素晴らしき哉映画人生 http://suama.exblog.jp 私ってどうしてこんなに古き良き時代が好きなのかしら ja suama 2011 Wed, 20 Apr 2011 21:08:17 +0900 2011-04-20T21:08:17+09:00 hourly 1 2013-06-01T12:00:00+00:00 素晴らしき哉映画人生 https://pds.exblog.jp/logo/1/200402/06/05/a000240520110305120243.jpg http://suama.exblog.jp 80 95 私ってどうしてこんなに古き良き時代が好きなのかしら 「We are TOMODACHI 」 Tony Shalhoub http://suama.exblog.jp/12451138/ http://suama.exblog.jp/12451138/ 昨晩は、久しぶりにケーブルTVで 「名探偵モンク6」 を観ました。
番組中のCMで、モンク役 Tony Shalhoub 氏(1953~) から被災地の方へのメッセージを流していました。
本国では2009年12月に、日本でも2010年7月にこの番組の放送は最終回を迎えましたが、
地震で被災した大切なファンの方へこころを伝えるため、再び日本のTVに登場しています。
そして、優しい語り口で・・・
「We are TOMODACHI 」 と。
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世の中のこと suama Wed, 20 Apr 2011 20:04:57 +0900 2011-04-20T20:04:57+09:00
岩手県山田町のいま 16 http://suama.exblog.jp/12443650/ http://suama.exblog.jp/12443650/ 東北地方、被災地では春本番ももう間もなくでしょうか。

山田町観光協会さんが、いま ”使わなくなったこいのぼり” を大募集中です!!
 (静岡県からもこいのぼりが寄贈されます!)
被災地のあちらこちらで、色艶やかなこいのぼりが元気に泳ぐ姿をニュースで見かけます。
ホッとする光景ですね。
天高く泳ぐ家族のこいのぼり・・・
空を見上げると ”上を向いて歩こう” の歌が聞こえてきそうです。

我が家には、こいのぼりはありませんが、友人の息子さんに節句のお菓子を贈ろうと思います。
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世の中のこと suama Tue, 19 Apr 2011 09:11:56 +0900 2011-04-19T09:11:56+09:00
岩手県山田町のいま 15 http://suama.exblog.jp/12430607/ http://suama.exblog.jp/12430607/ ここ数日、復興への新たな ”芽” が東北の桜の開花を待つかのようにほころび始めています。
”日本ユニバ震災対策チーム” さんのボランティアの動き。
山田町の地元スーパー ”ジョイス” さんのトラックやバンでの移動販売の開始など。
そして、先週水曜日に放送があった、山田町町長さんのTV放送。

山田町の友人も、町のあちらこちらの情報に喜びの声をあげていました!
今日の友人の声と、町の様子をお伝えいたします。

「そうそう、昨日盛岡に来る途中、スーパー ”ジョイス” の車数台が、
山田に向かって走っているのを見かけたので、
「販売が始まるんだ~♪」 と嬉しかったです!

私たちは、青空販売が近くにあるし、車で買出しは行かれるけれど、他のところは大変そう・・・。

車で買出しに行かれない人もいるので、移動販売は有り難いです!!」

「山田町民は、役場も大変なので、言いたい事も言えないので・・・
外部からこちらの声を伝えてもらえて有り難いです。
無線の存在も知らなかったので、今度役場で借りてきますね!

山田町でも、ボランティアを募集しています。 日本ユニバさんの活動有り難いです。

私は、ボランティアをしたいけれど、仕事のないときは息子の側にいてあげたいので・・・。
そこで、雑巾作りをすることにしました!
雑巾なら必要なものだし、家でも、学校で付き添いながらでも出来るし!
本当は ”肉体派” のボランティアをしたいけれど、ガマンです。」

「山田町の行方不明者は震災後ずっと、”調査中” で、この間、具体的な数字がやっと出ました。
その事で、賛否両論だったのですが、私は嬉しかったです。
山田町は町民ひとり、ひとり大事にしてくれている、と感じました。

震災後に残っている家を、一軒一軒まわり、ひとりひとり調べるのは大変な努力です。」 

13日、NHKさんで、山田町の 沼崎喜一町長(68) のいま を放送していました。_a0002405_22244145.jpg
震災で家を失い、現在役場に寝泊りしながら、
災害対策のリーダーとして町民を支える沼崎町長さん(写真右、愛称”モンチッチ”)。
町民に不安を与えたくない と力を注いでいたこと・・・それは行方不明者の人数特定でした。
他の自治体が数字を提示している中、山田町はずっと 「調査中」 のまま。
でもその裏では、役場総出の捜索活動がなされていました。
高台にある、山田町役場。
その地下にあった電源装置が浸水し使えず、住民台帳を見る事が出来ません。
過去の古い名簿を手作業でチャックし、地区の責任者との入念な調査を時間をかけてしてきました。
電源も限られており、端末のフル稼働は出来ない為やはり人の手を借りるしかありません。
そして、提示された行方不明者の数。
県外へ出ている人もいるため、今後は更に調査をし、不明者0 になるまで調べを続けたい・・・
そうおっしゃっていました。

