daily-sumus
2024-09-28T13:19:16+09:00
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林蘊蓄斎の文画な日々
Excite Blog
読む人
http://sumus.exblog.jp/32152779/
2024-04-08T16:09:00+09:00
2024-09-28T13:19:16+09:00
2022-08-14T10:41:33+09:00
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読む人
ルドン 1900
中村趫「Never lLet me See」
A "Walking Library" in London, circa 1930s
Hieronymus Bosch, detail from The Last Judgment
ピエール=オーギュスト・ルノアール「庭で膝に犬をのせて読書する少女」1874
Sienese school : Cover of an account book1343(d)
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読む人
http://sumus.exblog.jp/26687456/
2022-04-29T13:13:00+09:00
2022-04-29T13:13:35+09:00
2017-03-01T08:29:19+09:00
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Zinaida Serebriakova/Boris Serebryakov, 1908
Paul Newman and Joanne Woodward
青山義雄「二人の男」 1922
Carl Holsoe
ローレンス・アルマ=タデマ「お気に入りの詩人」1888
Maddalena leggente è un dipinto di Ambrogio Benzone. Eseguito verso il 1520
パリ、セーヌ川堤の古本屋 1900頃
「源氏物語絵巻」第五十巻東屋「中の君、物語絵を見せて浮舟を慰める」
遠山五郎「婦人読書図」1922
from the famous Codex Amiatinus, the earliest surviving manuscript of the complete Bible in the Latin Vulgate, made in Northumbria around 716
Botticelli, Chants d'anges, 1467
水着姿でジェイムズ・ジョイス『Ulysses』を読むマリリン・モンロー撮影:イヴ・アーノルド(Eve Arnold)
Duilio Barnabé (1914-1961) Untitled
Hypatia of Alexandria
Pierre Bonnard, La lecture, circa 1905
Edward Hopper, Compartment Cars
Winslow Homer , The New Novel, 1877
Rogier van der Weyden - Magdalene Reading (1445)
Goya, Woman reading to two children
William Wood"An interesting story"1806
Bichitr - A Scribe, Mughal India, ca. 1625
ハンマースホイ「読書する女性」1903
二宮尊徳先生像(京都府立図書館前)小倉右一郎+上田貴丸、1940
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ふるほんのほこり発売中
http://sumus.exblog.jp/29498799/
2019-06-30T16:55:00+09:00
2019-11-23T20:18:45+09:00
2019-06-30T16:55:30+09:00
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著述関連
書肆よろず屋さんの企画で『ふるほんのほこり』を上梓しました。
筑摩書房のPR誌『ちくま』2009年1月号から2010年12月号まで24回連載した古本エッセイ「ふるほんのほこり」を収録し、さらに『coto』7号に発表した「ふるほんは宝物だ」を加えて四六判64ページにまとめました。限定500部。頒価1000円。
十年ほども前のエッセイなので、多少時代の変化を被ったところもあります(例えばブログよりもTwitterが主流になったこととか)。経年劣化です。しかし元来が古本の話ですからエッセイの内容そのものは古くなっていないと思います。
《ほこりを払う
「来年から二年間「ちくま」の表紙と文章をお願いできますか?」
こんなメールが筑摩書房のPR誌『ちくま』の編集長・青木真次氏より届いたのは二〇〇八年七月七日だった。もちろん即座に承諾した。『ちくま』は一九九八年以来、吉田篤弘+吉田浩美のデザインでPR誌に新風を吹き込んでいた。九八、九九年の表紙をクラフトエヴィング商會「らくだこぶ書房21世紀古書目録」が飾り、以降、たむらしげる、望月通陽、フジモトマサハル、そして奈良美智と続いていたのである。「奈良美智から引き継ぐのか!」と気を引き締めたものだ。》
《久しぶりに当時の日記を見直してみて驚いた。この頃は何とまあ、めまぐるしく様々な仕事に手をつけていたことか。創元社から『書影でたどる関西の出版100』を刊行することが本決まりになり、第一回のパリ古本屋巡りを計画し(そして実行し)、衛星放送の番組「Edge2 今を、生きる」の撮影準備に取りかかっていた[56頁以下参照]。『佐野繁次郎装幀集成』を製作しつつ大阪の箱庭さんでの佐野繁次郎展のお手伝いもし、編集工房ノアの企画で還暦本の原稿も書いていた(刊行されず)。東京美術倶楽部のアートフェアーでの個展も決まっていた。同時に『spin』を作っていたわけだから、今では信じられないほど働いている。五十三歳だった。
