先輩VOICE 10 向坂くじら(詩人) | STAND UP STUDENTS | Powered by 東京新聞

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いま、わたしたちのまわりで、
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毎日の勉強や、遊びに恋愛、就活。普段の暮らしの中では見えてこないたくさんのできごと。環境のことや政治、経済のこと。友達の悩みも、将来への不安も。小さなことも大きなことも全部、きっと大切な、自分たちのこと。

確かなこと。信じること。納得すること。コミュニケーションや、意見の交換。
あたりまえの自由さ、権利。流れてきた情報に頼るのではなくて、自分たちの目で耳で、手で、足で、感動をつかんでいく。

東京新聞『STAND UP STUDENTS』は、これからの社会を生きる若者たちに寄り添い、明日へと立ち向かっていくためのウェブマガジンです。等身大の学生たちのリアルな声や、第一線で活躍する先輩たちの声を集めることで、少しでも、誰かの明日の、生きる知恵やヒントになりたい。

時代を見つめ、絶えずファクトチェックを続けてきた『新聞』というメディアだからこそ伝えられる、『いま』が、ここに集まります。

先輩VOICE

10
向坂くじら
Kujira Sakisaka

今回『先輩VOICE』に登場するのは、学生時代から言葉の表現活動を続けている詩人の向坂くじらさんです。詩集の出版から朗読会やライブへの参加、音楽ユニットでのアルバムのリリースなど幅広く活躍する一方、2022年に国語専門の教室『ことぱ舎』をオープンさせた向坂さん。自身の体験や感覚を大事にしながら長年に渡り続けてきた詩人としての活動や、国内外での言葉のワークショップの数々を通じて向坂さんが向き合ってきた言葉の魅力、そして「伝えること・感じること」の大切さとは。

「就活×言葉」についての話も必読です。

向坂さんのお仕事についてお聞かせください。

詩人として作品を発表しながら、国語の塾「ことぱ舎」の運営や、ワークショップの講師をしています。ただ、何をもって「詩人」を職業や肩書きとするのかが気になると思うのですが、それってすごく微妙なところなんです。

詩を書くことが仕事だと思われがちですが、詩を書くだけで生計を立てている人は少ないと思います。わたしもそうですが、世の中の多くの「詩人」と呼ばれる人は、詩以外の活動や仕事もしていると思います。

わたしの場合、大学生の時に大阪でアート活動を行う NPO 法人「こえとことばとこころの部屋」の代表で詩人の上田假奈代さんに出会ったことに大きな影響を受けています。

上田さんは詩人だけではなく「詩業家」とも名乗っていて、詩人が社会に対してどういう働きができるのか、詩をどうしたら社会化できるかということに取り組んでいる方です。社会に向けて「詩人」と名乗ってさまざまな仕事を作っていくという姿勢に影響を受ける中で、上田さんとは世代も違えば、住んでいる地域や問題意識も違う自分にとって「詩人の仕事」とはなんだろうと考えるようになりました。

詩人になれるという裏付けなんてなかったんですが、ある日、大学を卒業して無職で詩の活動だけをしていた時に、尊敬する大島健夫さんという詩人に「そんなの、詩人って名乗ったらいいんだよ」と言われ、背中を押してもらえたというか。なので、強く志して詩人になったというより卒業したら「詩人」という言葉だけが残ったという感じですね。

もともと詩を仕事にしたいと思っていましたか?

そうですね。それは子どもの頃からずっと思っていました。本を読むのが好きで、書くことも好きだったし、詩人じゃないにしても言葉にかかわる仕事で生計が立てばいいなとは考えていたと思います。書くことは仕事にならなくてもずっと続けるだろうし、だったらそれで生計が立ったら一番効率がいいよねくらいで。

「言葉」の表現はさまざまだと思いますが、その中でも「詩」を選んで書くようになった影響はなんですか?

