今日の話は長くなる。
野球シーズンは長いかもしれないが、コヤマさんの野球会にとってはセ・リーグやパ・リーグで戦っている時期が「野球シーズン」だ。
コヤマさんは野球ファンなので、職場に一緒に野球を見に行く野球ファンが増えている今年度は、ずいぶん何度も行っていたようだ。好きなチームを応援に行く日と、行きやすいorチケットを取りやすい球場に行く日があり、好きなチーム応援の日用の仲間が2人、取りやすい球場の日用の仲間が2人いた。そういう日の仲間はいずれも野球ファンで、何度も球場に行きたい人たち。いわゆるガチ勢?
久しぶりに野球に行ってみると、コロナ禍前と後ではちょっと変わったなと思う。以前の様子が戻ってきて、人も多いし、飲食店も全部開いている。それでも違うと思うところもある。
行列緩和のための呼び出しの仕組みとか、球場内の設備の工夫とか。
野球場にはビールや食べ物のために行くというわたしにとって感じるのは、ビールの売り子さんたち。かつて、球場のビールの売り子さんは、売れっ子なら桁違いのお金を稼ぐと言われていた。わたしの収入と比べたら――たぶん、トップの人なら何倍も稼ぐのだろう。それほど稼いでいた人たちは、コロナ禍での試合中止や無観客試合などの時代をどう生き抜いたのだろう。転職した人も多かったのではないかと勝手に想像する。
というわけで、ビールの売り子さんたちも普通のアルバイトさんが多くなったように思える。以前も土日のアルバイトさんはたくさんいたと思うが、プロの腕前の売り子さんたちもたくさんいて、たぶんそういう環境だと普通のアルバイトさんもそういう人たちの背中を見て自然に覚えるのだ。
そういう時代が終わったので、通常のアルバイトさん。もっともっと稼ぎを増やそうと頑張る風潮も消えた(もしくは減った)。と、思う。
なんとかビールを頼もうと思ってお姉さんを探すが、いない。
やっと見かけても近くに来てくれない。
手を上げても気づいてもらえない。
必死で身を乗り出しても気づいてもらえない。
なかなか来てもらえない。
1杯目を手にするまでこんなに時間がかかるとは。
というわけで、2杯目を注文できたとき、コヤマさんとわたしはお互い2杯ずつ頼んだ。
中高年になり、更年期障害も始まって、すぐにイライラしてしまうわたしは、ちょっと心が荒れた。たったこれだけのことで?と思われるだろうし、だからおばさんはと言われる原因なのだろうと思うが、言い訳だろうけどホントにすぐ沸点に達する時があるのだ。ホルモンバランスって恐ろしい。
これ以上お酒がこなくて荒れるのを防ぐため、見かけるとすぐに注文してしまったり、2杯注文してしまったり。――別の意味で荒れた。
このあたりはわたしよりずっと若いコヤマさんは平静だ。「そんなに頼んでも飲めないでしょ」と言ってくれたりする。
後半になるにつれビールお姉さんがつかまるようになったが、心は荒れたままだった。これだからおばさんは。
唯一、ハイネケンのお姉さんを呼び止められた時は心が躍った。緑のユニフォームが可愛らしい。
この日、案の定わたしは飲み過ぎ、帰りの記憶はほとんどない。
しかし、驚愕したりすると記憶が刻まれるらしい。
途切れていたわたしの記憶は、どこかの駅のロータリーから蘇った。タクシーに乗ろうとしている。GOで呼ぼう、と思って携帯を取り出そうとする。ない!!!! かばんの中やらポケットやら、いろいろ探ってみるが、ない!!!!
しかし、ない!!!!の次は、やはり酔っていて、えーどうしようどうしよう、なくなったなら仕方ないまた買い替えかな、前回でクラウドに保存されていればデータもほとんど戻ることがわかったし、見つからなかったら明日ショップに行こう、と変に落ち着いて波立たない。
結局、タクシー乗り場に並び、タクシーで帰ったようだ。
翌早朝、寝具の中で目覚めて、そういえば昨日携帯がなかったと記憶が蘇る。飲み過ぎた翌朝で体も気持ちもぐったりしているので、面倒くさかったが「iPhoneを探すで見るだけ見てみないと」と起き上がった。
夫は起きていない。まだ何時間も起きないだろう。
「iPhoneを探す」によると、***駅近くの商業施設付近、100円ショップの辺りを示していた。***駅……って、どこ??
