当特集記事のタイトル「釜夏物語」とは、糖質制限の
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「創始者と言われる;釜池豊秋先生」
「推進者と言われる;夏井睦先生」
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・・・・の、お名前から1文字づつ拝借して名付けたものである。
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「糖質は人間の食うものじゃない。糖質食うのは不自然や。医療は犯罪や。」
・・などという、一般人類が共感するには大変厳しい「教典」を残されたまま表舞台から立ち去った「糖質制限業界の創始者的存在」であった釜池豊秋先生。
さらに「俺のフンは犬やライオンと同じや!山羊や牛ではない」と語り、ニンゲンの持つ消化機能や腸内細菌さえも否定されて「オレは肉食獣や」と同様の宣言された講演会でのお姿は、既に「健康セミナーの1コーナーの講師」ではなく、もはや「異世界に転回・召喚された孤高の求道者」とも言えよう。
そんな釜池先生ご本人の便、失礼、ご本人の弁によると、釜池先生が医師を廃業されて沖縄の離島「黒島」に移住したのが2012年。
釜池先生の「炭水化物憎み」は徹底しており、黒島へ移住を決めたのは何と「田んぼがない」からだと明かされている。(★第18話★「黒島」 )
そして、★第19話★「漂流」 においては、船の遭難事故により、絶海の孤島である「鳥島」で生活せざるを得なくなった江戸時代の漂流者たちの話を書いた。
このように直近5~6回の記事で、釜池先生が移住された沖縄の「田んぼのない島;黒島」と江戸の漂流民が流れ着いた「絶海の無人島;鳥島」について、書き連ねてきた。
さて、ここで読者諸兄に少し息抜きをしてもらおうと思う。
実はブログ主は42年前の1982年、5日間の無人島生活を経験したことがあり、最近そのことを思い出したのだ。
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1982年つまり昭和57年当時、西日本各地のTV局が共同制作していた「ワイドサタデー」なる毎週土曜日の午後に放映されていた「情報ワイド番組」があった。
ウイキペディアによると、番組の主な内容は、瀬戸内海に面した地区において、タレントがその週のテーマに沿ったレポート(観光情報が主)をヘリコプターによる空撮も交えて、生の多元中継で展開するというものだったそうだ。
1982年(昭和57年)8月。
当時大学2年生で19歳だったブログ主は、所属していた大学のサークルのメンバーたちと共に、この番組に出演したのだ。
そのとき収録された番組のテーマこそが「5日間の無人島生活記」であったのだ!!
「広島6大学、無人島生活記」
舞台となった無人島は、広島湾に浮かぶ「峠島」
無人島と言っても、果てしない大海原が広がる絶海の孤島ではなく、回りは陸地や島で囲まれており、島付近は船舶の航路となっていて、島の回りには牡蠣筏が浮かび、広島港からも僅か3㎞の場所である。
学生たちは水も食料も持ち込み禁止で、すべて島内の資源でオノレらで賄って5日間生活するという、今から思えば、かなり荒っぽい企画であった。
番組を盛り上げるために、大学対抗で順位を決めるルールがあった。
5日間の無人島生活を過ごした後、平均して一番体重減少が小さかったチームが優勝である。
私が属するチームは、6チーム中第2位だった。
ちなみに当時19歳の私は2.5㎏減っていた。
57.5㎏から55㎏に減ったのだ。
8年前53歳のときの糖尿病発症時には最大87㎏あったことを考えると隔世の感がある。
19歳当時はどんなに食いまくろうが太ることはなかったし、むしろ体重が増えないことを悩んでいたくらいだ。
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TV局がチャーターした船で、広島港宇品桟橋から無人島へ向かう大学生ども。
ちなみにキャップを逆さに被り振り向きざまアッカンベーをしているメガネをかけた御仁こそが、誰あろう「ブログ主その人」なのだ。
番組のMCは、歌謡曲やTV番組主題歌やCMソングなど数多くの名曲を世に送り出された稀代の作曲家であり、本年2024年5月に、惜しくも93歳でお亡くなりになられた、浪花のモーツァルトことタレントのキダ・タローさん(番組放映当時51歳)であった。
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「8月8日(5日後)に、荒木由美子ちゃんを連れてまいるので、その時には島で調達したものでパーティーを開いてあげてください」と語るキダ・タローさん。
いよいよ、5日間の無人島生活が始まった・・・・・・
