にゃん旅 Vol.24 大信寺 三味線屋の猫塚(東京都港区)
- 2014/10/24
- 19:52
■日本に鉄砲と三線が伝わらなければ・・・
わんこのついでに、にゃんこのネタも楽しもうというにゃん旅。今回は三味線屋さんの看板猫を弔った宝島山峯樹院大信寺(別名:三味線寺)の猫塚を訪ねてみました。慶長16年(1611年)に涼公上人が創建し、寛永12年(1635年)に現在の場所に移転したと伝えられている浄土宗のお寺さんです。江戸における三味線製作の第一人者である石村近江累代の墓所となったことから三味線寺とも呼ばれています。
さて、このお寺というか猫塚を取り上げる以上、なぜ猫の皮が三味線に使われているのかについて触れないわけにもいきません。
16世紀末、琉球貿易により中国の三弦が堺にもたらされたのが三味線の始まりで、蛇皮の三弦から猫皮の三味線へと短期間の間に改良されたそうです。三弦から三味線への改良に関しては、上方の盲人音楽家(琵琶法師など)が深く関わっており、そのことは演奏方法に見てとれ、義爪を使う三線の演奏から琵琶の撥を使う三味線への演奏へと変化しています。こうした三味線への改良(日本仕様の楽器への改良)を完成させたのが大信寺に墓所のある石村検校(石村近江の始祖)で、三味線は日本全国で盛んに地唄とともにつま弾かれるようになりました。なぜならば、当時民衆が手にすることを許された楽器は、神楽の笛、太鼓、鈴、三味線の4つだけだったからです。
■質が良かったばかりに猫の皮が最高級品とは・・・
三弦から三味線へと改良にあたり、最も変化したのは弾いた音を共鳴させる皮の部分でしょう。なぜ、にゃんこの皮になったのかと言えば、蛇革は高価(南方から輸入となります)であったため、廉価で代用できる犬と猫を比較した場合、猫皮の方が丈夫で音色にはりがあり、使うほど色艶が上がるためだそうです。
四つ乳、または四つ皮と言う乳首が四つある猫の皮を裏表に張った八つ乳(にゃんこは乳が8つある)と呼ばれるものが最高級品とされており、肩のあたりの硬い部分と乳首のまわりの柔らかい部分が、やはりこれも不規則に共鳴し合い、いい音色となるのだそうです。そのため乳の数が少ないものはランクが落ちるとのこと。さらに若くて妊娠経験のない雌猫(皮にキズがないため)や魚をたらふく食べる瀬戸内の猫が人気を集めたようです(諸説あり)。
今では合皮や犬の皮(7割程度)が使われ、猫の皮は海外からの輸入品と殺処分された猫の皮を使っているようです。また、野良猫や野良犬を捕獲してくることを生業としている人たちもいるようで、本件に関しては「伝統芸能に関する生業(許可制)」として、動物保護法からは免除されているとのことです。ちなみに力強い音が特徴の津軽三味線は犬の皮で必ず作るそうです。
また、傾城太夫で有名な薄雲太夫(にゃん旅Vol.5)が常に猫を膝に乗せていたことから、その人気にあやかるためという異説もありますが・・・こちらは後づけでしょう。
■無駄な殺生が行なわれていないことを祈るのみ
わんこの皮が7割の使われていることも愕然とする事実ですが・・・国内外問わず、毛皮目的の密猟が行なわれていないことを強く深く願うものです。くれぐれも皮目的だけの殺生がないことを祈るのみです。
さて、本題に戻り大信寺奥の墓地には三味線屋である「ねこ屋」の看板猫だった「駒」を祀った猫塚があります。石村近江の菩提寺であることから、あやかって葬ったのでしょう。お寺の方によると「駒」のみならず、三味線の犠牲になった他の猫たちも弔っているとのことです。
牛や豚、鶏を食している身ながら、何ともコメントしにくいと思ってしまうのはなんとも勝手なものと思うにゃん旅でした。
訪問日/2014年10月12日
〈撮影写真/iPhone5〉
◎ 大信寺は、シロガネーゼで有名な「高輪白金」駅から徒歩5分。魚籃坂下の交差点を泉岳寺方向にやや進んだ場所にあります。
◎ 港区の史跡として石村検校の墓碑が見学できるように整備されています。近江家は三味線製作に犠牲となった犬猫の供養塔として犬猫塚を建立されています。写真の右に小さく移っているのは隣家の飼猫でしょうか。お前は可愛がられていて良かったねと声をかけてしまいました。
