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〔雨の日に備えて〕 ジャズ・ヘイターのためのゲーリー・バートン=ラリー・コリエル入門の5
 
ラスカルズ関連クリップの作成とアップロードが忙しく、ラスカルズ記事を休んで、簡単にできそうなゲーリー・バートン+ラリー・コリエルのことへと流れたのに、またそこでもたつくという、まあ、べつにめずらしくもない泥沼に嵌った。

今回の蹉跌の原因は、クリップをつくるために、オリジナルやカヴァー曲などを大量に検索したら、ダブりも多いいっぽうで、バックアップをとっていない「危険水域」のファイルも大量に出てくるし、さらに、ファイル名が不完全だったり、間違っているものもかなりあるのが気になり、その整理をしようと思いたったことにある。

具体的には、外付けHDDを増やして必要なバックアップをとり、同時に、広々とした領域に、未整理のファイルをすべて集積し、分類、タグ入れ、ファイル名修正などをやっているのだが、未整理ファイルというのが、バイト数にして1.4TBもあって、整理に手間取っているという次第。

ものごと、きちんとやろうと手順を踏むと、たいていは一歩も進まなくなるもので、ちゃらんぽらんにやるほうが結果はいい、というマーフィーの法則はなかったっけ?

◆ One, Two, 1-2-3-4 ◆◆
ラリー・コリエルのいた時期のゲーリー・バートン・カルテットについては、前回までで書くべきことはほぼ書いた。今回は落ち穂を拾い、オマケのクリップを並べる。

まず、前回とりあげるつもりでいて、こぼれてしまった曲を。バートン=コリエルの最初の盤である、Dusterがたぶんこの曲の初出で、In Concertでもアルバムの最後に置かれている。

The Gary Burton Quartet - One, Two, 1-2-3-4 (HQ Audio)


テーマらしきものはまだあるのだが、インプロヴは無調も同然で、ラリー・コリエルのソロはハウリングたっぷりのノイズばかりというありさま、好みは分かれるだろうが、いかにもあの時代らしいし、ゲーリー・バートンとラリー・コリエルの顔合わせをもっともよく象徴したトラックといえる。

スタジオ録音ではドラムはロイ・ヘインズだったが、こちらはボビー・モージーズ、インプロヴの最後はドラム・ソロ、テーマに戻る直前のドラミングがいかにもモージーズらしくて、興趣あるプレイである。

◆ その後の二人 ◆◆
このあと、同じ四人でA Genuine Tong Funeralという、カーラ・ブレイの大作を録音しているが、ここまでのゲーリー・バートン・カルテットとはまったく趣の異なる、いわば「企画盤」で、ギターやドラムを好む人間にはあまり面白いものではなかった。いまもって、好みではないので、これは略す。

この盤を最後に、ラリー・コリエルは独立してしまうので、いま考えると、コリエルがいなくてもかまわないカーラ・ブレイ企画は後まわしにして、もっとふつうの盤をつくってほしかったと思うが、事情は逆で、A Genuine Tong Funeralという、ギタリストには居場所の見つからない盤を録音したことが、コリエルの独立を促したのかもしれない。

ラリー・コリエルのその後はというと、Lady Coryellなど、初期のソロのいくつかは魅力のあるものだったが、時代が彼に追いついてからは興趣薄く、つまらない「フュージョン」に堕したとみなしている。それなりに盤を持っているが、めったに聴かない。

いっぽうゲーリー・バートンはどうかというと、コリエルよりは面白いと思う。キース・ジャレット、チェック・コリア、小曽根真といったピアニストと組んだものがそれなりに有名だが、わたしは、ピアノとヴァイブラフォーンという、まったくピッチの揺れない音の組み合わせにはあくびが止まらなくなる人間なので、持っているだけで、ろくに聴いていない。

じゃあ、パートナーはギターならいいのか、ということで、オマケ話に入る。

◆ 田舎道、その他の場所 ◆◆
コリエル(とモージーズ)が抜けた翌1968年、ドラム・ストゥールにはロイ・ヘインズが戻り、新たにギターにジェリー・ハーンを加えて、ゲーリー・バートンはContry Roads and Other PlacesというLPをだした。そのタイトル曲にして、アルバム・オープナー、ゲーリー・バートンとスティーヴ・スワロウの共作。

The Gary Burton Quartet - Country Roads (HQ Audio)


