そのマンションは「宮益坂(みやますざか)ビルディング」。商業ビルのような名前だが、1953年に東京都が分譲した、日本初といわれる分譲マンションだ。地上11階建て地下1階建てで、1階が店舗、2~4階が事務所、5階以上が住宅として分譲された。以来63年の歴史を刻んできたが、老朽化には抗えず、この春に解体工事がスタートすることになった。
63年前といえばマンションの憲法といわれる区分所有法(1962年制定)が制定される9年も前の話。それ以前にも同潤会アパートなど賃貸の共同住宅は開発されていたが、一般向けに分譲されたのはこの宮益坂ビルディングが初めてらしい。吉田首相がバカヤロー解散をし、日本初のスーパーマーケット紀ノ國屋が青山にオープンしたのもこの年だというから、歴史を感じさせる。
売主の東京都が2億円の工費を投じて建てたとされる、当時としては最先端の共同住宅は、すべての住戸が34.01m2の広さで、価格は102万2000円。今なら億ションとされる価格らしい。新聞記事では「天国の百万円アパート」「特別船室さながらの豪華版!」などとして話題になった。全70戸のうち47戸は会社重役が申し込んだとか。
そんな歴史あるマンションが今、どうなっているのか、見に行ってみた。渋谷駅から徒歩2分ほどの宮益坂に面した場所に、その古めかしいビルがあった。1階は店舗がいくつか並ぶが、すでに閉まっている。ガラス張りのエントランスを入るとちょっとした吹抜けのホールが現れる。2階の事務所フロアへ上がる階段の脇の壁にはこれまたガラス張りのショーケースが並び、絵などが飾られている。
驚いたのは、エレベーターが2基あることだ。もちろん住宅としては初めてだったらしく、当初は青い制服姿のエレベーターガールがいたという。エレベーターの横には鉄製の白い箱のようなものがあるが、これはメールシュートだそうだ。各階の差し出し口から手紙などを入れると、1階まで落下し、たまった郵便物を郵便局員が回収してくれる仕組みになっていた。このマンションにはゴミ出し用のダストシュートも付いており、さすが億ションだけのことはある設備内容だ。
風もないのに揺れるエレベーターに乗り、5階の住宅フロアへ。すでに居住者は退去しているが、室内がほぼ分譲当時のままという住戸を見ることができた。和室二間の2DKで、玄関を入ると台所という間取りだ。台所には食器棚を兼ねた茶だんすがつくり付けてあり、隣のガス風呂のお湯を台所側から沸かせるよう焚き口が付いている。和室の窓は木枠になっているが、これはスチール製のサッシに木を張り付けたものだそうだ。
この住戸のオーナーで15年前から管理組合の理事をしているという満田さんによると、「母の姉が新築時に購入し、そのあとずっと母が住んでいました。母は亡くなるまで一度もリフォームもせず、大事に暮らしていたんです」とのことだ。
また、10年前から理事長を務めるウレマンさんは、「区分所有が整備される前の物件なので、権利調整の手続きが複雑で、リーマンショックのときには一度頓挫しました。ですが、話が出てから25年かかってようやく建て替えが実現することになりました」と話す。
もう一度エレベーターに乗り、最上階の11階へ。無人となった住戸が並ぶ廊下を抜けると屋上に出た。この建物はセントラルヒーティングなので、地下のボイラー室につながる煙突が立っている。その後ろには渋谷ヒカリエの偉容が間近に迫る。まるでタイムマシンを抜け出たかのような光景だ。
建て替え事業には旭化成不動産レジデンスが事業協力者として参画する。同社はこれまでに東京や大阪などで25件、24プロジェクトのマンション建て替えに参画しており、渋谷駅周辺では公園通り沿いの宇田川町住宅の建て替えも手がけた。
今回の宮益坂ビルディング建て替え工事は2019年に竣工の予定。建て替え後は店舗と事務所のほか、住戸は以前の2倍以上となる152戸に増える計画だ。同社によると、「従前の所有者の約8割は建て替え後も所有する見込み。分譲戸数は70戸で、専有面積は30〜78m2を予定している」とのことだ。
周辺の渋谷駅東地区では渋谷ヒカリエを中心とした再開発が進められており、建て替え後は銀座線上に設置されるスカイデッキが建物の3階部分と接続するという。発展し続ける渋谷の駅近くに立つマンションなだけに、坪単価がいくらになるのか予測が難しいが、オーナーになった自分を想像するだけでも楽しいかも。