今日は朝早くから、岩手県山田町の友人からメールが入っていました。
ここ数日、復興への新たな ”芽” が東北の桜の開花を待つかのようにほころび始めています。
”
日本ユニバ震災対策チーム” さんのボランティアの動き。
山田町の地元スーパー ”
ジョイス” さんのトラックやバンでの移動販売の開始など。
そして、先週水曜日に放送があった、山田町町長さんのTV放送。
山田町の友人も、町のあちらこちらの情報に喜びの声をあげていました!
今日の友人の声と、町の様子をお伝えいたします。
「そうそう、昨日盛岡に来る途中、スーパー ”ジョイス” の車数台が、
山田に向かって走っているのを見かけたので、
「販売が始まるんだ~♪」 と嬉しかったです!
私たちは、青空販売が近くにあるし、車で買出しは行かれるけれど、他のところは大変そう・・・。
車で買出しに行かれない人もいるので、移動販売は有り難いです!!」
「山田町民は、役場も大変なので、言いたい事も言えないので・・・
外部からこちらの声を伝えてもらえて有り難いです。
無線の存在も知らなかったので、今度役場で借りてきますね!
山田町でも、ボランティアを募集しています。 日本ユニバさんの活動有り難いです。
私は、ボランティアをしたいけれど、仕事のないときは息子の側にいてあげたいので・・・。
そこで、雑巾作りをすることにしました!
雑巾なら必要なものだし、家でも、学校で付き添いながらでも出来るし!
本当は ”肉体派” のボランティアをしたいけれど、ガマンです。」
「山田町の行方不明者は震災後ずっと、”調査中” で、この間、具体的な数字がやっと出ました。
その事で、賛否両論だったのですが、私は嬉しかったです。
山田町は町民ひとり、ひとり大事にしてくれている、と感じました。
震災後に残っている家を、一軒一軒まわり、ひとりひとり調べるのは大変な努力です。」
13日、NHKさんで、山田町の
沼崎喜一町長(68) のいま を放送していました。
震災で家を失い、現在役場に寝泊りしながら、
災害対策のリーダーとして町民を支える沼崎町長さん(写真右、愛称”モンチッチ”)。
町民に不安を与えたくない と力を注いでいたこと・・・それは行方不明者の人数特定でした。
他の自治体が数字を提示している中、山田町はずっと 「調査中」 のまま。
でもその裏では、役場総出の捜索活動がなされていました。
高台にある、山田町役場。
その地下にあった電源装置が浸水し使えず、住民台帳を見る事が出来ません。
過去の古い名簿を手作業でチャックし、地区の責任者との入念な調査を時間をかけてしてきました。
電源も限られており、端末のフル稼働は出来ない為やはり人の手を借りるしかありません。
そして、提示された行方不明者の数。
県外へ出ている人もいるため、今後は更に調査をし、不明者0 になるまで調べを続けたい・・・
そうおっしゃっていました。
沼崎町長さんの町民への思いが痛いほど伝わりました。
そして、金曜日、私は友人が以前から言っていた ”情報の伝達不足” などの要望を含めて、
役場へ連絡を入れました。
沼崎町長さんはあいにく会議中だと言うことで、昨日まで外勤だった方が応対をしてくださいました。
思っていた以上に、役場の仕事は厳しいものであるような印象を受けました。
今日から内勤になった・・・ということで、役所内の状況の把握も難しかったのでしょう。
町民の情報不足が今も続いていることは把握はされていないようでした。
地域で情報を受け取るには、役場から貸し出している、防災無線が欠かせないようでしたが、
友人はその貸し出しを知りませんでした。
以前から私も防災無線の話をしていましたが、
いまいち話がかみ合わなかったのはそういう訳もあったのですね。
宣伝カーのようなスピーカーを積んだ車も津波で使えなくなり、
唯一の情報拡散手段は防災無線だけの様です。
役場の方は防災無線を通して、町の情報を流しているので、
役場の掲示板には情報の貼りだしはせず、避難所へ貼るくらいだと言っていました。
友人はなんども役場や避難所へ足を運んでも、ボランティアや、炊き出しの情報を掴むことが出来ずにいました。でも、これからは小さなことでも情報の貼り出しをお願いしたので形となって皆に届くと良いですね。
沼崎町長さんは、役所内のボードに張り出される、亡くなった方々のリストを毎日確認し、
ひとりひとりの名前と顔を思い浮かべながら、在りし日の町民、友人を思い出しているそうです。
この、町長さんが山田町にいる限り、
復興への道は明るい! そう思いました。
町を支えている方をこんなに身近に感じることの出来る山田町民の皆さんは、本当に幸せだな~!
沼崎町長さん、山田町役場の皆さま、くれぐれもご自愛くださいませ。