Pet Soundsにはさまざまなエディションがありますが、もっとも画期的だったのは、初のリアル・ステレオ・ミックスや、トラッキング・セッション、バックトラックなどを収録した、1997年のThe Pet Sounds Sessionsボックスでした。
このボックスではじめて、ヴォーカルがなくなり、トラックがどれほどすごい音で鳴っていたかがわれわれにもわかりました。「スペクターのミュージシャンたち」が、スペクター・セッション以上に、遺憾なく力量を発揮したことが明らかになったのです。
同じころ、Pet Sounds Sessionsの直後ぐらいでしょうが、Unsurpassed Mastersというブート・シリーズのリリースがはじまりました。60年代のビーチボーイズのアルバムのトラッキング・セッションやオルタネート・ミックス(とくにリアル・ステレオ)を収録したもので、Vol. 12のディスク1、および13と14のすべてのディスク、合わせて8枚がPet Soundsにあてられています。
当然、テイク数も、Pet Sounds SessionsよりUnsurpassed Mastersのほうが多いので(ちょっと多すぎるのだが!)、このシリーズでは、トラッキング・セッションについては主としてこちらを参照するつもりです。
今回はLPに先立ってシングル・リリースされたSloop John B.です。これはトラッド曲で、たとえば、わたしがもっていたものでは、キングストン・トリオのヴァージョンがありました。
となれば、当時流行りのフォーク・ロック・スタイルで、ということになりそうなものですが、12弦ギターがそれらしい雰囲気をつくってはいるものの、すくなくともわたしは、たとえば、バーズやママズ&ザ・パパズやP・F・スローンの同類とは、よかれあしかれ、感じませんでした。
いや、ビーチボーイズのSloop John B.でプレイしたハル・ブレインは、バーズやママズ&ザ・パパズやP・F・スローンのトラックでプレイしましたし、他のパートもずいぶん重なっているはずですが、そういう印象は持ちませんでした。
まずは完成品のクリップから。といっても最近のステレオ・リマスターなので、わたしが子供のころに聴いたものとはかけ離れたサウンドです。
The Beach Boys - Sloop John B.
子どものころは、たいした曲じゃねえな、とナメていましたし、アルバムのなかで聴くようになってからも、それほど好きではありませんでした。楽曲の構造が単純すぎて、アルバムの他の曲と乖離しているように感じました。
置かれた場所もA面のラストなので、ちょうど都合がよく、その前のLet's Go Away for a Whileまででピックアップを上げて、B面に移るのがつねでした。
それがブライアン・ウィルソンの意図だと思ったからです。つまり、Pet Soundsは本来、12曲構成のLPだったのに、会社の要請でシングル曲を無理やり押し込むことになり、やむをえず、もっとも無害なところに配置することで、ダメージを最小限に抑えた、ということです。
そんな調子で、何十年ものあいだ、Sloop John B.は、ブライアン・ウィルソンの乾坤一擲のアルバムの小さな汚点、と思ってきました。
しかし、Pet Sounds Sessionsに収録されたステレオ・ヴァージョンと、トラッキング・セッション、そして、ファイナル・バッキング・トラックを聴いて、のけぞりました。
わたしが知っているSloop John B.とはまったくちがう音でした。とくに、ヴォーカルをとったトラックでの、ハル・ブレインのドラムとキャロル・ケイのベースのプレイとサウンドにはほんとうに驚きました。
ちょうどこの直前ぐらいに、キャロル・ケイとは何十通ものメールを交換し、さまざまな曲のディテールについて質問していたので、なおのこと、このサウンドは「さもありなん」でした。
彼女は繰り返し、「わたしは一度も女っぽいプレイなどしたことがない」といっていますが、まさにそういう人にふさわしい、じつにマッチョな、野太いサウンドです。
タイムの善し悪しは複雑なプレイよりも、シンプルなプレイにあらわれるもので、ドラムでいえば、16分のパラディドルをきれいに聞かせられる人なら、たいていのプレイに適応できるとみなして大丈夫です。
キャロル・ケイについていえば、4分音符で押しまくるプレイ(たとえば、ハーパーズ・ビザールのThe Biggest Night of Her Life)には、いつも感服します。精妙なタイムに裏付けられた、豪快なプレイです。不十分な技術しかないプレイヤーは、4分音符だけを弾きつづけたら、すぐにボロを出します。
Unsurpassed Mastersに行く前に、Sloop John B.の最善のエディションである、The Pet Sounds Sessionsに収録された、トラック・オンリーを貼りつけておきます。このエディションではじめて、Sloop John B.のときも、ハル・ブレインは眠ってはいなかったことがわかりました。
サンプル The Beach Boys "Sloop John B." (final backing track from "The Pet Sounds Sessions")
このころのキャロル・ケイはフェンダー・プレシジョン(ジョー・オズボーンも初期のプレシジョン)を弾いていますが、ふつうはこんな音にはなりません。
ブライアン・ウィルソンのセッションにかぎらず、フィル・スペクターや、スナッフ・ギャレットのセッションで、さらにはさまざまなプロデューサーのセッションで、フェンダーとアップライトを重ねる手法はしばしば使われていました。
わたし自身が確認したかぎりでは、スペクター以前にスナッフ・ギャレットが(たしか)ジーン・マクダニエルズの曲で複数ベース手法を採用しています。