食料は、アサリ、カラス貝、夏カキなどの貝が、無人島生活のほぼ全てのカロリーであったような記憶がある。
あとはワカメや、腹の足しにもならない少量の釣った小魚くらい。
ちなみに、一番体重減少が少なくて優勝したチームは、「食料研究同好会」なるサークルの面々で、山芋や木の実や果実も手に入れていたし、柿の葉でお茶も作っていたようだ。
また、別のチームが傷ついて飛べなくなっていたサギを捕まえて調理を検討したようだが、羽に血が付いた鳥を見て吐き気がして逃がしてやったそうだ。
日本が一番安定して勢いのあった80年代にヌルヌルと青春を過ごしていた当時の大学生に、生きた鳥を殺して食うなんてことができるはずがない。
それに無人島生活と言ってもTV局の企画である「なんちゃってサバイバル」であり、5日後には家に帰ることができるのだから・・・・・・
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最終日、学生どもが5日間のサバイバル生活を過ごした無人島へと向かうキダ・タローさんと荒木由美子さん。
当時の荒木由美子さんは長髪というイメージだったが、このときはショートカットで現れ、驚いたことを覚えている。
清楚でとても可愛かった。
今、ふと思ったのだが、これも「聖子ちゃんカット(ただしショートな1982年バージョン)」ではなかろうか?
1982年夏と言えば、「渚のバルコニー」や「小麦色のマーメイド」が大ヒットした頃で、聖子ちゃんもこんな髪型だった・・・・
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5日間の「飢餓サバイバル?企画」の当事者となった学生たちの恨みが爆発し、TV局のディレクターを海に投げ込んでしまった。
これはヤラセだったかどうだったか、既に定かではないが、いかにも昭和っぽい荒くれた雑な演出であろう。
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無人島生活が終わって、学生たちに無造作にバイキング形式のように食料やビールが振舞われた。
もう時効だから言っても良いのだろうけど、これ、未成年者の大学生もいるわけで((・_・;)
ブログ主も当時19歳だったが、酒やビールは浴びるほど飲んでいたし、当時は皆同じようなもんだったろう。
しかし、未成年者も混じっているかもしれない学生の飲酒風景を、堂々とTVでも放映していたとは、今では考えられない。
「ザ・昭和」で片付けるしかないだろう。
さて、この番組が収録されてTV放映された42年前の夏。
私がTV出演しているということで、録画しながら家族そろって番組を視聴したのである。
家族のほとんどの御仁が、息子が、兄弟が、孫が出演しているということで面白がって視てくれた。
た・だ・し。。。。で、ある。
たった一人だけ、笑いもせずに、当番組を痛烈に批判した人物がいた。
その御仁は、私から見て2親等の男、つまりお爺ちゃんだ。
当時存命していた明治生まれのお爺ちゃんは、番組最後のシーンが気に入らなかったようだ。
つまり、5日間ロクに食事が摂れず、最後に番組から振舞われた大ご馳走にピラニアの如く食らいつく学生どもの浅ましく凄まじい食事風景である。
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お爺ちゃん「何で、争うように食事させるんかのお?一人づつ平等に弁当配って、皆よくがんばった乾杯~で、円陣になって座って落ち着いて、お互いの健闘を称え合えば良かったんじゃないか?」と。
当時の私は黙って聞いていたが、心の中では「大人しく食ってたら番組が盛り上がらんじゃろうが、アホかこのジジイは」と思っていた。
・・・・・が、42年ぶりにこの録画した番組をDVDに焼いて再視聴して、お爺ちゃんの気持ちが、この歳になってようやく分かったのである。
アホなのは俺だった・・・・と。
なんちゃってサバイバルだったかもしれないが、あの5日間は同じサークルのメンバーで協力し合って貝拾いなど食料調達したし、他の大学のメンバーとも体調気遣ったり知見を分け合ったりしていたと。
そこには、助け合い&思いやりがあった・・・・・・
浅ましい姿よりも美しい姿を演出すべきだったのでは・・・・と。
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【キャンプ】小学生が無人島で助け合いの精神を学ぶ
【チャレンジ!無人島探検隊inせとうち】
江戸時代の漂流民たちの無人島生活も助け合いがあったからこそ、生還できたのだ。
「利益の共有よりも同じ時間を一緒に過ごすことが信頼を紡ぐ(霊長類学者・山極壽一)」
亡くなって30年以上経過するお爺ちゃんが、釜池物語を通じて教えてくれたのだ!