想像では、相変わらず最寄駅を乗り越して、「乗り越した」と気づいて逆方向の電車に乗る、また乗り越して逆方向の電車に乗る、と上り下りを行ったり来たりしたようだ。そのいずれかの駅で、乗り入れている途中から別路線に入っていく電車に乗り(乗るまではいい)、降りそびれて先まで行ってしまった。で、そこで「いっそ降りてタクシーを拾おう」とうろうろして、落とした。タクシーは見つからず、電車で移動し、結局自分の路線の駅のどこかで降り(終電で降りざるを得なかったのだろう)、タクシーで帰った。
探しに行ってみる――? しかし、体も気持ちも疲れていた。着替えて出かけるなんて面倒だった。
探しに行ってみても、もうなくなっているかもしれないし。……と、そう思うのは疲れていたからだと思う。行きたくなかったのだ。
わたしはまた横になり、諦めた。
1時間ほど寝ていたが、意識は途絶えたり戻ったり、寝ているような起きているような状態だった。で、ついに思った。「行くだけ行ってみよう。そうでないと後から後悔する」 どっちが後悔するかで考えるのは大事だ。わたしは引きずる人間だからだ。路線検索をしてみると、路線が分かれる分岐駅から数えて2つくらい先の駅のようだ。そう遠くないかもしれない。
のろのろ起き上がり、なんとかシャワーを浴びたり服を着たりした。そして、家を出た。
電車に乗って分岐駅まで行き、これまでに2度くらいしか乗ったことがない路線に乗り換えた。2駅乗って気づいたのだが、2駅では着かなかった。同じ線路を一部使う別の名前の路線があるようで、検索は合っていなかった。とにかくそれほど近くなかった。
6駅くらい乗る間、わたしはつくづくスマホのある生活について考えた。本当に何もすることがない。ぼんやりと座っていることの退屈さ。音楽も聞けない。駅に着いて、「**駅か」と思う。「あと何駅くらいあるんだろう?」と調べたいが、調べようがない。車内に電光掲示板がついていない電車だった。となると、悠長にしていられず、駅に着くたびに降りるべきか?とホームの案内板を探す。
行ってみても見つかるかどうか分からないし、心は落ち着かない。長い道中だった。
駅に着き、検索したノートパソコンを開く。Wi-Fiにつながらないが、検索した時点のiPhoneを探すの画面を開いたままにしている。少なくとも家を出る直前までその場所にあったはずだ。
駅構内を出口まで行く。改札を出て左の出口に行ってみたが、画面にある商業施設が見当たらない。反対側に行ってみる。駅構内を歩くときはきょろきょろと通路を見回しながら歩いた。
駅員さんにも聞いてみた。届けられている携帯の落とし物はないとのこと。
交番があったが、行こうかどうしようか迷った。交番に行くと、届け出を書いたりして面倒かもしれない――
たぶん、画面に出ている商業施設はここだろうと思う建物が駅と隣接(合体)していた。画面に出ている100円ショップも入っているようなので、間違いない。
そのすぐ前の舗道にあるように見えたのだが、最後の画面ではちょっと離れているようにも見えた。
朝早くから開いているスーパーで、レジに店員さんがいた。聞いてみようかな。
こんな遠くまで探しに来た――もう1回行ってみようということはないだろう。やるだけやっておかないと、後から「あのとき聞いてみたらよかったかなぁ」と後悔しそう。
土曜の朝、お客さんもいなかったので、レジにいた女性の店員さんに落とし物がなかったか聞いてみた。自分は分からないが、昨日もいた人がいるから聞いて見ると言ってくれて、内線電話をかけてくれた。
バックヤードからやってきた男性が、「落とし物の届けはない」と教えてくれた。そうですか……とがっかり。もう後は警察しかない。
「この辺で落としたんですか」と聞いてくれたので、ノートパソコンを開き、iPhoneを探すの画面を見せた。この辺りにあったようなので、と。これは現在位置を示しているのではなく、最後にあった場所だとも付け加えた。
男性は、「これを見ると外ですよね」と言う。そうなんですよ、外も探したんです。
