
中川紀元『小学生全集第四十一巻 美術と図画』(文藝春秋社、一九二九年四月二〇日、装幀=東郷青児)。
小学生全集が五十冊ほど均一に出ていた。状態は善くもなく悪くもない。これは全部買ってもいいと思ったが、それは止めておいた。そこで表紙の気に入ったものだけ、何冊か抜き出した。そのなかの一冊が本書である。戦前の東郷青児はやはり非凡なものをもっている。
小学生向けに美術とは何か、および美術の歴史を説明した内容である。著者はまずこう断っている。
《私自身絵を描く人間で、年中絵を描き、絵の事を考へ、他の人の描いた絵を見ることを仕事にしてゐるのですが、さて美術のことがどれ程わかつてゐるかと自分にきいて見ると、何一つわかつたことはないやうな気がするのです。》
正直な感想である。小生も日々そういうふうに感じている。
《結局自然なり美術なりの美しさを感ずる頭脳は各々の人が持つて生まれて居るもので、その感じ方にもいろいろあり又鋭いと鈍いとのちがひがありますが、その人の教養の程度と心がけとによつてそれの発達に差別が出来てくることになるて居ます。》
この部分には賛同できない。一般にこういうふうに思われがちだし、こうしておけば「美しさ」をある種の普遍的なものとして捉えることができる。しかしながら「美」は制度なのである。あるグループには共通しているが、別のグループには通じない。普遍の美なんてものは存在しない。だから如何ようにでも作り出せる。猿にはおそらく猿なりの美の観念があるに違いない。少なくともボノボくらいになれば絶対もっているはずだ。われわれにそれが理解できるかどうか、美が制度だとすれば理解できるはずなのだけれど。
今日は二三の古本屋を巡った。別に報告したようにアスタルテ書房は閉まっていた。心配でならない。それ以外の書店では案外な収穫があった。ひとつは岡本芳雄の戦争小説『山襞』(洸林書店、一九四四年三月三〇日)を見つけたこと。細川書店の岡本芳雄である。
細川叢書
http://sumus.exblog.jp/19744833/
岡本には戦争小説が二作あるはずで、もう一冊は『冬陽』(肇書房、一九四四年)。ところが念のために曾根博義『岡本芳雄』(EDI、一九九七年)を確認してみると『山襞』は昭和十八年発行となっている。そこでもう一度、今日買った『山襞』の奥付をよく見直した。たしかに《初版昭和十八年七月二十日》としてあるが、発行は昭和十九年三月三十日、五〇〇〇部なのである。再版とも何とも書かれていないけれども再版であることは間違いないようだ。初版は二一〇〇部。予想以上によく読まれたということだろうか。ただし現時点では日本の古本屋にもその姿はない。伊藤整が日記に「面白い」と書いているようなので、ちょっと読んでみようかと思っている。導入部は悪くない。
もう一冊は呉茂一『ラテン文法概要』(鐵塔書院、一九三三年四月一五日)。ラテン語を習おうというわけではなく、
小林勇の鐵塔書院の出版物だから興味を引いた。鐵塔書院はそれなりに出版物の数は多いのだが、部数が少なかったためだろうか、めったに見ないように思う。注意し始めて十年ほどにはなるだろうが、三冊か四冊買い求めただけである(むろん高額なものはスルー)。そういえば、
雑誌『鉄塔』全冊のCD-R版も持っていた……何とか紹介しないと。