詩を書くようになったのは、大学に入ってからなんですが、もともと小説が好きで小説を書いてコンクールに出したり時々親に読んでもらったりしていたんですけど、受験が近づくにつれてだんだん勉強に追われて忙しくなってしまって、小説が書きたいのに時間が取れないというのが続いて、代わりに三十一文字でできる短歌を書くようになるんですよ。そのまま大学では短歌サークルに。サークルに入ると朗読会が開かれるようになって作品を人前で発表するようになるんですよね。作品を誰かに向かって読んだり、人がどう受け止めるのかを考えているうちに徐々に短歌よりも詩に興味を持つようになって、詩になっていったという感じですね。

詩をつくったり、言葉で表現をしたりするときは、もともと何か伝えたいことやメッセージがあるものなんでしょうか?

それがないんですね(笑)。よく人に聞かれるんですけど、あらかじめ何かを伝えるために何かを書くというタイプではないですね。日常の中で気になったことをパッと思いつきで書いてみたりするんですけど、書いているうちに自分がこういうことを思っていたんだとわかってくるというか…。書きながらわかっていく。書きながら近づいていく。

その上で、自分の個人的な問題を考えることが、社会的な問題とつながっていると感じることもあります。誰かの苦しみを自分の苦しみと混同してしまうのはそれ自体が暴力的でもあるので、それだけではだめだっていう思いもあって、ずっと揺れ動いてはいるんですが…。

わからないことや違和感があったことを、なるべく嘘がないように書いていくことで、「わたしだけじゃないこと」を考えることにつながるといいなって思っているんですよね。


月子、ハズゴーン / 向坂くじら

家事が嫌いだ
風呂掃除も煮炊きもゴミ捨ても同じ
取りかかるだけで憂鬱が寄せてきて
肩がじっとり重たくなる
だれかが両手を置いているみたいに
これは
霊だ
わたしの憂鬱ではない
霊が 自分の憂鬱を
わたしのものに見せかけているのだ

霊は主婦だ
名前を月子という
月子は三十三歳
夫の同僚に安産型といわれたことがある
月子は賢い
古い野菜の捨て際をよく知っている
がたがたしない道をよく知っている
会釈のタイミングをよく知っている
家に帰ってくる
靴を脱ぐ
荷物を置く
なまものを冷蔵庫に入れる
ここではじめて電気を点ける
ソファの上にタオルが積み重なっている
地獄だ
と月子は思う
月子は地獄のこともよく知っている
それはしじみの砂抜きであったり
座布団を正円に並べることであったりする
そんなことには特に詳しい月子である

月子はほとんどの家事を憎んでいるが
洗濯だけは少し好きだ
中でも干すのが好きだ
しかしそれは錯覚であり
単に上方へ手を伸ばすのが好きなだけだった
かごから洗濯物を引き抜く
ぱんぱんと叩いてしわを伸ばす
手を伸ばして洗濯ばさみでとめる
かごから洗濯物を引き抜く
ぱんぱんと叩いてしわを伸ばす
襟首をハンガーに通す
手を伸ばして物干し竿にかける
月子はみんなに奥畑さんと呼ばれている
かつては奥畑さんではなかったが
いまはみんなが奥畑さんと呼ぶ
だが地獄は月子のものであって
奥畑さんのものではない
奥畑さんのものにしてたまるかと月子は思う
かごから洗濯物を引き抜く
ぱんぱんと叩いてしわを伸ばす
手を伸ばして物干し竿にかぶせる
大きい方の洗濯ばさみでとめる
月子は歌がうまい
とくにオペラがうまい
しかし月子は賢い
歌い出したいからといって
歌い出していいわけではないと知っている
いちばん危ないのが洗濯物を干すときだ
上を向くと歌い出したくなるのを
月子はいつもこらえている
かごから洗濯物を引き抜く
ぱんぱんと叩いてしわを伸ばす
わたしが上方へ手を伸ばすとき
わたしの喉の底を
知らない歌が
引っ掻く