この盤を買った時、もう高等部に入っていたのだったか(国内リリースは少し遅れたような記憶がある)、まあ、そのあたりの年まわりだったし、時代はサイケデリック余波がつづいていたこともあって、これはもうジャズじゃねーでしょー、完全にロックンロール、ただしドラマーは8ビートの叩き方を知らない、というように受け取った。あの時代にはアール・パーマーのことは知らなかったが、アールが発明したノーリンズ・ダウンビートで叩くべき曲だった。ロイ・ヘインズはこのあたりで駄目になったと考えている。

Country Roadsは、スティーヴ・スワロウがエレクトリックに持ち替えてから最初の盤で、あとで彼の欠点もわかってくるのだが、この曲に関しては、グレイトフル・デッド(スワロウは彼らのファンだった)のフィル・レッシュのようなコード・プレイの連発に、ほうと目を瞠った。こういうことをやっても、アップライトではきれいに響かない。エレクトリック・ベースならではのプレイである。

この4人で71年に来日した時も、Country Roadsはハイライトだったが、その後、バートン自身も録音しているし、他人のカヴァーもあって、すでにモダン・クラシック、バートンとスワロウにとっても代表作となったと云ってよい。

ゲーリー・バートンとスティーヴ・スワロウのコンビが、異端児ラリー・コリエルを迎えて、67年に生みだした異端の4ビート音楽は、ここらでもう異端であることをやめ、むしろ未来のメイン・ストリームの可能性すら見えてきたのだと、いま振り返って、そういう考えにたどり着いた。

◆ そして三日目に ◆◆
バートン=コリエルの最初の3枚は、マイケル・ギブスの曲がオープナーになっていた。この盤はバートン=スワロウの曲ではじまっているが、マイケル・ギブスが消えたわけではない。

The Gary Burton Quartet - And On The Third Day (HQ Audio)


マイケル・ギブスらしい、「世界」がある曲、といっては大袈裟なら、独特のムードを持った曲で、昔から好んできた。71年日比谷公会堂でもやった。

この曲ではコードだけだが、ジェリー・ハーンのプレイについて云うと、やはりラリー・コリエルの後釜というのは家賃が高かった。ライヴでもそう感じた。4ビートのプレイヤーとしては力不足、かといって8ビートのニュアンスを豊富に持っているわけでもない。一枚だけ、その後の盤を聴いたが、この時代よりはよくなっているものの、残念ながら、集めたくなるほどの魅力はなかった。

ただ、このあとのゲーリー・バートン・カルテットのプレイヤーを聴くと、うーん、ジェリー・ハーンのほうがまだしもだったか、と溜息の出る若手ともやっているし、ハーンよりずっと有名なパット・メセニーにしても、まったく魅力がない。

バートンは未知数のギタリストを好むのだと思うが、そういう選択をしているなら、やはりラリー・コリエルは大当たりの宝くじだったのだと思う。大当たりなんてえのはそう何度も起きないものだ。

ゲーリー・バートンという人は徹頭徹尾理知的で、プレイも完璧、タイムに乱れはないし(ドラマーがしばしばヴァイブラフォーンをプレイすることを想起されよ。打楽器なのだ)、ミス・トーンに気づいたこともない。

しかし、音楽の魅力は完全性などというところにはない。むしろ、完全を目指した道でやりそこなった不完全の、その不完全さがどのような形であるか、ということで比較されるべきものだ。

頭のいい人なのだろう。たぶん、ごく若い時に、自分の欠点は完全なプレイヤーであることだと自覚したのだと思う。だから、それを壊すことが彼の目標になったのだと考えている。その意味でラリー・コリエルは理想のパートナーだった。

ジェリー・ハーン以降のパートナーは、バートンの拠って立つ足もとを切り崩すにはいたっていない。ということはつまり、残念ながら、あくびの出るような安定世界である。そういうものを聴くなら、ポップ・フィールドにもっといいものがたくさんある。

◆ あの日々を思い起こせば ◆◆
マイケル・ギブスにはこのシリーズで何度もふれたが、付録として、Back in the Daysなる、2012年リリースという最近の盤のクリップを貼りつける。まずはギブス自身の曲。アルバム・オープナーである。

Michael Gibbs & the NDR Bigband - 01 The Time Has Come (HQ)


さすがはギブス、と思う。こういう曲、こういうグルーヴは大好物。昔なら、ハル・ブレイン、ジム・ゴードン、いまならジム・ケルトナーのドラムで聴きたくなる。音楽学校の先生などやらずに、映画音楽でもやってくれれば、ラロ・シフリンと並び称されるほどのフィルム・コンポーザーになったのではないかとすら思う。

つぎはゲーリー・バートンがLofty Fake Anagramのオープナーに使った曲だが、サウンドの手触りはだいぶ異なる。

Michael Gibbs & The NDR Bigband - 03 June the 15th, 1967 (HQ)


