※撮影:2022年9月。山の神御柱祭。
私の住む諏訪地域には今や全国的に有名になった御柱祭という祭りが6年に一度
あります。
(数え年的な言い方なのか7年に一度という言い方をしますが、申と寅の年に
必ず行われます)
これは諏訪大社という大きな神社の祭りなんですが、この地域には数多くの小さな
神社、祠があちこにあり、そこにも必ず御柱が建っていて、大社の御柱と同じ年、
それらの小さい神社=小宮の御柱祭を地域ごとに行います。
私の住む下諏訪町(=行政的な町)の中の湖畔町(こはんちょう。=昔からの地域名)
という地域には、秩父に本社がある三峯神社の小さな祠があり、この祠の御柱と、
近隣4つの地域がまとまって4区という区を構成していて、この4区が持っている山に
ある、山の神という神社の御柱のそれぞれの祭りを同じ9月に行っています。
大社の御柱が終わってからはその準備に明け暮れ、そして9月は怒涛の小宮御柱月間
でした。
・・・若いころ、祭りがイヤで、地域のつながりがイヤで、しきたりがイヤで、
年寄にあれこれ指図されるのも、子供会で集まるのも、人のつながりがイヤで、
一刻も早くここから出たい、都会に行きたいと大学で地元を離れてからずっと
東京に住んで、そのあと埼玉に住んで、10年以上地元から離れていました。
その頃はいろんなことに反発したかった。親への反発やらなんやら。
そういった鬱屈した思いも合わせて爆発してたんだろうなぁと思います。
(昔は初詣やお墓参りすら大嫌いでやってませんでした。何かに手を合わせる
なんてもってのほか。若気の至りというなんというか・・・)
その後、妻の健康上の理由があって30代半ばで田舎に帰ってきたんですが、
若いころの爆発する欲求や反発心を都会で消費し落ち着いた気持ちになって
いたんだろうと思います。
こちらに戻ってきて、祭りや、地域のつながりや、しきたりや、そして親に対して、
昔はあんなにイヤだったものたちがとても貴重で大切なものに思えるように
なりました。
今回の写真は山の神の里曳きと建御柱。小さな神社の小さな御柱、小さな祭りですが、
こういう機会があり、こういう機会に参加できることがうれしいなぁと。
そして、子供たちが楽しんでくれていたのがよかったなぁと。
御柱年に地区のPTAの幹事になったのでめちゃめちゃ忙しいし大変だし、おまけに
コロナで気を遣うしでえらい大変な年になっていますが、その分、自分にとって
得るものもとてもとても大きいなと感じています。
多分、若いころに反発したことも都会に飛び出したことも、どれもとても大切な
経験であり時間であって、そういったことを経たからこそ身の回りのことに
感謝することができる人間になれたのかな、と。
そしてそのことが、今この瞬間が、とても幸せなことだと感じています。