月子は
呼ぶ声がするとかならず答える
それが奥畑さぁーんであろうと
ひいちゃんママーっであろうと
おかあさぁーんであろうと
奥さぁーんであろうと
宮本さぁーんであろうと
おまえーっであろうと
月子ははあいと言って行く
それが月子の使命であるなんてことは
まして喜びであるなんてことは
月子は考えたことがない
月子
わたしは家事が嫌いだ
風呂掃除も煮炊きもゴミ捨ても憎い
油も泡も水もみんな憎い
タオルの端と端をつまんで
指先であわせるなんて考えられない
壁からは四方くまなく甲高い音がして
さっきわたしが磨いた蛇口が光をみらみらぶつけてくる
わたしは月子をくり返し呼ぶ
月子
月子
月子

月子は 歌い出す前に死ぬつもりでいる
それでいて
九十五歳くらいまで生きるつもりでいる

この詩はよく「フェミニズム」的なメッセージなんじゃないかと思われたりするのですが、そこから出発したわけではなく、結婚を機に夫の大叔母が生前に住んでいた一軒家に引っ越しをすることが決まって、その家を整理していた時に書いた詩です。結婚してひとつの家に入る自分と誰かの家で起きている問題を行き来しているうちに自他の境界線がゆらいでいくというか。詩の中に幽霊が出てくるのは故人である大叔母の印象が残っていたのかもしれませんね。

その家の一階部分で、学習塾の「ことぱ舎」をはじめるわけですが、きっかけはなんだったんですか?

ことぱ舎とは ⋯ 小学3年生から大学受験生を対象にした国語の学習塾。「読むこと」「書くこと」のふたつを軸に、読み取る力、感じ・考える力、あらわす力をひとりひとりに合わせたペースで基礎からしっかりと養うことを目的とした塾。2022年2月に埼玉県桶川市で開塾。出張での詩の講座やワークショップも行う。

もともと詩の活動とは別に、お金を稼ぐための仕事として「教える仕事」はずっとやっていたんですよね。進学塾から国語専門の子ども向けの塾、不登校の子専門の塾で働いていたこともありました。それと並行して詩のワークショップも大学時代から続けていました。それは詩の活動と仕事のちょうど間くらいの活動ですね。その3つをバラバラに続けていくうちに「このままでいいのか?」って気持ちが湧いてきたんです。というのも、詩の先生として「詩に正解はない」と教えている一方、国語の先生としては受験のために正解を答える方法を教えていて、そこに乖離があることに、だんだん違和感を感じるようになってしまって。国語指導にも余白が必要だし、詩を書くためにも知識や読む力が必要だと思うようになりました。

大きなきっかけは、不登校の子たちが集まるとあるワークショップだったんですが、低学年の子たちの中に中学年の子が混ざってたんですね。新聞の文字を切り貼りして文章を作るという内容だったんですが、その子が縦書きの文字を左から横に並べていたんです。はじめは「気分なのかな?」と思っていたんですけど、親に理由を聞いてみると、学校に通っていないので文章を教科書ではなく YouTube で覚えているって言うんですよね。だと横書きじゃないですか。縦書きの文章を読んだことがない。文字を書くにも書き順が違っていて、そのことをその子自身コンプレックスに感じている風なんですよね。その状況を「自由な表現ができればそれでOK」と評価する風潮もあったんですけど、わたしは苦しかったんですね。ワークショップはあくまで非日常の場で、その場ではそれでいい、と言うこともできるかもしれないけれど、それではわたし自身が詩人として日常をないがしろにしていいというメッセージを発してしまうことになるのではないかと思うようになったんです。まるで国語の勉強はしなくていいと言ってしまってるみたいで⋯。

もちろん詩のワークショップに参加して、その日だけ詩を作ってみるという時に、自由でいいと思うし難しい言葉も必要ないと思うんですが、どんなにおもしろい文章でも、知らない言葉だらけなら読むことはできませんし、自分が書く言葉の意味を正確に理解していなければ、読んだ相手には誤解が生まれます。詩の活動もワークショップも大事だけれど、基礎的なところからコツコツと積みあげていくことも大切だと気づき「ことぱ舎」を立ち上げることになりました。

ことぱ舎の「ぱ」はどういう意味があるんですか?