二〇〇九年から一〇年にわたる二年間の連載はつつがなく終了した。絵はまとめて入稿していたし、テキストが遅れることもなかった。神戸のギャラリー島田と渋谷のウィリアムモリスで原画展を開催し、渋谷では青木さんとトークショーもやらせてもらった。しかし、これを本にするという話はおくびにも出なかった。一部の古書好きの人たちにはおだてられ、連載が終って『ちくま』が面白くなくなったとまで言ってくれる人もいたのだけれど、一般読者の注意は惹かなかったのだろう。今、時をおいて読み返してみると、たしかにかなりマニアックな内容ではある。そんなことで「ふるほんのほこり」はお蔵入り、パソコンの中で文字通り(いや比喩的に)ほこりをかぶっていた。
「『ちくま』の連載をまとめましょう!」
こう提案してくれたのは書肆よろず屋の岡田将樹氏。連載終了から八年余りが経っていた。これ以上の有り難い話はない。やおらほこりを払って原稿に手を入れ、取り合わせる写真を用意した。この間に大切な人たちが何人も亡くなったことを再確認して愕然とした。それだけの時間が流れたのである。ただ、内容は古本の話だけに案外と古くなっていないようだ。そっと胸をなでおろしている。》
目下発売中です。ご注文は古書善行堂へ、よろしくお願いいたします。
古書善行堂
http://zenkohdo.shop-pro.jp
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TH works オープン!
http://sumus.exblog.jp/29259797/
2019-02-16T15:16:00+09:00
2019-02-16T15:16:30+09:00
2019-02-16T15:16:30+09:00
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画家・林哲夫
TH workshttps://thworks.thebase.in
BASE というネットショップに「TH works」というショップをオープンしました。画家=林哲夫のオブジェ、コラージュ、水彩小品、版画などがお求めいただけます。今後、徐々にアイテム数を増やして行きたいと思っております。管理人は art-tsuma ですので、どうぞよろしくお願いいたします。
絵を売るオンナ
https://nabequest.exblog.jp/30405535/
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本の虫の本
http://sumus.exblog.jp/28667405/
2018-09-19T07:57:00+09:00
2018-09-19T07:57:57+09:00
2018-09-19T07:57:57+09:00
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著述関連
https://sumus2013.exblog.jp/29987271/
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読む人
http://sumus.exblog.jp/25809047/
2016-11-01T08:33:00+09:00
2016-11-01T08:33:07+09:00
2016-05-17T20:14:17+09:00
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読む人
Bernard Boutet de Monvel (1884-1949) Bouquiniste sur les quais de Seine, vers 1943
Pablo Picasso , Woman reading (Olga).
Georges de la Tour "Saint Jerome reading a letter" 1629
Gwen John , Dorelia by Lamplight
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読む人
http://sumus.exblog.jp/21359679/
2016-01-18T09:47:00+09:00
2016-05-17T20:16:53+09:00
2013-10-27T20:36:34+09:00
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読む人
Edward Burra, Composition Collage, 1929
Bronzino「Ritratto di giovane donna」
中村彝「少女」
Rogier van der Weyden, Man with Book
Jan Provoost, Santa Elisabetta d'Ungheria より
星加雪乃「お伽噺」1921
小島善太郎「読書」1925
コロー「読書する少女 La petite liseuse」
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移転いたしました。
http://sumus.exblog.jp/21974855/
2014-02-02T09:17:00+09:00
2014-11-07T20:46:03+09:00
2014-02-02T09:16:58+09:00
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古書日録
村上春樹『中国行きのスロウボート』(湯川書房、一九八四年)
下記に移転いたしました。
http://sumus2013.exblog.jp
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小詩集
http://sumus.exblog.jp/21310971/
2013-10-19T20:23:00+09:00
2013-10-19T20:26:53+09:00
2013-10-19T20:23:13+09:00
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古書日録
西本昭太郎『小詩集』(エバンタイ・クラブ、一九五四年一月)を昨日の市内ツアーで発見。高橋輝次の古書往来「中村隆と『輪』の詩人たち キー・ステーションとしての古本屋、そして金物店」によれば西本は兵庫県庁吏員である。だから兵庫県土木部に勤務していた光安義光とも親しかったのだ。
詩誌『粒』No.3(粒の会)
http://sumus.exblog.jp/19970544/