沼崎町長さんの町民への思いが痛いほど伝わりました。
そして、金曜日、私は友人が以前から言っていた ”情報の伝達不足” などの要望を含めて、
役場へ連絡を入れました。
沼崎町長さんはあいにく会議中だと言うことで、昨日まで外勤だった方が応対をしてくださいました。
思っていた以上に、役場の仕事は厳しいものであるような印象を受けました。
今日から内勤になった・・・ということで、役所内の状況の把握も難しかったのでしょう。
町民の情報不足が今も続いていることは把握はされていないようでした。

地域で情報を受け取るには、役場から貸し出している、防災無線が欠かせないようでしたが、
友人はその貸し出しを知りませんでした。
以前から私も防災無線の話をしていましたが、
いまいち話がかみ合わなかったのはそういう訳もあったのですね。
宣伝カーのようなスピーカーを積んだ車も津波で使えなくなり、
唯一の情報拡散手段は防災無線だけの様です。

役場の方は防災無線を通して、町の情報を流しているので、
役場の掲示板には情報の貼りだしはせず、避難所へ貼るくらいだと言っていました。
友人はなんども役場や避難所へ足を運んでも、ボランティアや、炊き出しの情報を掴むことが出来ずにいました。でも、これからは小さなことでも情報の貼り出しをお願いしたので形となって皆に届くと良いですね。

沼崎町長さんは、役所内のボードに張り出される、亡くなった方々のリストを毎日確認し、
ひとりひとりの名前と顔を思い浮かべながら、在りし日の町民、友人を思い出しているそうです。
この、町長さんが山田町にいる限り、復興への道は明るい! そう思いました。
町を支えている方をこんなに身近に感じることの出来る山田町民の皆さんは、本当に幸せだな~!
沼崎町長さん、山田町役場の皆さま、くれぐれもご自愛くださいませ。

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世の中のこと suama Sat, 16 Apr 2011 20:57:16 +0900 2011-04-16T20:57:16+09:00
岩手県山田町のいま 14 http://suama.exblog.jp/12427391/ http://suama.exblog.jp/12427391/ 岩手県山田町の友人は、今、盛岡に一泊しに行っています。

木曜日、夜勤明けの彼女からメールが入りました。
良かった、先日の余震から途絶えていた 山田町 からのメール。
やっと、携帯の電波が復活! したみたいです。
今回も、彼女の声をお伝えいたします。

「いろいろな情報ありがとう!
兄ちゃん一家はずっと一緒に住むようで、
二階の息子と、私の部屋を占領されました(涙)。
それならば、家事をするとかあるのですが、まったくの パラサイト。
私もババ(母) もお疲れモードです。

余震のたびに、また生き延びた、いつまで生きられるのだろう・・・と、真剣に感じます。
明日は生きていないかもしれない・・・ だから、好きなことを我慢しないでやろう!
と、家族で話しています。」

「ババは、毎日5時に起きて、お弁当を作り、家族の食事を3食作ります。
私が 分担制にしよう! と言っても、いいから・・・ と。
私も家にいる時は、家事をし、仕事の時は割り当てを決めて、出勤します。
だけど、それから進歩なし・・・。

ババは、疲れてしまっているの。
でも、今日はリフレッシュしているのかな?
今、家に帰ってきたら誰もいない。
息子はジジ(父) と一緒に出かけたので、今日はババのお休みの日のようです!」

「そうなのよ!
山田町の町長さん、良い人なの!
以前、私が人間ドックの担当だったとき、町長さんがドックを受診したの。
すごく謙虚で、立派な人。感激して、お手紙を出したもの!!
町民は皆、町長さんを応援しているの。
頑張れ!モンチッチ(町長さんのニックネーム) って!!

偉い人は、いっぱいいます。
瓦礫の作業をしている人。
毎日、交通整理をして下さる、北海道警察の人・・・
外の作業は大変です。
”粉塵” が凄いの。
目や鼻に入るだけではなく、衣類の繊維の隙間に入り込み、
皮膚に入って、とても痒くなります(涙)。

自衛隊の人達も大変です。
配給のおにぎりも作っているそうです。そのおにぎり、美味しいのよ!
形は皆バラバラで、いびつだけれど、最近、三角の形になったり、海苔を巻いていたり、
”小技” が伺えます~!!

皆、凄い人ばかりで、私は何もしていない・・・とめげることもあります。
だけど、誰かの言葉で、自分の隣の人を幸せにしてあけると、
世界の人も自分も幸せになれる・・・
そう信じて、今出来ることを頑張ります!!」

_a0002405_1454988.jpg「木曜日は、お昼寝の後、配給に行ってきました。
_a0002405_150042.jpg中国の缶詰(写真左) 、日本のカップ麺とご飯のパック、台湾のカンパン(写真右) と、アジアンメニューでした。
中国の缶詰はナンダロウ?と思っていたら、日本のお汁粉のオモチを豆?や雑穀?にしたような感じです。甘さ控え目で、私は好きな味ですが、息子は未知の味にビビッていました。

今日はお出掛けなので、3:30に起きて家事をしています。
普段は震災スタイル (ジャージ、スニーカー、リュック) なので、
お出掛けの服を準備しようとしたら、大変!! 世の中は春なのです! 冬服しかない!
春の服は兄ちゃん達の部屋だ!
というこで、ジャージでお出掛けしま~す。」

