私の写真帖:アラカルト 2007年04月
FC2ブログ

ロイヤルウイング/レストラン船・ROYAL WING・氷川丸・横浜マリンタワー





写真 2007-04-28 横浜・横浜港・大桟橋 撮影:ONnoji オリンパス OM-1

横浜港のレストラン船のロイヤルウイングに乗船して夕食を楽しみました。

写真は、下船後に撮影したものです。

氷川丸と横浜マリンタワーは営業していませんが、ライトアップは健在でした。

ロイヤルウイングと氷川丸と横浜マリンタワーを同じ画面におさめてみました。



※ロイヤルウイング | トップページ( http://www.royalwing.co.jp/ )


【引用】レストラン船
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
レストラン船(れすとらんせん)とは、出航地と帰港地が同じで、本格的なレストランを備えたキャビンを持たない旅客船のこと。
 洋上の眺望を得ながらレストランでの食事やお茶を楽しむという目的に特化した客船で、クルーズ客船のランチタイムやディナータイム、ティータイムの楽しみを抜き出して提供するサービスのシステムともいえる。 一般に遊覧船に比べて大型であり、パーティや船上ウエディングなどに利用されることも多い。
 日本のレストラン船は1987年、神戸港・中突堤を発着するルミナス神戸(総トン数3,900トン、旅客定員750名)が最初とされる。 ちなみに周航船であるが、琵琶湖の外輪船ミシガン(総トン数940トン、旅客定員787名)は1981年に就航している。

日本の主要レストラン船
・ルミナス神戸2(神戸港) - 総トン数4,778トン、全長106.0m、全幅16m、巡航速力18.0ノット、定員1,000名
・ロイヤルウイング(横浜港) - 総トン数2,872トン、全長86.7m、全幅13.4m、巡航速力16.4ノット、定員630名
・シンフォニーモデルナ(東京港) - 総トン数2,618トン、全長83.2m、全幅13m、巡航速力12.8 ノット、定員600名
・コンチェルト(神戸港) - 総トン数2,138トン、全長74.0m、全幅13m、巡航速力12.0ノット、定員604名
・ヴァンテアン(東京港) - 総トン数1,717トン、全長64.0m、全幅13.0m、巡航速力10.5ノット、定員690名
・モビーディック(那覇港) - 総トン数639トン、全長43.3m、全幅15.6m、巡航速力12.6ノット、定員410名
・銀河(広島港) - 総トン数602トン、全長52.0m、全幅9.4m、巡航速力14.2ノット、定員450名
・レディクリスタル(東京港) - 総トン数346トン、全長46.5mm、全幅8.8m、巡航速力12ノット、定員170名


※にらいかない|船の写真館|ロイヤルウイング( http://www.wakanatsu.com/photo/royalwing.html )

【引用】東京デートナビ ~Tokyo Date-Navi~|Top>デート>横浜|ロイヤルウイング( http://www.date-navi.com/cruise/royalwing.html )
大さん橋を起点に、毎日4便運航しているエンターテイメント・レストラン船『ロイヤルウイング』。総トン数2,872トンという東京湾最大級のクルーズ船なので、船酔いの心配は殆どありません。本場中国から最高位の称号を得た総料理長の創りだす広東料理を含め、リピーターのファンが多い。


【引用】20世紀時刻表歴史館 - TIMETABLE MUSEUM|「時刻表歴史館」ホーム > 懐かしき『昨日』 > 関西汽船(1962-71)( http://www.tt-museum.jp/growing_0155_kan1961.html )
別府行き客船航路の戦後黄金時代 新造観光船就航
 新幹線や航空便が限られた存在だった1960年代、戦前からの伝統ある別府航路は、戦後の全盛期を迎えていました。当時は車は載せず、旅客だけの「客船」航路でした。
 1960年(昭35)、新造船「むらさき丸」「くれない丸」(画像参照)の就航により、夜行便だけだった別府航路に昼間便が開設されました。この昼間便は「観光便」と呼ばれ、このパンフレットに掲載されている時刻表からは、阪神・別府間と阪神・高松間にそれぞれ1往復ずつが運航開始されたことが分かります。
 瀬戸内海の風光を楽しみながら目的地に着ける別府航路は、当時の人気新婚旅行先が九州だったこともあり、好評を博しました。船内図には、2人部屋の1等船室がずらりと並んでいました。

