映画『リトル・ダンサー デジタルリマスター版』公式サイト

リトルダンサー

Introduction
イントロダクション
2000年9月にイギリス公開された本作は、世界の映画祭で高い評価を受け1億ドル超えの大ヒット、日本でも2001年1月から公開されると、少年ビリーが偏見や環境に負けず、夢に突き進む姿に多くの観客が胸を熱くした不朽の感動作だ。
監督は本作で長編デビューとなったスティーヴン・ダルドリー。『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』、『愛を読むひと』など上質なドラマの名手として知られ、本作から3作続けてアカデミー賞の監督賞・作品賞の候補となる快挙を成し遂げている。
またバレエ・ダンサーを夢見る主人公ビリーを演じたのは、『ロケットマン』や『異人たち』など今や世界的な実力派俳優となったジェイミー・ベル。当時13歳だった彼は、2000人を超える候補者の中からオーディションで選ばれた。ビリーにとって踊ることは、自分を表現する手段。軽やかな動きでなく、力強く激しく「これが僕のバレエなんだ」と訴えてくるダンスシーンの数々は圧巻だ。さらに、世界的バレエ・ダンサーのアダム・クーパーが特別出演しているのも見逃せない。
音楽は70年代に一世を風靡したグラムロックのT.レックスによる名曲の数々や、ザ・クラッシュ、ザ・ジャムの人気曲などが使用され、ビリーの心に寄り添うように鳴り響き、観る者のすべての魂が揺さぶられる。また本作に深く感動したエルトン・ジョンが、ミュージカル化を熱望。今や大人気のミュージカル『ビリー・エリオット』が誕生した。
ビリーの夢はやがて家族の大きな夢へと変わっていくー。夢を持つすべての人に贈る<大切な一本>になる、ビリーの情熱と家族愛に胸アツな青春ドラマの大傑作だ。
Story
ストーリー
1984年、イングランド北東部の炭鉱町。母を亡くした11歳の少年ビリーは、炭鉱労働者の父に言われ、ボクシング教室に通わされている。ある日、偶然目にしたバレエ教室のレッスンに興味を抱いたビリーは、女の子たちに混ざってこっそりレッスンに参加するようになる。そしてビリーはバレエの先生ウィルキンソンによってバレエ・ダンサーとしての才能を見い出され、彼女の指導のもとでめきめきと上達していくが……。
Cast
キャスト
ジェイミー・ベル
ビリー
6歳の頃からダンスを習い、9歳からは演技も学び始める。97年にはナショナル・ユース・ミュージック劇場の舞台「オズの魔法使い」に出演し、テレビやラジオにも活動の場を広げる。そして2000年に世界的大ヒットした本作『リトル・ダンサー』では、2000人の中から主人公ビリー・エリオット役に選ばれ、イギリスの小さな炭鉱町でバレエ・ダンサーを夢見る少年の成長を瑞々しく演じ、英国アカデミー賞の主演男優賞を受賞、カンヌ国際映画祭でも絶賛された。その後も『キング・コング』や『父親たちの星条旗』など大作から最近では『SKIN/スキン』や『異人たち』など作家性の高い作品まで多くの映画作品に出演している。
主な出演作
 
『リトル・ダンサー』(2000)
『キング・コング』(2005)
『父親たちの星条旗』(2006)
『崖っぷちの男』(2011)
『ファンタスティック・フォー』(2015)
『ロケットマン』(2019)
『SKIN/スキン』(2019)
『異人たち』(2023)
ジュリー・ウォルターズ
ウィルキンソン先生
1950年2月20日生まれ。イギリスで「人間国宝」と評され、1999年にOBEの、2008年にCBEの、2017年にDBEの大英帝国勲章を受賞している。1983年に映画デビューし、同年公開の『リタと大学教授』でゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門) 、英国アカデミー賞 主演女優賞を受賞。また、同作でアカデミー主演女優賞にもノミネートされた。2000年に出演した本作『リトル・ダンサー』でもアカデミー助演女優賞にノミネートされた。『ハリー・ポッターシリーズ』では『炎のゴブレット』以外モリー・ウィーズリー役を一貫して演じ、『パディントンシリーズ』では家政婦のバード夫人を演じている。
