どうする家康 第33話「裏切り者」 ~石川数正の出奔~ : 坂の上のサインボード
人気ブログランキング | 話題のタグを見る

どうする家康 第33話「裏切り者」 ~石川数正の出奔~

 小牧・長久手の戦いで思わぬ敗北を喫した羽柴秀吉でしたが、ここからが秀吉の本領発揮織田信雄をあの手この手で懐柔し、天正12年(1584年)1111日、ついに信雄は和議に応じます。その条件は、信雄より秀吉に人質を差し出し、北伊勢五郡をのぞく伊勢国と伊賀国を引き渡すというものでした。和睦とはいっても対等なものではなく、実質、信雄の敗北といっていいでしょう。


信雄が単独講和してしまったことにより、徳川家康は戦うための大義名分を失ってしまいました。やむなく家康も1116日に岡崎に帰り、同年3月より続いていた小牧・長久手の戦いは、ようやく終結しました。そして1212日には秀吉への人質(名目上は養子)として次男の於義伊(のちの結城秀康)が浜松を発ち、石川数正本多重次の子息、勝千代仙千代がこれに従いました。秀吉優位の和議だったってことがわかりますね。


 どうする家康 第33話「裏切り者」 ~石川数正の出奔~_e0158128_20393670.jpgこの和議によって一件落着・・・とは当然いかず、秀吉はさらに家康を追い詰めるべく、小牧・長久手の戦いで織田・徳川連合軍に気脈を通じていた諸将をつぎつぎに切り崩していきます。まず、天正13年(1585年)3月から4月にかけて紀州攻めを行い、根来寺雑賀一揆を制圧。続いて長宗我部元親に対する四国攻めが行われ、一時は四国を席巻する勢いであった長宗我部は、8月に秀吉と和議を結び、やっと土佐一国が安堵されました。さらに、並行して佐々成政に対する北国攻めも行われ、成政も降伏します。まさに破竹の勢いで勢力を拡大していきました。そして、極めつけは、関白就任ですね。秀吉は711日に従一位関白に叙任され、関白として政権を担っていくことを天下に示しました。


 どうする家康 第33話「裏切り者」 ~石川数正の出奔~_e0158128_20450078.jpgかつての同盟者が秀吉によって次々に切り崩されていき、追い詰められた家康は、北条との同盟関係を強固にしようとしますが、ここでも困難な問題に直面していました。北条氏との同盟の条件である沼田・吾妻領の譲渡問題です。同盟によって甲斐国、信濃国を徳川領に、上野国を北条領ということになりましたが、西上野の沼田領は信州上田城真田昌幸が支配しており、家康からの割譲命令を拒絶します。そのため家康は、8月に鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉という精鋭を指揮官とした7000の大軍を上田城に派遣しますが、昌幸の巧みな戦術によって手痛い敗北を喫します。この戦いにおける徳川軍の死者は1300余りといわれ、真田軍の死者は50にも満たなかったとか。真田昌幸という名が天下に轟いた瞬間でした。


 どうする家康 第33話「裏切り者」 ~石川数正の出奔~_e0158128_19432147.jpg9月に入ると秀吉から新たな人質要求が強まり、家康は1028日に諸将を浜松城に招集して評定を行います。その結果、秀吉に対する強硬論が圧倒的多数を占め、人質は出さないことになりました。その半月後、家康にとって思いもよらなかった大事件が起きます。重臣・石川数正出奔です。数正は家康が竹千代の頃から仕えてきた重臣中の重臣で、賤ヶ岳の戦い後にその戦勝祝いの使者として秀吉の許に遣わされて以来、たびたび秀吉への使者として派遣され、秀吉の実力を熟知していました。そのため、数正は秀吉と戦うことの不利を悟り、融和論の代表でした。何度も秀吉と面会していた数正は、その実力を知れば知るほど、敵対することの危険を感じていたのでしょう。しかし、徳川家中ではほとんどが強硬派で、消極派の数正は、次第に孤立していったといいます。下手をすれば家中で暗殺されかねないと感じた数正は、ついに秀吉のもとに出奔した・・・というのが、通説の推論です。


 酒井忠次と並んで両宿老ともいうべき数正の出奔は、徳川にとって国家機密がすべて秀吉に筒抜けになるということを意味します。この緊急事態に家中は当然大騒ぎとなり、軍勢改革を余儀なくされますが、数正の調略に成功した秀吉は、対家康対策をふたたび強硬姿勢に転換、東に兵を向けます。今度こそ秀吉と戦ったら間違いなく徳川は滅びる・・・と思いきや、天祐が家康に味方するんですね。それは次回に描かれます。