【引用】大雑記帳 KOWA's Web Page|くれない丸 ( http://kowa.sakura.ne.jp/archives/000684.html )
"くれない丸"は関西汽船が阪神~別府航路に投入した初の3000トン級客船で、1960年に就航以来、1988年まで瀬戸内の各航路で活躍しました。以下の写真は1977年に神戸港および大阪港で撮影したものです。
この"くれない丸"級は、歴代の内航客船の中では最も好きな部類に入ります。なんといってもその均整のとれた船容は、この程度の大きさの客船では珍しかったと思います。"くれない丸"には、一度大阪の弁天埠頭から神戸の中突堤まで乗船したことがあります。乗船時には既に盛りを過ぎていましたが、神戸に着くまでの1時間少々の間、船内をくまなく歩き回った記憶があります。
なお"くれない丸"は1985年に佐世保重工に売却され、その後1988年よりレストラン船"ロイヤルウイング"として横浜港にてなおも活躍中です。

※乗り物写真館|客船の部屋(関西汽船を中心に)関西汽船別府航路は懐かしい思い出です。「くれない丸」別府港にて( http://www3.starcat.ne.jp/~museum/Ship_W/Ship_W.htm )

※船・ふね・クラブ|瀬戸内海の貴婦人|くれない丸( http://www5.plala.or.jp/narui/old%20kanki/kurenai%20maru.jpg )
※船・ふね・クラブ|瀬戸内海の貴婦人|むらさき丸( http://www5.plala.or.jp/narui/murasakimaru1.jpg )

※コチャックの操舵室2|船舶写真掲示板|4137.ロイヤルウイング( http://www3.ezbbs.net/cgi/reply?id=zua10101&dd=07&re=4137 )

※カメラ少年日記!|歴代関西汽船の客船たち (さんふらわあ・あいぼり ラウンジにて)( http://blogs.yahoo.co.jp/maple55usj/17886962.html )

ギリシャの風景/アテネ国立考古学博物館・アテネ/




写真 ギリシャ・アテネ観光・アテネ国立考古学博物館 1995-05-20 リコー MYPORT ZOOM

古いアルバムを開きました。

この日はアテネの観光の自由行動の日でした。

昼までホテルでごろごろしていて、やっと重い腰をあげて、アテネ国立考古学博物館へ向かいました。

行き先の違うバスに乗ってしまい、とんでもないところでバスを降りました。

そこから、徒歩でアテネ国立考古学博物館へ到着しました。

しかし、すでに閉館の時間となってしまい、眼前で入り口が閉じられてしまいました。

「日本から来たんだから入れてくれ~」と、言っても言葉が通じませんから、トホホ。

というわけで、アテネ国立考古学博物館は見学出来ませんでした。ハハハha。

まぁ~、しかたないということで、ビールを飲みましたよ。



※みや's World|アテネ国立考古学博物館( http://www.aya.or.jp/~sarasa/world/museum/athens.htm )


※☆★アテネより愛をこめて ~素顔のギリシャ 宝物の日々~★☆|アテネ 国立考古学博物館 特別展
( http://kiyomulan.livedoor.biz/archives/51006680.html )

ギリシャの風景/パナティナイコスタジアム・アテネ/




写真 ギリシャ・アテネ・パナティナイコスタジアム 1995-05-19 オリンパス OM-1・リコー MYPORT ZOOM 320P

古いアルバムを開きました。

アテネ市内観光で、パナティナイコ・スタジアムを見学しました。

ここは、第1回近代オリンピック(1896年)の舞台となった場所です。

2004年のアテネオリンピックでは、マラソンのゴールとなりましたよ。

歴代のオリンピック開催地の名前が大理石に刻まれていましたよ。

変なオジサンが指を指しているのは、第18回・1964年のTOKYOです。



【引用】ギリシャ観光省-ギリシャ政府観光局 >>エリア別トラベルガイド >>アテネ トラベルガイド
( http://www.visitgreece.jp/athene/index.html )
■パナティナイコ・スタジアム(カリマルマロ) Panathinaiko Stadium
1896年古代オリンピックの復活として、ここで第1回近代オリンピックが行われました。古代にはここにパンアテナ大祭の競技場がありました。
アルディトス丘の緑を背景に、まばゆいばかりの白いペンテリコンの大理石でできています。