男性は一緒に外に出てくれて、駅のロータリー付近を見てくれた。わたしが既に見たところも一緒に見たが、やはりない。
「もう1回、画面を見てもいいですか?」ーー画面といってもスクショ画像なので、今現在の位置ではないですけども。
見ながら男性は、「ここに公園みたいになっているじゃないですか。これはどこかなかぁ」と辺りを見回す。公園みたいになっているというのは、パークのマークが出ているというのではなく、なんとなく木々がありそうな感じの緑が見えているということだ。
「あっちの植え込みの辺りじゃないですかね」
ロータリーは、先頭にタクシー乗り場、それからバス乗り場が1番、2番のように並び、車がぐるりと回れるようになっている。そういうところは、まんなかに緑の空間や、ベンチがあってちょっと公園風にしている場所も多い。(まんなかに大量のバス停があるところも多いが。)
ああ、なるほど!! 期待を込めて小さな植え込みというか憩いの場所というかに近づく。しかし、くまなく見回してみたがなかった。
男性がちょっとしたことをいろいろ話しかけてくれるので、説明しながら歩く。「タクシーに乗ろうとしたと思うんですよ」とか、「やっぱり交番に行くしかないですかねぇ?」とか。
「タクシーに乗ろうとしたと思うんですよ」とタクシー乗り場にまた行き、「でもタクシーが来なくて乗れずに結局電車を探したと思うんです」ーー記憶ないので、「思う」しか言えない。
「タクシーがいなくて、きっとGOとかS.RIDEとかアプリを使おうと思ってスマホを出したと思うんですよ」と言いながらタクシー乗り場に戻り、「乗り場がどの辺なのかも、朝はタクシーがいなくのでよく分からなくて」と何気なく、タクシー乗り場付近の植え込みの中を見たら、見慣れた色合いのスマホが落ちている!!!!!!
あった!!! 「ありました!!!!!!」
なぜ植え込みの中に? 手に取ると確かにわたしのスマホ。よくある背の高くない小さな植木や花が植えられた植え込みの土の上にひっそり横たわっていた。
思うに、誰かがタクシー乗り場付近で見つけた。自分でもらってしまってどこかに売り飛ばすというようなことはしない人だった、警察に届けたりするのは面倒だった。しかし、このまま路上に放っておいたら、踏みつけられたりして壊れてしまうかもしれない。葉っぱの上に置いてあげようと置いて、下に落ちて土の上。または、最初から土の上にそっと置いてくれた。
確かに、ある。わたしも以前落ちていたスマホを見つけたとき、歩道から拾い上げ、歩道脇の花壇の縁の上に置こうかと思ったことがある。また、通勤途中の道で子供の靴が落ちていて、たぶんお母さんが幼児を抱っこか自転車に乗せていて片方脱げたんだな、と思ったこともある。その靴は数日落ちたままの場所(らしいところ)に転げていたままだったが、ある日花壇の縁に乗っていた。誰かがそっと脇にどけたんだろう。お母さんは気づかなかったのか、たまたま通っただけで普段はその道を使わないのか、靴は長いことそのままだった。
そういう誰かの親切だったのかな。鋪道にそのまま置いていてくれたら自力で見つけられたろうが、その場合なくなっていた可能性も高いーーつまり結局見つけられなかったかも。
誰だか知らない人、ありがとう。
そして、一緒に探してくれたスーパーの男性、ありがとうございます!!! この人がいなかったら見つけられなかった。
植物があるらしい緑色の場所という指摘、一緒に歩くときに話しかけてくれたおかげで「きっとこうでーー」と自分の行動を説明しながらさらにあちこち見たことによって、発見できた。
ああ、本当によかったよぉぉ。壊れることもなく、傷がつくこともなく、その場にひっそり落ちいていてくれた。
酔って転んで失くして、急遽新たなスマホに買い替えてまだ半年。また失くしたなんて、夫に言えない。こっそり同じ機種を手に入れようと思っていた。
よかった〜〜
しかし、このことは夫には言わないでおこう。
家に帰ったとき、夫はまだ寝ていた。わたしもまた寝よう。疲れちゃった。ああ、本当によかった。