※撮影:2020年7月。公園、近所、諏訪湖。
去年の7月からはじめてるんですが。
X100Fを使いだした頃は自分でいいと思える写真がなかなか撮れず、そしてそれ以上に
撮っていても楽しいと思えない、そんな気持ちが続いていました。
今から振り返れば、その頃ははなさん(愛犬)の脾臓摘出手術があり、そしてその後
はなさんの癌が発覚してこの先どうなってしまうんだろうと暗い気持ちになっていたり、
ずーっと雨降りの日が続いていて本当に晴れの日がなくて、未熟な自分は晴天以外の
写真の撮り方が分からず、撮ってる時点でイマイチだったり。
そんな状態でも、X100はX20に比べたら段違いに高性能。とてもよく写ります。
それがまた、自分で撮ろうとしている意図とは関係なしによく写って、逆にどうして
いいか分からず、撮っていても楽しくない、という気持ちに拍車をかけていました。
それでも撮り続けているとやがて転機が訪れます。それははなさんの癌を受け入れて、
もしかしたら明日にも別れがくるかもしれないけど、それでも、先を思って不安になる
ことをやめて、今この瞬間を楽しむ、今この瞬間に生きる、楽しいを重ねる、そんな
決意を家族でしたことによる気持ちに変化や、あるいはすごくシンプルにやっと
晴れる日が訪れたという天気が転機につながったり(笑)
そんな変化が写真にもつながって、あ、やっぱりカメラっていいな、写真を撮るって
楽しいな、と思えるようになってきました。
今回上げた写真をはじめ、当時の写真を選びながら振り返ると、色や明るさ、
構図や被写体に試行錯誤というか、いろいろ試しているというか、困っている(笑)
そんな感じが伝わってきます。
なんて過去形で書いていますが、別に今はどこかに到達したということもなく、
相変わらず試行錯誤しているし迷っています。
でもよくしたもので、曲がりなりにもずっと使っていると少しずつカメラのことが
わかってくるし、相変わらずこれ!っていう写真が撮れなくても、イマイチでも
撮っていて楽しい!!ここがすごく今はいい感じだなと思っています。
X20は、不遜な言い方ですが、ある意味カメラの限界、上限に迫れるような
写真が撮れていたな、と思っています。
X100はそこから大きく性能が上がって、上限も無限と思えるくらい上がって、
そしてこれも大きいんですが、ブログを通じてたくさんの方の素晴らしい写真を
目にし続けたことで自分の目が肥えて自分の写真の理想もまた高くなり、
結果、目指す目標が高くなり、そして自分の道具ならそこに到達できることもわかり、
自分の腕だけが相変わらずで全然追いつけていない、そんな状態なんですが、
それが別に嫌なことではなくて、まだまだ上があるっていうことがチャレンジ心を
刺激され、すごく楽しいカメラ生活だな、と思っています。
そう思えただけでX100にしたことは正解だったし、思い切ってよかったな、と
思っています。
そしていつか、X100を極めました、って言えるような写真、自分が感じていることを
十全に伝えられる写真が撮れるようになったらいいな、と試行錯誤を繰り返す
毎日です。