またまた映画音楽、クリント・イーストウッドあたりの映画のテーマにしたいようなグルーヴ。ということは、やはりラロ・シフリンの対抗馬ということだが。この曲こそ、ジム・ゴードンのドラムなら万全だろうに。

もう一曲、上述のゲーリー・バートンとスティーヴ・スワロウ作の曲を。

Michael Gibbs & The NDR Bigband - 12 Country Roads (HQ)


◆ 呪いからの脱却 ◆◆
中学3年の時にラリー・コリエルを聴き、4ビートそのものに興味を持った。しかし、あの時点では、ジム・ホールもジミー・レイニーも(そういうものを買ってみた)あまりにもふつうすぎて、子供が強い関心を抱くことはなかった。

いま考えると、ゲーリー・バートンは三遊亭圓生の云う「箱に入った」自分の音楽を壊そうとして、深く意識することのないまま、ビー・バップ以降のジャズ、いわゆる「モダン・ジャズ」の破壊活動に、先頭に立って参加することになってしまった。

同時代のプレイヤーとして、ジム・ホールやジミー・レイニーではなく、ジミ・ヘンドリクスを強く意識していたラリー・コリエルは、「モダン・ジャズ」なんていう無意味な共同幻想にしがみついている老人たち(つまりover thirtiesという意味だが)のことなんかまったく眼中になかったのだろう。自分がしたいプレイをしただけ、だと思われる。

バートン=コリエルの3枚が、子供が聴いても面白く、その子供が老境に入って聴いても面白い盤になった理由は、そのような、モダン・ジャズなんてものは古びた共同幻想にすぎない、さっさと壊しちまえ、というアティテュードを音の中に見いだせるからだ。

バートン=コリエルよりあとに、マイルズ・デイヴィスのBitches Brewなる盤が出て、大ヒットした。しかし、高校生のわたしは、なんて古めかしいことをやっているんだ、他人が壊したあとで壊すなんて、壊したことにならないぞ、くだらない音楽だ、とせせら嗤った。ハービー・マンのMemphis Undergroundのほうがはるかに上等な音楽だった。

◆ スティーヴ・スワロウ、バナナに出会う ◆◆
このシリーズの第一回に、スティーヴ・スワロウは好きなロック・グループとしてヤングブラッズ、トラフィック、グレイトフル・デッドをあげ、のちに、口先ではなく、行動でそれを証明した、といった趣旨のことを書き、その証拠はあとで示すといったのだが、その約束をまだ果たしていないので、最後にそれを貼りつける。

Banana & The Bunch feat. Steve Swallow - Great Blue Heron


ピアノはバナナことローウェル・レヴィンガー、ドラムはジョー・バウアというヤングブラッズの二人に、エレクトリック・ベースでスティーヴ・スワロウが合流したもので、バナナの自宅で、ソニーの8トラックで録ったとクレジットに記されている。

73年だったか、海軍基地の酒保(といったって帝国海軍のとはだいぶ雰囲気がちがう。小規模なスーパー・マーケット)で、安いのをいいことにLPの馬鹿買いを数回やったのだが、その盤漁りの際、ヤングブラッズ・ファンの目にバナナの文字が飛び込んできた。

おやと思ってひっくり返すと、あのバナナその人が、例のバナナ・ペイントのワーリツァー・エレクトリック・ピアノの前に坐っている写真がドンと置かれていて、これは買い! と大喜びした。

〔雨の日に備えて〕 ジャズ・ヘイターのためのゲーリー・バートン=ラリー・コリエル入門の5_f0147840_20324824.jpg
バナナその人とバナナ・ペイントのワーリツァー・エレクトリック・ピアノ。ヤングブラッズのElephant Mountainのジャケットにも登場する。

で、聴きながらクレジットを読むと、スティーヴ・スワロウの名前が目にとまり、そう云えば、このあいだ、インタヴューでヤングブラッズが好きだと云っていたけれど、ホントだったんだな、とむしろ呆れた。

バナナはなにを弾いてもヘタウマの人なので、ピアノも上手くはないが、しかし、つねに魅力たっぷりのプレイをする。この「むやみにデカい青鷺」なる曲も、じつに楽しい。こういうオーセンティックな4ビート文脈で弾いても、バナナのプレイが魅力的だとわかっておおいに驚いた。

ドラムのジョーバウアは、仕事がなくてやむをえずヤングブラッズのオーディションを受けたというくらいで、本来は4ビートのプレイヤー、この曲なんか、文字通り水を得た魚、じつにいいプレイをしている。そのことにもふれておかないとアンフェアだろう。