LPでは、おそらくはカッティングの関係で、アップライト・ベースの音は抑えがち、沈みがちなミックスでした。しかし、CDでは針飛びがないせいだと思うのですが、多くの場合、アップライトの音は太く、重くなる傾向があります。むろん、ディジタル・マスタリングの特性でもあるのでしょう。
最近のエディションではベースをいっそう前に出していますが、そもそも、前に出そうといって出せるのは、フェンダーのみならず、アップライトでも同じフレーズを弾いているからにちがいありません。それで、なかにはギョッとするようなリミックスがあるのでしょう。
順序が前後してしまいましたが、この曲のパーソネルは(ときおり修正されるが)以下のようになっています。
ドラムズ……ハル・ブレイン
フェンダー・ベース……キャロル・ケイ
アップライト・ベース……ライル・リッツ
ギター……アル・ケイシー、ジェリー・コール
ギター(オーヴァーダブ)……ビリー・ストレンジ
オルガン……アル・ディローリー
グロッケンシュピール……フランク・キャップ
タンバリン……ロン・スワロウ
フルート……スティーヴ・ダグラス、ジム・ホーン
クラリネット……ジェイ・ミグリオーリ
バリトン・サックス……ジャック・ニミッツ
わからないことがいろいろあります。タンバリンの音は聞こえませんが、かわりにウッドブロックかなにか、木製のパーカッションがずっと聞こえています。ロン・スワロウ(聞かない名前だ!)という人は、そちらをプレイしたのではないでしょうか。
オルガン・ベースが入っていると、なにかで読んだ記憶があるのですが、そうなるとバリトン・サックスが宙に浮くので、このクレジットが正しいなら、あれはバリトンか、あるいはバリトンとオルガン・ベースを重ねたものなのでしょうか。ふつうのオルガンの音は鳴っていないと思います。
ジェイ・ミグリオーリがクラリネットをプレイしたとありますが、さまざまなテイクを聴いても、クラリネットの音はわたしには拾い出せません。テイク4と5のあいだで、フルートだけに音を出させるとき、ブライアンが「ムーヴ・イン、ジェイ」といっているので、フルートをプレイした可能性が高いでしょう。
サンプル The Beach Boys "Sloop John B." (tracking session take 3 through 5 from "Unsurpassed Masters vol. 12" disk 1)
Unsurpassed Mastersには、Sloop John B.のほとんどのテイクが収録されています。とくにトラックに関しては、テイク1からOKのテイク14まで、すべてが入っています。
それを通して聴いて、あれ、と首を傾げたことがあります。ビリーストレンジの12弦のオーヴァーダブというのはどれのことなのだ、です。イントロで聞こえる12弦はテイク1から入っています。12弦と6弦の2本でスタートしているようです(あとですくなくとも一本、コード・ストロークが重ねられていると思う)。
Unsurpassed Mastersに収録された、オーヴァーダブ・セッションのテイク5aを聴いて、やっと、ビリー・ストレンジがどういうプレイをしたのかがわかりました。
サンプル The Beach Boys "Sloop John B." (take 5a, guitar overdubbing from "Unsurpassed Masters vol. 12" disk 1)
でも、このビリー・ストレンジの12弦のプレイは、リリース・ヴァージョンではほとんど聞こえないくらいにミックス・アウトされてしまいます。そういうことはよく起こります。驚くようなことではないのかもしれません。
でも、ブライアンは、週末、子どもたちを連れてハリウッドに買い物に来ていたビリー・ストレンジを町で捕まえ、いまからオーヴァーダブをやってくれ、といったのだそうです。
ビリー・ストレンジが、ギターをもってきていない、といったら、ブライアンは楽器屋(サンセット&ヴァインのWallichs Music Cityか?)に連れて行き、フェンダーの12弦とアンプを買い、ビリーをスタジオに押し込んでオーヴァーダブをしたと伝えられています。しかも、セッションが終わると、ギターとアンプはもっていっていい、といわれたので驚いた、とビリー・ストレンジは回想しています。
そうまでして録音したのが、リードでもなんでもなく、ミックス・アウトされてほとんど聞こえなくなるリックだったというのだから、おやおや、です。でも、これはブライアンのサウンド構築手法と密接に結びついていることかもしれないと感じます。まあ、そのへんの詳細はこのシリーズのあとのほうで書くつもりですが。
子どものころは、それほど面白いと感じず、大人になっても、あまりSloop John B.を聴かなかったのは、たぶん、非ロック的なニュアンスが強すぎたからだと思います。
The Pet Sounds Sessionsの新しいマスターのSloop John B.にショックを受けたのは、ひとつにはもちろん、90年代なかばに、ハル・ブレインやキャロル・ケイのプレイを徹底的に聴きこむ作業をしたからでしょうが、もうひとつは、やはりドラムとベースが前に出て、よりロック・ニュアンスが強まったためでした。
また、LPのときには、他のトラックとちがって、楽器が少なく、サウンド・レイヤーが薄く感じられましたが、ヴォーカルがなくなり、トラックだけが姿をあらわしたら、すでにアルバム・トラックと同じような、サウンド・レイヤー構築がはじまっていたことがわかり、連続性があったのだと納得がいきました。
いやはや、やってみれば、やっぱりPet Soundsは手強く、われながら隔靴掻痒の記事になりましたが、懲りずに、次回はいよいよ、アルバムのほうのセッションへと入り込みます。
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The Pet Sounds Sessions