◎ 駒の猫塚。三味線屋さんの看板猫って微妙ですが・・・いつ建立されたのかは不明ながら、明治頃にはあったということです。
わんこのついでに、にゃんこのネタも楽しもうというにゃん旅。今回は三味線屋さんの看板猫を弔った宝島山峯樹院大信寺(別名:三味線寺)の猫塚を訪ねてみました。慶長16年(1611年)に涼公上人が創建し、寛永12年(1635年)に現在の場所に移転したと伝えられている浄土宗のお寺さんです。江戸における三味線製作の第一人者である石村近江累代の墓所となったことから三味線寺とも呼ばれています。
さて、このお寺というか猫塚を取り上げる以上、なぜ猫の皮が三味線に使われているのかについて触れないわけにもいきません。
16世紀末、琉球貿易により中国の三弦が堺にもたらされたのが三味線の始まりで、蛇皮の三弦から猫皮の三味線へと短期間の間に改良されたそうです。三弦から三味線への改良に関しては、上方の盲人音楽家(琵琶法師など)が深く関わっており、そのことは演奏方法に見てとれ、義爪を使う三線の演奏から琵琶の撥を使う三味線への演奏へと変化しています。こうした三味線への改良(日本仕様の楽器への改良)を完成させたのが大信寺に墓所のある石村検校(石村近江の始祖)で、三味線は日本全国で盛んに地唄とともにつま弾かれるようになりました。なぜならば、当時民衆が手にすることを許された楽器は、神楽の笛、太鼓、鈴、三味線の4つだけだったからです。
■質が良かったばかりに猫の皮が最高級品とは・・・
三弦から三味線へと改良にあたり、最も変化したのは弾いた音を共鳴させる皮の部分でしょう。なぜ、にゃんこの皮になったのかと言えば、蛇革は高価(南方から輸入となります)であったため、廉価で代用できる犬と猫を比較した場合、猫皮の方が丈夫で音色にはりがあり、使うほど色艶が上がるためだそうです。
四つ乳、または四つ皮と言う乳首が四つある猫の皮を裏表に張った八つ乳(にゃんこは乳が8つある)と呼ばれるものが最高級品とされており、肩のあたりの硬い部分と乳首のまわりの柔らかい部分が、やはりこれも不規則に共鳴し合い、いい音色となるのだそうです。そのため乳の数が少ないものはランクが落ちるとのこと。さらに若くて妊娠経験のない雌猫(皮にキズがないため)や魚をたらふく食べる瀬戸内の猫が人気を集めたようです(諸説あり)。
今では合皮や犬の皮(7割程度)が使われ、猫の皮は海外からの輸入品と殺処分された猫の皮を使っているようです。また、野良猫や野良犬を捕獲してくることを生業としている人たちもいるようで、本件に関しては「伝統芸能に関する生業(許可制)」として、動物保護法からは免除されているとのことです。ちなみに力強い音が特徴の津軽三味線は犬の皮で必ず作るそうです。
また、傾城太夫で有名な薄雲太夫(にゃん旅Vol.5)が常に猫を膝に乗せていたことから、その人気にあやかるためという異説もありますが・・・こちらは後づけでしょう。
■無駄な殺生が行なわれていないことを祈るのみ
わんこの皮が7割の使われていることも愕然とする事実ですが・・・国内外問わず、毛皮目的の密猟が行なわれていないことを強く深く願うものです。くれぐれも皮目的だけの殺生がないことを祈るのみです。
さて、本題に戻り大信寺奥の墓地には三味線屋である「ねこ屋」の看板猫だった「駒」を祀った猫塚があります。石村近江の菩提寺であることから、あやかって葬ったのでしょう。お寺の方によると「駒」のみならず、三味線の犠牲になった他の猫たちも弔っているとのことです。
牛や豚、鶏を食している身ながら、何ともコメントしにくいと思ってしまうのはなんとも勝手なものと思うにゃん旅でした。
訪問日/2014年10月12日
〈撮影写真/iPhone5〉
◎ 大信寺は、シロガネーゼで有名な「高輪白金」駅から徒歩5分。魚籃坂下の交差点を泉岳寺方向にやや進んだ場所にあります。
◎ 港区の史跡として石村検校の墓碑が見学できるように整備されています。近江家は三味線製作に犠牲となった犬猫の供養塔として犬猫塚を建立されています。写真の右に小さく移っているのは隣家の飼猫でしょうか。お前は可愛がられていて良かったねと声をかけてしまいました。
◎ 駒の猫塚。三味線屋さんの看板猫って微妙ですが・・・いつ建立されたのかは不明ながら、明治頃にはあったということです。