変なマルチ・インストゥルメント・プレイヤーと、変なベース・プレイヤーが出会って、どちらかが何か得たかどうかは知らないが、デビュー以来のヤングブラッズ・ファンであり、ゲーリー・バートン=ラリー・コリエル盤を聴きこんだ子供のなれの果てとしては、こんな曲を聴けてじつに痛快だった。

バナナ翁も、雪を頂いたような白髪になってまた活動を再開したようで、慶賀に堪えない。願わくば、やはり白髪になったスティーヴ・スワロウ翁との再度の共演を聴きたいものである。


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Gary Burton Quartet in Concert: Live at Carnegie Recital Hall
カーネギー・ホール・コンサート


Gaty Burton - Duster/Country Roads & Other Places
Duster/Country Roads & Other P


Michael Gibbs - Back in the Day
Back in the Day
# by songsf4s | 2016-10-19 20:35 | 60年代
〔雨の日に備えて〕 ジャズ・ヘイターのためのゲーリー・バートン=ラリー・コリエル入門の4
 
前回は更新して半日もたってから、ひどいチョンボをしでかしたことに気づき、記事を修正しようかとも思ったのだが、すでに相当数の方がご覧になったあとのこと、やむをえず、つぎの記事で補足することにした。

◆ ウォルターL氏再び ◆◆
なにをやらかしたかというと、話はやや錯綜するので、周章てず騒がず、ゆっくりと行く。

若いころはすでにとりあげたDusterがバートン=コリエルのもっともいいアルバムと考えていたのだが、ボビー・モージーズのドラミングが好ましく感じられるようになってからは、Gary Burton Quartet in Concert Live at Carnegie Recital Hallが、この顔合わせのもっともいい瞬間を捉えた盤だと考えるようになった。

その理由は単一ではないのだけれど、最大の理由はWalter L.で、そのことを云い、もうすこし突っ込んで書く予定だったのに、オリジナルやカヴァーのことに気をとられて、それを失念してしまったという次第。面目ない。もう一度、くだんの曲をここに置く。

The Gary Burton Quartet - Walter L. (HQ Audio)


音楽のほとんどはそうだが、とくに4ビートでもっとも重要なのはプレイヤー間の対話、インタープレイがエクサイトメントを生む。その意味で、この4人がもっとも白熱した対話を交わしたのはこの日の、この曲の時だったと思う。

ロイ・ヘインズからボビー・モージーズに交代したことで、前作からリズムのニュアンスが変わったのだが(8ビート寄りのセンスになる)、このライヴでは、モージーズに交代したことが実を結んだと感じる。

それはとりわけコリエルとの「話」がストレートになったことにあらわれているのだが、なかでもWalter L.でのソロは、モージーズがカタパルトを提供したおかげでワイルドなほうへと向かった感じで、後半にすばらしいエクサイトメントが生まれている。

〔雨の日に備えて〕 ジャズ・ヘイターのためのゲーリー・バートン=ラリー・コリエル入門の4_f0147840_17511485.jpg
Bob Moses "Devotion" (1979) モージーズのソロはアヴァンギャルド・アルバムもけっこうあるのだが、これはオーソドクスな音。スティーヴ・スワロウのPortsmouth Figurations(Duster収録)をやっている。ゲーリー・バートン・カルテットのものはロイ・ヘインズが叩いたので、モージーズがストゥールに坐った録音は残されていないと思うが、ツアーではプレイしたことがあったのだろう。

コリエルのトーンは、ソロに入った時から、当時の4ビートとしては常識外れの歪ませ方だが、2:35あたりから歪んだコードを多用して、いよいよ4ビートのニュアンスが消えていくと、モージーズも極端に強いスネアやシンバルのアクセントでコリエルを蹴り上げる。知るかぎりのコリエルのソロで、このあたりの展開がベストではないかと思う。

ボビー・モージーズはもののわかったドラマーらしく、ラリー・コリエルのソロが終わって、ゲーリー・バートンのソロに入ると、それまでよりビートを弱くする。ヴァイブラフォーンという楽器はワイルドにはプレイできないものなので、ギターのようには強いビートと拮抗することはできない。

ボビー・モージーズの盤はほかに十枚ほどしか聴いたことがないが、結局、この曲でのドラマティックなプレイがいちばん印象に残った。若いころのプレイを代表作とは云われたくないだろうけれど。

◆ 間違っていることが正しい ◆◆
LPで云うとここからB面に入って、再びラリー・コリエル作。

The Gary Burton Quartet - Wrong Is Right (HQ Audio)