季村敏夫『窓の微風』(みずのわ出版、二〇一〇年)によれば西本は『粒』の他に『炎』(炎詩話会、一九四六年創刊)や『幻想』(伊勢田史郎、一九四九年創刊)を編集し、『クラルテ』(山本博繁、一九四七年五月創刊)や『Menu』(エバンタイ・クラブ、一九五〇年一〇月創刊)、『阿』(阿の会、一九六三年一月創刊)に参加していた。
別刷りの挨拶文には《作品は昭和二十二年から昭和二十八年までの七年間にMENU, CLARTÉに主として発表したものを年次別に収録いたしました》とある。
奥付には《本文製版 西本昭太郎》としてあるから、西本自らガリ切りをしたということになるのだろう。
西本昭太郎の著作
小詩集 エバンタイ・クラブ 1954
庶民考 エバンタイ・クラブ 1956
頬を裂く 粒の会 1957
庶民考第2部 粒の会 1958
冬の座から 粒の会 1959
庶民考第3部 粒の会 196O
近況 粒の会 1968
薔薇の灰 粒の会 1972
流れのまゝに 粒の会 1976
私信 粒の会 1980
西本昭太郎詩集 日本現代詩人叢書第70集 芸風書院 1982
詩集としては印刷も良くないし、ノドの開きも悪く、粗末な体裁だと言っていいだろう。西本の詩そのものもやや甘い。しかし、この何とも言えない佇まいからは詩に対する特別な思い、詩集を上梓する深い喜びがはっきりと伝わってくる。それこそが最も大事なメッセージなのかもしれない。
ついでながら廣田善夫のエバンタイ・クラブからは桑島玄二『少ない雨量』(一九五五年)も刊行されている。
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牧野伊三夫展ツアー
http://sumus.exblog.jp/21305422/
2013-10-18T20:38:00+09:00
2013-10-18T21:02:09+09:00
2013-10-18T20:37:37+09:00
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もよおしいろいろ
個展終了でとりあえず一息ついた。来週はまた少々ドタバタしそうなので、本日市中を一回り。まずはメリーゴーランド京都で牧野伊三夫展。上の写真の真ん中に写っているコラージュ(+ペインティング)が渋くて実に良かった。展示はどれも抽象的な作品だった。
バスで河原町通りを北上し今出川で下車。善書堂の均一をのぞき、歩いてWEスペース下鴨・ギャラリー&カフェへ。知人が参加している「5つの表現展」を見る。通りから奥まった隠れ家風になっており、花々が咲き乱れる庭を眺めてゆったりできるスペースだ。
出町柳まで歩いてバスに乗り、白川通りまで。久し振りのガケ書房で牧野伊三夫展。こちらは具象的なスケッチ風の作品が中心。写真が一点あって、これがまた欲しくなるほどの逸品。
来年の花森安治カレンダーの表紙が素晴らしく、これも欲しくなった。結局は店内の古本棚から詩集一冊求めただけでガマン。牧野さんの題字とイラストのフリーペーパー『飛騨』と『雲のうえ』をもらう。活版刷の絵葉書は購入。
善行堂へ立ち寄る。主人不在。遠路、鹿児島へ出張中だとか。奥さんとしばし雑談。三本松という地名が出て来てびっくり仰天。
二条通へ回って水明洞を見る。珍しく何も買わなかった(!) そこから目と鼻の先のブックカフェ&ギャラリー・ユニテ UNITÉを訪問。二条通りからわずかに北へ入ったビルの奥にあるが、扉を開けると別世界の感じだった。右手ギャラリースペースには絵の他に陶芸、木工などの作品が常設されており、中央に書棚、左手がカフェである。神戸の個展に来てくださったご主人としばらく談話。
ユニテから南下。ユニテのご主人に頂命寺の境内を抜ける道を教えてもらう。仁王門通りに出て川端通りの手前で左折(南下)。町家のギャラリーnowakiでまたまた牧野伊三夫展。こちらはスケッチと抽象性の強い作品と両方並んでいた。小物もいろいろ。
牧野伊三夫展ちらし
http://chirashcol.exblog.jp/18705616/
最後にアスタルテ書房まで足をのばしてみた。残念ながらまだ「緊急入院」の張り紙はそのままだった。
***
海文堂書店の平野さんがブログを移転して再開しました。
ほんまに日記
http://hiranomegane.blogspot.jp
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最新理科教科書 理科篇
http://sumus.exblog.jp/21299425/
2013-10-17T21:05:00+09:00
2013-10-17T21:08:10+09:00
2013-10-17T21:05:38+09:00
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古書日録
秋山鐵太郎+高橋章臣『最新理科教科書 理科篇』(東京宝文館、一九一三年一二月五日訂正三版)。木口木版画の挿絵にひかれて購入。サインの入っている絵が三点(すべて人物画)、「修?」。
光の直進
水の濾過
羅針盤
石炭瓦斯
陶器]]>
個展終了いたしました
http://sumus.exblog.jp/21216856/
2013-10-16T22:14:00+09:00
2013-10-16T22:44:34+09:00
2013-10-05T09:50:00+09:00
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画家・林哲夫
「少女(マレ)」、「樹(プラタナス)」
「少女(ランビュト)」
*
12日15時より会場にて作家トーク「東京1978」無事終了しました。連休の初日、貴重な時間を割いてご来場いただいた皆様に深謝いたします。
トークの様子はこちら=http://nabequest.exblog.jp/20573669/
トーク後のパーティの模様はこちら=http://nabequest.exblog.jp/20573346/
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「自画像」、武蔵美に入った一九七四年の冬から翌年の正月にかけて完成させた作品。十九歳のころ。竹橋の近代美術館に常設されていた靉光の「自画像」が好きだったので、多少そんな風なところも見えなくもないが、靉光よりはずっと大づかみなタッチで勢い良く描いている。
*
海文堂書店で出会ったという父母をもつ生後8ヶ月のお客さまです!
