Svelandski氏の秘められた日記

Sportlov

2025-02-17 (月)(令和7年乙巳)<旧暦 1 月 20 日>(友引 丁巳 九紫火星) Alexandra Sandra 第 8 週 第 27764 日

 

朝起きるとどうも腰の調子が良くない。それでまた寝たりする。だが、かういふ時は寝るよりも運動をした方が良いことを経験的に知ってゐるので、早速プールへ行くことにした。中5日休んだだけであるのに、えらく久しぶりに泳ぐ感じがした。今日から第8週で、僕らの地区の学校は Sportlov に入った。そのせいか、プールはいつもより混んでゐた。Sportlovといふのは冬休みの様なものである。スウェーデンでは年末のクリスマス休暇こそ長いが、お正月は1月2日から学校があり、春の復活祭まで祝日がない。しかも今年の復活祭は4月20日と遅いので、その中間にあるSportlovは生徒たちにとって貴重な休みの一週間となる。そんなわけで、プールはいつもよりやや混んではゐたが、マイペースで泳ぐことができた。先週の後半は少し気持ちが緩んだ。何かの心配事がひとつクリアするとホッとして、心の電圧が急速に下がることがある。すると何もする気がなくなる。立派な人はそこをグッと頑張るのだが、僕はヘナヘナと寝てしまふ。すると、連鎖反応の様に身体の調子もをかしくなる。今回は腰に違和感が出て、歩き方もカッコ悪くなった。プールに行かない日は別の方法で体を動かさねばならないのだが、それをサボるとたちまち体調に現れる。一日一日が大事なのだ。今日はプールに行くことができて、心の電圧も正常に戻ったかな。腰の調子も幾分良くなった気がする。明日も、もし元気があれば、続けていきたいと思ふ。

Teaterparken

 

老朽マンションの課題

2025-02-16 (日)(令和7年乙巳)<旧暦 1 月 19 日>(先勝 丙辰 八白土星) Julia Julius 第 7 週 第 27763 日

 

朝日新聞に老朽化したマンションをどう処理するのかについての記事が載ってゐた。建て替へには多額のお金がかかるし、共同所有であるので色々と大変だといふ。そんな問題ってどこの国にもあるのではないかと思ふが、スウェーデンではその様な悩みをあまり聞かない(僕が知らないだけで、再開発などのために古い建物が解体されることはままあるのかもしれない)。ひとつの理由は建物の骨組みや外壁がしっかりしてゐて、内装を手入れするだけで、相当古い建物でも長く利用されることがあると思ふ。また管理体制がしっかりしてゐることもある。例へば僕が今住むアパートは不動産としては自分の所有でなく、かといって何年契約で借りるといふ賃貸スタイルでもない。この部屋に住む権利を所有するといふかたちである。毎月の必要経費は管理会社から請求が来る。ここを出たい時はその住む権利を誰か他の人に買ってもらふことになる。建物自体は自分の所有ではないので、もし災害にあっても建物の損傷は自分の負担にならない。建物の屋根やドアや窓は時期が来ると交換してくれる。よくできてゐると思ふ。日本でも将来的には不動産の分譲を禁止すれば良いのではないか。やや公的な管理会社がその不動産を所有して、住民はそこに住む権利だけを購入する様にするのだ。これは投機を目的とした不動産の所有を禁じる効果もあると思ふ。長期的な建て替への費用の積立などは、管理会社が責任を持って計画すれば、住民も市役所もあまり悩まなくてすむのではないかと思ふ。

寒かったがよく晴れた

 

平家物語 巻第六 「嗄れ声 3」

2025-02-15 (土)(令和7年乙巳)<旧暦 1 月 18 日>(赤口 乙卯 七赤金星) Sigfrid 第 7 週 第 27762 日

 

7月28日になると、妙音院殿(太政大臣藤原師長)が院の御所へ参上された。妙音院殿はかつて長寛2年(1165年)にも土佐の配所から帰京したことがあったが、その時には、御前の簀子で、賀王恩(唐の太宗が父太祖の徳をたたへるために作曲した曲。皇恩によって無事に帰京したことを謝する意味でこれを奏した)・還城楽(胡人(中国東北方に住む異民族)が蛇を持ち袖に入れて舞った踊り)を弾かれた。今回の養和の帰京では、仙洞御所で秋風楽をおひきになった。どの音楽を奏せられたときも、その音楽の風情と演奏の時機とをご考慮なさってをられたらしい師長公のお心づかひこそ立派であった。その同じ日に按察大納言資賢卿も院の御所へ参上された。後白河院は「ああ、夢のように思ふぞ。住み慣れない僻地に長くゐたから謡曲なども今はすっかり忘れてゐることだらう。だがどうだ、今様のひとつも歌ってはくれまいか」とおっしゃったので、大納言は拍子をとって歌ひ始めた。もとの今様は「信濃にあんなる木曽路河」(信濃にあると言はれる木曽路河)といふ歌詞であったのだが、大納言は流されて実際にその地に行って見てきてゐるので「信濃にありし木曽路河」と歌詞の一部をかへて歌はれた。このようなアドリブは時期に適したお手柄ともいへよう。

昨夜少しばかりの雪が降り、白い世界になった。空にチラホラと漂ふ粉雪には春の雪の趣があった。

 