タイトルが示唆するようなパラドキシーを感じさせる曲ではなく、このカルテットとしてはむしろオーソドクスなスタイルでプレイされているが、4ビートの厭ったらしいところがなく、すっきりとさわやかな音になるところがこのコンボの身上、好ましいトラックである。

オーソドクスな曲ではあるけれど、「間違っていることが正しい」というタイトルには、やはりいくぶんかの主張ないしは腹立ちが込められているのだろう。

べつに音楽にかぎったことではなく、さまざまな分野で云えることだが、それまでは「やってはいけない」とみなされたことをやってしまう人間が出現した時に、大きな変化が起きる。

ロックンロールでは当たり前のことなのに、たかがベンドをかけたぐらいでゴチャゴチャいうような小姑の多いジャンルでしばらくのあいだ暴れてみて、コリエルは、お前らが間違っていると云っていることが、じつは音楽にとっては正しいんだ、と思ったことだろう。エルヴィスやリトル・リチャードも同じようなことを思ったのにちがいないさ、気にするなラリー。

◆ ポップ・ミュージックへのアプローチ ◆◆
つづいてスティーヴ・スワロウのアップライト・ベースをリードにした、ディランのあの曲のカヴァー。

The Gary Burton Quartet - I Want You feat. Steve Swallow (HQ Audio)


1971年に日比谷公会堂で見た時、スワロウはエレクトリックへの移行過程にあり、アップライトとエレクトリックが半々ぐらい、何度も持ち替えていたが、この曲はベース・ソロだから、カーネギー・リサイタル・ホールのライヴと同じく、アップライトでやった。

プレイの質がどうこうという以前に、4ビートのシリアスなコンボが、ボブ・ディランの曲をカヴァーするということそれ自体に意味が生じる時代だったことに留意されたい。70年代の「フュージョン」ブーム(軽蔑を込めてカギ括弧に入れてやった)は未来の話なのだ。

前回の記事でご紹介した、ゲーリー・バートンの1966年の盤、Tennessee Firebirdはナッシュヴィル録音で、チャーリー・マコーイやケニー・バトリーもプレイした。

60年代のディランを聴く方ならよくご存知のように、I Want Youを含むダブル・アルバム、Blonde on Blondeのほとんどの曲が録音されたのはナッシュヴィルのコロンビア・スタジオ(クォンセット・ハットではない)、そのメンバーを集めたのはほかならぬチャーリー・マコーイで、Blonde on Blondeセッションを取り仕切ったのも、すでにNYでディランに会っていたマコーイだった。

そして、ゲーリー・バートンがTennessee Firebirdを録音した(66年9月19日からの三日間)のはディランのBlonde on Blonde(66年2月と3月に録音、遅くとも7月にリリース)のすぐあとのことで、この時はI Want Youだけでなく、Just Like a Womanも録音している。

Gary Burton - 07 I Want You (HQ)


前半のサックスはスティーヴ・マーカスだろう。後半、スティーヴ・スワロウのソロが出てきて、In Concertヴァージョンへとつながる。べつに悪くもないのだが、手つきに迷いがあるというか、まだ試行錯誤段階の音と感じる。

こういうところで、ゲーリー・バートンはラリー・コリエルを必要としたのではないか、と想像する。

バートンはこれ以前にもNorwegian Woodを録音していて、ビートルズと同世代のミュージシャンとして、ロックンロールの世界で起きていることはおおいに気にしていたにちがいない。

しかし、天才少年じみたプレイヤーが、若くして音楽学校で理論を学んだわけで、おそらく、ラリー・コリエルのように自分でロックンロール・バンドを組んだことなどなかったのだろう。そこが手つきにあらわれる。

ラリー・コリエルははじめから4ビートも8ビートも聴いていたのだろう。ビートルズもジミ・ヘンドリクスも「自分の音楽」と感じるから、そちらの曲をプレイするときに、まったく構えない。そのまますっと弾くことができた。

以上、全部憶測だが、66年のTennessee Firebird収録のI Want Youと、68年のIn Concert収録のI Want Youのあいだに横たわる差は、そういうことなのだと考える。ふつうの曲としてプレイできるようになった触媒はラリー・コリエルにちがいない。

次回、この項は完結できると期待している。



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Gary Burton Quartet in Concert: Live at Carnegie Recital Hall
カーネギー・ホール・コンサート


Gary Burton - Tennessee Firebird
テネシー・ファイアーバード
# by songsf4s | 2016-10-11 17:54 | 60年代
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