ギャラリー島田
http://www.gallery-shimada.com/index.html]]>
スペクタクルの社会
http://sumus.exblog.jp/21285790/
2013-10-15T20:59:30+09:00
2013-10-15T20:59:09+09:00
2013-10-15T20:59:09+09:00
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おすすめ本棚
ギー・ドゥボール『スペクタクルの社会』(木下誠訳、ちくま学芸文庫、二〇一〇年四刷)読了。オザンヌ書店の目録でオリジナルの図版を見て興味をもった。海文堂書店に注文して入手したもの。
ギー・ドゥボール
http://sumus.exblog.jp/20720111/
ギャラリー島田でこの『スペクタクルの社会』を読んでいたら「林さん、シチュアシオニストですか?」と声をかけられた。「え? まさか違いますよ」と答えてはみたもののシチュアシオニストって何?というのが心の声だった(まだ途中までしか読んでいなかった。ただし、こういう問いかけに対しては常に否定で答えるべし。本書の解説まで読んで納得)。
「スペクタクルの社会」は社会はスペクタクル(見世物)だという、いかにも映画から出発したドゥボールらしい理論(というほどのものでもない、世界解釈とでもいうべきか)。一九六八年の五月革命に影響を与えたと言われているが、この内容で影響が与えられたのなら、よほど当時の学生や労働者は鬱積したものがあったとしか思えない。
文明論としてはいいところ衝いている。しかし運動となるには尖りすぎだろう。ドゥボールの基本的な考え方は「分離」である。スクリーンの前の観客たちに横のつながりがないように、現代社会に生きる個人はスペクタクルに目をくらまされ本当の生から分離(個別に疎外)されている。それにより権力は社会を容易に操作することが出来る。まさか世の中そんなに単純じゃないだろうが、ある種の先見性と言うべきかどうか、たしかに五十年前の世界よりも現在の世界に対しての方がよりいっそうぴったり当てはまる指摘もある。
《近代的産業にもとづく社会がスペクタクル的であるのは、偶然でもなければ、表面的なことでもない。そうした社会は本質的にスペクタクル主義的なのである。支配的経済のイメージであるスペクタクルにおいて、目的は無であり、発展こそすべてである。スペクタクルがなろうとしめざしているものは、己れ自身以外の何ものでもない。》
ドゥボール(一九九四年に自死)がスマホに支配されている現代人を見たなら、それみたことかオレの言った通りになっているとうそぶきそうだ。
《スペクタクルにおいて、世界の一部がこの世界の前で演じられ[=代理-表象され(se représente)]、しかもそれはこの世界よりも優れたものなのである。スペクタクルとは、この分離の共通言語にほかならない。観客どうしを結びつけるものは、彼らを孤立状態に保つ中心自体に対する彼らの不可逆的な関係だけである。スペクタクルは分離されたものを一つに結び合わせるが、分離されたままのものとして結び合わせるのである。》
《観客が凝視すればするほど、観客の生は貧しくなり、観客の欲求を表す支配的なイメージのなかに観客が己の姿を認めることを受け容れれば受け入れるほど、観客は自分自身の実在と自分自身の欲望がますます理解できなくなる。活動的な人間に対するスペクタクルの外在性は、客観の身振りがもはや彼自身のものではなく、自分に代わってそれを行っている誰か他人のものであるというところに現れてくる。それゆえ、観客はわが家にいながらどこにもいないような感覚を覚える。というのも、スペクタクルはいたるところにあるからである。》