平家物語 巻第六 「嗄れ声 2」

2025-02-14 (金)(令和7年乙巳)<旧暦 1 月 17 日>(大安 甲寅 六白金星) Alla hjärtans dag Valentin 第 7 週 第 27761 日

 

その年(1181年)の 7月14日に改元された。(これまでの年号は治承)新しい年号は養和とされた(養和が続いたのは10ヶ月間である)。その日、筑後守貞能は筑前・肥後の両国をたまはって、鎮西の謀反を平らげるために西国に向けて出発した。その日はまた非常の大赦が行はれて、去る治承3年に流罪にされた大臣たちが都に召し返された。松殿入道殿下は備前国よりご上洛。太政大臣妙音院は尾張国よりお上りになった。按察大納言資賢卿は信濃国より帰洛なさったといふことである。

放射冷却といふのか晴れたが寒かった。明日はもっと寒くなる予報

 

平家物語 巻第六 「嗄れ声 1」

2025-02-13 (木)(令和7年乙巳)<旧暦 1 月 16 日>(仏滅 癸丑 五黄土星) Agne Ove 第 7 週 第 27760 日

 

越後国の住人、城太郎助長が越後守に任じられた。城太郎は木曽義仲を追討するために三万余騎を集めて6月15日に出発の準備を整へた。その夜半には急な大風が吹いたり、大雨が降ったり、雷がなって大変な天気になった。16日の朝6時頃にいざ出発といふ時になって、空が晴れたかと思ふと雲井から大きな声が聞こえてきた。声はしはがれ声でどこかかすれた様な声である。その声は「南閻浮提金銅十六丈の盧舎那仏、焼き滅ぼしたてまつる平家の味方をするものがここにあるぞ。めしとれや。」と三度叫んで通り過ぎた。城太郎をはじめとして、この声を聞いたものは皆身の毛よだち、郎党どもは「これほど恐ろしい天のお告げがあったのだから、なんとしてもここはとどまってください」と申したのだが、「弓矢とるものがそんなことにしたがふわけにはいかん」と言って、その16日の朝6時頃になると城を出発した。そしてわづかに1キロメートルほど行ったばかりのところで、ひと群の黒い雲が流れ来て、ちゃうど助長の上に覆ふ様に見えた。にはかに身すくみ、意識を失って助長は落馬してしまった。輿に乗せて館へ帰り手当てをしたのだが、6時間ほどして遂に死んでしまった。飛脚を飛ばしてこのことは都に報告された。平家の人々は大いに驚き、恐怖のために心の落ち着きを失った。

心なしか春の感じあり

 

総理の微笑

2025-02-12 (水)(令和7年乙巳)<旧暦 1 月 15 日>(先負 壬子 四緑木星)満月🌕 Evelina Evy 第 7 週 第 27758 日

 

石破首相は日米首脳会談を終えられて、その成果は大きかったのではないかと思ふ。印象的であったのは、石破首相がトランプ大統領の隣で、結構ニコニコされてゐたことかなと思ふ。あんな風にニコニコされるお姿は日本国内ではあまり見られないのではないかと思ふ。日本国内でももっとニコニコされれば国民受けはよくなるかもしれない。だが、それはなかなか難しい要請かなと思ふ。世の中には「いつも微笑んでゐなさい」とお説教する人もあるが、極端な話、例へば原子炉がメルトダウンしつつある状況を国民に知らせる時とか、東日本大震災の様な大災害の状況下で、ニコニコ笑ひながら状況を説明したら、「おめえ、何考へてるんだ」と言はれてしまふ。政治家といふのは、そもそも笑へる状況が許されない職業かもしれない。笑ふには勇気が要る。でも、外国で総理がニコニコされてゐるのを見た時は、幾分こちらも安心したような気分になった。大事なことだと思ふ。

Nyköping川の流れ

 

性善説と性悪説

2025-02-11 (火)(令和7年乙巳)<旧暦 1 月 14 日>(友引 辛亥 三碧木星建国記念の日 Yngve Inge 第 7 週 第 27757 日

 

性善説を提唱したのは孟子性悪説を提唱したのは荀子であるとされてゐる。これは東洋的な分類であるなと思って、チャットGPTに「ヨーロッパの哲学の中に性善説性悪説はありますか」と聞いてみた。すると、「それに近い考へ方はありますよ」とこたへてくれた。鵜呑みにはできないがその結論を書くと、性善説に近いのはルソーで、社会が人を堕落させるといふ考へ。性悪説に近いのはホッブズで、人間は本来自己中心的であるといふ考へ。また、その中間的な立場としてはロックで、人は白紙であり環境次第でどうにでもなるといふ考へ、とあった。ふーん。日本は戦争に負けるまでは家でのしつけが結構うるさかったのではないかと思ふ。そしてそれが子供の成長、人格の形成を育むことってあったと思ふ。不条理だと思っても子は親に絶対服従みたいなところがあった。ある程度まではその様なやり方の方が、社会は平和になるのではないかと思ふ。この頃のニュースを見ると、一流の銀行員が顧客を騙す様な事件も起きる様だが、それって企業の責任かなと思ふ。学校を卒業して入社してきた社員に対して、もしその様なレベルからの教育が必要なのであれば、日本の教育システムってものすごく効率が悪いことになる。性善説性悪説。どちらか一方に偏ってはいけないが、今の日本はそのバランスがうまく取れてないのではないかと思ふ。

冬の港。霧のヨットハーバー