【引用】首相官邸キッズルーム☆ウェッブ・マガジン「アテネオリンピック情報」
( http://www.kantei.go.jp/jp/kids/magazine/0408/6_2.html )
●古代オリンピックゆかりの地
 「オリンピックの故郷」で開かれるアテネ大会では、いくつかの競技が古代オリンピックゆかりの地で行われます。
<マラソン>
マラソンの起源となったマラトン~アテネ間が、今回のルートです。ゴールには、第1回近代オリンピック(1896年)の舞台となった「パナティナイコ・スタジアム」が使われます。


【引用】アテネオリンピック (2004年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アテネオリンピック(Games of the XXVIII Olympiad、ATHENS 2004 Olympic Games、ΑΘΗΝΑ 2004)は、2004年8月13日から29日までギリシャの首都アテネで行われた第28回夏季オリンピック。夏のオリンピックとしては21世紀初めての大会。アテネで開催するのは1896年の第1回大会以来、実に108年ぶり2回目。メイン会場は、アテネオリンピックスポーツコンプレックス。

ギリシャの風景/アクロポリスの丘・パルテノン神殿・ライトアップ・アテネ


写真 ギリシャ・アテネ観光・アクロポリスの丘ライトアップ 1995-05-20 オリンパス XA

古いアルバムを開きました。

アクロポリスの丘は、夜になるとライトアップされますよ。

写真は、ホテルのレストランから写したものです。

カメラは、オリンパス XAです。

元祖カプセルカメラである、XAは35mm広角レンズなので、

掲載した写真は標準レンズくらいの画角にトリミングしていますよ。



【引用】
あかり博物館|アクロポリスのパルテノン神殿( http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/speed/mypage/m-imajo/akari/akarimuseum/folder/akari2-24.html )
1998年6月に定年招待旅行でイタリアとギリシャを旅行しました。これはアテネのアクロポリスのパルテノン神殿を訪れたときのものです。夜間神殿は3色の光でライトアップされます。投光器には電球が装着されていました。大きさから1KWではないかと思います。


※日刊ギリシャ 檸檬の森|遺跡のライトアップ( http://lemonodaso.exblog.jp/4340463/ )

ギリシャの風景/アクロポリスの丘・パルテノン神殿・アテネ/









写真 ギリシャ・アテネ観光・アクロポリスの丘 1995-05-19 オリンパス OM-1・リコー MYPORT ZOOM 320P

古いアルバムを開きました。

アテネ観光で、アクロポリスの丘を見学しましたよ。

1枚めの写真は、フィロパポスの丘から眺めた景色です。

2~4枚めの写真は、アクロポリスの丘へ登る時の景色です。

5~6枚めの写真は、パルテノン神殿です。

7~8枚めの写真は、エレクテイオン神殿です。

驚くべきことに、パルテノン神殿は17世紀半ばまで、ほぼ完全な形で残っていたんですよ!。

時代と共にキリスト教の教会、後にイスラム教のモスクに変わっていましたが、

今のような廃墟になったのは、1687年9月26日です。

ヴェネツィア軍が、オスマン・トルコ軍の火薬庫として使われていたパルテノンを砲撃しました。

この時火薬庫に命中して、大爆発が起こり、今のような姿になりました。

もしも、この事件がなければ、もっと立派なものだったことでしょう。



【引用】よーろっぱ・くえすと Europe Quest|5.アクロポリスの丘(パルテノン神殿)
( http://homepage2.nifty.com/europe-quest/greece/athens5.htm )
アクロポリスは海抜154mの岩山の上にあり、ミケーネ時代(紀元前1600年ごろ)から人が生活していたようです。その後アテネの守護神アテナ女神の聖域とされ神殿が建てられました。

