- タイトル
- Keep on Running
- アーティスト
- The Spencer Davis Group
- ライター
- Jackie Edwards
- 収録アルバム
- Their Second Album
- リリース年
- 1966年
そういうことをやらかすのではないかと危惧していたのですが、書きながら繰り返し聴いているうちに、一昨昨日、一昨日とつづけて掲載したThe Best of the Spencer Davis Group featuring Steve Winwoodは、やはり選曲が変わってしまい、1曲はずして、ダブっていたSomebody Help Meを統一し、2曲を追加しました。今後もまだ動きかねないので、SDG特集の最後の回に、修正したトラック・リスティングをもう一度掲載することにします。
なぜ、こういう風に選曲が揺れるのか? ポップ系の場合、ふつうはおおむね楽曲の善し悪しを基準にして選曲するので、よく知っているアーティストなら、それほど悩むことはありません。しかし、今回のSDGの場合、楽曲の出来を基準にしてベストに繰り入れたのは、せいぜい10曲がいいところではないでしょうか。
残りはどういう基準で選んだかというと、主としてウィンウッドのギター、オルガン、ピアノのプレイの善し悪しです。そういうものは、曲自体はシンプルな3コードが多く、いいも悪いもないため、短時間で善し悪しを判断できないのです。だから、聴くたびに判断が揺れ動き、やっぱりこっちは外して、あっちを入れようと、迷いまくってしまうというしだい。20曲ぐらいまでは固まっていて、ぜったいに動かないのですがねえ……。
それでは、「疑似ライナー」のつづきをどうぞ。
◆ It Hurts Me So ◆◆
ということで、いきなり、一昨日のリストにあったMidnight Trainははずしたので、どうかあしからず。今日の1曲目は、そのつぎのIt Hurt Me So、デビューLPに収録されたスティーヴ・ウィンウッド作のロッカ・バラッドです。
シングル向きではありませんし、とくに目立つ曲ですらありませんが、スティーヴのバラッドの習作として、ファンは「いちおう聴いておいたほうがいい」ということはいえるでしょう。だれしもある程度はそういうところがあるのですが、スティーヴ・ウィンウッドは、彼独特のシンギング・スタイルによって、楽曲の欠点を補ってしまう傾向が強いシンガーです。このIt Hurts Me Soは、楽曲としてはいたって平凡な出来なのに、彼が歌うとそれだけであちこちに見せ場が生まれ、それなりに楽しめてしまいます。ソングライターとしては、いいことではないでしょうが……。
◆ Keep on Running ◆◆
1965年11月にリリースされた5枚目のシングル(の最初はB面だった!)にして、初のヒット。盤デビューから15カ月もかかった勘定になります。ここまでのシングルを見てくると、どれも悪くはないものの、一般性が薄くてヒット・ポテンシャルの小さいものばかりです。やはり、ヒットしてしかるべき曲が手に入るまではダメなのだと納得せざるをえません。
Keep on Runningは、イントロからすでにヒットしそうな雰囲気が濃厚にただよっています。A-A-E-G-A-G-E(コードはA7)、D-D-A-C-D-C-A(コードはD7)という、シンプルながらクレヴァーなラインの、当時としては非常に重くミックスされた、マフの力強いベースだけで十分にワクワクしますし、その後に入ってくるファズ・ギター、スティーヴのヴォーカル、いずれもが、ロックンロールだけに可能な「力強さとリリシズムの幸せな結婚」(そもそも、ロウティーンのわたしがこの音楽形式に夢中になった理由がこれだった)を理想的な形で実現しています。これがヒットしないはずがないのです。イギリスでのナンバーワンは当然です(アメリカでヒットしなかった理由はわたしには皆目見当もつかない。プロモーションの失敗か?)。