ジェイミー・ドラヴェン
トニー
注目すべき才能として名を馳せ、ITVの『Butterfly Collectors』と『The Bill』など2本の話題作でキャリアをスタートさせた。主な出演作は『監獄都市 プリズン・シティ』(2017)。
ゲイリー・ルイス
1957年11月30日生まれ。ケン・ローチ監督の『マイ・ネーム・イズ・ジョー』(1998)のシャンクス役で世界的に知られるようになり、『オーファンズ』(1998)のトーマス役でヒホン映画祭最優秀男優賞を受賞。その他の映画出演作に『マーベルズ』(2023)、『バニシング』(2018)など。映画以外では、エキサイティングな演劇活動も行っており、国内の主要な劇場で公演を行っている。
ジーン・ヘイウッド
おばあちゃん
1921年7月15日生まれ。 舞台やテレビで尊敬されるキャリアを積んでおり、イギリスでは誰もが知っている顔。『A Very Peculiar Practice』、ロングランの人気作『All Creatures Great and Small』、『Our Friends in the North』、『ボーイズ・フロム・ザ・ブラックスタッフ』など数多くの作品に出演。2019年9月14日に死去している。
Staff
スタッフ
監督
スティーヴン・ダルドリー
1961年5月2日イギリス、ドーセット州の生まれ。シェフィールド大学を卒業後、シェフィールド・クルーシブル・シアターに入り舞台演出家となる。これまでに100本以上の舞台を手がけ、メトロ・シアター・カンパニー、ゲート・シアター、ロイヤル・コート・シアターの芸術監督を歴任。ロイヤル・ナショナル・シアターでの『夜の来訪者』(92)と『Machinal』(93)の演出によりローレンス・オリヴィエ賞を2年連続で受賞し、前者のブロードウェイ公演では1994年のトニー賞も獲得した。BBCテレビ、ラジオなどでも演出や製作手がけたのち、98年には初の短編映画『Eight』を発表して、翌99年のイギリス・アカデミー賞の短編映画賞にノミネートされる。2000年、シェフィールド時代からの知り合いであったリー・ホールが脚本を執筆した『リトル・ダンサー』で、長編監督デビュー。この処女作で、いきなり米アカデミー賞の監督賞を含む3部門にノミネートされたほか世界各国で40以上の賞に輝き、映画界で一躍その名を馳せる。この高評価を受け、ピュリッツァー賞を受賞したマイケル・カニンガムの小説を映画化する『めぐりあう時間たち』(02)の監督に抜擢され、第2作目は前作以上となるアカデミー賞9部門にノミネート。続く、ドイツのベルンハルト・シュリンクが95年に発表した『朗読者』の映画化『愛を読むひと』(08)は当初、映画化権を持っていたアンソニー・ミンゲラが監督する予定だったが、原作に惚れ込んだダルドリーの説得もあってミンゲラはプロデュースに回り、アカデミー賞主要5部門の候補となった。自身はまだ無冠であるが、役者たちから最高の演技を引き出し、『めぐりあう時間たち』のニコール・キッドマン、『愛を読むひと』のケイト・ウィンスレットにオスカーをもたらしている。サム・メンデスと並び、イギリス演劇界から映画界に進出して双方で活躍する演出家のひとりであり、「映画界で活躍する傍ら演劇活動にも情熱を注ぎ、02年にはオックスフォード大学セント・キャサリンズ・カレッジで現代演劇の客員教授をつとめた。 09年には、自身の映画『リトル・ダンサー』をミュージカルに翻案した『ビリー・エリオット』の演出によりトニー賞を受賞。演劇・映画・文学を自在に飛び回ることで、新たな息吹を与えながら作品を生み出し続けている。
主な監督作品
 
『リトル・ダンサー』(2000)
『めぐりあう時間たち』(2002)
『愛を読むひと』(2008)
『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(2011)
『ビリー・エリオット ミュージカルライブ/リトル・ダンサー』(2014)
『トラッシュ! -この街が輝く日まで-』(2014)
脚本
リー・ホール