紀元前5世紀半ばのペルシア戦争の際に破壊されましたが、戦争勝利後アテネの最高指導者ペリクレス主導のもと大工事が行われ、総監督フェイディアス他当時最高の建築家・彫刻家の手によって再建されました。再建資金は銀山からの収入と市民からの寄付の他、デロス同盟の基金からも流用したために反対意見も多くあったようですが、しかし壮大且つ華麗に再建されたアクロポリスの姿は、アテネの国力を内外に誇示するのに役立ったようです。

ビザンティン帝国期のギリシア正教化、15世紀以後のオスマン・トルコによる占領、またそれに対抗したヴェネツィア共和国軍の攻撃によって、アクロポリスは略奪・破壊されたため、濃そうな遠景とは裏腹に、広さの割にはパルテノンとエレウシオンと前門&ニケ神殿ぐらいしかまともに建ってるのが無く、以外とアクロポリスの丘の上はあっさりとしています。


※デジカメで綴る旅の想ひ出写真館|アテネ編( http://www.joyphoto.com/japanese/abroad/2000egypt/athens/index.html )

※ギリシャへの扉 ギリシア案内 Gate to Greece|アクロポリス( http://www.mesogeia.net/athens/places/acropolis/acropolis.html )

ギリシャの風景/アテネ・民俗舞踊・タベルナ/







写真 ギリシャ・アテネ観光・タベルナ 1995-05-19 オリンパス OM-1

古いアルバムを開きました。

昼間のアテネ観光を終えて、お楽しみの夕食です。

ギリシャ料理はとても美味しかったですよ。

ギリシャのワインを飲んで酔ってしまいました。

写真は、ギリシャの民俗音楽やダンスなどのショーの様子です。

ワインを飲み、お料理を食べ、そして写真も撮るのですから忙しかったです。

ちなみに、ギリシャ料理のお店は「タベルナ」と言いますよ。



【引用】ギリシャ観光省-ギリシャ政府観光局 >>テーマ別トラベルガイド >>グルメ
( http://www.visitgreece.jp/gourmet/gourmet2.html )
ギリシャの酒といえば、何といってもワイン。
そもそもワイン造りは、その原形がエジプトやシュメールなどのオリエント地方から伝えられ、ギリシャで開化したと言われます。だからギリシャはヨーロッパ・ワインの発祥地。それだけにワインの製造は全土で盛んです。

土地の人によく飲まれるのにレチーナがあります。松ヤニの味と香りが加味された伝統的なワインです。

そのほかに、食前酒として愛飲されているのがウゾ。蒸留酒の一種で、水で割ると白く濁り、独特のアニス(ハーブの一種)の香りがします。

■プラカ Plaka
アテネの旧市街。この地区にはブズキの調べや民俗舞踊のショー付きのタベルナも多く、食事客を夢中にさせます。


【引用】ギリシアの弦楽器ブズキです。陽気な音楽を披露してくれました。演奏してくれた方は、ブズキの大会で入賞した実力派だそうで。
デジカメで綴る旅の想ひ出写真館|エーゲ海クルーズ編( http://www.joyphoto.com/japanese/abroad/2000egypt/egeon/index.html )

※デジカメで綴る旅の想ひ出写真館|アテネ編( http://www.joyphoto.com/japanese/abroad/2000egypt/athens/index.html )


【引用】ギリシア料理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
代表的なギリシア料理
・ドルマデス
 ブドウやキャベツの葉で肉と米などのフィリングを包んで蒸し煮にした料理。肉の入らないドルマデスは冷菜にもなる
・ムサカ moussaka
 ナスと挽き肉、油で揚げたジャガイモを交互に重ね、ベシャメルソースをかけてオーブンで焼いたもの。トルコ料理に由来し(本来はアラブ人の料理)、トルコではジャガイモが入らない。ベシャメルソースをかけるようになったのは20世紀初めのことらしい。
・トマトサラダ domatosalata
 薄切りのトマトを皿にたっぷりと盛り合わせて、オリーブオイルをかけて頂く。タマネギのみじん切りが少々乗っていることもある。特に料理名はないが、ギリシアの食事の場にはよく登場する。シンプルにしてギリシア的。
ギリシアの飲料・お酒
・ウーゾ
 原料はブドウ。アニスを浸漬後、蒸留して作る。アルコール度数は40度程度。水を加えると白濁する。
( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E6%96%99%E7%90%86 )

