自治体・産業界との共創による地域創生 ①熊本県 | 高等教育 | リクルート進学総研

自治体・産業界との共創による地域創生 ①熊本県

半導体産業の一大集積地として新たな価値創出を目指す産学官連携

日本で半導体産業の復興に向けた動きに注目が集まっている。
最も象徴的な出来事といえば、2021年に世界最大の半導体ファウンドリ企業TSMC が熊本に新工場建設を発表し、今年2月に第一工場がオープンしたことだろう。
熊本県では、半導体産業のさらなる拡大のために23年「くまもと半導体産業推進ビジョン」を策定。
半導体産業に関する研究推進や人材育成に向けて、県内の高等教育機関と半導体関連企業との連携を進めている。
産学官連携の取り組みについて、県庁と熊本大学にお話を伺った。


熊本県商工労働部産業振興局産業支援課 首席審議員兼課長 辻井翔太氏


不足が予測される半導体関連人材
九州だけでも今後10年で約9000人必要に

 携帯電話やクルマといった日常の多くの製品に存在する半導体。デジタル社会の基盤でありDX推進や生成系AIの普及によってその需要は一層高まっている。2021年には経済産業省は「半導体・デジタル産業戦略」を策定して産業推進に力を入れてきた。その後のコロナ禍やロシアのウクライナ侵攻によるグローバルサプライチェーンの混乱によって半導体不足が日本の産業にもたらしたダメージは大きく、日本の経済安全保障上の観点からも半導体産業の振興は一層重要度を増している。まさに国策として大きな予算が動いている分野だ。

 半導体産業の日本の動きを従業員数で見ると、1980~90年代の日本の半導体産業が世界シェアトップを席巻した時代と比較して現在は全体で3割減となっている(図1)。一方で半導体産業は技術の総合産業といわれており、開発・設計・素材・製造装置・製造等、様々な分野の最新技術を持つ企業が産業を支えている。日本でも半導体製造装置や素材関連の分野では東京エレクトロンやソニー等数多くの企業が大きな世界シェアを持ち、従業員数も伸びている。今後の予測では、世界的な半導体市場の拡大見込みから国内の半導体関連産業の人材需要は急激に増え、人材不足となると予測されている。電子情報技術産業協会の調査によると今後10年間で半導体企業の主要8 社だけでも全国で4万人の半導体人材が必要になるという見込みだ。特に半導体企業が多く存在し、「シリコンアイランド九州」と呼ばれている九州では9000 人の人材が必要になると見込まれている。


図1 熊本県の半導体関連産業の従業員数推移と今後10年間で必要になる半導体人材数予測


半導体人材の育成が急務となる熊本

 シリコンアイランド九州のなかでも特に熊本には多くの半導体企業が集まる。その理由のひとつが豊富な水資源だ。半導体製造には大量の水を必要とするが、熊本では阿蘇一帯から流れる豊かな地下水が活用できる。また工場建設の土地も確保できる。こういった条件から熊本は半導体企業の集積地となり、国内の半導体産業が小さくなっていくなかでも熊本県内の半導体産業のシェアは伸び続けている状態だ(図2)。この半導体企業が集まる熊本に半導体ファウンドリ(製造)で世界トップシェアである台湾のTSMCが進出を決め、JASM株式会社として今年24年2月に第一工場がオープンした。現在第二工場の建設も予定されている。こうした大きな動きから人材育成・輩出への課題は特に大きい。

 「一般的に半導体産業の工場で必要な人材はオペレーター等の生産技術職が中心となりますが、一般職や生産現場のDXを推進する専門職、管理職等幅広い人材も必要になります。人材の獲得競争が激しくなっているなか、大学との連携はとても重要になっています」(熊本県産業支援課・辻井翔太氏)

 経済産業省が23年11月にまとめた「半導体・デジタル産業戦略の現状と今後」では半導体産業の人材育成戦略として、地域の特性に合わせた地域単位での産学官連携による人材育成(人材育成コンソ等)と次世代半導体の設計・製造を担うプロフェッショナル・グローバル人材の育成を挙げている。熊本県でも産官と大学が連携した人材育成が急務となっている。


