何度か書いていますが、母親が裕次郎ファン、兄が吉永小百合ファンだったおかげで、わたしは幼児のころから日活映画を見ています。だから、あとになって同世代と話すと、日活に関するかぎり、さっぱり意見が合いませんでした。われわれの世代の多くは全盛期の裕次郎を知らず、『西部警察』の太った中年男だと思っているのです。
そうじゃないんだ、若いころは体のキレがよかったんだ、といっても、矢作俊彦の「週刊サンケイ」連載エッセイそのままに「太った裕次郎は僕らの敵だ」になってしまって、まったく説得不能なのです。太ったエルヴィスと同じで、百パーセント純粋な「なんでいまさら」存在でした。
いまになって思いますが、裕次郎を見るなら、50年代の作品だと思います。わたしは舛田利雄が好きなので、『赤いハンカチ』のあたりもいいと思いますが、エルヴィスといっしょで、ほんとうにすごかったのは50年代のあいだだけでしょう。そういうものです。
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◆ 原初ヌーヴェル・バーグ ◆◆
さて、中平康監督の『狂った果実』です。これこそ、われわれの世代が「裕次郎に間に合わなかった」証拠です。わたしが映画館で裕次郎を見た記憶があるのは、『嵐を呼ぶ男』以降で、『狂った果実』をはじめて見たのは、裕次郎が没し、追悼としてさまざまな映画が放映されたときのことでした。
いやもう、びっくりしました。そもそも中平康という人が、こんなにすごい監督だなんて、まったく知りませんでした。どうしてこの人の凄みを見逃したのかと、あとになってべつの作品を再見しましたが、やっぱり「困った監督」であり、自分の目が節穴だったわけではないことを確認しただけでした。この映画だけ例外的に、まったくの別人が撮ったとしか思えないすばらしさなのです。だから、「中平康? ケッ」と思っている方に申し上げますが、この映画だけは別格です。
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わたしの言葉だけでは信用できないかもしれないので、虎の威を借る狐、親方を担ぎ出します。伝説によれば、フランスへと飛んだこの映画の試写を、当時「カイエ・ド・シネマ」に拠って論陣を張っていた若き映画評論家、フランソワ・トリュフォーとジャン=リュック・ゴダールの二人が見て、大いなる衝撃を受けました。二人は、そうか、こうやればわれわれにも映画が撮れるのだ、と覚り、カメラを担いで町に出ました。
かくして(やがて才能を失う)中平康は、乾坤一擲、この一作でヌーヴェル・バーグを誕生させ、世界映画史に貢献した、ということになっています。嘘かホントか、わたしは一介の講釈師なので、責任は持ちませんがね。でも、そういう話が、さもあろう、さもあろう、と納得できてしまう程度の近縁性が、『狂った果実』とゴダールの初期作品とのあいだにはあります。
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いや、まあ、そういう「虎の威」は、詰まるところ、それほど重要ではありません。所詮、「こぼれ話」のレベルを出ないのです。だいじなのは、公開されて30年もたったあとで、テレビの小さな画面で、いい大人が見て、おおいなる衝撃を受けるほどの魅力が、この映画にはあるということです。新しいスタイルの創造というのは、それが「古いスタイル」といわれるほど時代が下っても、やはり清新さをみなぎらせて、われわれに迫ってくるものなのでしょう。
◆ 2種類の「狂った果実」? ◆◆
当家は音楽ブログ、音楽にこじつけないことには映画を取り上げるのはためらわれるのでありまして、その点、日活映画はやりやすいのです。たいていの場合、主題歌ないしは挿入歌があるからです。スコアだけではなかなかむずかしいのです。
この映画のクレジットには二人の作曲家の名前があります。武満徹と佐藤勝です。
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ハリウッド的な「音楽監督」という概念は当時の日本にはなかったのでしょう。スーパヴァイザーとコンポーザーの区別はなされていませんが、佐藤勝は石原裕次郎が歌った挿入歌を書き、スコアは武満徹が書いたのではないでしょうか。すくなくとも、タイトルで流れるペダル・スティールとホーンを組み合わせた曲(「テーマ」といっていいのだろう)は、後年の武満徹の雰囲気がいくぶんか感じられます。まだ後年のアヴァンギャルド・タッチは見せていませんが、予定調和的な楽曲でもないし、凡庸なアレンジでもありません。
YouTubeには日本映画のクリップはきわめてすくなく、この映画もみつかりませんでした。かわりに、挿入歌のクリップはいかがでしょう。
あれ? 映画『狂った果実』のショットを引用してはいますが、この曲は映画の挿入歌とはちがいます。どうなっているのでしょう。もうひとつ、盤から起こしたらしいこのクリップではどうでしょうか?
