半世紀以上生きてきて、目の前で時代が変わっているのを実感している。
それが良いのか悪いのかは、歴史が判断する事だ。
オレは幕末のしがない浪人のように先が読めなくて、右往左往している。
泰平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も寝られず
本題に入る前に…“時代” と言えば、この人。この楽曲。
第一声で衝撃を受けたのは、初めてかもしれない。
みゆきさんがどんな思いを込めているのか…。伝わってくるよね。
ショート動画なのが、実に惜しい。(その意図も理解できる)
時代を動かす力を持っている人は、皆勤勉だ。
あの龍馬ですら(失礼)学ぶ事は怠らなかった。そういう意味では貪欲だったのかもしれない。
前途したようにオレは「しがない浪人」。学も作法も経験もない。
それで良いと思ってる。オレにしか出来ないやり方がある。
自身の主義主張は、今まで通りのやり方で進めれば良い。…そう考えていた。
だがね、時代はそれを許さない。オレの言動は急激に価値を失いつつある。
(元より殆ど無いのだが…)
それを認識した瞬間のショックは途方もなく大きかった。
ショックを受けたと言う事は、自分の言動に何らかの価値を求めていた証拠だ。
オレが能登で見聞きしてきたものは、どれだけの人に届いただろうか?
被災した人たちの苦しみ悲しみを少しでも軽減できただろうか?
多分…晩メシを食う頃には忘れられてしまうようなレベルだ。
それで人を笑顔にできるか?
生きようとする勇気に変換してもらえるか?
答えは言うまでもない。
オレがやってるのは、所詮自己満足に過ぎないんだよ。
3度目の能登訪問以降、アクション起こす事統べてが裏目に出た。
協力を求めた相手は、とあるイベント(内容は言わない)で哀れな結果となり身動き取れなくなった。
無力なオレに出来る事は “口先だけで励ます” こと位しか残ってない。
これがどんなに空しい事か…。 皆さんなら理解できるだろう。
時代は変わる。それを認識できなかったオレが悪い。
学ぶ事を疎かにした自分の責任だ。
熱く語った事への責任には、きちんとけじめをつける。(別に切腹するんじゃない)
「絵に描いた餅」から『食える餅』を得る方法を、模索する事だ。
龍馬の幼馴染でもあり、友達でもあった武市半平太と岡田以蔵。途中で袂を分ける事になった。
土佐上士扱いでもあった武市は、切腹。足軽身分の以蔵は河原で斬首。身分の違いが切腹と斬首だ。
姉の乙女から届いた手紙で2人の死を知った龍馬は、深く悲しんだそうだ。
主義主張は違えど、幼馴染で友達でもあったのは変わらなかったのだろう。
龍馬の中を巡る熱い血には、そういう故人の思いも含まれていたに違いない。
『わしを弟子にしとっせ!』
オレは…これができないんだ。昔からね。