受賞歴のある脚本家兼劇作家で、80年代の炭鉱労働者のストライキ中、ニューカッスルで育った自身の少年時代の体験からこの心のこもった本作の脚本を執筆。 本作では、絶望の時代の最中にコミュニティ内で結ばれた強い絆と、極めて才能豊かな少年によってもたらされた希望を、意気揚々と描き出すのに成功している。また ホールは映画だけでなく、演劇、テレビ、ラジオなど幅広く脚本を執筆している。
主な脚本作品
 
『リトル・ダンサー』(2000)
『戦火の馬』(2011)
『ビリー・エリオット ミュージカルライブ/リトル・ダンサー』(2014)
『ヴィクトリア女王 最期の秘密』(2017)
『ロケットマン』(2019)
『キャッツ』(2019)
プロデューサー
グレッグ・ブレンマン
タイガー・アスペクトのドラマ部門を立ち上げ、多くのイギリスのTVドラマをプロデュースしている。代表作には、『リトル・ダンサー』の他に、TV版映画『バスカヴィルの獣』(2002)、『ブラック・アース・ライジング』(2018)、『ベイカー街探偵団』(2021)などがある。
プロデューサー
ジョン・フィン
1996年、ワーキング・タイトル・フィルムズの製作総指揮に就任し、長編映画やテレビドラマのプロジェクトを数多く監督。 1998年、スティーヴン・ダルドリー監督の『Eight』をプロデュースし、ジャーウッド映画賞の受賞脚本はBAFTAにもノミネート。同年、ジェイク・スコット監督の長編映画『プランケット&マクレーン』を共同製作。1999年、フィンはナターシャ・ウォートンとともにワーキング・タイトルの一部門であるWT²を設立。英国の新進脚本家、監督、プロデューサーの才能の育成を目的として設立されたこの部門の最初のプロジェクトが1999年8月に撮影を開始した『リトル・ダンサー』だった。
撮影監督
ブライアン・テュファーノ
卓越した撮影監督と称されるにふさわしく、『トレインスポッティング』、『シャロウ・グレイブ』、『普通じゃない』などダニー・ボイル監督の画期的な作品や、『ぼくの国、パパの国』『家族のかたち』で撮影監督を担当。
振付師
ピーター・ダーリング
演劇、映画、テレビなど幅広い分野で経験を積んでおり、『リトル・ダンサー』で、スティーヴン・ダルドリーと再びタッグを組んだ。ダーリングがナショナル・シアターで手がけた数々の作品には、『The Blue Ball』、『伊達男の策略』、リチャード・エアー演出の『リチャード三世』のアメリカ・ツアーなどがある。また本作をミュージカル化した『ビリー・エリオット ミュージカルライブ/リトル・ダンサー』にも参加。
Production Note
プロダクションノート
2000人のオーディションで選ばれたジェイミー・ベル
この映画の成功はビリー役の演技にかかっていた。そのため2000人以上もの少年たちのオーディションが行われた。ダルドリー監督は語る。「演技ができて、踊れて、北東部出身で正しい訛りがあって、年頃もピッタリの子を見つけようなんて高望みだった。だが、ついにジェイミーを見つけた。干し草の中から針を見つけたんだよ」と明かす。
友達の友達に勧められてオーディションを受けたというジェイミー・ベルは、6歳からダンスを始めた。「ある大会で女の子がリズムをはずしてタップ・ダンスをするのを見て、僕ならもっと上手にできるよって言ったらママが教室に通わせてくれたんだ。でも慣れるまではすごく練習しなくちゃいけないし、学校では、女がやることだって言われた。だから男らしくサッカーの練習に出てから、内緒でダンス教室に通っていたんだ」
ダルドリー監督との共同作業については、「監督はこうしなさい、ではなく、こんな風にやってみてもいいよって言うんだ。僕のアイデアも取り入れられたよ。ダンスシーンはみんなで完璧にやらなくちゃいけないから、すごく疲れた。T・レックスやその他の音楽がだんだん好きになっていったので、音楽にとても助けられたけどね」と振り返った。
ウィルキンソン先生役のジュリー・ウォルターズは、主人公ビリーについて「彼は男の世界で生まれ育ったから、急いで大人にならなくてはいけない。彼がダンスを必要としている理由はそこにあるの。ダンスはすべてから解き放ってくれるー怒りや悲しみを表す声なのよ」と語っている。