あっらー、これもさっきのと同じ曲で、映画のものとはまったく異なります。奇妙なこともあるものです。このへんの事情をご存知の方がいらしたら、ご教示願えたらと思います。
では、映画のほうはどういう曲か? 以下は、MP3としてはそこそこの音質でエンコードしてありますが、それ以前のWAVに切り出した段階で音質を落としてありますし、元もかなりノイジーです。
サンプル
パーティー・シーンの冒頭付近を範囲指定の始点に設定したため(この部分のスコアも悪くないから)、裕次郎の歌が出てくるのは1:50台です。気の短い方は早送りしてください。歌そのものは短く、すぐにセリフがかぶってしまいます。
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曲としてはこちらのほうがはるかに出来がよくて、なぜこれが盤にならなかったのか不思議千万です。裕次郎はこれが最初の録音じゃないでしょうか。それにしてはむずかしい曲で、予定調和的な自明のコード進行やメロディー・ラインではありません。最初のコード・チェンジはA-Ab7-Aでしょうか(いま、ちょいちょいとやってみただけで、信頼度低し。ご注意を)。ここの響きがじつにけっこうです。
ピッチの移動にむずかしいところのある曲で、とくに「渚に」でB-Ab-F#と降りていってから、最後にDへジャンプするあたりは難所で、カラオケだったら多くの人が外すでしょう。ひょっとしたら、盤にならなかった理由はそれかもしれません。とにかく映画では我慢して歌ったものの、のちに『俺は待ってるぜ』の主題歌のB面としてこの曲を録音しようという段になって、もっと歌いやすい曲にしてくれ、なんていい出したのかもしれません。
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小林旭は美空ひばりが一目置くほどピッチがよかった(残念ながら過去形。お年を召して高音部が出なくなり、結果的にときおり外すようになってしまった)ので、それにくらべて裕次郎は不安定という印象がありましたが、これは無理な比較をしていたようです。しいていうと、フランク・シナトラが生まれつきのシンガーであるのに対して、ディーン・マーティンが、スタイル、雰囲気、ないしは「キャラクターの味」で聴かせるタイプだったように、裕次郎もスタイルの人なのでしょう。
アキラはものすごくピッチがよくて、レコーディングも短時間ですむそうですが(このへんもシナトラ的)、裕次郎は何テイクもかかってやっと録音が終わるという話を読んだ記憶があります。しかし、ほんとうにピッチの悪い人に「夜霧よ今夜も有難う」が歌えるはずもなく、一度、体に叩き込めば、そのピッチを忘れないという、めずらしいタイプの人だったのではないかと想像します。
2種類の「狂った果実」があるなどということは知らずにこの稿を書きはじめてしまったこともあって、今日はまったく時間が足りず、ほかにも材料があるので、残りは次回ということにさせていただきます。つぎは武満徹の手になると考えられるスコアと、ロケ地散歩の予定です。
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(『狂った果実』は、サウンドトラックではなく、ボーナス・ディスクに武満徹のこの映画の音楽に関するコメントが収録されているのみ)
武満徹全集 第3巻 映画音楽(1)
武満徹全集 第3巻 映画音楽(1)
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