ネット、スマホ社会にこそこれらの指摘はよりいっそう似つかわしい。ただ、ではそれをどうするのか、ということになると、まったく弱い。弱いというよりもドゥボールの説くプロレタリアートによる革命というものがスペクタクル社会のなかでそのまま自縄自縛に陥ってしまうのである。
シチュアシオニスト、これは以上のような状況を脱すべく実践活動を行う活動家の意味である。転用[détourment、方向を変える]という言葉がキーワードになる。ただしかし、この実践活動はある意味で文化的テロ、その昔ダダイストやシュルレアリストが行ったことと似通った(当人たちは否定するだろうが)かなり子供じみた行為である(例えば落書きだとか)。しかも仲間割れがひどい。除名のオンパレード。
結局彼らは最後には自らの理論で自らを終わらせることになる、というか、スペクタクルではない世界というものはしょせんこの世では成り立たないのである。映画を否定して映画を撮ることができないのと同じである。映画でないなら映画じゃないし、映画なら映画を否定できない。ジレンマ。
《七〇年に入ると、SI[シチュアシオニスト・インタナショナル]内外での行動の欠如と観念論的議論の沸騰が著しくなり、SIはこれに抗して、沈黙という武器で闘い、さらに、もはやSIの理論の普及の役割を果たさなくなった機関誌の刊行を中止した。》
《ドゥボールらはSIが「最後の形態の革命スペクタクル」とならないように、SIを破壊する闘争を開始する。》
自壊して終わるように運命づけられていた。
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ナシヨナル第二
http://sumus.exblog.jp/21279112/
2013-10-14T21:17:10+09:00
2013-10-14T21:17:12+09:00
2013-10-14T21:17:12+09:00
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古書日録
『ナシヨナル第二 NEW NATIONAL SECOND READER.』(吉岡平助、一八八七年三月一八日再版御届)。以前、細川平助発行の『ナシヨナル読本第二』を紹介した。本書はそれとほぼ同じ内容(元版の複製なので同じなのは当たり前)ながら細部が少し違っている。また、この吉岡版は質的には細川版より劣る。挿絵の木口木版もあまり上等とは言えない。
『ナシヨナル読本第二』(細川芳之助、明治二十一年第三版)
http://sumus.exblog.jp/4545371/
『ナシヨナルニユーリーダー』第三
http://sumus.exblog.jp/5945002/
明治二十年頃に英語リーダーが競って発行されたのは明治十九年に高等小学校で英語が正課と決まったからである。そこでいろいろな種類の英語のリーダーが発行された。これは西洋人の生活習慣が一般に広く普及するかなり有効な手段となったのではないかと思われる。
中にひとつ興味を引く挿絵があった。ちょっと変ったサンタの挿絵。
《Mamma was putting Milly and May to bed, the night before Christmas, and she told them this story.
"After little children are fast asleep, the good, old Santa Claus comes down the chimney with a great bag of toys."》
元版ももちろんこれに相応する挿絵だったのだろう(?)。なんともビミョーな姿である。サンタというよりナマハゲ?
日本で初めてクリスマスが祝われたのは何時か?
