STUDENT NOTE 15 田中鷹 | STAND UP STUDENTS | Powered by 東京新聞

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いま、わたしたちのまわりで、
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確かなこと。信じること。納得すること。コミュニケーションや、意見の交換。
あたりまえの自由さ、権利。流れてきた情報に頼るのではなくて、自分たちの目で耳で、手で、足で、感動をつかんでいく。

東京新聞『STAND UP STUDENTS』は、これからの社会を生きる若者たちに寄り添い、明日へと立ち向かっていくためのウェブマガジンです。等身大の学生たちのリアルな声や、第一線で活躍する先輩たちの声を集めることで、少しでも、誰かの明日の、生きる知恵やヒントになりたい。

時代を見つめ、絶えずファクトチェックを続けてきた『新聞』というメディアだからこそ伝えられる、『いま』が、ここに集まります。

STUDENT NOTE

15
田中鷹
Taka Tanaka

小さな声に耳を傾け、社会のこと、これからのこと、身近なことを一緒になって考えていくために、学生が書いたエッセイを『STUDENT NOTE』としてお届けしています。

日々の暮らしの中で思ったこと。SNS やニュースを通じて感じたこと。家族や友人と話して気づいたこと。もやもやしたままのこと。同世代の学生が綴る言葉が、誰かと意見を交わしたり、考えたりする<きっかけ>になればと思っています。

第15回は、大学病院での実習や、小説や音楽制作などの “作品づくり” を通じて、社会に搾取されない「自分の感覚」を取り戻した田中鷹さんによるエッセイです。

自分で感じろ、考えろ。

文・田中鷹
絵・村田遼太郎


僕たちは常に何かを奪われている。僕はそれに気づき、少しずつ取り戻していく方法を知った。きっかけは大学病院での実習を通してたくさんの人に出会ったこと。そして作品を自分の手で作り続けたことだ。と、ここまで何を言っているのかわからないと思うけど、言いたいことはこれに尽きる。だから順を追って説明したい。

僕は大学5年生で、大学病院で実習をしていた。実習では診察や手術の見学をしたり、担当症例をもらって患者さんの病状を把握し、身体診察をさせていただいたりする。診療チームの検討会に参加し、教科書にはまだ記載のない最新の治療法を知る機会もあった。

大学病院は不思議な場所だ。発見と変化の連続だった一年を振り返り、しみじみそう思う。患者さんを中心に、治療する人、ケアする人、それを支える人たちがいて、その関係性も社会の中ではなかなか見つけられない独特さがある。いわゆるお客さんとも違うし、もちろん友達や家族でもない。患者さんは何かしら苦しみや違和感を感じていて、治してほしいという期待を持って診察室のドアを叩く。そして服を脱いで患部を露わにしたり、治療者が必要と言えば、足を切断するとか強烈な副作用を伴う薬を飲むとか心身にとって重大な判断を検討しなくちゃいけないこともある。

医療は社会化された体系としてまかり通っているけど、その現場、つまり治療者の手が患者さんに触れる距離では、むしろ言葉や法で定義できない社会の外側にある営みとしての瞬間があると思う。それに患者さんは実に様々な病気を抱えていて、当人が抱く気持ちや治療者に向ける感情はもっと多様で無限大だ。

そんな患者さんを、ひいては誰一人として同じではない人間を、友人を家族を通りすがりの人を、どういうふうに受け入れたらいいんだろうかと僕は毎日考えることになった。

その答えの一つとして、目に見えないものを大切にする、という考えが頭の中で光った。それは、正しい正しくないとかいう世界の外側に出るとも言い換えられる。これは多分、元々興味のあったフロイトやラカンの論文に影響された考えなのだけど、自分の発見として湧き上がってきた実感がある。


例えば、これは本当に例えばの話だけど、ある組織のある部署とか、大学のゼミとかで特定の人物にだけ強く当たってしまう人がいるとする。他の同僚や上司には優しいのに、その人にだけキレてしまう、ミスをなじってしまう、陰口を言う。それに限らず、なんかわかんないけど好きになれない奴がいる、みたいなことは誰にでもある。それを外から見ていると、良くないよね、間違っているよね、やめた方がいいよねと言いたくなる。

もちろん相手にとっては理不尽だし傷つくだろうから、良いことではないと思う。けど、正しくないから、という理由でことを片付けてしまうのには僕は疑問を感じる。明らかな悪意があってやってる、とかだったら別だけど、わかっているつもりなのに、気づいたときには頭に血が上っているような場合には、正しいとか正しくないとかじゃなくて、もっと深い洞察と寛容の眼差しを自分の心に向けていいんじゃないかと思っている。

その人がカッとなっているとき。その様子は周りの人にとっては異常で、キモくて、頭おかしいよねって感じに見えるかもしれない。でも本当は、その人の心の形がふっと現れる大切な瞬間なんじゃないかと僕は考えている。AV監督で作家の二村ヒトシ氏が「心の穴」と書いているけれど、それに近いかもしれない。例えばその人には過去のトラウマがあって、本人も自覚していない見えない傷があるのかもしれない、そしてその相手がたまたま傷を呼び起こす性質を持っていた。つまりその人との関係性や態度、言葉遣いが引き金となって、忘れていた傷の回路が無意識に発火したと考えることもできるんじゃないだろうか。