「盛岡に着きました。
息子の笑い声を久しぶりに聞いた・・・と安心しましたが、
親子ともだんだん元気がなくなりました。
震災の事が離れないのね。

私自身も、自分が受けた心の傷の深さを感じました。

震災前の日曜日、盛岡に来て、
私は空手の講習会、
息子は ”ラウンドワン” で遊んで、温泉に入って、とても楽しかったの。
その数日後、空手の先生が死んでしまうなんて、夢にも思わず・・・
ずっと、ずっと、このままの生活が続くと思っていたのに・・・

瓦礫のない道、壊れていない建物を見て、自分たちの失った物を改めて感じました。

思わず、
「あっ、配給の時間!」 と思ったり、
「日が暮れる前に家に帰らないと」 と焦ったり。
すっかり、震災生活が身について、平和な場所が、何故か居心地が悪い・・・。

息子が盛岡に来て飛びついたのは、震災の詳しい情報でした。
今、震災の記事を真剣に読んでいます。」

私たちには想像できないほどの悲しく大きな傷を負っていることが切ないです。
言葉が見つからないこともあります。
震災以来、いつもそわそわして、どこへ行っても、今頃何をしているのだろう・・・
と、山田町の友人を忘れるときはありません。

一日でも早く、被災地の方の心が癒える日を願わずにはいられません。

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世の中のこと suama Sat, 16 Apr 2011 01:12:27 +0900 2011-04-16T01:12:27+09:00
岩手県山田町のいま 13 http://suama.exblog.jp/12417450/ http://suama.exblog.jp/12417450/ 今週は、小学校も幼稚園も、毎日の様に行事があり、
私は先週とは違う、 ”忙し母さん” の顔でありました。
そんな中、岩手県山田町の友人へ、新たな現地情報を見つけてはメールで伝え、
彼女からの連絡を待つことに。
しかし、連絡は入ってきません。
やはり、7日の大きな余震で更なる不安を抱えているのであろうと心穏やかではありませんでした。

でも、先ほどメールを打っている途中に彼女のメールを受信。
停電で、携帯の置き場がわからず、せっかく町で受信できるようになった電波も、
また不通になっていたとの事。
そして、文面からは前の様な元気な様子がやや失われているように感じ・・・。
今回も、山田町の友人の声をお伝えいたします。

「この前の停電で、携帯が迷子になり、やっと発見。
と言うより、また携帯も使えなくなってしまったので積極的に探さなかったりして・・・。

今日は夜勤です。
瓦礫の作業で渋滞しているかと思って、早く家を出たら、
今日は風が強くて作業をしていませんでした。」

「昨日、朝に玄関を開けたら、家の前の梅が満開でした。
春が来ているようですね。いつの間にか・・・。

ここ最近、我が家も炊き出しをいただきました。
山田町役場での配給の時に、横でやっていたようです。
うどん、牛丼 でした。
私は仕事でどちらも、ありつけなかったです(涙)。
今度の 日曜 も仕事。
(☆12時半~、山田町役場の保険センター前で、
盛岡の方による、1700人分のちゃんこの炊き出しがあると伝えた返事です。)
ちゃんこ、食べたかったな~(シュンっ)。

小学校が始まっても、学校は 避難所 と 災害医療診療所 があるので、
1Fは避難所、2、3Fは学校 と使い分けして、
動線が交わらないようにしています。

お弁当が難しいので、登校時間や、そのほかの時間をやりくりして、
午前だけの5時間授業です。

今日学校へ行き、校長と学校が始まってからの相談をしてきました。
息子は特別に Ipod を持っていく許可を貰ったの。
あと、毎日1時間、先生と話をすることに!」

「わおっ!なんと楽しそう!!
でも、ちっとも知らなかったです。イベントがあったの。

息子は家にばかりいて、ストレスがたまり、
ババも大変そうです(涙)。
皆、どうやって情報をゲットするのでしょう・・・?」


↑のイベントとは、先日11、12日にあったステージと、
本日13時~18時、山田北小学校にて、
加藤登紀子さん と、岩手出身の 松本哲也さん による
ステージがあると伝えたことへのコメントです。

こちらから、町の情報を送ってみても、
現地でその情報を目にすることがない様で、
残念な結果に終わってしまっているそうです。

それに、炊き出し に出くわしていない様子も伝わってきます。
相変わらず情報が地域全体に行き渡っていないことが伺え、
これから、積極的にこちらから外部の団体宛に、
更に現地情報を伝なくては・・・と感じました。

”先生と毎日1時間、話をすること!”
学校も子供たちのこころに寄り添ってくださるのですね、
先生も子供たちも皆、心が少しでも軽くなりますように・・・。

おととい夕方のNHKさんの放送で、
宮古市の メンタルクリニックの高橋先生 のインタビューを観ました。
これからの生活など、不安を抱えての受診が多い中の取材でした。
先生は、被災者の方にこう呼びかけていました。
「日々の生活目標のスパンを、短くたててみてください。
朝起きたらお昼ごはんまで、お昼の後は夕飯まで・・・。の様に・・・」

何でもない日常では、来週や来月、夏休みの予定・・・など、
これからやってくる、楽しい休日の計画を思い描くことなど当たり前のようですが、
被災者の方の心の中は、先を見通せない不安と、
その気持ちをどのように取り除くことが出来るのか見当も付かず、
ただただ暗闇をさまよっている感じなのでしょう。