『彷書月刊』二〇〇五年一二月号「特集・明治のクリスマス」によれば、日本人だけの手になるクリスマスは明治十二年十二月二十五日に横浜公会で初めて行われたという(山本秀煌)。また明治七年には原胤昭(十字屋の経営者)が東京第一長老教会で受洗した記念として築地大学の宣教師カロゾルスの指導を仰いで行っている(『植村正久とその時代』)。
また明治十二年十二月四日付け朝日新聞には二十五日は耶蘇の大祭日なので信者を川口天主堂に集めて行事をする旨の記事が出ているという。同紙上では明治二十五年に東京の菓子店壺屋が「クリスマスお菓子」の広告を載せたのが「クリスマス」という言葉の初出だとも。記事に現れたのは明治三十二年だそうで「基督萬寿(クリスマス)」、またツリーのことを「クリスマス吊」と書いた。
原胤昭回顧談(前出書)によればサンタクロースも登場した。
《それから、サンタクロースだが、これは是非純日本風の趣向でやらうといふので、裃をつけ、大小を差し、大森カツラをかぶり、殿様風の身拵へ厳しき扮装にして、さて、そのサンタ爺さんの役をつとめたのは、誰あらう、戸田忠厚其の人であつた。》
殿様姿のサンタクロースも異形と言えば異形であろう。
巻末の大売捌所一覧。
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ハーディ 人生の書
http://sumus.exblog.jp/21261531/
2013-10-11T21:01:00+09:00
2013-10-11T21:09:50+09:00
2013-10-11T21:01:52+09:00
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古書日録
ハーディ『人生の書』(日高只一編、南北書園、一九四六年八月二五日)。装画が松本竣介。先月末の大阪巡りのときにかっぱ横丁で求めた。
かっぱ横丁では梁山泊の百円均一がなくなってしまって、ずっと淋しい思いをしていたのだが、三冊二百円のワゴンが別の店にあり、いつも文庫ばかりなので素通りしていたのを、ちょっとのぞいて見たら、これが出ていた。抱き合わせの他二冊もいい具合にすぐ見つかった。『人生の書』、すでに同じタイトルを一冊持っている。しかしこれは確保しておかねばならない。松本竣介装幀では下記の本も紹介した。
小林龍雄訳『ふらんす短篇集1』(南北書園)
http://sumus.exblog.jp/12085318/
編者の日高がサウス・ウェセックスのドーチスタ(ハーディの物語の舞台となった地方)およびそこに居を構えるハーディを訪問したときの様子を描いたエッセイも収録されている。なかなか面白く読んだ。
《夫人に丁寧に迎へられ、席をすゝめられて、暫く対座して、種々と世間話をする。
其処へハーディ翁自身が二階から下りて来られた。僕は其影を見ると思はず直ぐ席を起つた。八十有余の老大家、背が低くて、稍横に張つた体を、年の勢か、足したどたどと運んで来て、僕の前に立たれた、脳天は禿げて、周囲に残る髪は白くむしやくしやしてウェセックスに有名なヒースを思ひ起こさせる。静かに落ち着いて、而も力に、光に、暖さに輝く眼は枯草のやうな眉毛の下から覗いてゐる。懸崖から垂れる白いヘザーの様な口髭の下から静かに唇は動いて
Good day, I am glad to see you.
と実に懇ろな挨拶の言葉に、出される手は皺がよつて、骨が太く、指が短い、翁が建築師であつた名残だなと昔を偲びながら、当方も初対面の挨拶から、招かれたお礼を述べながら手を出すと、暖かに握られる其手は年の勢か顫へてゐた。》
日高は仲介者なしに直接ハーディ宛に手紙を出して訪問を願っていた。普通なら返事はもらえないところだが、夫人から招待の手紙がホテルに届き、運良く会うことができた。こういう時は手土産が気になる。
《贈物の印として、友人に画いて貰つて、持つて来た日本画の扇面と豊国の浮世絵とを贈つた処が、それが非常に気に入つて先ずそれが話題となる。
「此絵は調子が非常に落ち着いてゐてよい、少しも浮はついてゐない、シムプルの中に含蓄がある」》
お土産のおかげか話がはずみ、ハーディの作品が日本で翻訳されているかどうかという話題になる。
《日本で私の作を読む者がありますかね」
「え、大分あります」
心には難解の為か、さう沢山読む者がないといふ事を知りながらも、話のはづみで斯う答へざるを得なかつた。
「私の作の日本訳がありますか」
「短篇物は少しあるやうですが、長い物はまだないやうです。否、テスが半分だけ訳されて、後半だけ残つてゐます。実に惜しいと思ひます。》
ハーディは一九二八年に八十八歳で歿した。日高の訪問は一九二二年だから半分だけの翻訳というのは『テス : 運命小説. 前編』(山田行潦訳、文盛堂, 明治四十五年六月)を指すのだろう。しかし、この訪問の少し後で平田禿木訳『テス』(国民文庫刊行会)上巻(大正十四年)下巻(昭和二年)が出て、さらに続けて宮島新三郎訳、広津和郎訳、竹内道之助訳、石川欣一訳、山内義雄訳、井上宗次・石田英二訳、大沢衛訳、中村佐喜子訳、井出弘之訳、小林清一訳、田中晏男訳、高桑美子訳とごく最近まで翻訳はとぎれることがなく、『テス』の人気は素晴らしいと言わざるを得ない。今ならハーディに対して「そりゃもう、ずい分あります!」と胸を張って答えられるだろう。
この本に張られているレッテル。アベノの天海堂書店は「古本屋タレコミ情報」によれば二〇一〇年頃まで営業していたようである。
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