ギリシャの風景/エーゲ海1日クルーズ・エギナ島・イドラ島/





写真 ギリシャ・エーゲ海1日クルーズ 1995-05-18 オリンパス OM-1・リコー MYPORT ZOOM 320P

古いアルバムを開きました。

アテネのピレウス港から出るエーゲ海1日クルーズを楽しみました。

エーゲ海1日クルーズはサロニコス湾内のポロス島、イドラ島、エギナ島をまわってピレウス港へ戻る3島めぐりのコースです。

1枚めの写真は、エギナ島の観光馬車です。

2~4枚めの写真は、イドラ島の景色です。

暑くてのどが渇いたので、ビールを一杯いただきましたよ。

美味しい~。



※Akio の 旅での発見|エーゲ海1日クルーズの写真・旅行記( http://www.eva.hi-ho.ne.jp/akio-yakt/t48/j010218z.htm )

※ギリシャ写真集|夏のエーゲ海( http://www.nipponrentacar.co.jp/freeroad/kai37.htm )

※ファインダー越しに見たギリシャ旅紀行( http://greece.kororo.jp/7th/pileus.php )

※みけねこパルテノン隊~ギリシャ旅行記~( http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/4371/greece/index1.html )

※旅行記<ギリシャ編>旅行5日目・その1~エーゲ海クルーズ~( http://www5.ocn.ne.jp/~g-garden/travel/travel3-10.html )

※デジカメで綴る旅の想ひ出写真館|エーゲ海クルーズ編( http://www.joyphoto.com/japanese/abroad/2000egypt/egeon/index.html )

ギリシャの風景/エーゲ海1日クルーズ・帰りの風景/




写真 ギリシャ・エーゲ海1日クルーズ 1995-05-18 オリンパス OM-1

古いアルバムを開きました。

エーゲ海1日クルーズの訪問先の最後の島を離れると、一路アテネへ戻ります。

たった1日の船旅でしたが、いろいろな場所や景色が楽しかったですよ。

帰りの船では、それぞれ皆くつろいでいます。

スケジュールが強行軍だったから、ちょっとくたびれたかな。

ペロポネソス半島を眺めながら、船上でのんびりとした時間を過ごしましたよ。

船のエンジンの音、我が身にあたる風、いつまでもこの風景が続けば幸せだと思ったものでした。


※最後の写真の女性は、「どこのだれだか」判りません。ご了承ください。

ギリシャの風景/エーゲ海1日クルーズ・アフェア神殿・エギナ島/





写真 ギリシャ・エーゲ海1日クルーズ 1995-05-18 オリンパス OM-1・リコー MYPORT ZOOM 320P

古いアルバムを開きました。

アテネのピレウス港から出るエーゲ海1日クルーズを楽しみました。

エーゲ海1日クルーズはサロニコス湾内のポロス島、イドラ島、エギナ島をまわってピレウス港へ戻る3島めぐりのコースです。

写真は、エギナ島の風景です。

1枚めの写真は、アフェア神殿へ向かうバスの風景です。

運転手さんの右にいる人は、エーゲ海1日クルーズのガイドをしてくれたヨーコさんです。
※旅行記<ギリシャ編>旅行5日目・その1~エーゲ海クルーズ~( http://www5.ocn.ne.jp/~g-garden/travel/travel3-10.html )