先生は目標を短く、達成感を覚える、その様な生活をしてくださいとおっしゃっていました。
被災者の方への配慮は様々ですが、
字を書いて差し上げるときも、綺麗なペンなどで、見ていて楽しくなるような工夫もされています。
小児科の医師が、白衣を着ずに私服で診察する・・・ということと同じように、
”視覚” からも気持ちを解きほぐしていく心配りに、
私も、すぐに取り入れてみようと思いました。

今週金曜に、彼女の家族皆で盛岡に一泊しにいくそうです。
宿泊は、災害地支援の格安ホテルで、ひとり3千円で朝食付きとのこと!
来週から、息子さんも小学校が始まる為、
その前にう~んと遊びに行くそうです。
たくさん、たくさん、好きなことをしてきてくださいね!!
子供さんの受ける傷、お母さんの受ける悲しみを考えると、
私たちに何も出来ないことが本当にやるせなくて・・・
これからも、ずっとずっと応援して行くからね!!!

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世の中のこと suama Thu, 14 Apr 2011 00:47:15 +0900 2011-04-14T00:47:15+09:00
岩手県山田町のいま 12 http://suama.exblog.jp/12396311/ http://suama.exblog.jp/12396311/ 夕方、彼女の勤める宮古市の病院へ電話してみると電気は繋がったとの事。
良かった・・・山田町も余震前の状態に戻っていてくれることを祈っています。

今日、イタリア発 cocomerita さんから、
山田町のボランティアを募集している団体さんのお話をいただきました。
日本ユニバ震災対策チーム さん。
4月初旬に行なった、炊き出し の映像もありました。
しかも、山田町での活動!
山田町豊間根にある ”宝珠院” さんに事務所のプレハブを設置。
山田町船越にある ”陸中海岸青年の家” で炊き出しを行なったものでした。
炊き出しを行なっている場所の隣では、自衛隊が米の炊き出しを行なっていました。

友人宅のある、山田町 ”飯岡” からは少し離れている場所でしたが、
同じ山田の町での活動を見るだけで、「良かった・・・」 と心から思うのでありました。

先ほど、NHKさんの放送(タイトル不明) で、
「被災地の地元食材をどんどん購入して、経済を活性化させましょう!」
と言っていました。
東北は本当に美味しいものが多いですものね!
私は、特に ”三陸産のわかめ” をひいきにしておりました。
生まれ故郷、鎌倉の腰越海岸 のわかめも美味しいですが、
地元に行かないと手に入らないので、百貨店ではいつも 三陸わかめ を求めておりました。
でも、原発の問題が浮上し、”ヨウド” を摂る事が良い・・・といううわさから
一気に品物が消えたそうです。
売り場のおばちゃんは、
「もう、あと3年は口に出来ないかな・・・」 と残念そう。
私も一緒にシュン・・・となってしまいました。
 
年に一度、山田町の友人宅へお菓子を送るのが私の楽しみで、
一人息子さんの喜ぶ顔を思い浮かべながら、
あ~だ、こ~だ、考えながら楽しく送っていました。
すると、山田町から、新鮮な ほたて、いくら、うに、わかめ・・・など、
その時期に一番美味しい・・・という海の幸を送ってくれました!
ものすごく贅沢でしたよ、本当に美味しかった!
友人と共通の親友で、こちらにも遊びに来てくれる、ピコフリル さんのパパは、
山田町の友人のことを、”いくらちゃん” と呼んでいました!(サザエさんじゃないってパパ!!)
昨年は、近所の山でとれた、松茸と栗 が届きました。
海の幸、山の幸、豊かな土地の、こころ豊かな人々・・・。

私たちが元気にしていかねば!・・・ということで、
全国にある、アンテナショップ や 物産展 に行って、皆で被災地を応援できたらイイですね!
私の住む地域にはアンテナショップがないので、
いつも行く百貨店さんの物産展で、”こころ穏やかに” でもう~んと盛り上がろうと思います。

娘の小学校の給食献立表にいつも書かれている
”地産地消” (地域生産、地域消費の略) を 某コンビにも行なっている ”地産他消” にするべく、
私たちも協力出来たら良いなあと思うのでありました。

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世の中のこと suama Sat, 09 Apr 2011 23:19:00 +0900 2011-04-09T23:19:00+09:00
岩手県山田町のいま 11 http://suama.exblog.jp/12391322/ http://suama.exblog.jp/12391322/ でも思っていたより長い揺れを感じ、かなり動揺してしまいました(汗)。

携帯で緊急地震速報の知らせが響き、TVの地震速報が入っても暫く変化なし。
・・・と、部屋の風鈴が鳴り出す。
「まずい・・・」 と思い、キッチンの食器棚とオープン棚を押さえながら
子供たちの寝ている部屋を見つつ、揺れがおさまるのを待ちました。
3月11日は、外出先のデパートの5階にいた為、
地震を自宅マンションでは体感していなかったので正直怖かったです。

暫く、ニュースを見ながら、きっと山田町の友人から連絡が来ると思い待ちました。
そして、山田町震度6弱 を観測したとのニュースから20分後、
「また地震、また停電です。」
のメール。
その後、現時点でわかる範囲の状況をこちらからメールするも、
今日に入ってもメールが出来ないのか、連絡はありません。
水道の状態も、残り少ないガスボンベも心配です。
何より、被災地の皆さまはずっと余震を経験していても、
こんなに大きな余震は初めてだったでしょうから、不安な夜であったことと思います。
地震で弱った建物のその後も気になります・・・。