楽曲の出自と作者のジャッキー・エドワーズについては、やや話が長くなります。彼らのマネージャーだったクリス・ブラックウェルは、当時からアイランド・レコードという会社をもっていました。のちにトラフィックやスプーキー・トゥースなどが所属するレーベルですが、この時点ではまだ小さな海外音楽輸入会社だったそうで、スー・レコードをはじめとするアメリカのマイナー・ブラック・ミュージック・レーベルやジャマイカの音楽などを扱っていたのだとか。SDGの初期のレパートリーにスーの楽曲が多くなったのは、ブラックウェルの会社がスーのイギリスでの配給権をもっていたためなのです。
アイランドはいわゆる呼び屋もやっていて、Mockingbird(カーリー・サイモンとジェイムズ・テイラーの、例の結婚記念シングルとかいうアホらしいヴァージョンでご存知かもしれないが!)で有名なアイネズ・フォックスも、ブラックウェルがイギリスに呼び、SDGのバックでツアーをしたそうです。
そういう呼び屋業務の一環なのか、たんにジャマイカとの取引の副産物なのか、ジャッキー・エドワーズというジャマイカのシンガーがクリス・ブラックウェルのところにきていて、ブラックウェルはSDGがエドワーズの曲をやってみるのも面白いかも知れないと考えたわけです。マフ・ウィンウッドによると、ジャマイカのシンガーだから当然といえば当然ですが、元はスカっぽい曲だったそうです。それをSDGはあのヘヴィーなサウンドに仕上げたわけで、アレンジ、レンディションともに、いつもシンプルながらクレヴァーだと感心させられます。SDG盤Keep on Runningにはスカの片鱗もありません。
ともあれ、ライヴ・アクトとしてミュージシャンのあいだで大きな評判を喚ぶだけで、一般には知られずに終わるのではないかと危惧されていたスペンサー・デイヴィス・グループは、これ一曲でスターダムへと駆け上がったのでした。
◆ Georgia on My Mind ◆◆
この曲のことはすでに小出しにして書いてしまいましたが、最初に聴いたときにはひっくり返りました。これが収録された米UAのアルバム、I'm a Manを買ったのは、リリースよりかなり遅れ、1970年、十七歳のときでした。つまり、スティーヴ・ウィンウッドがこの曲を録音したのと同じ年齢で、わたしは彼のパフォーマンスを聴いたのです。
同じ年齢の人間が、これだけのことをやっていることに、わたしは感動するというより、ほとんど絶望的な気分になりました。金は一カ所に集まりたがるといいますが、才能だって同じです。やっぱり、ひとりの人間に集中するものなのです。すべてをもっているミュージシャンがここにいる、ということを知るのは、感動より絶望を生むものなのです。
スティーヴ・ウィンウッドのGeorgia on My Mindは、彼が思春期にあこがれていたレイ・チャールズへの幼いオマージュ、ただのコピーかもしれません。しかし、形式上、ほぼレイ・チャールズ盤のアレンジを踏襲したヴァージョンでありながら、後年、レイ・チャールズ盤を聴いたとき、わたしはSDG盤のほうが数段すごいと感じましたし、いまだにそう思っています。
改めて両者のヴァージョンを比較して思うのは、レイ・チャールズのレンディションは手慣れたものであり、甘めのソウル・バラッドとしてやっているのに対して、スティーヴ・ウィンウッドのレンディションには張りつめた緊張感があり、フレッシュであり、ブルーズ寄りの解釈をしていて、表面的な類似を超えたところで、じつはアティテュードとして大きな隔たりがある、ということです。
