ともしびの歌 : daily-sumus2
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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


ともしびの歌

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これも善行堂で求めた一冊。臼井喜之介『ともしびの歌』(ウスヰ書房、昭和十六年二月五日)。持っているような気がしたのだが、善行堂が「ここに挟んであるしおりが貴重や」と主張する。それも持っているような気がしたのだが、コピーだったかもしれないと不安になったので買っておくことににした。そのしおりのなかの『ともしびの歌』の説明に次のようにある。

《久しく品切れのところ、第二詩集「望南記」刊行を機に私蔵版を頒たんとするものである。》

『望南記』は昭和十九年の発行だから、奥付には初版と同じく昭和十六年発行としてあるものの、この『ともしびの歌』は実は昭和十九年発行のようである。

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二〇一一年のブログにこの本と異版について書いていた。書いたことは覚えていたのだが、内容は忘れていた。


このとき異版の刊年が不明だったわけだが、上述のしおり文から昭和十九年だということがはっきりした。善行堂の口車に乗っておいて良かった。

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初版本


しかも架蔵の十九年版にはカバーがある。善行堂のものはカバー欠だった。ただし、表紙の紙の質が明らかに違う。昭和十九年ともなれば、紙の確保も容易ではなかっただろう。みな同じ表紙というわけにはいかなかったか。

よくそんなときに詩集が出版できたな、と思わないでもないが、内容的には、巻頭に戦争賛歌をずらりと並べてカムフラージュ(?)しているため、不要不急とはみなされなかったのかもしれない。

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後半の抒情的な作品群からではなく戦争讃歌の方からひとつ引用してみる。この作品に限ると必ずしも讃歌とばかりは言えないか。


  神々の街

弔旗を垂れた街に
白木のはこの姿で帰つてみえた神々の一日

その日から 私は
むちやくちやに歩くのが好きになつた
閉ぢこもつてゐたよろひ戸を蹴やぶり
空つ風のただ中にをどり出て私はあるく
脚を地につけて歩く

いまはぢかに土にふれる喜びにいつぱいになり
どしんどしんと手をふつて歩くーー

大路をそれた横みちのあたりにも
神々の讃歌がひびいてくるではないか
それは 乳を求める嬰児の飢ゑの叫びではないーー
いつか私の心に住む 神々の合唱なのだ

かげればかげるで 陽が照れば照るで 虔しい掌を合はしてゐる神々
ないもかも裸で いまは 私もそこへ行ける
敗北のうたではないーー
心からの勝利のうたをくちずさみ
私が 私の貧しさに跪いたあさから
ぐんぐんと 神々の群れのなかへ
大手をふつて入つてゆけるのだ

いつか己れ自身を神の名でよびながら
どしんどしんと
元気いつぱい歩いてゆける日が来たのだ。

by sumus2013 | 2020-04-26 16:51 | 関西の出版社 | Comments(0)
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