午後、山田町観光協会さんのブログを拝見したら、
携帯電話から記事が更新されていました。
「道の駅 やまだ」 では今日から3日間、
釜揚げ屋さんのお好み焼きとたこ焼きが振舞われる予定だったのですが、
停電でも予定通り、お店は開店したそうです。
明日、あさってもお店は開かれるとの事。
少しほっとしました~。

ライフラインが早く元に戻るよう祈りたいです。

そう、いつも遊びに来てくださる kiyotayoki さんの今日の記事に
「義援金」と「支援金」 について触れていらっしゃいました。
私も今まで、こんなに人を支援する・・・と言う機会を身近に感じたことがなかったため、
そのお金の行方が気になっていたところでした。

私の主人は、某団体宛に地震発生数日後に募金。
娘も程なくして、学校から神奈川県の団体宛に募金。
私は・・・というと、山田町の友人へ直接支援・・・。
息子は、友人の息子さん宛に、自分の名前を書いて送りました(やっと書ける様になったので~!)。
家族でバラバラと被災地への支援を私たちなりにしてきましたが・・・。

主人は、
「これからも定期的に募金していかないと、これではまだまだ足りない・・・」
と言っていました。
でも、その団体宛の募金の行方も気になるところで、
直接支援に切り替えた方が良いのか・・・と数日前、2人で話していたところでした。

皆さまは、「義援金」と「支援金」 についてどう思われますか?
私は、微力ではありますが自分なりに、
町の復興に向けて友人の町を支援していこうかと考えているのですが・・・。

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世の中のこと suama Fri, 08 Apr 2011 23:10:24 +0900 2011-04-08T23:10:24+09:00
岩手県山田町のいま 10 http://suama.exblog.jp/12381541/ http://suama.exblog.jp/12381541/ 昼と夜の気温差がまだまだ激しく、
岩手県山田町の友人はこの数日で風邪を引いてしまったそうです。
ストレスから、声も出なくなってしまい、自分でもわかっているとはいえ・・・。
炊き出しの始まったことを知らせましたが、
どうもその情報は町全体には行き届いていないようで・・・。
今回も山田町の友人の声をお伝えいたします。

「3日日曜日、隣の人に 炊き出し をしていることを教えてもらい息子と行ってきました。
そこでは、盛岡のNPO が来て、焼きうどんや、お菓子を配っていました。
その時の、息子とNPOの人の会話です。

N: 友達に電話して呼んできてね!
息: 電話が通じません。
N: 近所のお友達は?
息: 秋田や、千葉や、内陸に避難しました。
N: 他のお友達は?
息: 死にました。
N: ・・・・・。

息子にはお菓子をいっぱいくれました。

他にも、炊き出し をしているようですが、場所も時間もわからず、
たまたま歩いていたらやっていた・・・と言う感じです。

せっかくの 善意の炊き出し も情報がないので知りません。
人が集まらないので気の毒です。

近所の人たちと井戸端会議をした時も、皆同じ意見でした。」


「おかげさまで、職場の皆で美味しいお菓子をいただきました。
昨日息子は
「朝カレーだ~!」 と朝からカレーをチン♪ して食べていました。
息子はカレーが大好きですが、ガスがなくなるのが心配で、
煮込み料理は避けているの。」

「詳しいプリント有難いです。
職場の人と、子供のストレスについて話していたところです。
山田町は外出規制はないので、
息子を仕事の休みの時に遊びに連れ出しているのですが、
宮古市は外出禁止です。
なので、家にいるしかないそうです(涙)。
確かに、外は瓦礫の除去や工事、土ぼこりがすごく、地震が続くので危険ではあるけれどね。」

「炊き出し の情報ありがとう!
でも、町内の放送が、私の地区では聞こえません。
役場の情報板には、炊き出し の事は出ていません。
だから、私の地区は
「炊き出しって?」 って感じです。

配給は毎日行っています。
凄い行列ですが、700人とは・・・(これは山田町の情報サイトより伝えた数字です)。

今学校の先生が来ていました。
12日、連絡事項があり、登校だそうです。
山田町は、小学校もお弁当ですが、持って行かれない家庭もあり、どうするか・・・と。

次から次へと、問題が続きます・・・。」

「山田町は、プロパンガスです。
なので、火事の時は、ガスボンベが爆発して凄かったです。

1本2本だけでなく、町中のボンベが爆発して、地面に響くの!
余震と、ガスボンベの爆発と、車の爆発で、
一晩中ずっと地面が揺れていました。

地獄の光景でした。

隣の家は震災後間もなくガスボンベがなくなり、焚き火でお料理です。
もともとバーベキューが好きな一家なので、なかなか楽しそうです!?

