韓国の球技種目史上初の五輪メダル獲得の主役であり、韓国プロスポーツ史上初の女性監督として知られたチョ・ヘジョンさんがこの世を去った。
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チョ・ヘジョンさんは10月30日早朝、持病のためこの世を去った。71歳だった。
1953年3月5日生まれのチョ・ヘジョンさんは小学5年生からバレーボールを始め、中学・高校を経て1971~1973年に国税庁バレー団、1973~1977年に大農でプレーした。以降は現代建設(現・現代建設ヒルステート)でコーチを務めた後、1979~1981年はイタリアのチームで選手兼コーチとしてプレーした。
女子バレー韓国代表としても1970年から1977年まで活躍し、韓国バレーボールの地位を全世界に広く知らせた。
特に、1973年のバレーボールワールドカップでは韓国を3位入賞に導いて大会MVPを獲得したほか、1976年モントリオール五輪では銅メダル獲得に貢献し、韓国の球技種目史上初の五輪メダル獲得の主役として名を馳せた。
それだけでなく、1977年に日本で開催されたバレーボールワールドカップでも韓国の3位入賞に貢献、自身もレシーブ賞を受賞するなど、攻守ともに優れたエースとして人気を集めた。
その後は2005~2012年で韓国バレーボール協会の役員を務め、韓国バレーボール界発展のために心血を注いだ。特に、当時初歩的な段階にあった韓国ビーチバレーの活性化に尽力した人物でもあった。
また、2010~2011年には韓国プロバレーVリーグ女子部のGSカルテックス・ソウルKIXXで監督を務めた。韓国プロスポーツ界で女性が監督を務めるのはチョ・ヘジョンさんが初だった。
韓国バレーボール協会はチョ・ヘジョンさんの訃報を受け、「韓国バレーボールの発展に大きな一線を画した伝説的な選手だった故人を称えるため、バレーボール人全員の心を込めて功労牌を叙することにした」としている。
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