明治生まれの祖父は、かなり頑固ジジイでオノレの正義感に凝り固まっていたような印象だったが、ま、それもあったかもしれないが、やはり反骨心を伴いながらも人に優しい気持ちを持つ御仁だったようだ。
国鉄の労働組合かなんかもやってたせいかどうかしらんが、たいした出世もしてなかったようだ。
ただし。。。で、ある。
こんな逸話もあった。
ある日、痩せこけた高齢の泥棒が「金をくれ」と言って、祖父の小さな家に押し入った事があったのだが、「金はないがお茶はある」と言って、爺ちゃんは、その泥棒にお茶を出したり身の上話を聞いてあげていたのである。
私は、この2親等の性分もかなり引き継いでいるのかもしれない。
この明治生まれの2親等のジジイは、なぜか五木ひろしが大嫌いな一方、森進一の大ファンで「襟裳岬」がレコード大賞取ったときは倍のお年玉をくれたという、読者諸兄にとってはどうでもいい情報も、ついでに思い出した私であった。
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【おまけ動画、「島」も色々】
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●巌流島●
【特別蔵出し映像】1987.10.4巌流島
アントニオ猪木vsマサ斎藤【冒頭のみ 】
【動画出典; 新日本プロレスリング株式会社 より、共有埋込コードにてリンクさせて頂きました】
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●ハンの島●
Enter the Dragon - Han's hospitalit
【動画出典; CHARACTER REVIEW より、共有埋込コードにてリンクさせて頂きました】
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【キダ・タローさん;追悼動画】
「浪花のモーツァルト」キダ・タローさん死去
耳に残る数多くのCMソング 関西各所から別れを惜しむ声
〈カンテレNEWS〉2024/05/16
【動画出典; カンテレNEWS より、共有埋込コードにてりんくさせていただきました】
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私の思いはただ一つ。釜池豊秋先生には元気で長生きしてもらいたい。個人的には、釜池先生にはいつの日か大復活してほしいと願っている。それも「糖質ゼロ」ではなくて、「炭水化物推進論者」として、世間や糖質制限推進派センセどもを、あっと言わせる「大変身したカマイケ」とした姿である。いつの日か信州の山奥かあるいは瀬戸内の島とかで、棚田や段々畑に汗を流し、炭水化物と共に暮らす「ニュー釜池」の姿を「ポツンと一軒家」あたりの番組で登場していただき、日本中を驚かせてほしいと妄想することもある!「やっぱり炭水化物は食べないとアカンのや!」と・・・・・・・「日本の土を大事にせなあかんねん、腸内細菌のためにも」と・・・・・どうして私が「炭水化物推進論者としての釜池先生の大復活」を望むかと言えば、やはり人間はタンパク質・脂質・炭水化物(糖質+食物繊維)・ビタミン・ミネラルを偏ることなく満遍なく摂取したり、関わりや助け合いなどの社会とのつながりの中で生活することによって、健康で長生きできると思っているからだ。。。。しょせん釜池先生は田んぼがない島と言ったって、人々の営みや社会のインフラの恩恵を受けてヌクヌクと「自然な島で糖質ゼロや」とドヤっているだけだというのが、私の個人的な感想である。
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・・・・と、★第18話★「黒島」において、炭水化物を食いながら自給自足する「新たな釜池先生」のお姿を期待妄想した。
・・・・と、書いたものの、電気水道なしで自給自足など、この令和時代のニッポンで成しえる場所や地域があるのだろうか?
次回は、現代の日本国内で、実際に自給自足をしている、あるいは目指している人たちの事例を調べて、まとめてみたいと思う。
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