彼女は、日本女性でギリシャに帰化されているそうです。

残りの写真は、ドリス式神殿のアフェア神殿です。



【引用】ギリシャへの扉: エギナ アファイア神殿
「アフェア」は現代ギリシャ語読み、「アファイア」は古典ギリシャ語読み、「アファエア」はラテン語読みで、どの読み方をしても間違っているとは言えない。
あまり有名ではないが、「アファイア」というのは女神の名前。かつては別の神の神殿だと思われていたこともあったが、1901年に発見された前550年の碑文によって確実に同定された。この場所におけるアファイア崇拝は、少なくとも幾何学文様時代まで遡ることができる。
ここに建てられた最初の大神殿の建築は、前570年ごろに始まり、前六世紀の半ばに完了したらしい。他のギリシャの神殿同様、かつては彩色されていた。しかし、最初の神殿は間もなく火災にあい、その後、さらに拡大して再建された。この工事は、恐らく前六世紀の終わりに始まり、前490-480年にはまだ続いていた。柱はドーリス式であるが、柱頭が大きく、柱が太い、アーカイックなタイプである(コリントのアポロン神殿がこれに類似している)。
 柱の数は、前後に六本ずつ、側面に十二本ずつ、計三十二本だったが、現在残っているのは二十四本。北側に立つ三本以外は、全て一本石でできている。神殿は地元で産出する石灰石でつくられており、古代にはストゥッコで赤く彩色されていた。
この場所でのアファイア崇拝は、前一世紀頃に廃れたとみられる。
( http://www.mesogeia.net/trip/aegina/templeaphaia.html )


【引用】エギナ島旅行|海外旅行基本情報-エイビーロード( http://www.ab-road.net/ab/sight/000472.shtml )
・エギナ島旅行
アテネから80分、サロニコス湾をめぐる1日クルーズで訪れるエギナ島に到着。港の前のカザンツァキ通りには、タベルナやカフェが立ち並び、タクシーや観光馬車が客待ちをしている。港から徒歩10分ほどのアポロン神殿は、1本の柱と土台の一部が残るのみとなっている。島の最大の見どころは、紀元前5世紀に建てられたドリス式神殿のアフェア神殿。アルカイック期の代表的な神殿で、美しい姿を今に残している。神殿が建つ丘からアギア・マリナ湾を見下ろす景観は素晴らしい。2つの神殿からの出土品は島の博物館に展示されている。またこの島は、紀元前10~7世紀ごろは地中海貿易の中心地であり、アテネと勢力争いが絶えなかったという。

※Akio の 旅での発見|エーゲ海1日クルーズの写真・旅行記( http://www.eva.hi-ho.ne.jp/akio-yakt/t48/j010218z.htm )

※ギリシャ写真集|夏のエーゲ海( http://www.nipponrentacar.co.jp/freeroad/kai37.htm )

※ファインダー越しに見たギリシャ旅紀行( http://greece.kororo.jp/7th/pileus.php )

※みけねこパルテノン隊~ギリシャ旅行記~( http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/4371/greece/index1.html )

※旅行記<ギリシャ編>旅行5日目・その1~エーゲ海クルーズ~( http://www5.ocn.ne.jp/~g-garden/travel/travel3-10.html )

※デジカメで綴る旅の想ひ出写真館|エーゲ海クルーズ編( http://www.joyphoto.com/japanese/abroad/2000egypt/egeon/index.html )

釣りの風景/私のフライボックス



釣りの風景/フライボックス

今回は、写真ではありません。

いつも訪問している「けろけろ」さんのブログで、孔雀の写真が紹介されていました。
春の鎌倉|光則寺( http://blogs.yahoo.co.jp/tos0411jp/31081330.html )

私は孔雀の写真を見て、毛ばり(フライ)のことを思い出していました。

画像は、フラットスキャナー(GT-8700F)でスキャンした私のフライボックスです。

ちょっと面白いでしょ~。
※フライ・フィッシャーの皆様江>お恥ずかしい毛ばり(フライ)しか残っていませんが…(^^ゞ

1枚めの画像は、水面に浮く毛ばり(フライ)です。

2枚めの画像は、主に水中に沈む毛ばり(フライ)ですよ。


p.s.

この記事と「けろけろ」さんのブログの記事でコラボレーションできたら嬉しいです。


※けろけろののんびりブログ( http://blogs.yahoo.co.jp/tos0411jp )

※ロイヤルコーチマン(OIKAWAさんのホームページ)( http://www.cty-net.ne.jp/~king-13/tying05.htm
※Return To River(OIKAWAさんのホームページ)( http://www.geocities.jp/amago_baka/tying05.htm )

プロフィール

siliconvalley_7565

Author:siliconvalley_7565
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR