10カ国語に翻訳された被爆体験記
2010年 07月 19日
と言うニュースがありました。
翻訳言語は従来の英、中国、朝鮮語に、来館者から要望の多かったフランス、スペイン、ロシア、ドイツ、ポルトガル、イタリア、タイ語の7カ国語を加えた。
のだそうです。
でも、日本では、じゃあ、広くその甚大な被害状況は
知られているのでしょうか。
あまりの凄まじさに、
沢山の思考停止が生まれ、沢山のプライドが失われ、
向ける先のわからない怒りを
自分に向けた人も少なくありません。
(↓の本は、戦後17年目の研究を元に書かれている、
心の痛みを救うための本でした。
救いのための答えは見つかっても、その通りにはならず、
今も心を救われていない人はたくさんいらっしゃいます)
日本国内にも知らない人がどんどん増えているのです。
悲惨すぎて、気軽に「ちょっとお勉強しておいてよ」とはいえないし、
そうして気を使ううちに、どんどん知らない人が増えて行く。
私は小学校4年生が、原爆資料館の見学の日でした。
あの日のショックから立ち直るのに、
眠れるようになるまで一週間かかりました。
今も、疲れると夢に見ます。数十分の資料館見学だけで、です。
さらにショックなことに
「この爆弾のおかげで戦争は終わりました」と、
同じことを言って職を辞した防衛大臣もいたけれども、
小学校の先生はそうおっしゃいました。
私たちはそれほどまでに、ダメな民族だったのだ、と、
染みついた自虐精神は、長い事、私のこころを傷めました。
本当に、何度も書くけれども、悲惨すぎて、、、
学ぶ機会を自らもつのはものすごく抵抗のあるのが、
原爆の被害でした。
だから、多くの被爆された方は、
記憶をそのまま、お墓に持って行きました。
はだしのゲン
二人のイーダ
そういう、子供向けの本ですら、悲惨ですが、
まだ、取っつきやすいものかと思います。
もちろん、時間が許すならば、
妊娠している時、授乳している時ではなく、
妊娠する前、子供が幼稚園にいった時にでも、
目を通してもらえたら、と、願っています。
原爆を造る科学力よりも、
紛争を、根気よく言葉と経済と、
思いやりと自分の正しさに対する自信とをもって、
穏便に解決するコミュニケーション能力を
持つ方が、うんとうんと、難しいのです。
人間に、未来を壊してしまわない智恵をどうか、
与えてください。
その智恵を扱う根気深さを、与えてください。
今年も、夏が来ました。。。。
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おしらせ:
平成22年4月から活動拠点を松山市から
香川県高松市に移動しましたm(_ _)m
同じ思いでお産を見守る助産師さんとの出会いも
あったらステキだなあ、と思っております。
元記事
広島の平和祈念館、被爆体験記を10カ国語に翻訳
7月19日16時11分配信 産経新聞
被爆体験記を収集、公開している国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(広島市中区)は、外国人来館者が母国語で体験記を読めるよう、新たに6編の被爆体験記をフランス語やポルトガル語、タイ語など10カ国語に翻訳し、今月から公開を始めた。
[フォト]アフガン大統領が広島訪問
新たに翻訳したのは、8〜31歳のときに被爆した6人の男女の体験記。翻訳言語は従来の英、中国、朝鮮語に、来館者から要望の多かったフランス、スペイン、ロシア、ドイツ、ポルトガル、イタリア、タイ語の7カ国語を加えた。
22歳で被爆し幼い2人の娘を失った女性の体験記には、泣きながら「ごめんね」と娘に呼びかけるなど、引き裂かれるような思いがつづられている。31歳で被爆した男性の体験記には、子供の健康への影響など、被爆による不安が、片時も頭から離れなかったことが記されている。
同館は約13万編の被爆体験記や約千本の証言映像などを収蔵。これまで250編あまりの体験記を英語、中国語、朝鮮語に訳しているが、「他の言語にも対応してほしい」という要望が多く、昨秋から翻訳の拡充を進めてきた。
被爆体験記はいずれも地下1階の体験記閲覧室で公開している。
同館は「母国語で体験記を読むことで、被爆者がどんな思いでがれきの中を歩いたか、戦後を生きてきたかをより深く感じてほしい」と話している。