我が家は、地震の前にガスボンベを交換したので、まだ残っています。
が、私は心配性なので、石油ストーブの上で料理しますが、
母は普段通りガスを使っています。
なくなったら、その時考えると・・・。」

何と言うことか・・・。
炊き出し の情報が行き届かず、温かい料理が皆さんに届いていないとは。
ショックでした。
こちらから、炊き出し のチームの連絡が付く所には問い合わせをしていますが、
ネットでは情報はなかなか得られませんね(涙)。

町の情報は、山田町観光協会 のブログを見て、彼女に伝え、
私も写真などを見ながら、被災地の情報を掴んでいます。
その情報があるだけでも、本当に助かります。

一日も早く、皆さまにより多くの情報が入るよう現地でのこれからにも期待いたします。

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世の中のこと suama Wed, 06 Apr 2011 23:52:36 +0900 2011-04-06T23:52:36+09:00
岩手県山田町のいま 9 http://suama.exblog.jp/12376141/ http://suama.exblog.jp/12376141/
cocomeritaさん からのコメントでお知らせいただいた、
温かい食べ物を被災者へ
~岩手県の山田町にて炊き出しを開始します~
CARE International Japan というNGO団体の発表をお伝えいたしました。

4日月曜日の CAREさん のニュースより。
4月1日の夕食から、炊き出しがスタートしたそうです!!

被災地各地で、配給はあるものの、
その内容をニュース映像で観たり、山田町の友人から聞いても、
口に入ると言うだけで、どうみても、栄養の偏りは否めない・・・と言う印象でした。

今回の炊き出しは、事前の調査もさることながら、
”バラエティ豊かな献立” と ”衛生面への工夫” に気を配られ、実現しています。
この計画実行に当たった CAREさん の努力に感謝の気持ちで一杯です。

まだまだ、救援を待っている被災地は沢山あります。
早く、今までの暮らしに近づける援助が出来るよう、
私たちも、小さなことから実を結ぶ結果になるよう、努力を続けて行きたいと思います。

自ら、被災地に乗り込んで、温かい食事を提供し続けているスターの方や、
援助物資を届ける芸能人の方の行動力も嬉しい知らせですね。
(でも、いわき市の競輪場に預けてきた物資、その後どうなりましたでしょうか・・・???)

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世の中のこと suama Tue, 05 Apr 2011 22:28:51 +0900 2011-04-05T22:28:51+09:00
6年振りですね  グレゴリー・ペック http://suama.exblog.jp/12375276/ http://suama.exblog.jp/12375276/
でも2003年6月12日、彼は天に旅立たれたのですが、
私が5年ぶりにブログに復帰し、今彼の笑顔をどうしても見たくて・・・。

彼を見ていると、私にとって永遠の理想の男性像だなあと改めて思います。
今だからこそ、笑顔に救われる・・・
来年のこの日には、こころから私も笑顔になりたい・・・
そう思うのでした。

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Gregory Peck suama Tue, 05 Apr 2011 20:12:36 +0900 2011-04-05T20:12:36+09:00
子供時代の “世界” の番組の思い出 2 http://suama.exblog.jp/12365486/ http://suama.exblog.jp/12365486/ 「兼高かおる 世界の旅」 KAORU KANETAKA'S "THE WORLD AROUND US" です。

_a0002405_225029.jpg1959年から31年間続いた紀行番組で、
タイトルの 兼高かおる(1928~)さん が遠い海の向こうに出向き、
各国を取材、フィルムを自身が編集し30分の番組として放送されました。 (写真は1961年の素敵な兼高さん!)

フィルムを観ながら旅のお供をする聞き手役に 芥川隆行(1919~90)氏。 2人の洒落たおしゃべりが実に魅力的!
兼高さんの 「そうですのよ、ほほほ・・・」 となんと上品で優雅な話し方・・・
そんな憧れにも似た印象を持ちつつ、少女時代楽しく拝見していました。

現在83歳の兼高さん。
昨年12月にNHKのトーク番組に出演されたときには、
「わたくし、現在20歳と34ヶ月ですのよ!ほほほ。」 と閏日生まれの自分を洒落て紹介されていました。
_a0002405_22522317.jpgそして、昨年 「わたくしが旅から学んだこと」 という著書が出版され私も楽しく拝読いたしました。
世界を行ったり来たり、決して真似の出来ない人生なのでしょうが、
私たちに訴えかけてくる 兼高流 の文章から “人生” の素晴らしさをずっしりと感じました。
人それぞれの受け止め方はありますが、ひとつのことを貫いてきた人生、そして、パイオニア の語る言葉にはこころ打たれるなぁ・・・と思いましたね。

大好きだったこの番組のオープニング。
現在TBSチャンネルで放送しているバージョンは白黒時代の放送なので、私の生まれる前のもの。
ということで今回、youtubeさんを探して、ピンッと来る思い出のオープニングを見つけました。
番組の前に放送していたCMまで入っていて、子供の頃観ていた 日曜9時の朝の風景 が蘇ります。
いまは倒産してしまった PAN AM(Pan American Airways) の優雅な飛行も観られます。

日本中にこの番組を懐かしく、大切な思い出の1ページにされている方も多くいらっしゃることでしょう。
私の家族皆が揃っていた頃の、今は遠い昔となってしまった素晴らしい日々を思い出しながら、これからもいつまでも大切な番組となってくれると思います。

最後に・・・
未曾有の大災害を経験した日本が、沢山の国からの救援を受けています。
強く強く、世界というものを ”尊く、近い存在” に感じた経験であったのではないでしょうか。
岩手県山田町の友人も、世界がこんなに小さな日本を思っている・・・と知ったときの驚き。
情報が入らない被災地では雲を掴むような、世界からの知らせだったのではないかと思います。

