこそ四輪車のようにガコンッとタイヤが外れます。

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代わりのタイヤはフロントに合せて、メッツラーのレーザーテックです。
フロントは国内メーカー並でしたが、リアは少々お高かったです

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バルブも新品を用意しました。

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古いバルブを外そうとコジったら、簡単に崩壊しました。

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これではエアーも漏れるでしょう・・・

ホイルにローターが付いていないので、組換えもスムーズに進みます。

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出来ました。
こんな簡単なリアタイヤ交換は初めてです。整備性バツグンですね。
ちなみに交通安全の御守りは、私の勤務先御用達の安宅住吉神社です。

私のK100RSは車検が1年ぐらい残ったものを買ったのですが、いつオイル交換されたのか判りません。自分なら走行に関係なく春の乗り出し時に交換しますが、人それぞれですしね。
なので取り合えず交換しときましょう。
それで、用意したオイルはコレです。

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カストロールの二輪用部分合成油で15W-50です。
結構リーズナブルです。調子が良ければ、我が家ガレージの指定オイルにしようかなぁ。

K100のオイルドレンはオイルパンにあります。

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剥き出しで工具が使い易いです。六角なのでボルトも舐め難く安全です。
ちなみに奥の丸いのは、オイルフィルターのフタです。

オイル注入口は右サイドのクランクケース上にあります。

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これも剥き出しで整備性は良好です。
オイル量の点検窓がケース下にあり、量を目視しながら注入することができます。
いやぁ、便利だなぁ~。よく考えてあるなぁ~~。


翌12日は、午前9時頃に東山三条のZinanアパートを出発しました。
京大横を通り過ぎ、県道30号で山の中を進みます。
県道30号はかなり細い山道ですが、結構な交通量があるので注意です。
10キロちょっとで大津市に入り、比叡山ドライブウエイ料金所に着きます。

入り口でチケットを取りますが、料金支払いは出る時(同じ道を往復しても)です。


比叡山ドライブウエイはなかなかの快適路です。大津や京都市街を見下ろしながら、ワインディングをグイグイ登ります。

こっちが大津で・・・

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こっちは京都です。

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右側の大きな長方形の緑地は京都御所、その上の小さな正方形が二条城です。
頂上を過ぎるたところに延暦寺(東塔エリア)があります。

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まだ10時前なので、駐車場も空いています。
国宝殿見学込みでチケットを買いました。

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苔むす参道を上ると・・・

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大講堂があります。

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大講堂は、昭和39年(1964)に山麓坂本の讃仏堂を移築したものです。本尊は大日如来で、その左右には比叡山で修行した各宗派の宗祖の木像が祀られています。

大講堂から更に進むと、延暦寺の本堂である根本中堂があります。
延暦寺には東塔・西塔・横川にそれぞれ中心となる仏堂(中堂)がありますが、東塔の根本中堂はその最大の仏堂であり、延暦寺の総本堂となります。本尊は薬師如来です。

んがっ 根本中堂は大改装中でした 残念

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現在の根本中堂は、徳川家光の命で寛永19年(1642)に竣工したもので、国宝に指定されています。また、廻廊は国重要文化財に指定されています。
ご本尊の前には、千二百年間灯り続けている「不滅の法灯」も安置されています。
天台宗の開祖最澄は、「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」と説いており、延暦寺では、「一隅を照らす」運動を実施しています。
これは、「みんなが自分の置かれた場所や立場でベストを尽くして光れば、やがて世界が光る」という活動です。なんか良いですね~。


更に進むと阿弥陀堂があります。

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阿弥陀堂は、昭和12年(1937)に建立された、檀信徒の先祖回向の道場です。本尊は丈六の阿弥陀如来です。

阿弥陀堂の横にあるのは、法華総持院東塔です。最澄は日本全国に6か所の宝塔を建て、日本を護る計画をされましたが、その中心の役割をするのがこの東塔になります。現在の建物は昭和55年に再興されました。 本尊は大日如来をはじめとする五智如来が祀られており、塔の上層部には仏舎利と法華経が安置されています。

長い石段を上った根本中堂の東側に文殊楼があります。
これは延暦寺の山門にあたり、本来は徒歩で本坂を登ってくると、この門を潜ることになります。

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 慈覚大師円仁が中国の文殊菩薩堂に倣って創建したものですが、寛文8年(1668)に焼け、その後に建てられたのが現在の建物です。
超急な階段(はしご?)を登って、2階に上ることができます。が、高所恐怖症の方は上らない方が良いと思います。超怖いです

比叡山は古代より「大山咋神(おおやまくいのかみ)」が鎮座する神山として崇められていました。
最澄は延暦7年(788年)、薬師如来を本尊とする現在の根本中堂を創建して比叡山を開きました。
 比叡山は日本の国を鎮め護る寺として朝廷から大きな期待をされ、桓武天皇時代の年号「延暦」から寺号に賜りました。
最澄は鎮護国家の為には、真の指導者である「菩薩僧(ぼさつそう)」を育成しなければならないとして、多くの高僧を輩出することになりました。
特に鎌倉時代以降には、浄土念仏の法然上人、親鸞聖人、良忍上人、一遍上人、真盛上人、禅では臨済宗の栄西禅師、曹洞宗の道元禅師、法華経信仰の日蓮聖人など日本仏教各宗各派の祖師方を育み、日本仏教の母山と仰がれています。
 最盛期には三千にも及ぶ寺院が並んでいたと伝えられますが、浅井・朝倉両軍をかくまったことが発端となり、元亀2年(1571)織田信長によって比叡山は全山焼き討ちされ、堂塔伽藍はことごとく灰燼に帰しました。
その後、豊臣秀吉や徳川家等の尽力により、再興されました。

なるほど だから1300年以上の歴史がありながら、何となく新しいカンジがするんですねネ。 


我が家は、毎年、お盆休みには京都へ行きます。
京都在住のZinanをお盆に連れ帰るというミッションもあるのですが、家族旅行も兼ねています。
今年は11日(山の日)の朝7時過ぎに出発しました。
一旦は北陸道に乗ったのですが、けっこう混んでいたので敦賀ICで降り、R161で湖西から京都に入ることにしました。
R161の下りは酷く渋滞していましたが、京都へ向かう上りは空いています。
この判断は正解でした
いつもは渋滞している白鬚神社あたりもスムーズに流れています。

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暑さのせいか、参拝客もあまり居ません。
結局、通常高速でいくより30~40分程しか変わらずに京都入りできました。

起きたばかりのZunanを連れて昼食を食べに行き、

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そのまま河原町界隈を散策しました。

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結局、ウインドショッピングをして一日目が終わりました。


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