これ、いろんな人に聞かれるんですが大した理由がないんですよね(笑)。まず詩だけに限らず国語も教えると決めた時に、扱うのは広く「言葉」だなと思ったんですよね。でも「言葉」だと広がりすぎるので、ちょっと変えて「ことぱ」に。ロゴは漢字の「言葉」に半濁音にしていて、見たことのない言葉を見てもらうことで「言葉」に対する想像も広がりますし、ひらがなにした時に響きがかわいいなと。

 

実際に運営してみてどうですか?

いざやってみると、読めていると思っているけれど本当は読めていない子や、伝えたいことがあるのに書けないという子が多くて、なるべくそういう子たちの苦手に寄り添って、言葉を好きになるきっかけを作ったり、推敲して考えていることを整理したり、書きたいと思う以前の「感じる」「考える」ことを語りあったりしています。

なるほど。STAND UP STUDENTS で出会う学生たちの中にも、言いたいことはたくさんあるけれど、自分の考えや気持ちを言葉にするのが苦手という学生もいて、会話しながら整理したり、エッセイとして書き殴ることで自問自答を繰り返して伝えたいことがだんだんわかってくるということがありました。

「伝わる」ことがわかると自信につながるのか、とても有意義な時間に感じてくれている学生も多かったですね。

自分が感じたり考えたりしていることが尊重され、かつそれを自分の力で表現できると思えることは、感じて、考え続けていくための自尊心につながりますよね。もともと全然文章を書かなかったのに、文章を書くことに目覚めて作文コンクールに自分から応募したいと言って賞を獲った子もいましたよ。

STAND UP STUDENTS の読者には就活で悩んでいる学生が多いのですが、向坂さんの就活はどうでしたか?

わたし、就活をはじめたのが遅くて、3年の終わりの3月からだったんです⋯。求人情報やエントリーの解禁のタイミングです。よく言えば「解禁」に対して素直だったと言えるんですが、ただ就活の情報戦に乗れなかっただけなんです(笑)。

学生時代のやりたかったことというのは?

国文学を専攻していて、いずれ国語の教師になりたいと思っていました。ただ教職課程は取っていたんですが、あのう…教育実習のための書類を出し忘れたんですよね⋯。もう4年の夏だったんですが、留年して教育実習に改めていくか、教員を諦めるかを迫られて。今思えば、ほっとした部分もあって⋯教員になりたくなかったのかもしれません(笑)。

就活はつらかったですか?

すぐに教職とは別の会社の内定が決まったこともあって、どちらかというと客観的な感覚がありましたね。「こういうのでみんなしんどい思いをしていくのね」っていう。社会に出た時に、自分の価値がどのくらいあるかなんてわからないのに、自己分析をして自分の魅力を逆算して出さないといけないわけじゃないですか。そうなると、学生時代に精一杯自分がやってきたことや大事にしてきたことからアピールポイントをつくっていくわけで、その結果、落ちてしまうと今までの自分が全部否定されたような気持ちになるんですよね。それは大変だろうなと。

 

自分のアピールポイントがわからなくて苦しんだり、自分らしさを捨ててでもよく見られるために取りつくろうという学生も多いみたいですね。向坂さんは「自分らしさ」でなやんだりした経験はありますか?

「自分らしくいたい」というのとは逆の話になってしまうかもしれないんですが、自分が「自分らしい」ということは、わたしにとっては子どもの頃からずっと苦しかったんですね。実は発達障害があって、人に合わせられないことが多かったというか。自分があまりに固有であることが苦しかったんですよ。

それで、覚えてることが1つあって、内定が決まって、内定者研修に行ったんですね。お茶を汲んだりコピーを取るという仕事をするんですが、「自分じゃなくてもできる仕事だな」と思ってなんだかうれしかったんですよ。就活をするずっと前から「自分らしさ」からどうやって逃げるかを考えていたので、この会社でただの「Aさん」として与えられた仕事を丁寧にやるというのに強くおもしろさを感じたんですよね。

その会社には就職しなかったんですか?