少年らしい振付とパワフルな映像
振付のピーター・ダーリングは子供たちが踊っている映像をいくつも観たり、ジェイミー・ベルの動きを観察したりして振付をした。「ジェイミー自身も外の世界へ出たい、自由になりたいと望んでいるのが感じられた。だから彼の振付は攻撃的なものにした。例えばビリーが踊りながら壁に向かっていくシーンは、壁を突き破ろうとすることメタファーだが、荒っぽい非女性的なダンスもあるんだということも示している」
撮影監督のブライアン・トゥファーノは、ピケラインの中に入り込んで撮影し、押し合いへし合いする人並みの中で地面に投げ出されたほど。ストライキを起こす10万人の怒りのエネルギーを捉えるため、カメラのフレームの中で演技をしてもらうのではなく、キャストたちの演技に合わせてフレームを決めたことでより臨場感のあるパワフルな映像に仕上がった。
またダンスシーンでは、よりワイドでオープンなフレーミングにし、周囲の圧力から自由になろうとするビリーの思いを際立たせた。「1930年代のフレッド・アステアの映画で使われた手法で撮影したんだ」と明かしている。
ロケ地
撮影は1999年8月、イングランド北東部でスタートしたが、ロケ地探しで特に難航したのは現役の採掘場探し。幸い北東部に残っていた最後の炭坑を確保できた。ロケ地となったイージントンは、まさにリー・ホールが念頭において脚本を書き上げた場所だった。
また群集シーンのエキストラは地元の新聞で募集され、北東部の400人以上の人々が映画づくりの“魅力”に触れた。若きスター・ジェイミー・ベルを一目見ようと訪れる少女たちも日に日に増えたが、彼はファン全員に平等に接していた。中には毎日通ってくる熱心な少女もいた。撮影隊の来訪は当時、地元に話題と経済効果を生み、活気をもたらしたのだった。
脚本ができたきっかけ&ロイヤル・バレエ学校でリサーチ
脚本のリー・ホールは、自分の子供時代のことを書いていた時に、この本作のインスピレーションが閃いたという。1984年の炭坑ストライキは英国の戦後史における重要な事件である。「ストライキの失敗を決定的にした共同体の中の様々な緊張関係を見つめることで、あの事件を間接的に描きたいと思った。家族や地元社会に逆らい、より大きな世界に立ち向かう少年のイメージが浮かぶと、物語はひとりでに出来上がっていった」と語っている。
またバレエに関してはリサーチの必要があり、実際にロイヤル・バレエ学校を訪れ、ビリーと同じような小さな村の出身のダンサーたちにインタビューを行い、脚本の参考にした。
ケン・ローチとビクトル・エリセとビル・ダグラスを尊敬しているホールは、脚本のあちこちでオマージュを捧げている。「これは、主人公が人生の美しさと意義を見つける青春物語であり、『ケス』と『フル・モンティ』と『ブラス!』を合わせたような作品なんだ」と語っている。
脚本との運命的な出会い
プロデューサーのグレッグ・ブレンマンは脚本のリー・ホールが持ち込んだ1枚のシノプスに胸を躍らせた。厳しい状況におかれた炭鉱地帯でバレエ・ダンサーを志す少年というアイデアに魅了されたのだ。また、祖父が炭坑労働者だったというもう一人のプロデューサー、ジョン・フィンにとっては他人事ではなかった。「母方の家族は全員、今回のロケ地の採掘場で働いていたんだ。一族の中で家を出てカレッジに進んだのは僕が最初だったから、故郷から出ていく気持ちもよくわかるよ」と話す。
そんな本作の監督に白羽の矢が立ったのはスティーヴン・ダルドリーだった。当時、英国で最も成功している劇場ロイヤル・コートの芸術監督を務め、ロンドンやブロードウェイの一流劇場で数々の名舞台をプロデュース・演出し、“現代演劇界の顔”として知られていたダルドリーは、すでに新たな一歩を踏み出す用意ができていた。ダルドリーはプロデューサー陣から渡されたリー・ホールの脚本に感動し、「これこそ自分が撮りたい映画だ」と思ったという。「僕はノッティング・ヒルにあるゲート・シアターを運営していた頃にリーと組んだことがあるが、その当時からなんてすごい才能の持ち主だろうと思っていたんだ」と振り返っている。そして本作がスティーヴン・ダルドリーの長編映画監督デビュー作となった。