おかしなもので、ウィンウッドだけを聴いていると、まるで海に千年、山に千年生きたシンガーのような気がしてくるときがあるのですが、このレイ・チャールズ盤Georgia on My Mindのように、他のヴァージョンと比較すると、ウィンウッドが少年であり、まだ驚きの目をもって世界を見、音楽に対してつねにチャレンジングであることが、突然、明瞭に見えてきます。若さの魅力というのは、要するに、世界を新鮮な目で見られる能力に尽きるわけで、他の時期にはない、SDG時代だけに感じられるスティーヴ・ウィンウッドの魅力もまた、そこにあるのでしょう。
ライヴでやったのは、Georgia on My Mindのほうが先かもしれませんが、マネージメント側の考えとしては、おそらくEvery Little Bit Hurtsと同系統のソウル・バラッドをセカンド・アルバムにも入れよう、ということだったのでしょう。そういう観点から見ると、このGeorgia on My Mindでは、ヴォーカルもピアノも、数カ月前のEvery Little Bit Hurtsにくらべると、格段に深みを増していて、十代だから成長が速いのは当たり前だと思いつつも、やはり、驚かされます。
SDG全体としてのプレイも、Every Little Bit Hurtsより、Georgia on My Mindのほうがはるかに楽しめます。ピート・ヨークはスペンサー・デイヴィスに引きずられて、ホワイト・アーバン・ブルーズをプレイするハメになってしまいましたが、嗜好としてはジャズだったそうで、そういう側面がGeorgia on My Mindのプレイにストレートに反映されています。「やっぱり、こういうスタイルのほうがずっと楽しい」といわんばかりで、バックビートを叩くときより据わりのいいプレイをしていますし、ときおり入れるロールもきれいにキメています。マフも適応力のあるところを見せ、いつものように、ヨークと協力していいグルーヴをつくっています。このトラックを聴くと、知名度、人気はさておき、実力では、1966年当時のイギリスにおいてはナンバーワンのバンドだったという確信が生まれます。
前回、Georgia on My Mindのさまざまなヴァージョンをあげておきました。わたしの好みはジェイムズ・ブラウンとルー・ロウルズですが、この曲のもっとも人口に膾炙したヴァージョンというなら、やはりレイ・チャールズ盤でしょう。ポール・ウェストンは大甘のアレンジかと思ったら、意外にも甘さ控えめで悪くない出来です。どの程度まで甘くするかがこの曲の勝負の分かれ目で、その点で、SDG以外では、ジェイムズ・ブラウン盤がすぐれていると感じます。
◆ Let Me Down Easy ◆◆
ベティー・ラヴェットの1965年のマイナー・ヒットのカヴァー。例によって、同時代のR&Bヒットを間髪入れずにカヴァーするというパターンで、これはSDGの傾向というより、この時代のイギリスのバンドに共通する一側面だったのでしょう。輸入されない音楽のローカル化です。
おそろしくパセティックなオリジナルに対して、スティーヴ・ウィンウッドのレンディションは感傷を抑えているのですが、この曲にかぎっては、わたしの好みからいうとやや感傷的すぎるベティー・ラヴェット盤のほうが面白いかもしれないと感じます。しかし、SDG盤は一瞬で終わってしまうギターの間奏が楽しめます。というか、一瞬、オッと思うフレーズが出て、もっと聴きたいな、と思ったところで終わってしまい、それはないじゃん、と文句をいいたくなるところが面白いのですが!
