以前の写真よりよい写真を撮らなければ、からの解放。 - 空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇む、ささやかで見落とされがちな奇跡をX100Fとクラシッククロームで綴る日記。

以前の写真よりよい写真を撮らなければ、からの解放。

※撮影:2024年7月。自宅、庭、通勤途中、近所。
  カメラ:X100F。フィルムシミュレーション:クラシッククローム。
  絞り優先モード、WB:晴天/R:-3/B:-2、ハイライト:+1、シャドウ:+1、カラー:+2、
  DR:オート、NR:-4、シャープネス:+1、グレインエフェクト:弱。

過去に山ほど撮ってきた写真の中で、これは傑作だ!!というのが自分の中では何枚か
あります。そういうのは記憶に残っています。
最近写真を選んでいて、あ~あの写真超えるような写真を撮れていないなぁ、進歩がない
なぁ、とか、あるいは同じようなシチュエーションの写真が以前撮っていて新しく撮った
写真を見たときに、なんだか代わり映えしないなぁ、なんて思って、ふ~とため息をつく
ようなことが多くありました。つまり最近、自分の中での傑作!ホームラン!!という
感じの写真が撮れていないんですが。

先日同じうように思った後でふと、でもそういうのもう別によくない?って何か天啓の
ように頭の中にふわっと考えが浮かびました。
以前の取った傑作が最高傑作!それでいいじゃん。代り映えしない、だってそういう景色を
美しいと思ってそういう写真が好きだから撮っている、それで構わないじゃん、と。

写真を撮っているとき、おお!って美しい光景を発見したときはもう夢中になっていて、
全く同じ構図で何枚も何枚もシャッターを切っています。構図を変える、明るさを変える、
それすらせず、まったく同じ姿勢で撮ってはプレビュー見てうれしい、撮ってはプレビュー
見て・・・ってのを繰り返し。何かその先に予定がなかったり、あるいは太陽が動いて
その光景が変わるということがなかったら多分永遠に撮り続けているのだと思います。
ただただ夢中。ただただ撮るのが楽しい。いい写真、出来上がる写真に心から思いを
馳せると同時に、出来上がる写真のことなんて全く頭にない、という矛盾した心の状態が
全く矛盾なく存在しています。
その結果の写真たち。以前の傑作は超えていないかもしれない。代り映えはしないかも
しれない。でも夢中になって撮った結果たち。
自分にとってのカメラ、写真ってそういうことだよな、って思いました。
だから、このままでいいんじゃないかな、と。

そうしたらなんだか心がふわっと軽くなった気がしました。

みやたんさんが下諏訪の写真を撮られたとき、おお、下諏訪がとても新鮮に見える、
と思いました。

mendou-kusagariya.hatenablog.com



その場所は以前に撮ったことがあって、新しいアイデアが思いつかないので撮って
なかったり、あるいは代り映えしなな~って選んでなかったり。
でもそうじゃなくて、やっぱり撮りたいものを夢中になって撮ればいいし、その夢中さ
がそこに残っていれば選べばいいし。
もちろん、撮り手が違うので新鮮に映ったということはあるし、自分にはない視点、
ないアイデアでの写真、ということが刺激になったということも大きいですが、
でも何か、目についた、気に入った、いいと感じたものを素直に撮る、ということが
すごく写真に表れているように感じられて、それがとても素敵に思えました。

ということで。
傑作なんてそうそう撮れるものでもないし、以前の自分より今の自分が進歩している、
なんて若くもないのでできないし(笑)
反射神経も、頭の柔軟性も、筋肉も加齢とともに落ちる。感性の瑞々しさだって
失われていくかもしれない。
それは事実として受け入れる。

でも、以前の自分よりももっといろんなことを経験して、いろんなことを想像して、
いろんなことを感じて、そして何より、以前の自分よりもっともっと楽しんでいけたら
いいな、と思います。