藤堂高虎が大改修した津城を歩く。 その1 <内堀外周> : 坂の上のサインボード
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藤堂高虎が大改修した津城を歩く。 その1 <内堀外周>

前稿藤堂高虎が築いた伊賀上野城を歩きましたが、同時進行で高虎が伊勢国に築いた城が、現在の三重県津市にある津城です。

高虎は関ヶ原の戦い後の慶長13年(1608年)に伊予今治藩より伊勢・伊賀22万石をもって入国すると、慶長16年(1611年)より伊賀上野城の大幅な改修に着手しました。


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現在残っている城の遺構は、本丸・西の丸・内堀の一部のみとなっています。城跡を歩いてみましょう。


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写真は本丸北東に模擬復興された丑寅三重櫓です。


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往時も北東隅に丑寅三重櫓がありましたが、この櫓は位置、意匠共に往時のものとはまったく異なるため、復元ではなく模擬復興ですね。


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高虎の築く城の多くは、質素でシンプルな作りが特徴です。

したがって、櫓や天守も破風などの飾りをあまり用いず、シンプルな構造の層塔型がほとんどでした。

この櫓は破風が多用されていますもんね。

図面も古写真もちゃんと残っているのに、なぜこんな似ても似つかない櫓を作ったのでしょう。

前々稿で見た伊賀上野城の天守も、似ても似つかない模擬天守でした。

鉄筋コンクリート製は仕方がないにしても、せめて外観だけでも似せて作ってほしいですよね。


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城内に入る前に、内堀に沿って外周を歩きましょう。

模擬櫓の少し北側に、本来の丑寅櫓台が残っています。

模擬櫓とこんだけしか離れていないのに、なんでこの上に建てなかったのでしょうね。


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高虎の築く石垣は、そりがなく一直線なのが特徴です。


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北側から見た丑寅櫓台石垣


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北側の内堀沿いに歩きます。


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この高石垣の上に往時は多門櫓があったようです。

それにしても、石垣に雑草が茂りすぎですね。

ここを訪れたのは令和4年(2022年)72日。

季節的に仕方がないといえばそうなんでしょうが、もぅちょっと整備してほしいですね。

あまり根を張りすぎると、石垣にもよくないような気がするのですが・・・。


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ムダ毛ボーボー北多門櫓台石垣の西の端にも、櫓台石垣が見えまます。


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本丸北西の戍亥櫓台石垣です。

往時はここにも丑寅櫓と同じ三重櫓がありました。


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出隅はそりのない算木積みです。


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そして本丸西側に土橋があり、西の丸に繋がっています。


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西の丸北西から見た内堀。

向こうに見えるのが戍亥櫓台石垣です。


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西の丸西側

西の丸の石垣は本丸より低い石垣で築かれており、かつてはこの上に土塀がめぐらされ、隅には二重櫓が建てられていました。

石垣下部の犬走は、近年のものだそうです。


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津城は永禄年間(155870年)、長野一族の細野藤敦が安濃川と岩田川にはさまれた三角州に小規模な安濃津城をかまえたことが、その原型とされています。

やがて織田信長伊勢侵攻にともない、一族の織田信包が入り、堀と石垣をめぐらせた本格的な城を築きました。

天正8年(1580年)には、本丸に五重天守が築かれたそうです。


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豊臣家の時代になると、信包は丹波国柏原へ移され、豊臣家家臣の富田一白5万石(6万石とも)を与えられ入城しました。

しかし、その子・富田信高のときに関ヶ原の戦いで西軍からの攻撃を受け、城内の建物はほとんど焼失してしまいました。

そして、慶長13年(1608年)に藤堂高虎が入り、大改修して22万石(のち32万石)の大大名にふさわしい城に生まれ変わります。


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西の丸南西の門跡にやってきました。

かつてここには二階門があったそうです。


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ここからはまだ入らず、外周を歩きましょう。


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本丸南側の埋門跡です。


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埋門とは隠し門のようなものですから、往時はこの石垣の上に多門櫓が伸び、その一部にひっそりと小さな出入口があったのでしょう。


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本丸西側の石垣。

これはなんか現代の石垣っぽいですね。


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さて、外周を一周まわってきました。

いよいよ中に入りますが、長くなっちゃったので、つづきは「その2」で。




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by sakanoueno-kumo | 2023-10-21 18:43 | 三重の史跡・観光 | Trackback | Comments(2)  

Commented by heitaroh at 2023-10-22 22:38
写真の撮り方が違うんですかね。
津も伊賀上野もこんな立派だったかなあと。
城に対する愛情を感じます(笑)。
Commented by sakanoueno-kumo at 2023-10-23 13:29
> heitarohさん

津も伊賀上野も、何百枚も撮ったなかからピックアップしてういますからね。
石垣の撮影は特に気持ちが入ります。
まさに、お城愛?(笑)

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