◆ You Must Believe Me ◆◆
カーティス・メイフィールド作のインプレッションズによる64年暮れのヒットのカヴァー。とくにすぐれたヴァージョンとはいえませんが、わたしはこの曲そのものが好きなので、やや強引にベストに繰り入れました。
カーティス・メイフィールドは、ブリティッシュ・ビート・グループのお気に入りのライターのひとりで、さまざまなグループが、さまざまな曲をカヴァーしています。R&Bファン、インプレッションズ・ファンはべつの意見をお持ちでしょうが、わたしは、カーティス・メイフィールドの楽曲は好んでいるものの、インプレッションズのレンディションは、主としてビートが弱いことが気に入らず、どれもあまり面白いと思いません。
SDG以外のブリティッシュ・ビート・グループによるこの曲のカヴァーは、ホリーズとゾンビーズ(BBCのライヴ)のものがありますが、抜きんでてよいものはなく、わが家にあるもので比較するかぎり、結局、決定版の生まれなかった楽曲と感じます。しいていうと、ドン・コヴェイのヴァージョンがまずまずかもしれません。
SDG盤も、特筆するほどの出来ではありませんが、エンディングにかけてのスティーヴのヴォーカルとギターのユニゾンが聴かせどころといえるでしょう。
◆ Hey Darling ◆◆
セカンド・アルバムに収録された、スペンサー・デイヴィスとスティーヴ・ウィンウッドの共作になるスロウ・ブルーズ。楽曲としてはどうというものではありませんが、ウィンウッドのギターには唸ります。ピート・ヨークのプレイもおおいに好みです。
◆ Watch Your Step ◆◆
ボビー・パーカーの1961年のノンヒット・カットのカヴァー。ジョン・レノン家のジュークボックスに入っていた曲を収めたと称する編集盤、John Lennon's Jukeboxにも収録されています。じっさい、この曲のギター・リフから、I Feel Fineの有名なリフが生まれたとされています。たしかに頭のところは似ていますが、リフが似てしまうのはめずらしいことではありませんし、そもそもこの種の断片的な音に著作権が認められた例はなく、そういう意味であげつらうのはナンセンス。たんに、ジョンが参考にしたらしい、というだけのことであり、それ以上の意味を見いだすのは愚か者です。
この曲も、やはり楽曲がどうのというタイプではなく、ピートとマフの軽快なグルーヴに乗ったスティーヴのギターソロがお楽しみです。わたしは好まないのですが、クラプトンのファンは、ブルーズブレイカーズ時代の彼と、このへんのウィンウッドを比較されてみると面白いのではないでしょうか。SDGがロンドンにくると、クラプトンはギターを持ってマーキーに出かけ、スティーヴに挑戦していたそうですが(押しのけられたスペンスはおおいに迷惑したでしょうが!)、ビリー・ストレンジとトミー・テデスコがしばしばよく似たリックを弾くように、クラプトンとウィンウッドも、張り合っているうちに、結局、似たようなプレイをするようになってしまったように、わたしには感じられます。
◆ Together Till the End Of Time ◆◆
Every Little Bit Hurtsにつづく、ブレンダ・ハロウェイのカヴァー。アル・クーパーとマイケル・ブルームフィールドも、Live Adventuresでこの曲をカヴァーしていますが、これはブレンダ・ハロウェイ盤のカヴァーではなく、明らかにSDG盤をベースにしたレンディションです。アル・クーパーはスティーヴ・ウィンウッド応援団アメリカ支部長とでもいうべき存在で、初期からしばしばウィンウッドの曲をカヴァーしています。Together Till the End Of Timeも、SDGのアレンジを踏襲したにちがいありません。
この曲に関しては、スティーヴ・ウィンウッドのスタンドプレイではなく、バンドとしてのSDGのパフォーマンスが好ましく、楽曲の潜在的魅力をうまく引き出したバランスのよいヴァージョンだと感じます。この曲でのウィンウッドのオルガンの使い方が気に入って、アル・クーパーはカヴァーする気になったのでしょう。ブレンダ・ハロウェイ盤にはオルガンはありません。
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できるだけ簡単に、短期間で書き上げようと努力はしているのですが、なにしろ相手は名にし負うスティーヴ・ウィンウッド、はなから簡単に片づく道理がありません。しかも、スティーヴ・ウィンウッドのキャリアのアウトラインを描くつもりはなく、たんなる埋め草として一曲だけとりあげるつもりだったので、なんの準備もしていなくて、舞台裏は七転八倒の火の車になっています。
資料を読んだり、オリジナルをそろえたり、いろいろ準備作業が多いため、昨日は休業とせざるえなくなりましたが、今後も毎日更新というわけにはいかず、調べもののための開店休業があるかもしれません。しかし、The Roots of Steve Winwoodという編集盤が編めるくらいの材料はそろいつつあるので、そちらのほうも刮目してお待ちあれ。
次回は「疑似ライナー」の後半です。