じゃあその理論正しいんですか、と聞かれたら正直僕にはわからない。

でも実はそれさえどうでもいいことで、「今そう感じた」っていう動物的な感性が大切な気がする。社会はそれを “人間関係のトラブル”. とか言って片付けるけれど、自分の心と対話するまたとない機会と考えることもできると思う。というかむしろそう考える方が自然に思える。心は普段深いところに追いやられていて、その本当の姿や性格を本人でさえよく知らない。トラブルだからなんとか治さなきゃと思ったりするのはとても苦しい。これは深く傷ついて、立ち直れないほど落ち込んでいるときなんかも同じかもしれない。「早く治す」とか「早く元気になる」というのはむしろ暴力的で、その傷の形を通して心の姿を知る機会をただ奪っているだけかもしれない。せっかく暗がりの中から顔を出した自分の心を、でたらめな社会の規律や言語で窒息させてしまったら悲しい。


と、僕はこのへんで社会って案外でたらめなんじゃないかと思いはじめた。何を言ってるんだこいつあほか、と思うかもしれないが、仰る通り大変にあほではあるので、そのつもりでこの先も聞いてほしい。良いこと悪いことがはっきりと決まっている世の中に対して、矛盾した思いとかふしだらな感情を抱えたり揺れ動いたりする心の営みの方が一見でたらめに思える。だけど、世の中の正しい正しくないという棲み分けも、吟味してみると結構テキトーだったりする。この国だって100年前は他の国の人間をたくさん殺して褒められたりしたわけだし、今後もどうなるかわからない。しかし社会の「正しい」は、いつの時代も強い圧力を持っている。

実は普段僕たちが自分の心の姿に気がつかないのも、社会の中で上手いこと生きていかなきゃいけない、ということが大きく関わっているように思う。あなたには属性がある、行くべき学校がある、普通の生き方がある、適応した方がお得なルールがある、こっちの人生の方が勝ちという基準がある。世の中でまかり通っているこういう常識が、まさに本当の心の形を覆い隠しているものの正体である。その人だけの感じ方とか価値観を奪っているとも言えると思う。

だけどこういった常識も必ずしも悪だとは思っていなくて、自分の心と対話せずに生きていく方法ではあると思う。やはり自分の本当の心と対峙するのは、結構しんどい体験だったりすることもあるから。ただ忘れてはいけないのは、世の中つまり多数派の持つ暴力が少数派の苦しみを生んでいるということだと思う。僕は精神科医を目指しているけれど、人の心や苦しみに関わる全ての人は、必ず多数派を喝破しなきゃいけないように思う。多数派が貼った “異常” のレッテルを鵜呑みにして、彼らの希求する “普通” に矯正しましょうね、というのはあまりにもむご過ぎる。実習で出会った素晴らしい先生方は何科の先生であれ、必ず患者さんその人の叫びにただ耳を傾けていらっしゃった。

今の世の中はどんどん空気とか言葉に縛られていっている感じがする。すると自分の心と対話するのはもっともっと難しくなる。僕がかろうじてそれに気づけたのも実習でたくさんの人に出会ったり、また音楽や文字の作品を自分の手で作り続けたという機会があったからだ。突然に作品云々という話が出てきてびっくりかもしれないけど、結局これが自分の感覚を取り戻してくれたとも思っている。実習でたくさんの発見をしたあとで、僕はこの気づきの萌芽をどう育もうかと悩んだ。その結果、正直単なる思いつきだったけど、心の思うままに、自分の感じるままにこの手で作品を作ってみるのはどうだろうと考えた。そして自分が面白いと思える小説を書いて、友達と音楽を作ってみた。結果、これはただの結果だけれど、小説で賞を獲って新聞に載せてもらったり、一緒に音楽を作ろうというプロの人が仲間になってくれることになった。


さあこれからを生きる僕たちが、自分の感覚を取り戻し、その心を知り、自分を誰かを愛するために、いったい何をどうしたらいいんだろうか。もしかすると、「何でもいいから自分の手で作る」というのは結構いい方法なのかもしれない。きっと何でもいい、料理とか掃除もそうだし。僕はこれからも見えるものも見えないものも大切にして、出会う人々と生きる喜びを分かち合いながら、何かを作り続けていきたい。“おかしい人だね” と言われれば、大変にごもっともだと思う。でももし、何か作りたいとか、こんなことをやってみたいという気持ちがあれば、やってみたらいい!と無責任に思う。もし一緒に何かやりたいと思ってくれたら、誰でもじゃんじゃん連絡してきてほしいとも思っている。

「社会という荒野を仲間と生きる」

これは敬愛する宮台真司氏の言葉だけど、しばらくはそうやって生きていこうと思う。

2023年4月10日

※ エッセイへのご感想やご意見がありましたら STAND UP STUDENTS の公式インスタグラム へ DM でお送りいただくか、匿名でも投稿できるフォームにお送りください。STAND UP STUDENTS では、今後も、学生たちがさまざまな視点で意見や考えを交換し合える場や機会を用意していきます。お気軽にご参加ください。

田中鷹
Taka Tanaka
1999年生まれ。医学部6年、同名で音楽活動、執筆活動中。性愛をテーマにしたオープンダイアローグのワークショップの運営に参加している。精神科医、精神分析家を目指して勉強中。

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イラスト:村田遼太郎
https://www.instagram.com/ryoutaromurata_one/

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