図2 熊本県の半導体産業の出荷額と製造業全体に占める割合


熊本県が掲げる
「くまもと半導体産業推進ビジョン」

 熊本県ではこうした半導体産業の動きを受け、23年3月に「くまもと半導体産業推進ビジョン」を策定した。

 「熊本県はTSMC の進出を契機として半導体企業の集積がさらに進み、関連企業の立地や雇用創出、交流人口拡大等様々な分野の経済効果が期待されているところです。TSMCの進出効果を半導体のみならず県内全体における経済成長につなげるため『くまもと半導体産業推進ビジョン』を策定しました。半導体はいわゆるグローバル産業ですので、熊本の中だけの議論でおさまるものではありません。世界の潮流を踏まえたビジョンにすべく、半導体に関する世界トップレベルの有識者の方々と懇話会を2回ほど開催して策定しました」(辻井氏)

 「くまもと半導体産業推進ビジョン」では人材に関するものも含め、3つの方針が掲げられている。

①半導体サプライチェーンの強靭化 ②安定した半導体人材の確保・育成 ③半導体イノベーション・エコシステムの構築の3つだ(図3)。


図3 「くまもと半導体産業推進ビジョン」3つの方針と取り組み


 熊本県はこれらの方針の実現に向け、県内の国立大学法人である熊本大学とともに内閣府「地方大学・地域産業創生交付金」の採択を受け、ビジョンの実装・推進の起点としている。この地方大学・地域産業創生交付金事業は、「首長のリーダーシップの下、デジタル技術等を活用し、産業創生・若者雇用創出を中心とした地方創生と、地方創生に積極的な役割を果たすための組織的な大学改革に一体的に取り組む地方公共団体を重点的に支援する」というもの。10年間の事業計画が認定され、原則5年間にわたり年間7億円を上限に支援が行われる交付金事業だ。23年、熊本県と熊本大学が策定した「半導体産業の強化及びユーザー産業を含めた新たな産業エコシステムの形成」という計画が採択された。

 「ビジョンの実現に向け熊本大学には、実践的な半導体人材の育成や研究開発能力の向上、また企業との共同研究の強化からの新産業の創出と地域の雇用への貢献などにおいて、非常に期待をしています。実際に熊本大学は75年ぶりに半導体関連の新しい学部を設立するなど、異例のスピードで動いてもらっています。内閣府の交付金を活用し、大学とともに着実に事業を推進していきます」(辻井氏)


画像 熊本大学工学部キャンパス


熊本大学 工学部長 井原敏博 氏


熊本大学と半導体関連企業をつなぎ、共同開発を推進

 熊本県と熊本大学の取り組みは、新産業創出のための企業との共同開発と、大学改革による半導体分野に強い人材輩出の大きく2つになる。まず新産業創出のための企業との共同開発の取り組みを見てみよう。

 半導体の製造過程には、前工程と後工程があり、前工程は半導体の回路部分を作成する工程で、シリコン等の原料から作られたICチップのもととなる「ウエハー」に回路を形成、後工程はウエハーを切り出してICチップとしてパッケージにする工程を指す。

 「熊本の半導体関連企業は前工程と製造装置を作る分野が非常に強く、この分野はこれまでも熊本大学との共同研究が進んできたのでさらに強化を進めていきます。加えて、前工程と後工程の間の中間工程として、チップを縦に積んでいく『三次元積層実装』という新しい技術の研究が世界で進んでいます。現在、三次元積層研究の第一人者である青柳昌宏氏が産業技術総合研究所(つくば市)から熊本大学にご着任され研究が進められています。熊本大学と半導体関連企業が連携して『三次元積層実装』の新産業を創出し、熊本県に新たな半導体サプライチェーンを生み出すことを目指しています」(辻井氏)