遠い遠い海の向こうにあると思った世界が、いまひとつとなり助け合い、立ち上がろうとしています。
月並みですが、 本当に人って素晴らしい! と感じる毎日です。

今回の、「子供時代の “世界” の番組の思い出 」 というタイトル。
取り上げた2作品の番組も、今では手軽に観ることが出来、そして、私たちはTVで観ている世界へ羽ばたいていくことも出来るのです。
時代は変わっていくのだなぁと同時に、夢でなく、誰にでも世界をこの目で見る事が出来る そんな時代がきた事を強く感じるのでありました。

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ノスタルジック suama Sun, 03 Apr 2011 20:53:38 +0900 2011-04-03T20:53:38+09:00
子供時代の "世界" の番組の思い出 1 http://suama.exblog.jp/12364296/ http://suama.exblog.jp/12364296/
今回は、私の子供時代に観た印象深い 2作品 を紹介します!
どちらもタイトルに "世界" が付きます。 時代を感じますね!

_a0002405_1720241.jpg2004年9月のブログに、ケチっちゃだめって… 「世界の料理ショー」というタイトルで、一度この話題は書いているので重複内容もありますが・・・。
2年前に遂に日本でも、現存する日本語版52話すべてを収録したDVD-BOXが発売されました。 とてもとても懐かしく、映像を観るのは10年ぶりでしたね。

「世界の料理ショー」 THE GALLOPING GOURMET
ホスト兼料理人に スコットランド人の Graham Kerr(1934~)氏。
1968~71年迄カナダで制作され、71年の自動車事故により、
Kerr 氏の一時的な全身麻痺を起こした直後に番組が打ち切りになったそうです。
彼は事故の影響でクリスチャンとなり、妻の心臓発作を機に新しい健康的な料理スタイルへを考案し、
「新・世界の料理ショー」 へと変化していくわけなのですが。

そもそも、この 「世界の料理ショー」 が制作されることになったきっかけは・・・
このDVD-BOXで、Kerr 氏本人が語っています。

「世界一退屈な男ね!」 と言う Treena 夫人 の言葉に
「じゃあ、自分で番組を制作してみろよ!」  の kerr 氏の反撃・・・から始まったこの番組。
28回の海外旅行の経験と、異文化料理への憧れと興味から、二人三脚で制作されました。
プロデューサーの Treena 夫人の本番中のドッキリ仕掛けになえながらも、
kerr 氏は、専門的な料理番組とは一線を画し、
"皆で食卓を囲める料理" を目標に、"娯楽性を持たせ" ながら、
"退屈男の改造" へなって行くのでした。

でも、この番組と言えば "高カロリー食" いう言葉が出てきてしまうほど、
それはそれは、ビックリするような てんこ盛りの調味料のこってり料理 でしたよね。
Kerr 氏は、「当時ボクも若くて、死は身近ではなかった・・・」 とのこと。
「料理をするボクを見ている観客が、
鍋に材料を入れれば、歓声! 調味料を入れても、歓声!」
というわけで、結局高カロリーとなってしまったそう。

でも、その後の Treena 夫人の心臓発作と自分の料理を悔やみ、料理の改革へと乗り出すのですから、TV画面から観える、愉快なKerr 氏は 真の料理人だったのだなあと改めて思いました。

_a0002405_17242351.jpg現在は、世界でもっとも大勢のシェフを輩出した "ジョンソン&ウェルス大学" で教鞭をとり、調理栄養学で名誉博士号を授与される という人生を歩んでいらっしゃいます。 

料理は "優美さ" と "安らぎ" とおっしゃる Kerr氏。
その原点ともなるこの番組を、子供時代と違った思いで、
ゆっくりとひとつひとつ観たいなと思うのでした。

「あっ、スティーブもお忘れなく!!」 

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ノスタルジック suama Sun, 03 Apr 2011 16:36:04 +0900 2011-04-03T16:36:04+09:00
岩手県山田町のいま 8 http://suama.exblog.jp/12355752/ http://suama.exblog.jp/12355752/ 最近、買出しの回数も減っていたので (花粉症ということもあるのだけど!) 、
いつの間にか暖かい風が吹いていることに気づいた一日でした。

昨晩届いた、山田町の友人からの声をお伝えいたします。

「宮古市でも、山田町でも
瓦礫の片づけが進んでいます。
そんなときにショックなことがありました。
息子の行方不明だった同級生が見つかりました。

学校への通学路は2車線で広い道なのですが、
そこにも津波が来て、瓦礫の山が出来ました。
そして、車が通れるように瓦礫を両サイドにどけましたが、
その瓦礫の片づけをしていたら、行方不明の子がいたそうです。

その道は、私も何度も通っていたし、他の人たちも通っていたのに、
今まで気づかなかったの。
それに見つかった場所は、津波の波が来た間際近くなのです。

これから、学校が始まるけれど、
殆どの子供がその通学路を通るので、毎日が辛いです。

気づけば、道のあちこちに花がたむけてあるの。
瓦礫は片付くけれど、辛いです。」

「山田町の避難所は、
ノロウィルス や 風邪 が流行っていて、
イビキも凄くて休めないようです。
近所の人は、電気も水もないし、家は津波で汚れているけれど、
避難所より良いと言って、家に帰ってきました。

ひどい環境の中で、
行方不明の家族が見つかるのを待っています。」

「最近私が困っているのが、息子の様子です。
赤ちゃんがえり?なのか妙に私にくっついたり、
物を失うのを恐れたり、イライラしたり・・・。
夜も、何度か起きたり、寝汗で全身びっしょりなのです。