しないんです。教育実習の時と全く一緒なんですが4月までに運転免許を取るのが条件で、取れなかったんですよね⋯振り返ってみるとほんといいかげんですよね(笑)。ちょうどその頃、詩の朗読の活動が忙しくなってしまったんですよね。その会社が土日は休みにくい事だったので土日に詩人の活動ができないのも困るなと。

なので卒業後はアルバイトやワークショップの仕事をしながら詩人の活動をする道を選びました。でもバイトを続けたかったわけではないので就活は続けていました。ただ2年目はかなり難しかったというか、詩人の活動が不定期なのと、わたしみたいな人間を必要としている会社がどこにもない⋯。そのタイミングでニュースでも同世代の人たちのつらそうな声を聞くようになって、少しずつ「働くことと生きづらさ」について考えるようになっていくんですよね。この社会でわたしたち若者が苦しむことなく就活をして働いてしっかりと生計を立てる方法を考えたいと思っていたら、ちょうど「就職エージェント」の会社を見つけてそこで働くことになりました。どうやら詩人らしいぞとおもしろがられて雇われたんですが、半年でクビに(笑)。

そこからはまた別の教育関係の会社で働いたりもしながら「ことぱ舎」をオープンさせたという流れですね。

卒業後にうまく社会に出てる同世代の学生も多かったと思うのですが、まわりに比べて引け目を感じたり、社会に属せていないという思いはありましたか?

なかったですね(笑)。友人が少なかったので誰がどうなっているのかわからなかったというのもあったと思いますが、社会というものをめちゃめちゃ広くとらえていて。生きて人の中にいれば社会の中にいる、すみっこでも社会に属しているなって思っています。

あと詩人の世界にいたというのも大きかったかもしれません。いろいろな生き方をしてきた人が集まっているんですよね。一般的に見たら社会に属せていないとみなされそうな人たちによって形成された社会を知っているというのは大きかったと思います。

学生の中には「社会人にならなくては」と強迫観念を感じている人も多かったりするのですが、そういう学生に対して何かメッセージはありますか?

わたしが偉そうなことは言えないんですけど、自分が社会人ではないと思っているところから「社会人にならなくては」って思うのはしんどいですよね。今の自分じゃない何かにならなければいけないって、すごくしんどい焦りだと思います。なんだかあちこちから言われることを聞いていると、就職もしないといけないし、自分の「やりたいこと」を仕事にしないといけないし、社会人にもならないといけないし、社会的なステータスも求められる。だからと言って自分のやりたいことをしようとするとそれではお金が稼げなかったり、わたしもそうでしたけど、一つを叶えようとするとどれかを失ってしまうのが現実で、にっちもさっちもいかなくなる。

でも、どれか一つでも残るなら失ってもいいんじゃないかなって思うんです。そう考えた時に、「社会」を広くとらえるのと似ていますが、「やりたいこと」ももっと広くとらえて形にするのがいいと思います。

 

いま就活中の3年生はコロナ禍と同時に入学したので、「ガクチカ(学生時代に力を入れたこと)」で話すことがなくて困っているといいます。どうすればいいでしょうか?