 具体的な取り組みとして、内閣府交付金で実施する熊本大学との共同研究への参画や三次元積層実装産業への参入拡大等を目的とした「くまもと3D連携コンソーシアム」を23年4月に立ち上げた。23年7月末時点で県内外から120社・機関が入会し、知見の共有や共同研究に向けた技術マッチング等に取り組んでいる。

 「現在、会員企業等と熊本大学による9つの共同研究プロジェクトが進められています。コンソーシアムを通じて産学官金が連携し、『三次元積層実装』の技術確立や新産業の創設に向けた取り組みが活性化していくことを期待します」(辻井氏)

2つのアプローチで人材を育成
「半導体デバイス工学課程」「情報融合学環」

 熊本大学の大学改革による半導体分野に強い人材輩出においては、今年24年4月に国内初の半導体専門のコースを設置しスタートした。工学部内に新たにできた「半導体デバイス工学課程」と、学部相当として新たにできた「情報融合学環」の2つだ。

 工学部内に新たにできた「半導体デバイス工学課程」は、国内の大学で初の「半導体技術者・研究者」育成に特化した学士課程となる。工学部内には土木建築学科、情報電気工学科、材料・応用化学科、機械数理工学科の4つの学科があるが、新たにできた半導体デバイス工学課程は学科ではなく「課程」という名称となっている。

 「この『課程』は学科バージョンの一つです。半導体というものは様々な技術の総合産業といわれています。半導体の専門家を育成するために、工学部内の4学科の中の半導体に関係する教員が一緒になって半導体デバイス工学課程の学生を教えていく。それを実現するために生まれたのが半導体デバイス工学『課程』です」(熊本大学 工学部長 井原敏博氏)

 もう一つの情報融合学環は2年次からDS総合コースとDS半導体コースの2つが設定されている。DS総合コースでは一般的なデータサイエンス、DS半導体コースは半導体製造に特化したプロセスエンジニアの育成を目指す。

 「データサイエンスは様々な産業分野に使える汎用的な学問。半導体に限らず、医療、画像処理、物流の最適化や教育分野等にも活用できて出口がたくさんあります。もちろん一般のメーカーでも引っ張りだこになるでしょう。データサイエンスは半導体産業も含め、あらゆる産業をカバーする大きな傘。その大きな枠組みを表すために情報融合学環という名称が作られました」(井原氏)

 DS半導体コースはデータサイエンスのなかでもどのような違いがあるのだろうか。

 「半導体の製造現場では数千回、数万回と精細な作業がものすごい速さと回数で行われています。その三次元の微細加工の製造過程にデータサイエンスを活用することができれば、プロセスの数をぐっと減らすことも考えられるでしょう。製品の不良品の発生を減らして歩留まりが上がり、それによってコストが下がるといった製造の効率化等にデータサイエンスを活用できるプロセスエンジニアの育成を狙っています。工学部の半導体デバイス工学課程は製造過程に関わる基盤的専門知識を備える学生を育てるので、それぞれ目的の違う人材を育成していきます」(井原氏)

 情報融合学環では文理融合型の入試が行われており、文系の学生でも挑戦することができるのも特徴だ。地元の半導体産業企業に就職する人は、いわゆる工学部の電気電子系の人だけではなく、文系の人も多い。理系と文系の知識を必要とする学部の設置は、総合大学として半導体人材の裾野を広げる意味でも重要だ。

 「ご存知の通り半導体というのは国の戦略物資。食料と一緒で、半導体がなくなったらわれわれの生活は維持できません。その点で日本はこれまでのところかなり心細い状況でしたが、TSMC(JASM)の熊本進出をきっかけにして、この流れをきちんとサポートしようという国策になった。すると多くの人材が毎年必要になってくるわけです。そういった人材をきちんと恒常的に輩出し続けるためには、やはり地元の熊本大学が真っ先にそこに貢献しなくてはいけないという責務はありました」(井原氏)