こころのケアを・・・と思い、息子と一緒に過ごすようにしています。
新聞には、こころのケアを・・・と書いてあるけれど、
具体的なことは何も書いていない・・・。」

「宮古の映画館が、子供たちが元気になるようにと、
アニメを上映してくれたので、息子と観にいきました。
でも・・・敵と戦って、町が破壊されたり、火事になったり・・・

思い出したくない事をやっていて、
元気がしぼんでいきました・・・。」

非常事態だとはいえ、
自宅非難の場所は家族が倍に増え
"大変なときはお互い様"・・・と理屈で理解していても
納得できないことが子供でもあると話してくれました。

大人でもやり切れない、今の被災地の状況。
テレビでは、明るい声が聞こえ始め、
立ち上がろう・・・とする姿が多く映し出される中、
小さな胸の中に抱えている、声に出せない不安。
子供たちの見ている光景を想像するだけでも
胸が痛み、いてもたってもいられない気持ちになります。
引き続き、息子さんへのバックアップに力を入れたいと思います。

いま、芸能関係の方などが少しずつ被災地を訪れています。
つかの間であっても、笑いや笑顔が溢れています。
元気が出ますよね。

息子さんはAKBさんのファンとの事。
友人も、息子さんの影響なのか?
AKBさんの歌を聴いて勇気を奮い立たせているそうです。

私は、あまり芸能関係に明るくないので、
AKBさんの話で盛り上がることが出来ないのですが、
いままでの日常を思い出すことが出来る、
そういう方々の存在もいまこそ必要なときなのかもしれませんね。

刻々と変化してゆく、被災地への支援のあり方。
いまこそ、見直すときがきているのではないでしょうか。

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世の中のこと suama Fri, 01 Apr 2011 19:36:17 +0900 2011-04-01T19:36:17+09:00
岩手県山田町のいま 7 http://suama.exblog.jp/12346743/ http://suama.exblog.jp/12346743/ 山田町・・・という名を見てお知らせくださったのですよ!
まずは、お知らせいただいた記事をご紹介いたします。

温かい食べ物を被災者へ ~岩手県の山田町にて炊き出しを開始します~

CARE International Japan
というNGO団体の発表です。

_a0002405_2345864.jpg活動開始には、もう少しの時間が必要の様ですが、
山田町のいまの状況の把握をしてくださったことに本当に感謝したい気持ちです。

また、いつも沢山の情報そして、エールをくださるcocomeritaさんに、
私からも、エールをイタリアへ送ります!
そして、ブログを見てくださる皆様に感謝感謝です、ありがとうございます。

被災地の皆さまに沢山のエールと支援が届きますように!

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世の中のこと suama Wed, 30 Mar 2011 22:53:16 +0900 2011-03-30T22:53:16+09:00
岩手県山田町のいま 6 http://suama.exblog.jp/12344698/ http://suama.exblog.jp/12344698/ 荷物をほどいたお礼の元気な声でした。

現在、困っていることは何か?と問いました。

「いま、困っているのは夜の治安かしら?
外は、灯ひとつないので、本当に怖いです。
まるで、ゴーストタウン の様です。 

夜中に "ガソリンや灯油" を抜かれてしまう人が多いので本当に困っているの。

壊滅したスーパーの金庫に100万円入っていたそうですが、
盗まれてしまったと聞きました。

友人と一緒に町の瓦礫の片づけをして、
彼女が津波と火事からなんとか残った自宅へ帰ると
大きな体格の男性が家の中を土足で物色してるところに出くわしたそうなの。
彼女は恐怖で、その光景を見つめることしか出来なかったそうよ。

夜は本当に怖いです。
勤めから帰るときも皆と明るいうちに声を掛け合って帰るようにしているの。

町には、京都や神奈川から、警察の人が来て警備をしてくれています。
本当にありがたいわ。」

町の治安は、やはり少しづつ悪くなっているようで心配です。

配給も、今日は 乾パン だったそうです。
配給では "甘いパン" が多いので、
「被災地なのに太ってしまうわ~!」
と冗談交じりに言っていましたが、被災地の方々の栄養状態が心配です。

外出が出来ない為、子供のストレスも溜まっていると聞きました。
彼女はやっと、職場の努力でガソリンを満タンでもらえるようになった! と喜んでいました。
先日もストレスが溜まっているだろうと、息子さんをドライブに連れ出したそうです。
明るく振舞う彼女ですが、 この恐怖、悲惨な状態に慣れてしまった自分がいる と言っていました。
これからのこころのケアが心配です。

_a0002405_1625182.jpg今日、4月にNHKで放送される 
木下恵介監督作品の 「二十四の瞳」(1954松竹) 
の映像をちらりと観ました。
小豆島で教鞭をとる、大石先生と12人の教え子のお話です。
その大石先生を演じる 高峰秀子(1927~2010) さんを見て、
「山田町の友人と
デコちゃん(高峰さんの愛称) の大石先生は本当にそっくり!」
笑顔が特に似ています。
その笑顔を思い浮かべながら彼女の言葉を読んで下さると嬉しいです。 

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世の中のこと suama Wed, 30 Mar 2011 15:42:26 +0900 2011-03-30T15:42:26+09:00
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