 今回のサブタイトルは「裏切り者」ですが、考えようによっては、もし重臣の数正までもが強硬論だったら、徳川家中はこの後もどこまでも強気の姿勢を崩さず、結果、秀吉に滅ぼされていたかもしれません。かつて日露戦争で強国ロシアに勝利したことで、国全体が自国の戦力を過信し、どこまでも強硬論となっていき、やがて第二次世界大戦で滅んだ日本のように。故・司馬遼太郎は、小説『坂の上の雲』のあとがきで、次のように述べています。


「敗戦が国民に理性をあたえ、勝利が国民を狂気にするとすれば、長い民族の歴史からみれば、戦争の勝敗などというものはまことに不可思議なものである。」


 小牧・長久手の戦いで羽柴軍に勝利した徳川家中は、まさに狂気の状態だったでしょうね。羽柴秀吉なにするものぞ・・・と。しかし、1年前の秀吉と今の秀吉とでは、軍事力、政治力、そして権力がまったく違いました。あるいは、賢明な家康は、今度秀吉と戦ったら負けると思っていたかもしれませんが、高揚する家臣たちを抑えられなかったのかもしれません。そんなときの数正の出奔は、ある意味、冷静さを取り戻す劇薬となったかもしれませんね。その意味では、数正の意とするところだったかどうかは別として、数正の出奔は徳川家にとってプラスとなったかもしれません。ひょっとしたら、次週、そんな感じに描かれるかもしれませんね。



ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
   ↓↓↓



更新を通知する


by sakanoueno-kumo | 2023-08-28 20:43 | どうする家康 | Trackback | Comments(2)

 

Commented by 博多の虎(夜のみ) at 2023-09-04 00:06
この第33話は…まあ,「満足できるレベルではなく,ましてや『神回』などおこがましいにも程があるけど,一応観ていられるレベル」くらいではあるかなと思いましたが…予告編を観る限りでは期待薄ですね。…と言いますのも,予告で「おなごは駆け引きの道具ではない」と私の見間違い,聞き間違いでなければお大の方(松嶋菜々子さん)が声高に叫んでいたようですが…確か私の記憶では,

(今川を裏切って織田につけと言っている際に)「家のためなら妻子など打ち捨てなされ!」

(側室をどうするかの際に)「子どもを産めなくなったおなごなど用無し」

とおっしゃっていたのはお大の方だったのですが…私の記憶違いですかね?

 いや,こういう矛盾(唐突なキャラ変?)がなくても,そもそも「戦国時代に思い切り現代の価値観を持ち込む」時点で一発レッドカードで駄作決定くらいのNGワードなんですが(私にとっては)。
Commented by sakanoueno-kumo at 2023-09-04 15:32
> 博多の虎(夜のみ)さん

それはわたしも予告編のときに思ったのですが、昨日の放送で解決していましたね。
家康から「母上らしくない物言いですな。」と突っ込まれてましたし(笑)。
まあ、キャラ変というより、お大の方も年取って慈愛の心が芽生えた・・・ということで赦してあげてください(笑)。
「せめて、ないがしろにされる者を思いやる心だけは失うな」とは言いましたが、「女性を政治の道具に使うな!」とは言ってなかったし。(苦笑)

ちなみに、女性がまったく政治に口出しできなくなったのは江戸時代に入ってからで、男尊女卑が激しくなったのも江戸時代中期から。
戦国時代の女性は、政治にも口出しできました。
淀殿や北政所はその最たる存在ですが、秀忠の妻のお江も、政に口を出し過ぎて秀忠を困らせたといいますし、山内一豊の妻・千代なんかも、内助の功で夫を支えたとして有名ですね。
築山殿が殺されたのも、政治に首を突っ込み過ぎたからかもしれないですしね。
女が政治に口出しできるはずがない・・・といったネット上の批判が散見されますが、それは間違いです。
ただ、近年の大河は女性を活躍させすぎとは思いますけどね。
必要以上に女性を賢くたくましく描いて、男を軟弱に描く・・・これはまさに、現代の縮図をそのまま歴史に反映したものかと。
これはわたしも苦々しく思っています。

<< 瀬戸内海を望む現存天守、讃岐丸... 瀬戸内海を望む現存天守、讃岐丸... >>