図4 熊本大学が新設した半導体を研究できる学部・大学院


より高度な半導体技術者・研究者の輩出を目指した大学院の設置

 2024年の学士課程の新コース設置に加え、25年4月には大学院自然科学教育部「半導体・情報数理専攻」も新設が予定されている。

 「半導体製造に関わる技術者、研究者のボリュームゾーンはやはりマスター修了者が多い。より先端研究に携わる高度情報専門人材の輩出のために大学院を同時に計画することは必然でした。ハイレベルな教育研究環境を準備しています」(井原氏)

 この大学院の修士課程の定員は120名の予定。工学部の半導体デバイス工学課程の学生や情報融合学環の学生、工学部の情報系等の学生からの入学者で80名程度は見込まれるが、あと40〜50名は熊本大学以外、全国からの修士学生入学に期待をかける。それだけ多くの人材輩出の責務を熊本大学は果たそうとしている。

 「工学部では化学系の学科であっても、10人以上の学生がJASMをはじめ、半導体の企業に就職しています。先にお話しした通り、半導体は総合的な産業なので、今後は他の様々な分野からも大勢の学生がそこに就職することになっていくでしょう。そういったことも見込んで修士の数も多く見込んでいます」(井原氏)


画像 熊本大学 先端半導体研究クリーンルーム


半導体関連企業との協力体制によるカリキュラム

 こうした半導体人材育成の体制を整備している熊本大学と半導体企業との関わりも注目すべきポイントだ。

 まず25年4月から熊本大学の1年次学生に向け、TSMCによるカリキュラムがスタートする。半導体製造の基礎に関わる講義をTSMC(またはJASM)社員から直接受けることで、1年生の段階から半導体産業への理解と興味を深めることを目的にしている。

 また半導体関連企業各社と提携し、インターンシップも今後展開していく予定で、TSMCの本国台湾に1カ月程度のインターンシップも計画されている。

 「インターンシップは、学生にとっては実際に製造の現場を見ることができる貴重な機会です。すぐ近くに半導体の世界的な製造一大拠点があるというダイナミックな臨場感のなかで、産業界を見て学びにつなげられる。非常に恵まれた環境だと思います」(井原氏)

 九州大学が中心となって組織される九州半導体人材育成等コンソーシアムで半導体に関する研究機関を持つ複数の大学院を対象に、TMSCの実際に半導体を作っている専門技術者や研究者の講義がすでにスタートしている。

 半導体関連の研究を実施している優秀な学生に対するTSMCのスカラシップも始まっている。上限30名をめどに現在選考のプロセスに入っているという。

 大学発ベンチャーの広がりにも力を入れている。8年前地元工業連合会や金融機関等が組織するコンソーシアムが運営する「熊本テックプラングランプリ」で、これまで16社の起業を支援、うち2社ほどが現在IPOを目指している。この仕組みからはまだ半導体関連ベンチャーが出てきていないが、熊本大学の半導体関連のコースの充実により、今後はその登場が期待されている。

産官学が一枚岩になるためにそれぞれの間を取り持つ役割が大切

 熊本の半導体産業への産学官の取り組みを見てきたが、各セクターをつなぐ役割として自治体の役割はとても重要だと熊本大学・井原氏は語る。

 「半導体の人材教育・人材輩出の面でリードすべきなのは大学ですが、良い教育を提供するために、その産業界と自治体が一体となって進めていかないと、やはり人材育成もうまく回っていきません」

 また、各関係部署のトップのコミュニケーションと意思決定が早いこと、さらに、交付金を申請し大学の新設コースを作る等、短期的に具体的な目標を設定して進めていくことで、着実に前に進めることができている、と熊本県庁の辻井氏。「中長期的なビジョンだけではなかなか物事は進んでいきません。確実に進められる具体的な目標を設定していくことも不可欠だと思います」。

 まだ始まったばかりで発展途上の段階ではあり、一大国家プロジェクトの道のりは長いが、産学官の連携がより強固なものとなり、結実することに今後も注目したい。



(文/木原昌子)




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