「ガクチカ」でも「やりたいこと」でも、何かを話すときに、言葉になってしまうとそれが全部だったような気がしてくるんですよね。言葉にできなかったことはなかったことにしてしまう。饒舌に自分の思いを言語化できている時は何かを見落としている、とも言えます。

「言語化」という言い方は就活以外でもよくされますが、注意しないといけない言葉だと思っています。「言語化」と言ってしまうと、そもそも自分の内側に確かな何かがあって、かつそれがそのまま言語に変換できるような印象になります。ですが本当は、自分でもわかっていない部分が大半で、言葉にする過程でそれがはじめて少し見える、ぐらいのことだと思うんです。だから、上手に「言語化」できることよりも、まずは「自分に見えていない自分」があることを知ることが大事だと思うんですよね。そう簡単に言葉にならないものもあるし、本当はやりたいけどうまく伝えられないこともある。

ただこれはいい就活のためというより、就活で死ぬほど苦しくならないためのポイントという気がします。就活中に自分を見失わないための方法というか。

新聞についてどんな印象をお持ちですか?

新聞ってパッと開くと興味のない情報にも目が行くじゃないですか。東京新聞電子版の紙面ビューアーはその点、まさに「デジタルだけど紙面」というのがすごくいいなと思いました。インターネットだと興味を引くための見出しばかりで、気になるとついついクリックしてしまうので、それは個人的には危ないなと。

確かに自分の興味のフィルターで情報が偏ってしまうのは危ないと感じている学生も多いです。向坂さんはニュースとはどういう風に向き合ってますか?

基本的にニュースを読むときは「自分はこのニュースを正しく読み取れていない」と思うようにしています。特にリアルタイムで流れてくる情報には自分が理解できていない文脈があるに違いないと思って向き合うようにしています。パッと見て「なんだこれ?」と思う思想や意見もあるんですけど、すぐにわかった気にならないで時間をかけて理解しようと思います。もちろん理解できないこともありますし、それに対して反対の意見を探して安心してしまうことも多いのですが。ちゃんと両方の意見を聞かないとなと思います。

その警戒心はどこで培いましたか?

詩や芸術ってそもそもわからないことが多いんですよね。人の作品を説明せよと言われても難しいし、全然わからないけど好きだなとか嫌いだなとか、あるんですよね。それで、わからない部分を残したままでなにかと関係を持つことに慣れた部分があるかもしれません。詩って論理的じゃなかったり倫理的じゃなかったりもするので、「わからない」ということに対してタフになったんだと思います(笑)。

では最後に、学生に向けてメッセージをお願いします。

就活で自己分析するのも、「やりたいこと」を考えるのもそうですが、自分自身のことを考えるって大事なことだと思うんですけど、自分の中にあるものから答えを出そうとすると、絶対にいつかどこかで行き詰まると思っていて⋯。自分と全く関係のないところで動いてまわっていることとか、自分の理解が及ばないこととか、常識や理屈が通用しない詩や芸術、空想の世界でもいいんですが、自分の世界の道理と離れたところに触れ合うことを大事にしてほしいなと思っています。

自分を見つめ直す必要がある時こそ、自分以外のものにいっぱい関心を持ってほしいです。



写真:東海林広太



記事公開日:2023年3月15日

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向坂くじら
Kujira Sakisaka
ことぱ舎:https://kotopa.com
Twitter:@pomipomi_medama

詩を音楽や身体表現、即興表現と組み合わせる朗読パフォーマンスでも活動。ギタリスト・クマガイユウヤとのユニット「Anti-Trench」としてファーストアルバム「ponto」「ŝipo」を二枚同時リリース。現在はセカンドアルバム「Theory Ⅱ」を制作中。

2021年『びーれびしろねこ社賞』大賞受賞。第1詩集『とても小さな理解のための』(しろねこ社)は多方面で話題をよんだ。各新聞に書評が掲載されている。また資生堂のウェブサイト・花椿『今月の詩』発展企画、『心にのこった詩はどの詩ですか?』にて、読者投票の結果『月子、ハズゴーン』が最多得票。

2022年埼玉県桶川市にて、教科指導と創作指導とを接続することを目指し、『国語教室ことぱ舎』を創設。子どもの自死が過去最多との報道を受け、2023年から毎週月曜日にフリースペース『街のとまり木』(by多様な学びプロジェクト)の活動も開始。

1994年生まれ。慶応義塾大学文学部卒業。

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